DIARY 2010年07月


7月2日 「音楽家」への失望、もしくは私自身の人格的欠陥について

そもそも音楽は、みんなで歌い踊る伝承芸能だった。それが歪んでいったのは、西洋ならルネサンス期のことだと思う。その頃に西洋音楽は理論として整理され、パトロンに囲われ、音楽家と聴衆は決定的に分離された。つまりは、天才である我々音楽家の作品を、凡才である聴衆は有難がって拝聴せよと。聴衆が感想を申しあげるなど無礼千万、打首獄門なのだ。前に食えない前衛音楽家に言われたことがある。「音楽できないお前が音楽の話すんのほんっとムカツクんだよね」。そうなのか。天才同盟の中でイチャイチャしてればいい。

僕が若い頃から愛聴し、尊敬してきたミュージシャンがいる。でも彼は10代の頃に獲得した美意識から外れる概念を理解できないし、理解できてないことも理解できてない。彼の悲しいところは、好きなものを讃えるよりも嫌いなことを罵る時に、脳内をドーパミンやエンドルフィンが駆け巡り、快感を覚えることだ。そしてその全てに共感のポーズを取るイエスマン以外を、切り捨ててるようで実は切り捨てられている。小学生並みの性意識、マイノリティへの侮蔑、ジェンダーの押しつけ、共依存する家族、全てが痛い。彼はいま音楽業界に居場所がない。そして僕には孤高のジャイアンを笑う度量がない。

いまでも世界中に伝承音楽があり、聴衆と音楽家の隔てなく音楽を楽しんでいる。日本においても、例えば沖縄では酒と三線で舞い踊り、「民謡の新曲」がローカルチャートにあがる。でも沖縄では音楽で飯は食えないそうだ。みんなが生まれながらにミュージシャンだから、需要と供給のバランスが成り立たないのだ。それでいいと思う。もちろんロックやジャズの世界でも、リスナーとミュージックフリーク同士のおつきあいができるミュージシャンを何人も知っている。むしろセミプロに自意識過剰な「音楽家」が多い。

ところで素人の僕がなんで音楽にコミットするのか。表現者と鑑賞者が分離したいま、それをつなぐメディアは不可欠だ。表現者自身が「僕にとって黒とは...」なんて語りだすなら、彼の作品の中の黒はなんの存在意義もない。こんな表現者がいてこんな活動をしてるってことを、鑑賞者にわかりやすく紹介する役割が必要なんだ。鑑賞者も対価を払って作品を「拝見」するので、そこには本音を書く。

僕は坂根厳夫さんの本を読んでコンテンポラリーアートの楽しみを知り、カバン持ちっぽいことをさせて頂いた。坂根さんの本は圧倒的にわかりやすくて、遊び心と夢に溢れていた。朝日新聞社出身の彼は、自身の立場の難しさをこぼした。みんなもっと自由に芸術を語ればいい。ボトムアップになればいい。坂根さんは1993年に世界初の汎用WWWブラウザーを手に入れた。一方で僕は評論や報道じゃなくて、リスナーの視点で感じたことをボトムアップに伝えてきた。

先日の飲み会で「昔の仲間が一人もいませんね」と言われてしまった。一人もいません。なんでか。数え挙げればきりがないけど、大雑把に僕には清濁併せ呑む能力が欠落してるからだ。誰にでも濁はある。僕にも25mプール3杯ほどの濁がある。でも不誠実さを丸く収める度量がない。「それっておかしくないか」と口にしてしまうんだ。そう、このテキストみたいにね。そして「山下スキルにdisられた」とdisられてLa Fin.

これは僕が昔から親戚や学校の境域を幽霊のように漂ってきた結末だ。小さな宇宙にこもって、どうしていいかわからなかった。アカウントを手にして「パソコンの前」に居場所を作ってから、それをオフネットに移植する形で人間関係っぽいものを構築し、破壊してきた。お願いだ、時間をください。

7月5日 もう恋なんてしたそうでしたくない少ししたいよ絶対

朝からよく冷えた白桃缶を食す。キシシ。
 楽天が社内の公用語を英語にするらしい。infoseek翻訳で注文しようか。Loose a little! Loose a little! (ちょっと負けて)。
 Brian Wilsonの新譜が公開された影で、Al Jardinの新譜がひっそりとリリースされた。Amazon (US)からCD-Rで、もしくはiTunes配信で。CD-Rて...。Brian, Carl, Glen Campbelを含むBeach Boys, Neil Young, David Crosby, Stephen Stillsが参加。カリフォルニアの風で梅雨の換気を。Brian Wilsonのアルバムは音の豊かさに圧倒された。エンジニアはAl Schmit。

