DIARY NEW


6月3日 アメリカン・ユートピア

David Byrneのアルバム「American Utopia」がほんとうに久しぶりにヒットして、そのツアーは大きな話題になり、ブロードウェイミュージカルになり、スパイク・リー監督によって映画「アメリカン・ユートピア」になった。ツアーもミュージカルも猛烈に観たかったけど日本公演はなし、待ち望んだ映画を観てきた。
 そこいらのニワカと一緒にしないで欲しい。僕はDavid ByrneのソロアルバムがBillboardの100位に入らなかった時代も、ちょっとしたゲスト参加作品も、彼の選曲するMixcloudも丁寧に追ってきたアツいファンなので。映画の上映に併せて、DOMMUNEで特集番組が配信された。タイムラインの感想は「Talking Heads懐かしい」。その違和感をツイートしたら、宇川直宏氏からだいぶ失礼なレスがきた。

実は映画を観る前は、少し不安があったんだ。僕はあまりにも期待しすぎてないかと。いやいや映画は想像を遥かに凌駕してきた。人が興味を持つのはアンプやケーブルじゃない、人だろ、っていう発想で、ステージ上にはなにもなし。マーチングバンドみたいに全員が楽器を背負って、コンテンポラリーダンスのようにダイナミックに歌い踊る。David Byrneの声もギターもまるで衰えてない。それだけでもサイコーだ。
 音楽やダンスとシームレスにByrneは語る。脳について、人について、自分について、繋がりについて、社会について、政治について、未来の人類に受け継ぐものについて。そのメッセージは決して押しつけがましくなく、愛と笑いと希望を持って伝わってきた。

Byrne自身がスコットランドからの移民で、全員が移民のバンドをトランプ政権の時代に提示する意味。惜しむらくはアジア、アフリカ系のメンバーがいなかったこと。同時期にツイッターで流行った #非英語圏オールタイムベストアルバム タグでも、ヨーロッパ、中南米が中心で、アジア、アフリカ系はざっくりスルーされてた。アジア系へのヘイトが広がっている今だったら編成がまた違ったかも知れない。
 それはともかく。あくまで音楽とダンスでこれだけのメッセージと興奮を伝えることができるんだって事実に、僕は打ちのめされた。芸術文化を愛してきた自分が肯定された気持ちにさえなった。すべての芸術文化を愛する人たち、あるいは、むしろそれを必要と感じない人たちが、人生に一度(Once in a Lifetime)は観なくてはいけない映画だ。そして単なるライブドキュメントじゃなく、確かにスパイク・リーの映画だった。

つまり。観てください。大急ぎで。

5月30日 私と音楽(とマンガ)

Ritomoのラジオ番組、「Ritomo 電波上の二点間」で面白い話をしてた。海外のある研究機関の調査によると、平均して男性は14歳、女性は13歳で自分の音楽趣味が決まるんだって。日本で言うなら中学生だ。
 その前の週に、RitomoがInstagramで中学生時代に聴いていた曲のアンケートを取っていた。僕は「風の谷のナウシカ」のサントラと「銀河鉄道の夜」のサントラと、OFF COURSE「緑の日々」を挙げた。

放送を聴いて、自分の音楽遍歴を振り返ってみた。亡父が無線技師でミュージックフリークだったんで、子供の頃、家には父がエアチェックしたラジオから選曲した音楽が流れていたと記憶してる。
 親戚によると、膨大なドーナツ盤のコレクションがあったそうだ。覚えてるのは、100枚程度のLPレコードとオープンリールテープの山。ドーナツ盤は売り払ったんだろう。

話は逸れる。僕はいまでもお気に入りの曲をCDに焼いてジャケットを印刷して、Nito Recordsの名前で人に配ってる。もう30年近い趣味だ。ここ10年くらいは、CDプレイヤーを持ってる人がずいぶん減った。でも名刺代わりとしてフィジカルでプレゼントしたいし、サブスクリプションにある音源は、世界の録音芸術の1%にも満たない。
 でだよ、実家を処分する時に亡父の遺品を整理してたら、Yamashita Recordsのロゴシールを大量に発見した。きっとテープに貼って配ってたんだな。血筋だ。

幼い頃に強く揺さぶられた曲が4曲ある。児童会館の宇宙のジオラマで流れてた、冨田勲さん版の「惑星」の「木星」。小学生時代に母の車のラジオから流れてきたさだまさしさんの「つゆのあとさき」。レンタルスキー屋の有線でかかってたOFF COURSEの「さよなら」。音楽の授業で聴いたベートーベンの「トルコ行進曲」。
 この4曲を聴いた時は雷に打たれたように震えた。いま振り返るに、圧倒的にメロディ志向だったことがわかる。

