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6月6日 男たち女たち
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相変わらず病苦の日々を送ってる。25年の闘病で処方薬の内容と量が日本の法律の限界になり、これ以上は覚醒剤しかないという状況で長いこと踏ん張ってきた。いまの主治医・カウンセラー・訪問看護・市の福祉の体制にとても救われてる。
初めて抗不安薬が少しだけ減った。嬉しかった。という危ういバランスの上で、気候が乱高下したりネットでめんどくせぇことが起こったりで、結局頓服薬にずいぶん頼ってる。
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最近の大きなできごと。もう3年のつきあいになる永岡ゆきね永岡ゆきねがミスマガジンのファイナリストになった。下馬評ではグランプリ有力候補だ。歴代のミスマガジングランプリを振り返るに、単なる1ミスコンでの勝利に留まらず、もう売れちゃうところまで片足踏み込むことになる。
審査にファンが介入できるところにかなり課金した。僕自身、生活保護を受給することがほぼ決まってる状態ではあるけど、ゆきねには非常に想いがあって仲良くしてもらってるので。あとは本人の頑張りで、そこは信頼してる。
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もうひとつ。今川宇宙の舞台を観に行った。僕は俳優今川宇宙のファンとして、舞台のチケットは必ず取ってるけど、体調的に行けなくて無駄にしてしまうことが続いた。
その日も体調が悪くて8割方行けない雰囲気だったの。外出するのが困難な病気で、まるでうっかり部屋から あがガンガンにかかった電車で汗だくになって、途中下車して休み休みの大冒険。おおくの舞台はテーマがあった上で喜怒哀楽のストーリーが繰り広げられる。この日の舞台は笑いに振り切ってて、精神安定上とてもよかった。乳児の頃から当たり前にあった東急本店が取り壊されていた。帰りはまた大冒険ではあったんだけど。
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僕は重度の双極症(古くは双極性障害、躁鬱病と呼ばれた)とADHD、ASDという重度の発達障害を持ってる。双極症は感情の起伏が激しい鬱病と思われてるけどぜんぜん違ったメカニズムの病気だ。躁状態は楽になるんじゃなくて、心にもない暴言を吐いてしまったり、気が大きくなって散財してしまったり、ある意味鬱状態よりやっかいだ。中には何十年ローンで家を買っちゃったり、起業しちゃったりする人もいる。
僕がライブ配信に尋常でない課金をして生活保護に追い込まれたのは「症状」でもあるし、果てしない孤独の中で話し相手になってくれてありがとうだし、自分が病気で人生を不意にしただけに、未来のある若者へのエールでもある。その時だけ自分の存在価値を実感できる。
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僕の自己肯定感の低さは病気でもあるし、環境でもあるし、あまりにも不運でハードモードすぎた人生の結果でもある。前にも書いたと思う、僕がとても苦手なのは「名札」。僕が僕であることを指し示すために存在する物体。なんて哀れで可哀想かと思う。ちょっとの差で自信満々に橋本環奈さんを指し示すことだってできたはずなのに。目の前の鉛筆だって、僕に買われなければ美しい文を紡いだり絵を描くこともできたはずなんだ。生きてるだけでごめんなさい。
僕が本名を名乗りたくないのもそういうこと。哀れな山下元裕は死にました。山下スキルを少しでもまともな存在にしたい。「元裕」が教師に怒鳴られたり呆れられる時に使われた名前で、フラッシュバックのトリガーにもなる。
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生活保護を受けるとなると、いまより1/3程度の広さの部屋に転居しなくちゃいけない。大量のレコード、CD、本の売却が一向に進まなくて焦ってる。それがまた大きな不安材料になってる。そんな昨今。
ネットに流れ着いた「響かない言葉」
- 人生はプラスマイナスゼロ
- 生きてるだけで丸儲け
- 死ぬこと以外かすり傷
- 止まない雨はない
- 明けない夜はない
メンタル壊れると、人生そんな甘いもんじゃねーよと。
5月27日 Side-A どう生きるか