前の日記について、いろんな方からご意見頂きました。ごく一部を拡大解釈して「人格攻撃」「愛のない批判」など。コント走れメロス「メロスは激怒した!」ふーんなるほどポイっ「なんか怒りっぽい人の話だったよ」。あの日記の主題は、誰もがボトムアップに表現者たれってことだった。
 転居先で初めての飲み会を開いたんだけど、始まる前から気が重かった。ある音楽家のいつもの暴言癖にダメージを受けた。特にトラブルもなく寝室に失礼した。そのもやもやが雑想と繋がってあの日記になった訳です。

6月に喋ったガールは前カノただ一人だった。待ち合わせの道すがら、有名なお菓子屋さんがあって2個で300円、買うよね。「ん」って渡すと「お」って食べる。そういうのがいい。大抵の女子は一瞬「なにこれ? さりげない優しさアピール?」って顔をする。河合隼雄さんの本に「男女の友情があるとするなら別れたカップルだ」ってあったけどほんとだな。
 体調わるくて猫の世話できてない。トイレを数日放置してたらレコードラックにおしっこされた。カニ食べる時より集中してジャケットはいで拭いたり洗ったり乾かしたり。

7月7日 代替資源

なんにも食べてないけどハンバーグ早食いの夢を見て胃もたれ。

7月8日 小倉

写真の整理。亡父が前に座るおじさんのはげ頭を撮るシリーズを発見した。なにがしたかったのか父よ。天国で父に会ったら真っ先に聞きたいことができた。

7月9日 Aの立場

よく冷えた缶蜜柑を食す。かんみかんって響きが好き。ドスと、F、好きー!

7月10日 栄螺

買物しようと街まで出かけたら、久しぶり過ぎて道を忘れたしちっとも愉快じゃない。

7月11日 友情

北乃きいちゃん恋人発覚のニュースに動揺してたら猫が飛んできてよしよししてくれた (ほんとう)

7月12日 降格

「派遣 島耕作」。「ついったらー 島耕作」。

7月13日 Only One

たぶんいま世界中でAztec Cameraの"Covers & Rare"を聴いてるのは僕だけ。

7月14日 DNA

亡父の荷物漁ってたら「Here Comes Night」のプロモ盤を発掘した。レーベルに書き込みしないでよ、いまの僕よりずっと年下のお父さん。

7月15日 神秘

Dan Tracyがあの歌唱力でなんでシンガーを目指したのかは人類史上の謎だけど、こうして20年以上も買い続けてるやつがいる事実がひとつの答えなのかも知れない。

7月16日 人間

人間は醜い。もちろん僕もね。むしろ僕がね。猫になりたい。猫はおじさんになっても美しく思慮深く気高い。

7月17日 布団を紛失した (ふっとんでない)

今日も片付け。タブレット型の洗剤の開け方がわからないので粉砕してはさみで開けた。最初から粉末を買えばよかったのだ。芳香剤メーカーは「新車の香り」や「青畳の香り」を出せばいいのに。

7月18日 昭和・昭和・昭和

相変わらず引きこもって写真の整理をしてる。ビスケットの空缶数箱分に詰められた写真をひっぺがし、なんとなく並べ替えてアルバムに入れる。アナログ写真わかったこと。
いつどこでなにを撮ったかわからない
場合によってはどっちが上かもわからない
失敗作もとりあえずプリントして保管する
家族の集合写真に知らない人がいる
あれ? この人またいる
むしろ僕以外誰も知らない
どうしようもなく昭和の匂いがする。僕も昭和、ラクダも昭和だ。

7月19日 荷造りご無用、誰もしないよ0123

引越し業者にがっかりしてる。急な引越しだったんで彼らの言うとおり86万円という法外な代金を支払い、その結果として旧居には積み残しの段ボール3箱。かつて家族だった頃の大切な写真だ。消費者センターに相談してみた。たらい回しの末「賠償金は取れません、写真見つかってよかったですねーガチャッ」いや賠償金ほしかった訳じゃないんだ。

お金の話はうんざり。もうめんどくさいこと全部抜きで、それでも通貨という幻想の価値がまだ必要なら実体のある石のお金でいいでしょう。アスファルトひっぺがして石のお金をゴロゴロゴロゴロ転がすんです。草の道に轍ができて、夏の坂道にお金運ぶのつらいなあって。カヘーってなんだ、シゴトってなんだって。村上世彰には圧死がお似合いだ。