12歳の時に父が亡くなって、オーディオが自分のものになった。初めて自分で買ったレコードが、前述の「風の谷のナウシカ」のサントラだ。雄大で美しいテーマ曲が聴きたかった。でも久石譲さんは現代音楽畑出身で、そういう意味ではMichael Nymanなんかに近い映画音楽家なわけだ。ナウシカのサントラには、民族音楽的な曲やミニマル・ミュージック的な曲、久石さんの実験的な側面も多分にあった。レコードがそれしかなかったんで、必然的に実験的な曲も何度も聴いて好きになった。
 これが僕の中学生時代の音楽、自分の音楽趣味の根っこなのかも知れない。

ナウシカの次に買ったのが、細野晴臣さんの「銀河鉄道の夜」のサントラ。透明な世界感に惹かれて、細野さんのレコードを何枚か聴いてみたけど、トロピカル三部作の土臭さは当時は受けつけなかった。アルバム「PHILHARMONY」や、収録曲でも特にポップな「Sports Man」は好きだった。
 細野さんに驚愕したのはその4年後のアルバム「omni Sight Seeing」で、特にサブスクリプションにない「Andadura」って曲が好きになった。いまでも細野さんのアルバムで1枚選ぶなら「omni Singht Seeing」だ。

その次がたぶん坂本龍一さんの「オネアミスの翼」のサントラ。サブスクリプションにないのだな。これも実験的な作品で、僕の音楽のふところをだいぶ広げてくれた。坂本さんのベスト盤を買って、ベタに「Merry Christmas Mr.Laurence」や「Ballet Mechanique」を好きになった。細野さん、坂本さんとくればYellow Magic Orchestraだ。クラスメートにベスト盤を借りて期待して聴いたけど、フュージョン臭さがダメだった。いまだに「Rydeen」のよさがまったくわからない。
 その一方で、OFF COURSEやさだまさしさんもまだ聴いてた。なんならいまでも聴いてる。さださんと小田和正さんが共作・共演した最近の名曲「たとえば」は、そんな僕へのプレゼントだ。当時の言葉でいうニューミュージックは、ゴダイゴやチューリップや種ともこさんや谷山浩子さんやKANさんや大江千里さんやPICASSOにも興味があった。

鈴木慶一さんがプロデュースした、わかつきめぐみさんっていう少女マンガ家のイメージ・アルバム「わかつきめぐみの宝船ワールド」を聴いた。ついに慶一さんと邂逅した。慶一さんのバンド、Moonridersを聴いてどっぷりはまった。やっと自分の音楽に出会った感覚があった。自分が音楽好きだと認識したし、公言するようになった。これが高2くらいかな。Ritomoが紹介していた研究結果より数年遅い。
 わかつきさんがコマの外に書いてた作業のBGM、メトロ系と呼ばれたMoonriders人脈のバンド、パール兄弟やPSY-S、Carnation、松尾清憲さん、高野寛さん、Zabadak、Nav Katze、鈴木さえ子さんあたりにずぶずぶはまった。

慶一さんを手掛かりにして、洋楽を聴き始めた。最初に買ったのはXTCの「Skylarking」だと思う。イギリスのギターポップを次々と聴いていった。もうひとつ、学校の帰りに寄り道すれば六本木WAVEがあって、店内に並んでた極めてマニアックに偏った試聴機の影響も大きい。世はワールド・ミュージックブームだった。
 アメリカの音楽はPaul Simonの「Graceland」、ここからアフリカにも目が行く。「Graceland」に参加してたLadysmith Black Mambazoや、Peter Gabrielの「So」に参加してたYoussou N’dourを聴いてみたり。細野さんが監修、選曲した「ETHNIC SOUND SELECTION 地球の声」っていう民族音楽のボックスセットを買ってみたり。この辺までが高校生の頃かな。

The BeatlesTalking HeadsVelvet Undergroundを聴いたのは大学以降だ。大学のあった湘南台に新しいCD屋さんができて、開店の時にデフォルトで置くような名盤が揃ってたのを片っ端から買っていった。徒歩圏の藤沢市総合市民図書館に膨大なCDライブラリーがあって、それも片っ端から聴いていった。
 もうひとつのビッグバンはThe Flipper’s Guitarとの出会い。まだ民間に開放されてなかった黎明期のインターネットで、既に元ネタ探しが始まっていた。渋谷系というより牧村憲一さんのライブラリー、要するにこういう音楽を探して聴いた。リアルタイムなマッドチェスター、古いジャズやソフトロック、The Beach Boys。「Pet Sounds」を理解するのに3年かかったんで、The Beach Boysにどっぷりはまったのは就職してからだった。