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17日の日記を書くにあたって、コロナ禍以降の訃報を調べて少なからずショックを受けた。恩師、坂根厳夫氏の訃報だ。
子供の頃からそれとは知らずに坂根先生がキュレーションした展覧会に何度も足を運んで、高校時代に坂根先生の著書を読みまくった。自分の進んだ学部に坂根先生がいらっしゃることは知らなかった。僕は新キャンパスの1期生、坂根先生は朝日新聞の科学部の編集長で、定年退職で教授に赴任してきたから同期だ。
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最初に受けた講義は現代芸術論だった。「論」と名前はついているけど、ご自身で評論家じゃなくてジャーナリストだと仰っていたように、批評するのではなく「こんなに楽しい世界があるんだよ」と紹介するような講義内容だった。話が脱線しまくり、決して「上手い」講師ではなかったけれど、その方針と紹介する作品が琴線に触れてどっぷりはまった。以来坂根先生の講義はすべて受講した。
3年生になると、坂根先生のSA(Student Assistant)として講義の手伝いをさせて頂いた。研究室に入り浸り、芸術の話から恋バナまでいろんな話をした。
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お茶目で好奇心旺盛で不器用で、ある意味幼い方だった。芸術の師であると共に、美意識や価値観、人生そのものの師だった。先週カウンセラーさんと話していて気づいたんだけど、その背中に亡父の姿を重ねていたんだと思う。
SAを通じて若い芸術好きの学生と出会ったり、ゼミで仲間と出会ったり。大学での人間関係の構築の背景にも先生がいた。40歳以上も年上の先生に仲良くして頂いた経験は、温故知新としていま中学生や高校生と仲良くしてもらったり、新しい表現を受け入れる僕の特性の土台になった。僕はいま、何千年も歌い継がれた世界の民謡から、今夜初めてかかるクラブミュージックまで無理なく楽しめてる。
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僕は学部4年生の時に慶応の院試を受けて合格していた。けど学部で半年留年した。2回再受験したけど圧迫面接に遭ったりで不合格。一方坂根先生は慶応での任期は5年、その後情報科学芸術大学院大学(IAMAS)を設立して学長に就任した。いま思えば、IAMASを受験すればよかった。慶応の院を出てからIAMASに行く発想しかなかった。
学部時代の作品の縁で就職、しかしそこは文化的に極めてプアな環境だった。転職先は仲間は好きだったけど仕事はブラックで僕は病んで退職した。その段階でやっとIAMASを2回受験したものの、完成されてて教え甲斐がない、教授の派閥争いで坂根先生と近すぎた、といった理由で不合格に。IAMASは多くの優れた芸術家を輩出したけど、僕がそこに名を連ねることはなかった。
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坂根先生とはここ10年ほどたまにネットでやり取りする程度だった。でもその喪失感は父を亡くした時に似ていて、自分でも驚くほど大きな存在だった。
いまその傷と、血圧が100切ってるのに降圧剤飲まされてる、躁状態から鬱状態になった、自分の未来がまるで見えない、気候の乱高下などが重なって、極めてよくない病状にある。25年間闘病してようやく沼から一歩を踏み出せる予感、主治医も減薬を始めていたタイミングだ。このまま一生闘病を続けるのか、長く深い沼から抜け出せるのかの大きな分岐点にいると思ってる。
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Side-Bに続く。
5月27日 Side-B どう生きたか
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日記が途絶えた2023年3月の最後の投稿は、自分でも誕生日配信をする、たぶん過疎るからぜひ観に来てほしい、というものだった。実際配信には1000人を超えるリスナーさんが集まってくださった。滝のように流れるコメント欄に呆然、翌昼まで14時間の長時間配信をした。
配信が終わって、過酷なマネージャー役を的確に務めてくれた永岡ゆきねにお礼にいって、そのまま眠りについた。そうしたら当時応援していたライバー一家から、なんでうちの配信に来なかったのかと酷い罵倒を受けた。
