DIARY 2001年春


3月2日 大人の遠足や

人は時として、旅をしたくなるものです。長いこと同じところにとどまるのは精神衛生上よろしくない。磁場だか風水だかそんなもんだと思うけど。昔は沼地だった東京が体にいいはずもなく、ましてや東京生まれの東京育ちには得体の知れない都市の怨念やらデンパが染みついていると思わないか。だから人は時に旅に出てデガウスするのです。
 地方出身者がうらやましいと思うのは、「上京」と「帰郷」ができること。生活と幻想の間に物理的なメリハリがあるじゃない。その落差のパワーに憧れるのだよ。

そんなわけで、1人で遠足に行くことにした。起きてまっ先に思いついた場所は大島。無理です。とりあえず駅に出て、東向きの電車がくれば東に、西向きの電車がくれば西に行くことにした。で、数時間後には箱根にいた。
 誤算だったのは、箱根の交通機関・娯楽施設が日暮れと共に終了してしまうこと。どうせなら大涌谷まで行って温泉たまごを食べたかったような気もするが、早雲台とかいうえらく中途半端なところで引き返して、強羅の露天風呂に入って帰ってきた。

結局、遠足は楽しかったのか。うーん感慨なし。ひとり旅ってこんなもんなのか。企画が中途半端だった。遠足はやっぱ早起きして行くもんだと思った。あと、Omoide In My Headなロケーションだったのもなんだか、感傷のうずまきが不健康でした。次は「大人の修学旅行」で未知の土地を目指す。

3月9日 ツァラトゥストラは、そうとも言った

友人宅にて夕食を頂いていたところ、偶然にもヒトが初めて自力二足歩行する瞬間を目撃してしまいました。やっぱりヒトのヒトたるアイデンティティはこの瞬間に発生するのだと思った。直立だけなら犬でもできる。道具ならラッコだって使う。でも彼女の小さな一歩は、まさに人類としての偉大な一歩なんだよ。巷にあふれる親バカ系サイトでも、この瞬間を記録しているところは珍しいと思います。思いますので載せてみた。僕の子じゃないですよ。

森首相が自分で北朝鮮にファックスを送った話、もっと話題になるかと思ったけどしぼんじゃいましたね。僕は彼の一連のスキャンダルの中でこのネタが一番好きです。かくやの北朝鮮もびっくりしただろう。森さんはちょっとピントがずれてるけど、たぶん実際に会ったらいい人だと思います。芯を取ろうとせず、ムードメーカーに徹したほうがいい。首相に担ぎ出された時点で相当お気の毒な話だが、引き際もなんともお気の毒であった。さっぱり足を洗って東京プリンに加入してはどうか。

病状悪化。ついにメジャートランキライザー系のお薬を処方された (これを俗にメジャーデビューと言う) 。人生焦ってる。翻弄されて停滞して、停滞に翻弄されてまた停滞している。
 酒を飲んでいろいろ話す。みんな飛び立って行くのだなあ。ツァラトゥストラよ、僕の骨は飛べるだろうか。でんどんでんどん。「月を見る者」よ、骨は自分で投げるのだ。でんどんでんどん。

3月22日 BTTF (森へ帰ろう〜絶頂のコツ)

そんなわけで調子が悪い。TVをつけて→見るでもなく→でも消すと部屋の空気が止まる。そんな時はNHKの深夜放送がいいのです。ゆる〜いオールディーズと何の脈絡もない風景。ときどきハイビジョン中継の実験とかやってて、これがまたなんだかな。
 雪深い秋田の農村に何百年も伝わるという綱引き大会の中継が実に味わい深かった。年に一度の特別な夜、たかが綱引きごときで村全体が異様な興奮に包まれているのがわかります。古い切妻商家が並ぶ狭い街路、闇の中に揺れる提灯、軋む綱から立ちのぼる湯気。