#絶対に炎上しそうな音楽についての意見 ってハッシュタグのネタに、「『何でも聴くよ』って言ってるやつほど何も聴いてない」ってツイートがあった。僕は鈴木慶一さんや牧村憲一さんみたいなリスナーの影響が強かったのと、音楽に目覚めた頃にワールド・ミュージックブームがあったんで、人よりは広く聴いてると思う。ロック、ポップス、ブラックミュージックはもちろん、ジャズや現代音楽やヒップホップや映画音楽やアンビエントやテクノや民族音楽や宗教音楽、時代でいうなら世界のどこかで数千年前も歌い継がれた民謡から、今夜初めてかかる最新のクラブミュージックまで聴く。
 クラシックはあんまり聴かない。メタルやハードロックも聴かない。音楽的なアイデアの焦点がわかりにくいのと、イマジネーションより技巧重視でスポーツ的なのが苦手なんだと思う。パンクは好きでよく聴く。

音楽への目覚めを振り返るに、「風の谷のナウシカ」→「銀河鉄道の夜」→「オネアミスの翼」→わかつきめぐみさんが出てくる。つまり、もともとアニメ・マンガオタクだったのが、音楽オタクにシフトしたわけだ。
 子供の頃、藤子アニメや世界名作劇場が好きだった。我が家にビデオデッキがやってきて、たまたま亡父が試し撮りしたのが「未来少年コナン劇場版」。宮崎駿さんが初監督したテレビシリーズ全26話をぶった斬って、ぜんぜん違うストーリーに仕立て上げた問題作だ。それでも面白かった。その数年後に本来の全26話の再放送を観て、胸躍る冒険譚と深い世界観に呆然とした。当時は一連の松本零士作品が大ブームで、そっちは見向きもせずに「コナン」にのめり込む僕を母が心配した。いまはジブリ映画、細田守監督作品、片渕須直監督作品くらいしか観ない。ガンダムもエヴァンゲリオンも通過してない。

マンガはコロコロ→サンデー→スピリッツと小学館に育てられて、SFと恋愛とギャグの間に収まった。手塚治虫先生や藤子F不二雄先生がそうだし、もう少し若いと竹宮惠子先生、萩尾望都先生、さらに高橋留美子先生、安彦良和先生、吾妻ひでお先生、ゆうきまさみ先生、とり・みき先生、浦沢直樹先生、山本直樹先生、わかつきめぐみ先生、谷川史子先生、岡崎京子先生、羽海野チカ先生、こうの史代先生、安野モヨコ先生、あずまきよひこ先生、中村光先生、東村アキコ先生。「鬼滅の刃」は珍しくジャンプのマンガで好きになった。音楽が間接的に亡父の影響だとすると、マンガは亡母の影響かも知れない
 多摩市に引っ越して12年、近所に本屋やコンビニがなくてマンガ雑誌を買う習慣が消えた。話題作は単行本を買ってるけど、積ん読してることが多い。

以上、誰にも聞かれてない音楽への目覚めとその前章のマンガの話でした。

5月20日 嫌われっ子

現代ビジネスの記事「生きづらさの原因は「発達障害」だった...自閉スペクトラム症の50歳男性が人生を肯定するまで
 「いじめられるのを超え、同級生、教師から徹底的に存在を無視され、ないものにされる。いじめられっ子ならぬ『嫌われっ子』だった

僕はいまでもそうだ。自分の人生を肯定することなんてとてもできない。鬱病も辛いけど発達障害も相当に辛い。厳密には僕は発達障害という「診断」を貰ってない。12年のつきあいになる軽薄な主治医からなんの診断も貰ったことがない。「僕は発達障害なのでしょうか」と聞いて、「広汎性発達障害 (自閉スペクトラム) かもね」って言われただけ。
 それが45歳くらいの頃だったか。それまでの人生なんだったのか、そしてこれは資質なので改善の余地がない。

どこに行っても存在を徹底的に無視される、「嫌われっ子」49歳。
 Laura Nyroが亡くなったのがいまの僕の歳だった。よく覚えてる。もう大御所中の大御所、歴史上の大人物だった。翻って自分の人生の何事も成し遂げてなさを思う。