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そのライバーとの縁は、そもそもはお母さんが僕の掲示板に「自分は重病で余命いくばくもない、娘のウェデイングドレス姿を見ることはできない、だからウェディングドレスのファッションショーのイベントに参加して勝たせてあげたい」との書き込みから始まった。
ファッションショーの出演権のイベントは当然強豪が並ぶ、その中で小学校3年生を勝たせるのは至難の技だった。たぶんその一家に400万円ほど注ぎ込んで、なんとか入賞させて、子供がランウェイを歩いた。僕の誕生日配信が終わったら、その子が誕生日祝いをするから観に来て欲しいと言われた。
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行かなかったのは自分の配信が終わったのが翌日だったこと、なによりマネージャーのゆきね、来々夏、こゆめにお礼を言いたかったこと、その子が幼く元気過ぎてウキーッみたいな子で、疲労した双極症としては避けたかったことがある。滝のようなコメントの中で、その子のコメントを正直覚えてもいなかった。
まあ散々な罵倒であった。その手のひら返しぶりにびっくりした。そもそも母親の病気がなんだったのかわからない。ほんとうに病気だったのかもわからない。ほんとうだとしても、娘のウェデイングドレス姿が見たいのなら、赤の他人の400万円に頼るんじゃなくて近所の写真館でよかったんじゃないの。詐欺師一家だったと思ってる。
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ほかに決別したライバーM。枠内で僕の病気を嘲笑する風潮がみられて距離を置いた。最後に人前に出るというイベントに勇気をだして言ったら、「キチガイはこんなところにくるな」と。ライバーT。SHOWROOMで配信してたのにそのファンに何も言わずポコチャに移籍。そのアカウントも無断で閉じてTikTokで彼氏とのイチャイチャアカウントに興じてる。ライバーK。もともと精神疾患の気があって意気投合したものの、僕のないことないこと噂を拡散。
ライバーR。いまは地下アイドルらしい。コロナ禍に「流行に乗り遅れてる、自分もコロナに罹ってみたい」と頓珍漢なことを言う。当事者の気持ちを味わってみたいと。人間には想像力というものがあるよ。実際に人が亡くなったり苦しんでることに対して自分も味わいたいなんて不謹慎が過ぎる。と言ったら「キチガイは何にも話が通じないから大嫌い、早く出ていって」と。
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ライバーK。リアルで会ったり相互マネージャーだったりと仲がよかった。けどイケメン好きの好色家で、支えてきたファンを切ってリスナーをミスターコン出場者で固めた。最後は関西人で結託して「東京弁はキモい」の大合唱。異文化を大きな主語で否定してはいけませんの声にマネージャーをクビに。
ライバー別のK。オフラインイベントに行ったら別のリスナーが僕のことを観察して配信中に暴露した。いわく「熊みたいな人だった」「ワッフルの具のソーセージが落ちたのを拾って食べた」。それで何がどうなったのか、気づいたらその枠を出禁になってた。いま応援したり仲良くしてるライバーも、何を考えてるのかわかんないよ...。
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そんなこんなで主にネットで傷を負いながら、長期入院と自宅療養を4回繰り返した。法的な規則と病院の都合の兼ね合いで、3ヶ月で追い出されてまた3ヶ月後に再入院できた。人生で無数の入院をしたものの見舞客はなかった。2回目の長期入院から若きライバーさんたちがよく訪れてくれた。
ネット配信への課金は僕の存在意義の確認で、なにもない僕が人に喜んでもらう唯一の手段だった。それと同時に双極症の躁状態のひとつの症状だった。気がついたら貯金が底をついた。間もなく生活保護を受ける。そのためにレコードやCDや本を大量に売却、また親戚で唯一病気に理解のある方に、生活費をお借りしている。5回目の長期入院をしないのは入院費を捻出できないから。
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双極症の治療薬には食欲を増す成分が含まれていて、どうしても太る。そのために糖尿病を発病して、糖尿病の治療薬には基礎代謝を下げる成分が含まれているので、ますます太る。僕はもともと痩せすぎだったので、自己認識と実情のギャップに苦しんでる。それが「熊みたいな人」の実情だ。