こういうものを見てると、人として生きていくために最低限必要な娯楽とはどれほどのものかと考えてしまう。彼らは綱引きの夜のために何ヶ月も前から準備して、たったワンゲームで次の一年を生き抜く闘志を手に入れるのです。労働と娯楽と宗教がバランスよく共存して、心豊かに暮らしてると思う。
 ところで、地球上の70億人を養うのに最低限必要な労働とはいかほどのものか。社会にとって、本当は不必要な職業が多すぎませんか。世界中がいっせいのせで力を抜くことに決めれば、経済はもっと小さいサイクルでうまく回転するような気がする。社内コンペは無駄だって話があったけど、それなら国内コンペだって無駄だし人類内コンペも無駄だ。仕事を奪い合うより譲り合う方がピースじゃないですか。

シンコーミュージックから出た「Beach Boys Complete 2001」って本に参加しました。著名な執筆陣の中に自分の名前が入っているのは不思議。僕の記事はね、虫眼鏡で探せって感じ。いやいや、情報の行き違いがたくさんあってピントはずれなこと書いちゃったんで、ほんとは読んで欲しくない。
 それとクロスレビューサイトRock Crusadersを更新しました。今回のテーマはおお! George Harrisonの大傑作「All Things Must Pass」。ルーツミュージックとインドアポップスと音響モノの惑星直列。聴いたことない大馬鹿野郎は即刻レコード屋に走りやがれ。

3月27日 心配な僕らも海を見に行く

ひとりより...ふたりのほうがいいね
でも、ふたりより...さんにんのほうがいいね
でも...よにんよりは...ひとりのほうがいいね!! (100% ORANGE)

という訳で3人で遠足。北鎌倉から七里ガ浜へ、江ノ電フリーパス「のりおりくん」を駆使しつつも、結果として近年稀に見る歩行距離をマークしたと思う。
 あの小さな入り江が、800年前には日本の首都だったかと思うと感慨必至です。古都の風情、明治のモダニズム、バブリーなリゾート気分の残骸。全てがほどよく枯れて、いい感じに溶けあってます。日本という国の透明な上澄みだけを丁寧にすくいとった街。鎌倉ブラボー。

今回の遠足で一番驚いたのは、江ノ電で乗り合わせた女の子達の会話。母音の後ろに必ずバビブベボをつけるんです。例えば「あいつ超やばくない? 」は「アバイビツブチョボオボヤバババクブナバイビ」に変換される。なんだか読むだけで一苦労だが、彼女らはこの言葉で普通に談笑してたんだ。ほんとだよ。
 これ、じっくり聴かないと日本語であることさえ気づかないと思う。一聴して暗号を解読した僕は偉いです。これが新しい日本語の姿なんだろうか。さすがは湘南、桑田佳祐さんを産んだだけのことはある。言語学的にも認知科学的にも興味は尽きません。録音したかったな。

くるり「TEAM ROCK」、世間的にはRadio Head的な盛り上がりかたをしていて嫌だけど、単純にウタモノとして気持ちいい。あと、今さらながらTim Huttonが染みてきた。打ち込みElliott Smithって感じでこれがなかなか。紹介したいアルバムがいっぱいあります。でも自分の文章の古さにがっかり。今からスタイルを変えるのも難しい。蓄積があるからね。後発サイトに嫉妬してる。
 「Smap Vest」、Disk 1だけバラ売りしてくれれば買うんだがな。同じジャニーズ系でも、移籍前のTokioはかわいそうだったと思う。歌謡界ではプロデューサーばっかり話題になるけど、ディレクターという存在についてもう少し語られてもいいんじゃないか。

3月30日 ああああ はレベルがあがった

またいっこ歳をとりました。LV29です。「マヒ」状態でもレベルがあがることを昔ドラクエで知った。びっくりした。大切なものをいっぱい失った1年が終わって、身軽な新年度が始まります。
 今は焦りはない。あんまりない。っていうか「時間」に意味がなくなってきてるみたい。何ヶ月休んだとか何時間寝たとか、そんなことはどうでもいいや。自分のピークはまだ来てないし永遠に来ないかもしれないけど通り過ぎてもいない。ただそんだけ。不安はある。いっぱいある。

