DIARY 2022年


1月1日 SIDE-A あけました、おめでとうございました

2022年も猫年です!

僕のおととし、2020年は布団にうずくまって、20年以上改善する気配のない鬱病と、壮絶な孤独と闘っていました。2021年は少しずつ外出の練習をして、新しい仲間や居場所ができたりもしました。

ところが夏に新型コロナウィルス感染症にかかって入院、3週間生死の間を彷徨いました。オリンピックで機材が足らず、同じ病室の方が次々と亡くなっていきました。コロナ病棟に迎えに来る人はいません。

命からがら退院した翌週、愛猫メイが亡くなりました。あまりにも優しくてあまりにもお茶目な、人生で最高の友達でした。彼の存在にどれだけ支えられ、救われてきたかわかりません。メイが僕の身代わりになって命をくれたのかな、とさえ思います。とても不思議な子だったから。

メイは僕の体調が悪いと、すぐに察して僕のほっぺたをなめて一緒に寝てくれました。メイがいなくなって、遺された猫チャイがすぐに察して一緒に寝てくれるようになりました。チャイが看病係を引き継いでくれたんだな。だから僕は大丈夫です。

僕は今年50歳になります。磯野波平さん54歳、完全にそっち側です。メイに貰った命を大切に生きます。今年も、いや今年こそよろしくお願いします。みなさんの2022年が愛と音楽と共にありますように。

1月1日 SIDE-B 2021年の後半をざざっと振り返る

新型コロナウィルス感染症に罹患して3週間入院して生死の間を彷徨って、命からがら退院した5日後に愛猫メイを亡くしたことを日記にして以来、更新が途絶えていた。もうね、実にいろんなことがあった。

メイを亡くしたのはほんとうに辛い。彼は僕の入院中に急に体調を崩して、退院後に再会できたものの亡くなってしまった。最近知人がやっぱり猫を亡くした。同じように一番懐いてたお父さんが療養のために海外に渡って、寂しさから急に体調を崩したんだそうだ。メイもきっと寂しかったんだ。

亡くなってすぐの日記に、僕の入院中に猫たちを預かってもらってた動物病院の先生に「実は預かっていた時点でメイちゃんギリギリの状況で、でも最期に山下さんに会いたくて退院するのを待っていたんだと思いますよ」って言われたことを書いた。そう、メイは待っててくれたのだ。

でも僕はメイを看取れなかった。大好きなユニットが命運をかけたライブを観に行って、帰ってきたらメイはもう冷たくなっていた。だからメイが眠るように逝ったのか苦しんで逝ったのかもわからない。酷い話だよね。そのことでずいぶん自分を責めた。

入院中は主治医との会話はモニタースピーカー越しで、そのスピーカーがぶっ壊れてたんで自分の病状がわからなかった。退院した翌週に、入院中の主治医から普段通っている内科の主治医宛ての報告書を持って内科に行った。そこでようやく自分が死の瀬戸際にいたことを知った。内科の主治医からライブ禁止令が出された。

主治医は世間の「ライブハウスは危険」という風説に流されたのかもしれない。ライブ鑑賞なんてたかが遊びのひとつで、なくても生活に支障がないと思ったのかも知れない。でもいつ治るとも知れない鬱病と闘ってる僕にとって、ライブはほぼ唯一の家を出るモチベーションだ。人に裏切られ、音楽と猫に救われて生きてきた。家に籠もって寝込む孤独な毎日は入院中より辛かった。

ほんとうは1人の時間ができたら、自分のアウトプットをしたかった。7年以上も新曲を書いてない音楽制作もそうだし、2020年5月から途絶えてる日記の補完もそうだ。いまこのサイトがバグだらけなのも把握してるよ。でもそんな気力はまったく起きずにただ布団の中で硬直していた。1ヶ月後の診察には、人間にとって表現文化がどれだけ大切かを5000字の手紙にして臨んだ。

秋から少しずつ外出の練習を始めて、山あり谷ありしつつも年の瀬まで楽しく過ごすことができた。発達障害的にどうしても人に誤解されたり、距離感を誤ってトラブルを引き起こすことがある。それは49年の人生、ずっとそうだった。今年は久しぶりに新しい仲間や居場所ができて、そのことでとても救われているけど、それが永遠に続くとは思ってない。

今は体調がいい日は、外出の練習としてライブや演劇や映画を観に行ってる。ロックやジャズや民族音楽といった本来の趣味のライブじゃなくて、アイドルのライブが中心だ。ホスピタリティに依存してる。つまり物販でインスタント写真を撮ってサインをしてもらう1分間に会話ができる、それが僕の精神衛生上大きな救いになってる。ただ負担もあって、僕はお喋りが下手なんで手紙とプレゼントを渡してる。その準備にかなりの労力を割いていて、徹夜になったりもする。