最近Spotifyのプレイリストを作ってます。なんのテーマも決めず、有名・無名、国籍問わず好きな曲を100曲リリース順に並べた「anthems 100」。2000年から2020年のJ-POPを選ぶテレビ企画「プロが選ぶ最強のJ-POPベスト30曲+20曲」に触発された「無職が選ぶ最強のJ-POPベスト30曲+20曲」、その洋楽版「無職が選ぶ最強の洋-POPベスト30曲+20曲」。ハッシュタグ企画 #非英語圏オールタイムベストアルバムに連動した「非英語圏オールタイムベストアルバム スキル編」などなど。
 ミュージシャンの入門プレイリストもたくさん作ってます。おおよそ6時間程度でリリース順に代表曲を紹介したChronologicalシリーズと、1時間でわかった気になれるthe young person's guide toシリーズ。Spotifyの私のプロフィールまで。

きのうは新垣結衣さんと星野源さんの結婚の報が流れて大きな話題になった。新垣結衣さんのファンが温かく受け入れたのは、相手がIT社長とかではなく星野源さんだからであり、星野源さんのファンが温かく受け入れたのもまた然り。くだらないの中に愛が、人は笑うように生きる。
 私が星野源さんを初めて観たのは、無名時代のSAKEROCKの一員として友人の結婚式の余興バンドとして出演した時。ほんの数メートルだった。だから私と星野源さんは友達の友達。その後何度かライブを拝見して、細野晴臣さんの中華街ライブでまた数メートルの距離で観た。つまり私と新垣結衣さんの距離もまた実質数メートルと言える。併せて新垣結衣さんの、悪徳事務所レプロからの独立も喝采を浴びた。

NaNoMoRaLというユニットにはまり、おおげさでなく週3回は観に行ってます。NaNoMoRaLを知るきっかけになったグデイというユニットにもはまってる。コロナ禍前にあれほど通っていたシンガーソングライターシーンにはほとんど関心がなくなってしまった。というのは知久寿焼さん、石川浩司さんという奇しくも元たまの2人の、ほんとうに素晴らしい弾き語りのパフォーマンスを観てしまったことも一因する。中途半端なものを観る時間も体力もない。また日本で海外のミュージシャンのライブが観れる日は来るのだろうか。
 コロナ禍の壮絶な孤独と引きこもりで10kg増やした体重を戻しました。あと16kg痩せるべくダイエットに励んでいる。それでやっと標準体重なので。シェイプアップしてからやっと始まる、恋のスタートラインに急がなきゃ。49歳 無職 鬱病 発達障害だけどまだ結婚するつもりでいる。

3月30日 五十に手が届く寂しいおじさんに

誕生日を迎えた。このサイトを公開したのが1998年の誕生日なんで、23年が経った。
 とはいえ去年の5月からほぼ廃墟状態、日々のメモは残してるものの、メモだけで膨大な量に膨れ上がってどうすんの、と。普通の人は空白期間をなかったことにして、今日から更新を始めるんだろう。それができないのが発達障害の潔癖症なところで、我ながらめんどくせえな! 果てしなくめんどくせえ。

まさか自分がアイドルオタクになって、アイドルさん3人からおめでとうを言ってもらえるようになるとは思わなかった。メッセージはもっと頂いた。執拗な「もうすぐ誕生日アピール」が功を奏したと言えよう。ありがとうございました。
 そもそも、子供の頃は自分が49歳になるなんて夢にも思わなかったし、49歳になってもおにゃのこが大好きなんてもっと思わなかった。抱負は「生き延びる」。

49歳のヤバさ

四十一才の春だから
元祖天才バカボンの
パパだから
冷たい眼で見ないで


ずっと年下

月にでも行ってみたい
そんな気がする四十代
できれば何にもしたくない
金さえあればの四十代


ギリ

五十に手が届く
寂しいおじさんに
夢を抱かせて
ハンバーグステーキおごるから


それな

3月21日 「A LONG VACATION」とあーたくし

1998年から続いていたこの日記、パンデミックの中で壮絶な孤独に直面して、去年の5月18日から書けないままでいる。

今日、3月21日に、大滝詠一さんの名盤「A LONG VACATION」の40周年VOXがリリースされて、Niagaraレーベルの音源がサブスクリプションで解禁される。
 それを記念して#ロンバケサブスク解禁記念レビューという企画に参加した。「A LONG VACATIONとあーたくし」。本当に久しぶりのディスクレビュー (っぽい個人的な思い出話) だ。

これを期にディスクレビューを再開する気があるし、滞ってた日記もちゃんと穴埋めをするつもりでいる。
 誰かがこんなことを言っていた。表現することを辞めてしまった人は、「筆を折る」なんて強い決意で辞めたわけではない。「明日やろう」を何日も何ヶ月も何年も何十年も続けてるだけだって。その通りだよなと思う。

キャプテン! 自分まだ寝れます! 眠らせてください!