大滝詠一著「All About Niagara」を読みました。全749ページ。狂ってます。彼の活動を追ってるだけで人生が終わりそう。再発の度に微妙にマスタリングが違うし、同じ品番でもステッカーが違ったり印刷ミスがあったり。それを本人がリストアップして、コレクター魂に火をつける。つまり、ピーク時の才能だけで一生食ってけるシステム。僕の持ってる「Snow Time」はミスプリバージョンだそうです。嬉しい。騙されてる。

4月6日 彼なりの柔術

Pizzicato Five解散。小西の目にも涙。晩年のPizzicato Fiveは小西康陽さんの作品発表の場だったと思います。モー娘。みたく顔をどんどんすげ替えて、いくらでも存続させることは出来たはず。ところが野宮真貴さんの存在が大きくなるにつれて、小西さんの存在感が薄れていった。彼らが一番バランスがよかったのは、野宮真貴さんが3代目の顔役に就任した直後の1991年でした。
 バンドのメンバーとして活動を続けるには、常に一定のクオリティが要求される。Pizzicato Fiveというバンドの実体を守るか、ネームバリューを守るかという2択だったのかも知れない。

解散ライブには筒美京平さんから花束が届いたそうです。筒美さんはアメリカンポップスのエッセンスを日本の湿気に馴染ませて、画期的な歌謡曲を量産した。そして小西さんは、日本のリスナーを洋楽コンプレックスから開放した。でもそこから新しい邦楽像を作りだせたかっていうと疑問。筒美京平さんの昭和メロディは宇多田ヒカルさんに乗り移って、小西さんはサヨナラの花束を受け取る。さよーなーら、こーにーしーさん。隠居しないでね。いつまでもリアルな音楽ファンであり続けて欲しいと思う。心からそう思う。

同じ日にLove Love All Stars解散。なんとも邦楽史上の大損失ディ。「Love Love 愛してる」というテレビ番組は、ライブ感とは如何なるものかを広く伝える貴重なメディアだったと思います。
 解散ライブではキタキマユさんの肌荒れが非常に気になった。忙しいんでしょうか。キタダマキさんと紛らわしいですね。篠原ともえさんの面倒は誰がみるんでしょうね。ソニー時代のアルバムはポストロック歌謡の傑作だったのに、最近は回りのスタッフがどんどんレイドバックして悲しいよ。

4月に入ってから元チェッカーズの高杢をテレビで3回も見た。なんでー。あとは中古屋に売ったCDを自分で買いそうになったり、風呂の中で地震にあって胎内気分を味わったり、そんな日々です。
 10代の音楽評論サイトが面白くなってきた。文章のキレが全然違います。動向を観察する。

高木ブー計画進捗状況:おおよそ2ヶ月ぶりにウクレレに触った。そんなに下手になってなかった。そもそもブランクが気になるほど上手くない。

4月15日 息を止めてトンネル

Now I'm back in the tunnel again.
 吸収も生産もせず。だるいとか腹減ったとか隣がうるさいとかウチはもっとうるさいとかそういうどうでもいい情報がニューロン間を飛びかっている。この無駄なエネルギーを転用して音楽を作ることにしました。ウクレレを交えてハウスマイスター系のエレクトロニカにする予定。

2001年4月1日をもって、テレビはついにつまらなったと思う。ドラマは続編ものばっかりだし、バラエティはおちまさと的選民思想が実に鬱陶しい。ニュースでは自民党総裁選の候補者達が演説をしてるんだが、ああなんていうか我々には選挙権がないのだよ君。どうせなら呆れ返るほどの出来レースを展開して、次の選挙で野党に転落しちゃえばいい。