そんな波乱万丈な2021年、振り返ってみたらここ十数年で一番いい年だった。謝辞をSIDE-Cで。

1月1日 SIDE-C 驚きと感謝を込めて

2021年は重篤な新型コロナウィルス感染症に罹患して3週間ガチで死の淵を彷徨い、退院した翌週に人生で最高の友達、猫のメイを亡くしました。それでもここ十数年で一番いい年でした。楽しかった。それは素晴らしい音楽と、素敵な女の子たちと、生前のメイと遺された猫チャイ、遊んでくださった皆さんのおかげです。

特にアイドルユニットNaNoMoRaLグデイ、楽しい配信をしてくださった葵乃まみさん、気にかけてくださった今川宇宙さん、遊んでくださったセレクトショップデアデビの皆さんに特に大きな感謝を。そしてNaNoMoRaLの雨宮未來さんにガチ恋です。僕を「スキルくん」と呼んでいいのは未來ちゃんだけ! ほかにも僕を幸せな気持ちにさせてくださった方がたくさんいらして挙げていったらきりがない。猫はもう最高でしかない。唯一の家族で、それも絶対的な信頼に値する稀有な家族です。人間の血縁関係は恐ろしい。

よく聴いた音楽はArlo Parks / Collapsed In Sunbeams、Bruno Pernadas / Private Reasons、Courtney Barnett / Things Take Time, Take Time、Esperanza Spalding / Songwrights Apothecary Lab、Hiatus Kaiyote / Mood Valiant、Japanese Breakfast / Jubilee、Mabe Fratti / Sera que ahora podremos entendernos、The Sundrop Garden / ((( 3 )))、Ulrich Schnauss & Mark Peters / Destiny Waivingとか。映画は「アメリカン・ユートピア」と「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」の2本の音楽ドキュメントに打ち震えたし、音楽表現の可能性を再確認した。

2022年も山あり谷ありするだろうけれど、できればこのまま大きな波に乗って、表現物をアウトプットしたいし社会に積極的に関わりたいと思っています。今年は、今年こそ、どうぞよろしくお願いします。

今年の抱負は「檸檬堂の9パーを飲まない」。5%以下にします。これは表向きの抱負で、ほんとうは「ガチで痩せる」。痩せてモテモテである。痩せてウハウハである。恋人を作ってお喋りなどしてみたい。あわよくば手など繋いでしまいたい。キャーえっち!

3月30日 ご愛顧頂き半世紀

誕生日。50歳になりま...ええと、年齢はシジミ70個ぶんです。二日酔い知らず。そういうことにしてくれ。磯野波平さん54歳。磯野フネさん48歳。自分が50歳になるとも、50歳になっても女の子が好きだとも、50歳になってもバスの運転手さんの後ろのちょっと高い席が嬉しいとも思ってませんでした。
 精進します。

3月30日の花はアルメリア、花言葉 「心づかい」「思いやり」なんだって(坂本櫻さん調べ)。解釈は委ねる。去年から誕生日を積極的にアピールするキャラを演じて、いろんなアイドルさんや女優さんに(ネット越しに)祝ってもらった。僕は猫以外に誰とも会わずうちに引きこもってるわけですが!

最近は例年の春の鬱が特に酷くてひたすら寝込んでる。チケットを取ったライブ、映画、演劇、展覧会、行けるのは1割程度で。料理する気力もないんで出前館の食べあとが山になってる。そろそろ立ちあがりたい、と願って発病23年を迎えた。やっぱり独りで闘病するのは無理ゲーだ。

ロシアのウクライナ侵攻に胸を痛めてる。悲惨なニュースはメンタルに来る。子供や赤十字を撃ったらあかん。いやすべてがあかん。かといって「戦争反対」という言い回しにも違和感がある。戦争は絶対悪で、野心に燃える政治家も軍事産業従事者も悪いとわかっていながら自分を騙し、周囲を騙してる。戦争に賛成も反対もない。

ウクライナはロシアの元カノで、ロシアは未練があるんだよ的な比喩が流行った。でもロシアはずっとDVしてた元カレなのよな。NATOとロシアの代理戦争でもあって、冷戦は終わってなかった。今後プーチン氏暴走→核兵器発射→人類滅亡の可能性もある。これは内田樹さんの描くシナリオのひとつで、僕の妄想ではない。

ここ数日は、アカデミー賞授賞式でのウィル・スミス氏を巡る言動にもじゃもじゃしてる。日本とアメリカでは暴力の捉え方に大きな違いがあって、大雑把にアメリカのエンターテイメントでは人種差別やマイノリティ差別といった言葉の暴力は冗談として扱われる。日本のツッコミみたいに手を出す暴力は絶対にあかんってことみたい。ウィル・スミス氏の謝罪には誠意があったと思う。対するクリス・ロック氏は謝罪もなく擁護されてる。ウィル・スミス氏のアカデミー賞剥奪や役者廃業の可能性もあって、そこまでいくと僕の感覚ではわからない。