1月1日 SIDE-A 2021年に寄せて

2021年に寄せて
 この世界に私を愛している人がいるとするならばこの人だけだろうという祖母、利子が他界したと伝え聞いたので、寒中見舞いという形で失礼します。
 2020年があんな年になると誰が想像したでしょうか。私の2020年は生まれ変わりの年、体を動かして養生し、体重を30kg落として自己肯定感を持ち、人生をやり直すつもりでした。

しかしコロナ禍と気候変動で持病を酷く悪化させました。48年の人生、21年の闘病生活で最も苦しい一年でした。激しい不安感と絶望の中で布団の中に硬直し、小指の先を動かす気力さえありませんでした。家族・親族に絶縁され知人は全員去り、私には誰もいない、誰もいないのです。
 私はいま、社会に貢献できるなにごとも持たないので、消えても誰も困らないし誰も悲しみません。それでも生きたい。願わくばそばに猫と音楽を。根拠のある自己肯定感はいりません。根拠など簡単に消え去ってしまう。生き残るために根拠のない自己肯定感が欲しいです。
 みなさんもいろいろ事情がおありだと思います。2021年に希望を描くのは難しいですが、取り敢えず生きてるだけで偉い。

2021年に寄せて (おがわり)
 たくさんの方々に同じ文面の寒中見舞いをお送りしたのですが、印刷・投函を発注してからこれでは意味が伝わらないと気づき、苦肉の策として補足のおかわりをお送りします。

補足1つ目。私は2000年から鬱病を患っています。「鬱なんて甘え」との叱責を受けることもあります。鬱病は脳という臓器の疾患で、心臓や肝臓の疾患と同じように「根性」では治りません。
 補足2つ目。私は両親をとても早くに亡くしました。そして十数年前に戸籍上の弟が、私が当時交際していた女性を気に入らず、女性を精神的に追い詰めた上で私とも縁を切りました。弟は法であり事実上の家長なので、親族一同とも縁が切れたことになります。補足3つ目。私は高機能広汎性発達障害で、人との距離の取り方をしばしば誤り、友達が1人もいません。

マザー・テレサは「最もひどい貧困とは、孤独であり、愛されていないという思いなのです」と仰いました。殆どの鬱病闘病記には「家族の理解があって」「仲間の支えを受けて」克服したとあります。孤独の無力さに打ちひしがれています。
 それでも今年に淡い期待を抱いて生き延びます。取り敢えず痩せてモテモテになります。みなさんもどうか生き延びてください。2021年が愛と平和に包まれますように。新しい音楽がもう鳴り響いてますよ!

SIDE-Bに続く。

1月1日 SIDE-B CHECK 1,2

たまにでもこのサイトを開いてくれている方がどれくらいいらっしゃるだろうか。2020年5月18日を最後に、このサイトは更新が途絶えていた。
 SIDE-Aは2021年1月1日に皆さんの元に届いただろう寒中見舞いだ。正月のめでたさを吹き飛ばす陰鬱な内容で、本当に申し訳なく思っている。しかも1通目を投函してから補足の2通目を書いて出す異常さ。おおよそこんな日々を送っていた。

ステイホーム (もはや懐かしい言葉だ) の間にすっかり引きこもりが身についてしまい、解除されても動き出すことができなかった。社会が動き出す気配の中で取り残された思いで、鬱病を悪化させて布団の中で硬直してた。
 ステイホーム期間中に、最後のリアルな友達だと思っていたFUJI ROCKの仲間たちにオンライン飲み会を呼びかけた。答えは全員「興味ない」「別にやりたくない」。彼らを友達だと思っていたのは僕だけだった。みっともないね。鼻くそダサいわ。

そんな時に老猫メイが押し入れに籠もるようになった。自分がどうなっても同居猫の健康と幸福は守らなくちゃいけない。必死で動物病院に連れて行った。診断結果は椎間板ヘルニアで、痛みのために動きたくない、特に排泄と毛繕いに支障が出ていた。その日から毎日投薬、たまに通院の日々が続いた。自分の持病も7つあって、とにかく病院に行くか布団の中にいるかの日々だった。
 初夏にカウンセリングがオンラインで復帰したものの、あまりにも声を出してないんで毎回セッションが終わると咳が止まらない。