もうひとつの壁は果てしない孤独。マザー・テレサ「この世の最大の不幸は、誰からも自分は必要とされていないと感じることです」。ほんとうにそう思う。布団にうずくまり不安と絶望と闘い、指先を動かす気力も湧かない日々。孤独死の未来しかなかった。布団の中では交通事故のYouTubeをよく見ていた。不謹慎だけど心が落ち着くんだ。主治医に話したら「自殺の代償行為」なんだと。
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数年前に病院のソーシャルワーカーさんからのたらい回しで市の福祉担当さんに発見されて、よくしてもらってる。最後の長期入院後は、月に1回だった通院が週に1回になり、逃亡した前のカウンセラーに代わって病院の優秀なカウンセラーさんと話してる。さらに週に3回の訪問看護を受けて、その方が家事もしてくれて非常に救われてる。もう少し元気になったら一緒にお散歩をしましょうと。
Side-Aに書いた通り、25年の孤独で過酷な闘病からようやく抜け出せるか、いまが正念場だ。愛猫のチャイが生きてる限りはどうしても生きる。それ以降も...生きてていいのかな。幸せや喜びはもう望んでない。これ以上辛い日が来ませんようにと。
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ここ数年聴いていた音楽を。
Kate NV。ロシアのSSW。シンセのアレンジがお茶目。「Kate NV / Plans」。Jon Batiste。マルチなジャズマンが歌モノで大ヒット。「Jon Batiste / I Need You」。Wet Leg。女性2人のユニット。性癖をいびつなロックで歌う。「Wet Leg / Chaise Longue」。Yard Act。令和イギリスのTalking Headsとも言うべきロックバンド。「Yard Act / The Overload」。Congotronics International。Konono no.1をベースに世界のフォークロアミュージシャンが集結したユニット。「Congotronics International / Mulume/Change」。boygenius。Phoebe Bridgersを中心としたロックトリオ。「boygenius / Not Strong Enough。Fontaines D.C.。アイルランドのポストロックバンド。ロマンティシズムを仄暗く。「Fontaines D.C. / Before You I Just Forget」。
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Fred Again..。トライバルなクラブDJ。「Fred Again.. / adore u」。Ezra Collective。イギリスのダンスジャズバンド。イギリスのジャズシーンが面白い。「Ezra Collective / God Gave Me Feet for Dancing」。Taylor, The Creator。ヒップホップレジェンドの近作がよかった。「Taylor, The Creator / Like Him feat Lola Young」。FKA twigs。エレクトロニカとコンテンポラリーダンスの歌姫がわかりやすいアルバムをリリース。「FKA twigs / Childlike Things」。YHWH Nailgun。エクスペリメンタルロックバンド。ロックにはまだまだ可能性がある。「YHWH Nailgun / Penetra」。CA7RIEL & Paco Amoroso。アルゼンチンのポストポップユニット。「CA7RIEL & Paco Amoroso / EL DIA DEL AMIGO」。Beyonce。ポップのベテランシンガーがBeatlesの「Black Bird」を好カバー。黒人女性への差別を歌ったこの歌は、黒人女性が歌うことで完成した。
Roger Nicholsが亡くなった。作曲家としてCarpentersの一連のヒット曲を書いたことで有名だけど、日本のポップフリークには本人の1stと、共作者Paul Wiliamsの1stが90年代にリバイバルしたのが思い出深い。「Roger Nichols & The Small Circle of Friends / Don't Take Your Time」「Paul Williams / Someday Man」。
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