音楽聴いてます。Yard Actに打ちのめされた。あとはRobert Grasper、caroline、Samm Henshaw、Cate Le Bon、Black Country, New Road、Oki、Mike Cooper、Danny Elfman、FKA Twigs、Elvis Costello & The Imposters、Damu The Fudgemunk feat. Raw Poetic、Magdalena Boy、Guerilla Toss、Kristine Leschper、Isik Kunal、Aldous Harding、Rex Orange County、中村佳穂さん、崎山蒼志さん。

僕が人生で初めてガチ恋オタクしてる雨宮未來ちゃんのユニット、NaNoMoRaLGo To STARDOM 2っていうオーディションでグランプリを取って、メジャーデビューと賞金100万円を手にした。未來ちゃんの専属運転手として生きたい。

4月8日 SIDE-A 病弊、あるいは表現者について思うこと

僕は音楽をはじめとする表現文化が好きだけど、音楽家や芸術家という方々が無条件に好きかというとそうでもない。というのは彼らの多くは表現文化が好きなのではなく「自分」大好きで、自分を観て欲しいに過ぎないから。ジャイアンリサイタルだ。

僕が初めて関わった劇団は「るかたす」と言った。語源はLook at us.「僕たちを見て」、子供がお母さんに「見てー見てー」というレベルと変わらなかった。僕はるかたすの劇団員ではなかった。るかたすにはスタッフの劇団員が1人もいなかった。公演の都度、知人に頼っていたのである。また彼らはゲネリハをしなかった。それはジャイアン様である俺たちが本番に集中力のピークを持っていくべく、ゲネリハをやりたがらなかったからだ。スタッフにとってゲネリハが必要であるかどうかは彼らにはどうでもよかった。すぐに別の劇団に、劇団員として移った。

同じ疑問をいま音楽家に感じている。セミプロSSWシーンを観に行くようになって、彼らが驚くほど音楽を聴いていないことに気づいた。大衆音楽は古代西アフリカに生まれてから現在に至るまで、途切れぬ歴史を持つ伝承芸能だ(クラシック音楽はキリスト教会の介入があって、その話をすると長くなる)。誰かの音楽に影響を受けてオリジナリティを加えて次世代に渡す。例えばBillie Eilishが、Silk Sonicが、BTSが、Kendrick Lamarが、Wet Legが、ああいう音楽を奏でて、では自分はどう出るか、という積み重ねだ。

これはセミプロに限った話ではない。細野晴臣さんや大瀧詠一さんに、「若いミュージシャンから質問を受けることも多いでしょう」と問うたインタビュアーがいた。2人とも「いやぜんぜん」。例外として細野さんは岸田繁さんと星野源さんを、大瀧さんは山口隆さんを挙げていたと記憶している。いま日本の多くのミュージシャンは自分の音楽に、自分にしか関心がない。

ある音楽ライターが、「いま仲良くしてるミュージシャンが音楽をやめても私は友達でいたい。でも私が書くことをやめたら彼らは私と遊んでくれないだろう」とつぶやいていたのが忘れられない。僕の音楽の神様、David Byrneや鈴木慶一さんは、いくつになっても新しい音楽への関心を失わない。慶一さんについては、僕をミュージックフリーク同士として扱ってくださったことにとても感激した。

音楽が好きなのでツイッターでいろんなミュージシャンをフォローしてる。そのミュージシャンが、自分のライブやリリースの告知しかしなかったらリムーブする。「告知の告知」をするミュージシャンも多い。「明日の20時に素敵なお知らせがあります」。そのお知らせが素敵かどうかはこちらで決めさせてくれないか。ライブやリリースの情報は音楽ニュースアカウントを読めばいい。その人がいまどんな音楽を聴いているのか、どんな本を読んでどんな映画を見てるのか、世の中についてどう考えているのかに興味があるのだ。

というところで今回の石川浩司氏の件だ。石川氏は、ライブの予約をして無断キャンセルをする人は「犯罪者」だと明記した。犯罪者とはずいぶん強い言葉ではないか。犯罪者かどうかは裁判官が決めることだ。石川氏の発言の根拠は、もちろん収益が減るから。

僕は鬱病を患って、朝起きてみないと、あるいは実際に家を出てみないとライブに行けるかわからない。ライブハウスの最寄り駅に着いて引き返してくることもままある。もちろん前もってキャンセルすることがわかっていたら連絡を入れる。しかしライブ当日、出演者もライブハウスも準備に追われて連絡が行き届かないことも多い。