大晦日のタイムラインには、みなさんの一年を締める立派なご挨拶が並んだ。僕には2020年を生きた実感がない。ダイアモンド・プリンセス号のクラスターも志村けんさんが亡くなったのも同じ年だなんて実感がない。「みなさまに感謝です」とも「来年も頑張ります」ともとても言えない。ただ終活に向けて淡々と生き延びるのみ。
 「無」だったっていう意味で、2011年、1995年と並んで自分の中で大きな区切りになる年だ。その元凶である新型コロナ感染症があと何年続くかもわからない。ただ48年生きてきて、2020年が一番辛かった。生き抜いただけで偉い!
 その中でもずっと推してたのんちゃん、今川宇宙さん、中嶋春陽さん、miyuちゃんは相変わらず素敵だった。新たにゆーたん、坂本櫻さん、苺谷ことりさん、なまはむこさんという素敵な女性たちと知り合った。みんな僕にとってのミューズです。

大晦日の僕の夕食はからあげクン、味付け卵、ローソンのサラダ、明星中華そば (年越しそば相当) 。ごちそうの写真を片目に年越しそば代わりのカップラーメンまるごと布団にぶちまけて火傷した。なんと惨めな幕切れだろうか。
 布団は濡らしたバスタオルで拭いて、ビニールを敷いて使用した。いま干してるけど廃棄だな。この件に関しては2020年の厄落としと解釈する。坂本櫻さんが年越しの配信で「皆さんに魔法をかけましたから、申し訳ないけど新年はいいことしか起きない」って笑った。あの素敵な笑顔を見ると、ほんとにそう思える。

そしてこれは大学生の頃くらいから兆候はあったんだけど、ちょっとした運動で息切れするようになった。階段を1階あがれば2-3分、靴を履くために屈むだけでも息が切れる。極度の運動不足だったこと、それによって体重が9kg増えたことが原因だと思ってた。
 内科に相談したら、呼吸器系も循環器系も問題はない、精神科の範疇ではないかと。精神科は、いやうちではない、睡眠障害じゃないかと。

かくして睡眠外来のある呼吸器科で検査を受けたところ、睡眠時無呼吸症候群の重症中の重症であることがわかった。最大の無呼吸状態が49秒、血中酸素飽和度は100%が望ましくて96%を下回ると治療が必要、90%を下回ることがまずないところを77%。
 症状や合併症のリスクの高い病名を挙げると、鬱病・糖尿病・高血圧・高脂血症・肥満といった、身に覚えのある病名が並ぶ。

楽観的に考えれば、睡眠時無呼吸症候群さえ克服すればほかの病状も改善するかもしれない。いま、持続陽圧呼吸療法 (CPAP) という睡眠時に鼻につけたマスクに加圧した空気を送り込む治療を受けてる。
 初日から著しく改善したのが鬱症状だ。ずっと、昼頃に起きて深い鬱に見舞われて、5時間くらい動けなかった。外も暗くなってきた頃にようやくよろよろと起き出してた。CPAPを始めてからパカーンと起きれるようになった。気持ちも楽になった。

いま希望の種はこのCPAP、そしてSIDE-Aに書いたように唯一の理解者だった祖母が亡くなったと伝え聞いて、少しずつ外出する練習を始めてる。
 今年の抱負は「痩せてモテモテ」です。ウハウハをつけてもいい。痩せてモテモテのウハウハです。自己肯定感を高めるためにも持病の改善的にも痩せたい。で、独りで生きるのはもうわかったから、いい加減に共に歩むパートナーが欲しい。さらに言うなれば何年も放置してる創作活動を再開したいし10兆円欲しいし1日48時間欲しい。

痩せる努力をしないで痩せるためにEMSの腹筋運動と食事に気をつけてる。この日記もちゃんと書く。っていうのは今日から書くんじゃなくて、中断した5月18日に遡って書くって意味です。記録はぜんぶ残ってる。
 で、自分の音楽作りたい。プレイリストやMix CDも作りたい。積読本や積聴音源も消化したい。楽器もやる。本気です。それもうモテるしかないよね。ごめんなさいね。



2020年 1月 2月 3月 4月 5月
2019年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2018年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2017年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2016年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2015年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2014年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2013年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2012年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2011年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2010年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2009年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2008年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2007年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2006年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年
2000年
1998年-1999年 1998年春-1999年春