民放が衰退していく中で、いま一番チャレンジャーなのはNHK教育です。「にんげんゆうゆう」今夜のテーマはリストカット、ゲストはあやパパです、とか。ほんとのことよ。21世紀ですね。やさぐれつつかしこ。

4月21日 テレビ見てるか寝てるだけ

松浦亜弥さんが普通に可愛く普通にポップで普通に売れている。つんく復活と見る向きもあるようですが、紙一重のセンスで踏ん張ってた頃の勢いはもうありません。結局偉かったのはダンスマンじゃないのか。
 この春もう1人の目玉はSAYAKAさん。往年の松田聖子さんが「まつダセー子」って言われてたことを思い出した。あの頃の音楽ファンにとって、アイドルは仮想敵でした。今こそ確かめてみたい80年代の歌謡美。

藤圭子さんの娘って言われてもピンとこないけど松田聖子さんは全盛期を知ってるだけにうーん。昔は「お姉さん」だったアイドルという存在が、いつの間にか歳下になって10個下になって娘にすり変わってる。「ぼくは大人になった」って感じだ。
 いつか小山田圭吾さんの息子さんの米呂くんがデビューする日がくるかもですね。やだねったらやだねえ。

最近夢の中によく父親が出てきます。父とは老いてブレイクする名脇役だ。西村雅彦さんとかそういう系統だと思う。僕は今、人生で一番父親のアドバイスが欲しいお年頃だが、彼はもうこの世にいない。
 Sean Lennonが「父は僕を愛してくれた、家族って素晴らしい」みたいなCMに出てるけど、Jullianの言い分も聞いてみたいです。実際Seanはお父さんのことを覚えているのか。

ウクレレ買っちゃった。1920年代にハワイで作られたものだそうです。ヘッドのくたびれ具合を見てください。いい塩梅だね。自然と触りたくなる。ラヴ。
 クロスレビューサイトRock Crusadersを更新しました。今月のテーマはErykah Badu。こういう肩に力の入った音楽と向き合うのは疲れるんだ、最近。

4月30日 Romeo, Juliet & Frankenstein 2

という歌をいつか思い出す日が来ると6年前に思った。

ウクレレユニット結成5ヵ月目にして初の合同練習。下手すぎる (僕が) 。とりあえず課題曲を選定したので、次回は音が合わせられますよう。左手に気をとられてリズムに乗れないのは、楽しんで弾いてないってことでしょうか。決まった曲を演奏するより変なコードをポロポロ探してる方が楽しいんだよな。例のビンテージウクレレはすごいいい音で、触ってるだけで嬉しくなる。

最近よく聴いてるのはPascal Comeladeの新作。1曲だけRobert Wyattが歌ってるの。やっぱいいなあ。最高に好きなボーカリストのひとり。ぜったい蒸気機関で動いてると思う。

5月5日 Mayonnaisist A Go Go

気に入らない。マヨラー。なんでラーなの。マヨネーズって言葉にLもRもないのに、ラーって言い方はないだろう。
 この言葉を広めたのは「はなまるマーケット」だと思う。アムラー、シャネラー、シノラーとかそんな時代のことです。なんにでもラーをつければいいと思った薬丸裕英氏の知性に断罪。マヨネーズに対して失礼極まりない。実に許しがたいことです。

僕は子供の頃から、マヨネーズには並々ならぬ愛情を持ってきました。学生時代に通っていた定食屋では、僕がしょうが焼き定食を注文すると何も言わずマヨネーズをつけてくれた。服部幸應先生によると、マヨネーズにはβエンドルフィンを分泌させる作用があるそうです。マヨネーズはちょっと寂しい君や僕でも幸せな気持ちになれるミラクルな調味料なのです。
 逆にサラダにはドレッシング派だった。野菜のみずみずしさとマヨネーズのまろやかさは馴染まない。同様の理由で、ビールにマヨネーズを入れる輩も理解しがたい。