石川氏に「キャンセルをする側にも様々な理由があるのではないですか」と問うたら、さらに語気を強めて「無断キャンセルが多かったためにライブハウスを出入り禁止になったミュージシャンがいる」と。そのミュージシャンの客が何度も無断キャンセルを繰り返してたわけじゃなく、1回のライブの裏に別の魅力的なライブが発表されたために客が流れた、その責で出入り禁止になったと。それっておかしいのはライブハウスの判断では。

また事前精算の場合、キャンセルして返金されることはまずない。それでも「犯罪者」ですか。ファンやメディアを「自分を見てもらうための道具」としか考えてないことを嘆くあの音楽ライターの言葉が蘇った。

このやり取りを見て、外野のヤジが山程飛んできた。FRUEに、野外フェスでビンの飲み物を売るのは危険ですよ、世界中どこのフェスもやってない、ましてやこどものお客さんが多くて、会場は階段だらけだと指摘した時もそうだった。七尾旅人氏に、ステージに犬を上げて鳴けとけしかけるのは虐待では、動物と暮らす人は部屋の家具の模様替えにも気を使います、と指摘した時も忠実な家来たちのヤジが飛んできた。まさに「キチガイ」扱いだった。

とにかく精神的に酷く病弊した。今日から当面のライブや演劇やイベントの予約は「キャンセル」を試みる。開場直前のバタバタで連絡をすることが迷惑になるとわかっていても「キャンセル」を試みる。返金は当然ないものと思っている。収益の心配はありませんよ。運営内でキャンセルの連絡が行き渡るかどうかは僕は知らん。

4月8日 SIDE-B 病弊、あるいは興行について思うこと

なんだか今日は文句ばっかりで申し訳ないけど、ずっともやもやしていたことを。Beat Happeningというイベントを主宰している水口浩志氏について。

1月にBeat Happeningのイベントに行ったら、開場時間が30分後ろにずれてた。そもそもの開場予定時間に、実際の開場時間に入ったお客さんの6割程度は着いてた。めちゃくちゃ寒い夜だし近隣のお店にもご迷惑がかかる。

僕は水口氏と面識があったため、代表のつもりで水口氏に「連絡を徹底してください」と告げた。水口氏の答えは「ツイッターに書いたでしょう」。僕は水口氏のアカウントをフォローしてない。すべての観客が自分のアカウントをフォローしていると考える傲慢さ。そもそもの開場時間に「どうなってるんでしょうね」と話しかけてきた別のバンドめあてのお客さんは、そもそもツイッターをやってなかった。

「山下さんは出演者のツイッターを読んでるでしょう」。これは出演者側のミスなんだけど、テキストでの開場時間表記と画像での開場時間表記が違っていた。そのことに気がついたのが向かっている電車の中で、会場はドタバタだろうと敢えて問い合わせなかった。水口氏の回答は「そんなのは画像が正しいに決まってるでしょう」。決まってない。まったく別のイベントで似たようなことがあり、テキストの情報が正しかった。

メールで予約を受け付けて、その返信で確定するイベントならば、メールで開場時間の変更を知らせるべきだ。水口氏の答えは「メールに時間変更の『可能性がある』と書いた」。あきれかえった。

僕1人が勘違いして早く来たのではなく、何十人ものお客さんがめちゃくちゃ寒い中30分待っていたわけだ。その上で「ツイッターであの書き方やめて貰っていいですか」嫌です。一言「すみません」の言葉があればもちろん削除した。ごめんなさいが言えない坊やに振り回されるのは好きじゃない。

水口氏とのトラブルはこれが最初じゃない。やっぱりイベント会場の表記についてわかりにくいところがあって、問い合わせて逆ギレされたことがある。その時に出演者に「こういう事情で楽しめそうもないな」って話したら、水口氏にはそういうところがあって、来ないお客さんを何人か知っていると。出演経験者から、水口氏は演奏の内容でなく動員数によってコロコロ手のひらを変える、という報告も何件か頂いた。カネ、カネ、カネだ。

僕も今後水口氏主宰のイベントには行かない。

5月4日 SIDE-A 心ない人

この日記、文句ばっかりでほんとに申し訳ないけど。またしても心ない人に傷つけられて大きなダメージを受けた。今度は精神科の主治医だ。もともと鬱病は病院に行くのも辛い病気だ。病気なので病院に行けないスパイラル。特に春は体調を崩しやすい。でも4月22日の金曜日に這うようにして病院に行った。っていうのは水木金しか開いてない特殊な病院で、どうしても金曜日に行かないと5日間も薬が切れてしまうからだ。さらに役所に申請する書類も準備した。僕は発達障害でもあって、事務作業が極端に苦手。むしろ我ながら褒められて然るべきと思って向かった。