7月23日 アリエッティ以外全部借物

仕事がなくて途方に暮れる夢を見た。起きたら正夢だった。J-Hip Hopの人にラップにして欲しい。両手広げて「夢は叶う」とか「母さん晩飯なあに」とか「カレーにマジ感謝」とか。

日記が途絶えがちなのは書きたいと思わないから。このサイトを立ち上げた1990年代中盤、一般人が日常をネットに綴ることは刺激的だった。このサイトを通じて本当にたくさんの方と知り合った。やがてブログというメディアが現れた。僕はブログは「集合知」のツールとして、頭でっかちなものと感じた。
 ここ数年で、300人いた携帯メモリーは13件にまで落ち込んだ。気楽にお喋りができる相手は1人もいない。それは僕の病状により皆さんにご迷惑をおかけしたことが大きいけれど、ブログの頭でっかちな文化に駆逐された部分もあると思う。...さてなにを書こうか。

池上彰さんというジャーナリストを僕は「週刊こどもニュース」で知った。一番フェアで信頼できるニュースソースだった。今は民放に出すぎて叩かれているそうだけど、彼の淡々としたスタイルは好き。政党の支持母体に新興宗教が絡んでいる話をする時も、古舘伊知郎みたいな過剰な演技を挟まない。
 報道ステーションより、Ustreamで池上彰さんのほぼ日刊こどもニュースを見たい。

「よろしくお願いします」と言い残して去っていった配達員さんに僕はなにをよろしくしたのだろうか。ブラックジャックの件だろうか。想像するに最近の配達員は、かつては大型ドライバーとして700万稼いでたのに、いまは派遣で個人相手に階段を登ってることに、屈辱を覚えてるのではないか。ヨーロッパには配達員を主人公にした映画がたくさんあって、彼らは誇りをもって仕事をしている。想いを伝える大切な仕事だ。

7月24日 CDトレーがガリガリ君

「ガリガリ君 梨」を食べながらレコ部聴く幸せホワワ。「ガリガリ君 梨」は氷菓界の、いやコンビニ菓子界の金字塔と思う。ちょっと溶けかけがやばい。

レコ部は楽しい。なんでだろうか。宇川直宏がいくらクラブを模倣してもこの部屋には届かない。いま一介の音楽好きがネットでできること、それは好きな音楽をただ紹介すること。音楽と日常の境界をなくすこと。
 で、これは7月2日の日記にも繋がるんだけど、音楽の現場はボトムアップがいい。結局DOMMUNEはトップダウンの意識が抜けてないんだ。常盤響さんは宇川直宏さんより「有名人」だし、だからこそかもだけど、メディアの特性を心得てる。レコ部では「有名人スーツ」を脱ぎ捨てて、素の音楽部屋を中継してる。常盤響さんの音楽知識の足元にも及ばない無名な僕にも、できる。たぶん。

7月30日 肉とか食べたい気分になりたい

僕は日記を書くのが仕事ではないし、そもそも仕事などないけれど、7月の日記のおざなりぶりは江川達也に匹敵する。書きたいことはないでもない。ただこの日記が小さなムラに与える影響を思うとがんじがらめで。
 象やライオンなんかより結局人間が一番怖い。打算と目論みと愛想笑いで生きてるから。僕はどうしていいかわからない。で、傷つけたり傷ついたり。twitterで羽海野チカさんが告白してました。ずっと人との接し方がわからなくて、もう無理と判断して通信制の画学校に進んだ。それでも友情というものに憧れや妄想があって「ハチミツとクローバー」が生まれたって。恋愛とか結婚とかかったるいし興味ない。残すほどのDNAじゃないし。もうガールいいです。いやボーイも勘弁。

1ヶ月ぶりの外出を画策したんだけど、途中で忘れ物に気づいて、取りに戻ったらもう出る気しない。いま、いえにおります。「いま、いえにおります」ってひきこもり映画作って、僕のリアリティ溢れる演技力でどうのこうのなっちゃって、竹内結子さんを孕ませてみたい。残すほどのDNAじゃないけど。
 きのうはBeatlesを1枚目からANTHOLOGYまで全部聴いた。数年に一度、無性にそういう日がくる。楽曲のクオリティのばらつきはあるけど、グルーヴに間違いがない。Beatlesは教科書に乗ってるソングライター集団じゃなくてロックバンドで、それまでロックと無縁だったプロデューサーに拾われたのはラッキーだった。独特の揺らぎをもつRingoのドラムにポールの饒舌なベースが寄り添った時、音楽に魔法がかかる。