話がそれた。何が言いたいかというとだ、僕は長いこと自分のことを「マヨネジズト」だと思ってきたのです。フランス語にistをつけるのもおかしな話だが、少なくとも「マヨラー」よりはマヨネーズの道に誠実な言葉だと信じている。ついては日本中のマヨネーズ愛好家たちにご再考願いたい。君はマヨネーズに対して誠実であるかと。
 こんな名も知れぬ個人サイトで主張してもしょうがないが、草の根から打倒・薬丸の気持ちである。よろしく。

最近聴いてるもの。Ocean Colour Scene、ずっとピンとこなかったんだけど新曲はMick Talbotが参加してスタカンだった。あと相変わらずドイツのエレクトロニカを探してます。そんなわけで。

5月10日 君と僕を隔てるもの

ここ→

NHKで中国の山村のドキュメントを見ました。両親が出稼ぎに出ちゃって、ちっちゃな弟を抱えて農作業と家事をこなす13歳の女の子のお話。でも彼女の目には悲愴感のかけらもないし、両親を尊敬して感謝して、なんていうか非常にピュアに生きているのです。これがヒトという生物の本来の生態なんだ。

日本でも1965年くらいまでは、ヒトの生態と生活環境が噛み合っていたような気がします。NHKアーカイブスを見てると、高度成長期の日本人は異常に生き生きしてる。こわいくらい。でも生活環境が変われば生態も変化するのが自然の摂理です。今は家族というユニットや社会の仕組みそのものに、ものすごい無理がきている。日本中のみんながミニマムな生活サイクルの中で自民党を支持していた時代は、ある意味で幸せだったと思う。

World Standardこと鈴木惣一朗さんのオフィシャルサイトにコラムを書かせて頂きました。Archivesをご覧ください。鈴木さんは音楽家として評論家として、僕の音楽観の根本的な指針になった方です。こういう機会を頂いて光栄至極。
 僕の肩書きが「グラフィック・デザイナー」になっていて、なんだか格好よさげ。確かにウェブマスター氏に渡した名刺の肩書きはデザイナーだったかも知れぬ。現状はプータローです。

高木ブー計画進捗状況:ウクレレを触ってると、ごくまれに爪がひっかかってかっこいいプレイをしてしまうことがある。

5月21日 Les 5-4-3-2-1が250円で売ってた

ピンクサファイアよりはまし、くらいの扱いである。別にLes 5-4-3-2-1に特別な思い入れはないのだが (読み方知らないし) 、値札を見て寂しい気持ちになった。90年代も遠くなりにけり。
 最近もうひとつ驚いたことがある。久しぶりにシムシティをやってみたら滅茶苦茶つまんなかったんです。昔はこれで徹夜したもんだが。

コンテンツ自体は何も変わってないはずなのに、昔は面白かったものが今はつまらないってのは、考えてみれば恐ろしい話です。10代の頃は「歳を取る」=「変わってしまう」ことだと思ってたけど、それは間違い。視座をどんどん変えていかなくちゃ、自分が過去に取り残されてしまう。
 細野さんみたいな生き方が理想です。フットワークは軽く、でもアイデンティティは守る。人間が謙虚じゃないとできないね。

というわけで、最近は若者の音楽の聴き方に非常に興味がある。彼らの共通点は細野さんを押さえてること。僕らの世代はいまだに坂本氏のほうが偉いと思っている。
 クロスレビューサイトRock Crusadersを更新しました。今回のテーマはJames Taylor「IN THE POCKET」。彼も細野史観で再評価されるべきミュージシャンだと思います。

激凹 (げきへこ) デイズ。寝てる。キンチョーの高田渡さんのCMに激しく共感。高田渡という生き方も、選択枝としてはありだな。

5月26日 うんざりサマー2001

ウ・ル・ト・ラ・ソウルッ! ハイ! もううんざり。初めて聴いた時から異様なアッパー感に参ったものだが、これをあと2ヵ月も聴かされるかと思うとテレビ朝日を見る気が失せる。水泳大会のタイアップ曲を3月にリリースするのはどうかと思います。
 相変わらず凹 (へこ) 。読書をするほど集中力ないし、テレビを観るほどテンション高くないし、ずっと寝てると医者に渋い顔される。で、結局シムシティやってます。