ところが主治医は書類の不備について激昂した。最初に大きな声をあげたのは僕の方だ。もうギリギリの精神状態の中で不備を指摘されてどうするか問い詰められて、「できないんです!」と声をあげた。すると主治医はさらに大きな声で、「俺にはこれを書く義務はないんだよ、お前が書けって言うから書いてやろうってのにその態度はなんだ!」と。精神科医が患者に対して感情的になるなんて、決してあってはならないことだ。それから、あなたには書類を書く義務はあります。鬱病や発達障害は「脳という臓器」の疾患だ。医者が肝臓ガンの患者に「俺の酒が飲めねえのか」と恫喝するくらいあってはならない。驚いて呆然としたし、酷く傷ついた。そのまま病院のビルから飛び降りようかと思った。

この日記の読者の99%は、ヤマシタが飛び降りて死ねばよかったのにと思ってる。飛び降りなかったのは、遺言書を作ってないために遺産が実弟に渡るのが嫌だったからだ。すべて慈善事業に寄付したい。実弟との関係が表向きは良好だった頃は、自殺未遂を何度かした。遺言書を作ってしまったら、食い止めるものがなくなる恐怖もある。この日記の読者の99%は、いますぐ作れと思ってる。

初診の時から主治医を信頼してなかった。多摩に越してきた13年前、検索したら最寄り駅の圏内に精神科のクリニックが2軒あって、もう1軒の方が信頼できそうなので電話したら話し中だった。で、たまたま繋がったのがいまのクリニックだ。主治医はステレオタイプな団塊世代っぽくヘラヘラと軽薄に話して、とても真剣な相談事ができる雰囲気ではなかった。しかも初診で趣味を聞かれて音楽が好きだと言ったら、クリニックに通院してる大物ミュージシャンの名前を出してきて、この人守秘義務も守れないんだって驚いた。

そういえば、市役所の障害福祉課の窓口担当の威圧的な態度にも酷く萎縮した。例えば知的障害を持つ方にも同じ態度を取るのだろうか。障害者支援センターの新しい担当さんにもがっかりしてる。「自分で動かないと未来は変わらないですよ」系の人だった。「動きたいのに動けない」のが鬱病だ。それは本人が一番わかってる。追い討ちをかけられると罪悪感で悪循環に陥る。つまりこの担当は鬱病に対する基礎的な知識がない。思えば担当が代わってよくなったことはない。ホームヘルパーの新しい担当に宗教に勧誘されたり、訪問看護師の新しい担当はそもそも看護師の資格を持ってなかった。

信頼できない病院から転院しなかったのは前にも書いたとおり、病的に事務作業が苦手だから。それで13年も無駄に引き伸ばしてしまった。今回のことで決意ができた。すこし元気が出たら転院する。いまはずっと寝込んでる。

この事件が起きたのが22日金曜日の夜。唯一のプロの話し相手であるカウンセリングは土曜日の午後で、23日は僕が別の予定を入れていたためおやすみさせて頂いてた。何かあったら連絡くだされば対応しますとのことだったけど、もちろん夜は電話が繋がらない。その次の30日土曜日のカウンセリングは相手の都合でおやすみ。この件について誰かに話すことが2週間できない。という間の悪さがいかにも呪われた僕の人生だなと思う。

そんな中で優しい声をかけてくれた雨宮未來さん、ゆらぴこさん、葵乃まみさん、今川宇宙さん、なまはむこちゃん、れいちもさん、ほんとにどうもありがとう。そして猫のチャイに思いっきりのありがとうを。

5月4日 SIDE-B 最近聴いてる音楽

音楽聴いてます。Congotronics International、Wet Leg、Taj Mahal & Ry Cooder、Jerry Paper、Toro Y Moi、Charlotte Adigery & Bolis Pupul、Calexico、Juan Fermin Ferraris、The Regrettes、Andy Frasco & The U.N.。Wet LegはYard Actと並ぶ今年の新人バンドで、来年の来日を楽しみにしてる。多国籍大所帯バンドCongotronics Internationalはフジロックに出たことがあるらしい。知らないで観逃してた。残念。Taj Mahal & Ry Cooderは悪いはずがない。Jerry Paperはアメリカのナード感丸出しの宅録ポップで非常に好ましい。

Moonridersの11年ぶりのアルバム「it's the moooonriders」も聴いた。鈴木慶一さん、白井良明さんの作品に何曲か好きな曲があった。ただ「火の玉ボーイ」から「Don't Trust Over 30」までが10年であることを思うと、00年代ライダーズから変わってないな。もうひとつ、牧村憲一さんが育てた昭和音楽大学の出身者たちに人間的に疑念があり、そういう意味でもあんまり聴く気になれない。

小坂忠さんが亡くなった。敬虔なクリスチャンでガチの牧師さんでもあった忠さん。神の身許に。僕が最初に聴いたのは名盤「ほうろう」ではなくて「April Fool」だった。「ほうろう」にはほんとうに驚いた。その後、ロックのアルバムをぜんぶ揃えてゴスペルのアルバムもだいたい聴いた。Tin Pan Alleyのスタジオライブ音源(ボーカルは忠さんと吉田美奈子さん)を大量に頂いて、そればっかり聴いてた時期もあった。

ライブで印象的なのはHyde Park Music Festival、Tin PanのNHKホール、横浜赤レンガ倉庫、晴れたら空に豆まいてではちょっとお話ができた。名ライブ盤「もっともっと」が収録されたのがまさに僕の生まれた日で、そのことを伝えたら洒落たサインをくださった。ほかにもいっぱい観たな。ボーカルはご存知のように魂揺さぶるパフォーマンス、一転してMCではお茶目だった。当面ロスは尽きない。小粋に別れよう、さよならベイビー。

5月2日の忌野清志郎さんの命日に、雨宮未來ちゃんが「JUMP」のカバー弾き語り動画をあげた。翌3日には「今日は憲法記念日です」とツイートした。清志郎さんも、日本の平和憲法をとても大切にしてた。未來ちゃんの清志郎愛が嬉しい。前にライブDVDをあげたら「これ探してた!◯◯の◯◯バージョンが入ってるの!」って僕より詳しかった。清志郎さんが亡くなったのは58歳の時。まだまだ若いよね。葬儀にはファン4万3000人が集まった。もちろん僕も行った。でっかいピンクの風船が踊って清志郎さんの歌がガンガン流れて、みんなで一緒に歌った。

清志郎さんのことを思うと胸が詰まる。その音楽、思想、人柄、どれだけ偉大な存在だったかを語るとキリがないけど、突き詰めれば「歌が上手い人」だったんじゃないか。ソウルのニュアンスをあんな風に歌いこなす人は日本にほかにいない。

6月9日 SIDE-A 心ない人 again

理不尽に罵倒され続けてきた
この人生を思う
宇宙が誕生したのも猫がうんこするのも
どうやら僕が悪いみたいだ

正しいことを言いたい
間違いは正したい
という気持ちはこの国では不要で
自民党が勝ち続け
自分たちの首を締める

忌野清志郎さんや江戸アケミさんも
同じ理不尽と闘ってきたのだろう
僕には彼らみたいな才能がなく
コミュニケーション能力もなく
賛同者も理解者もいない
かくして壮絶な孤独の中で
23年間鬱病で苦しんでる

骨折した時はぜんぜん辛くなかった
新型コロナ感染症で
死の淵を見た時は少し辛かった
鬱病や孤独はその1兆倍辛い
でもなってみないとわからない

辛さを知ってるからこそ
あなたもなってみればとはとても言えない
辛い時に話せる誰かが欲しい

神様は耐えられる試練しか与えない、というのは嘘だ
耐えられずに命を断つ人を僕は責められない
明けない夜はない、というのも嘘だ
宇宙には自転と公転の周期が一緒の星が実在する
止まない雨はない、というのも嘘だ
宇宙には常に雨が降っている星も実在する
10000回ダメでも10001回目は変わる、というのも嘘だ
そんな大昔のヒット曲は勝者バイアスのおごりで
10000回ダメだったら10001回目もダメなんです
この人生は死ぬまでこのまんまだろう

僕のことを好きな生き物が
全宇宙でうちの猫しかいない
という現実と向き合う

生まれてこなければよかった
と言いたい気持ちを抑えて
暗闇を優しく抱きしめる

トラブルや泣き言ばっかりで申し訳ない。今度はTwitterで炎上した。

5月30日にNaNoMoRaLのライブを観に行った。その対バンのめろん畑a go goとおいうアイドルグループのファンがとち狂ってた。コロナ禍において激しいモッシュやリフトをしてたのだ。
 僕も何度も突き飛ばされた。特に泥酔したファンがほかのファンのペンライトを強奪して、さらに別のファンを殴ってた。僕も殴られた。正当防衛をした。

いま、ライブハウスにはステージと客席の間にソーシャルディスタンスを保つためにフェンスがある。めろん畑a go goのメンバーはそのフェンスによじ登ってファンとハイタッチしたりぶつかりあっていた。
 その後に登場したNaNoMoRaLはやりにくそうに見えた。気のせいだったかな。僕はライブにまったく集中できなかった。1ミクロンも楽しくなかった。