21日の日記は言葉足らずだった。シムシティはですね、アイデアは斬新だったと思います。でも今これを作っても誉めて貰えないと思ったの。例えば、細野さんのアンビエント時代を否定しないけど、今アンビエントはないよねってこと。
 で、単純にゲーム性だけを見るとバランスが悪い。最後はどうせお金持ちになって、アルコを作ったり壊したりしてるうちに飽きちゃうんだ。街を作り始めた時の期待感と比べて、達成感というかカタルシスがないのだ。

シムシティは東京に似ている。はっぴいえんどが見つけた東京土着の匂いが、成り上がりのウルトラソウルに支配されて「整地・平坦化」していく。たんとんたんとん。アメリカ育ちの我がウクレレ相方も、東京の生活にはリアリティがないと言った。東京という街は生活を捨てて、無理して「憧れの大トーキョー」を演じてないか。
 アイリッシュ・トラッドの大御所、Chieftainsのライブを見ました。我を忘れるほど楽しいステージでした。アイルランドでは、21世紀のポップスが伝統音楽と直結している。アメリカでも、例えばBlues Brothersとか見てると、日々の暮らしの必然としてポップスがあるんだよな。

日本でChieftainsに相当するのは誰でしょう。三波春夫先生ぐらいかしら (間違っても東儀秀樹や喜多郎ではない) 。改めて生活・宗教・娯楽の関係を考える。考えても無いものは無いのだが。
 エルスケンの「ニッポンだった」という写真集を見てみたい。ギブミー匂い。これはノスタルジーじゃない。

追記:はっぴいえんどの歌に出てくる暗闇坂のすぐそばに、がま池という池があります。いまは周りをマンションで囲まれていて見ることもできない。地元の子供たちにとって「伝説の地」でした。この池が埋められそうになってるんだって。風街の風景が消えそうだ。ここで反対署名運動やってます。

5月31日 わたしとしたことが

僕は5月5日の日記の中で、マヨネーズに対する深い愛情を告白すると同時に、「マヨラー」なる造語に対する不快感と「マヨネジスト」として生きる決意を表明しました。自分こそがマヨネーズの真摯な信奉者であるという自信に基づいたマニフェストのつもりでした。ところが予期せぬ提案を頂いて、動揺してる。「マヨネズラー」って如何ですかねえと。

マヨネズラー。口に出してみると字余り感が心地いい。特にズラーの部分に、カントリーでナチュラルな親しみを感じないか。ひょっとしたら「マヨネジズト」よりマヨネーズスピリットを的確に表現しているかも知れません。というわけでマヨネジスト宣言をひとまず撤回、「マヨラー」に変わる新しい言葉を募ることとします。

最近仕入れた音楽ネタで一番衝撃的だったこと。九重佑三子さんが歌う日本語版「Alone Again」、歌い出しは「わたしとしたことが」だって。口ずさんでみて。ほらねグルーヴィー! 作詞はなかにし礼さんだそうです。松本隆さんの出現以前に、歌謡曲の世界では洋楽のメロディと日本語のグルーヴの融合が自然に行われていたんだよ。余談だけど九重佑三子さんの息子は最近バンドデビューを果たしたそう。

あがた森魚さんのライブに行って来ました。きつく握りしめた拳は何かを殴りつけることもなく、スピーカーの上に飛び上がって子供のように地団駄を踏む。彼のことをコンセプチャルなクリエイターだと思っていたけれど、パフォーマーとしても実にパワフルでオリジナルでした。アンコールで歌った新曲のタイトルは「さとうけいこ先生は残酷な人でしたけれど」だって。日本語の可能性にびっくり。