終演後、めろん畑a go goの運営に努めて丁寧に話しかけた。彼女はこう言った。「コロナにはいろんな考え方がある」「このイベントにはモッシュやリフトについて規定はない」「フェンスについては注意してる」。
 コロナ禍で窮地に立たされたエンターテイメント業界は必死だ。だからこそみんな安全に対して細心の注意を払ってる。コロナへの考え方に「いろんな」はない。興行については「細心の注意」の一択しかない。

もし違うのならば陰謀論にでも陥ってるのだろうか。コロナ陰謀論、ワクチン陰謀論、信じてる人はあなたの想像する30倍はいるよ。もっといるかも。

その運営に「お名前を伺えますか」って聞いたら顔色を変えて「ディレクターを呼んできます」と言った。現れた男性はなにを話すでもなくひたすら頭を下げた。
 芸能事務所に勤めてる知人に聞いたことがある。いわゆる反社会的勢力と手を結んでクレーマー対策として契約している、多かれ少なかれそういうもんだと。出てきたタイミングから、そういうことかと思った。真偽のほどは定かではない。

とにかくその場で埒が明かなかったので、帰宅してからめろん畑a go goを抱える木下総合企画に努めて丁寧にメールした。予め「このやり取りをSNSに公開します」と明記した。「社長」の木下盛隆を名乗る人物から返事が来た。フェンスについて注意してるというのは嘘だ、盛り上がればいいと考えてる、うちはこの方法でやってるんでとやかく言われる筋合いはないと。
 またも努めて丁寧に返事をした。怒りにまかせて失礼な言葉を使ったりはしなかった。でも自分を正当化する言葉に詰まったんだろう、「社長」はブチ切れて一方的に話を終わらせた。

そのやり取りをTwitterに公開したら、まずはNaNoMoRaLや最近僕がよく観ているグループと、めろん畑a go goの共通のファンから罵倒がきた。そしてめろん畑a go goの熱心なファンや、さらに外野の野次馬に拡散していった。
 拡散されたのは、最初の僕のメールに「社長」が返事をした部分だ。それに対する僕の言い分は、おそらく意図的になかったことにされた。

吉田豪(呼び捨て)が拡散してからは目も当てられなかった。吉田豪はプロインタビュアーを名乗ってるけど、少なくともTwitterでやっていることは野次馬根性で昭和の「芸能レポーター」と変わらない。野次馬に餌を与えるのが仕事だ。山下達郎さんの「Hey Reporter!」そのものだ。
 地下アイドル界の揉め事を面白おかしく取り上げたまとめサイトに載り、さらに多くの罵詈雑言を受けた。

僕はTwitterを12年半使って18万以上のツイートをしてる。それをぜんぶ見たと思われる人がそれなりにいた。その執念でDisney+でも観てなよ。
 僕にまつわることはなんでも罵倒の種になった。例えば固定ツイートに「The 98 Greatest Albums of All Time」って画像を貼ってる。7×14で98枚だ。

これについておそらく2周りくらい下の自称DJが「優等生的チョイス。特別センスねえな。一生懸命音楽雑誌読んでライターの言葉鵜呑みにして勉強したんだね!よしよし 笑」。だって。いや、こんな選盤の入門書があったらやだよ。
 いいレコードを98枚選ぼうとすると、どうしても外せないアルバムだけで枠が埋まる。聴いてる幅が広ければなおさらだ。そこを外して「個性」を出したいとは思ってない。むしろバランスをよくしたいと思ってる。自称DJは「逆張り」して見栄を張りたいお年頃なんだろうな。

みたいなことを、降ってくる罵詈雑言ひとつひとつに返すのは不毛なのでまとめてブロックした。吉田豪も当然ブロックだ。
 自称DJ「話題の子、音楽詳しいらしいから、ちょっと遊んでやろうと思ったら秒で逃げられた。チェっ!」。どう考えてもほかに楽しみを見つけたほうがいいよ。

騒動が広がって、NaNoMoRaLの梶原パセリちゃんが声明を出した。板挟みの状況でかなり踏み込んでくれた内容だった。続いて主催者もかなり踏み込んでくれた声明を出した。この2つの声明を読んでびっくりした。めろん畑a go goの運営がはっきり言った「このイベントにはモッシュやリフトについて規定はない」っていうのは真っ赤な嘘だったのだ。そう言えば「社長」もここには触れなかった。
 つまり、明確にモッシュやリフトを禁止していた。

イベントの公式サイトやチケットには明記されてたんだろう、規約をぜんぶ丁寧に読む人は少数だと思う。そこはちゃんと読まなかった僕が悪かった。アナウンスもあったかも知れないけどおおよそ聞こえなかった。
 コロナ禍にモッシュやリフトは当然有り得ない、と思ったから運営に苦言を言ったわけで、そこで運営に「規定はない」とはっきり言われれば驚きうなずくしかなかった。

運営の嘘を鵜呑みにした状態で事務所にメールを送ったがために、言葉の切れ味が悪く論点もずれちゃったのだ。「あなたたちはルールを破った、以上」。だったら野次馬につけ入れられるすきはなかったかも知れない。
 いまTwitterには鍵をかけてる。アイドルのライブにもしばらくは行かない。全地下アイドル界の敵認定を受けて、怖くて行けないよそんなとこ。たとえ危害を加えられなかったとしても、とても楽しめない。

梶原パセリちゃんは、大きなオーディションでグランプリを獲った時に「いろんなジャンルの出演者がいる中で、いつも切磋琢磨してる、時に下に見られがちな地下アイドルというシーンを背負って優勝したと思ってる」って話してたのが印象的だった。
 僕も7年前まで音楽好きとしてアイドルを下に見てた。「可愛さ」っていう天性の武器で売ってるんじゃないかと。実際にライブを観て真摯なシーンだと感銘を受けた。

でも今回の一件で、やっぱり「下」だなと思う。木下総合企画の「社長」はコロナなんか知るか盛り上がればいい。現場マネージャーは嘘つきだ。めろん畑a go goはバイオレンスを煽り立てる。彼らは「地下アイドルというシーンを背負って敗退した」。
 そして罵倒してきたファンのタイムラインを見ると、読むに耐えない陰湿な意地悪が並んでた。僕以外にも森羅万象に対して汚い言葉を吐き散らかしてた。彼らは非常に鬱屈としたものを抱え込んでるね。

人間の底しれぬ醜さと卑怯さに恐れ慄いてる。そしてそれは僕の実弟や一族の家長、権力争いに受験生を巻き込む学者や、患者に感情的に激昂する医者に似ている。

いじめをする人は何よりもいじめる相手に依存している。自分自身だけで満足できることを探す能力がなく、常に他人を必要とするわりに、他人に対して不自由なほど神経質である(津村記久子)」。

狭くて醜いアイドルの井戸を抜けて広くて深い音楽の海に戻ろう。とにかく音楽と猫だ。都和子ちゃん、葵乃まみさん、今川宇宙さん、なまはむこちゃん、稀ちゃん、杉原光玲さん、うちの猫に大きな感謝を。

6月9日 SIDE-B 最近聴いてる音楽

音楽聴いてます。Kendrick Lamar、Nduduzo Makhathini、Jordana、James Blake × Endel、Jens Lekman、V.A. For the Birds : The Birdsong Project, Vol. 1、Orbital、Sananda Maitreya、The Courettes、Brian Jackson。

Kendrick Lamarの新作がソウルのマナーに乗っててすごくいいな。Nduduzo Makhathiniは南アフリカのジャズピアニスト。ズールー族の音楽を取り入れてて面白かった。Jordanaはアメリカの若い宅録SSW、可愛らしい。James Blakeの新作は睡眠用アプリのサントラで、これだけでも眠れる。Jens LekmanはスウェーデンのベテランSSW、安定のクオリティ。For the Birdsは豪華ミュージシャンによる鳥類保護のチャリティアルバム。このクオリティでシリーズ化されて最終的にLP20枚になるらしい。Orbitalは映画のサントラで意外な才能にびっくり。Sananda MaitreyaはTerence Trent D'Arby、改名してからも良質なアルバムをたくさん出してるんだけど名前が浸透しない。The Courettesはブラジル人とフランス人のPhil Spectorオマージュバンド。Brian JacksonはGil Scott-Heronのコラボレーターで、プロデューサーとしても長いキャリアがある人物。

邦楽では柴田聡子さんが安定のクオリティだった。ここまで「真っ当」なポップスの担い手になるとは思ってなかったな。あっこゴリラさん、chelmicoもよかった。今日知ったJYOCHOってバンドをちゃんと聴きたい。cescoってバンドも。
 高橋幸宏さんが活動50周年、生誕70周年でT-E-N-Tレーベルの音源がサブスクリプションに公開された。これで全部じゃないかな。

7月1日 SIDE-A 変わり続ける僕はいつでも相変わらず

(前回のあらすじ)人として信用できないまま、発達障害的な理由で事務手続きができないために13年間通い続けた精神科医に、まさに事務所類の不備について感情的に罵倒された。また、炎上を経験してインターネッツ、さらにはヒトという生き物の底しれぬ醜さと卑怯さに恐れ慄いた。

あれから身を潜めながらもなんとか生き延びてる。書類の不備について罵倒した精神科医は、次の診察の時に「そんなことあったっけ」としらを切った。ヘラヘラと軽薄に生きてるのでほんとうに忘れてるのか、都合が悪いので忘れたふりをしたのかはわからない。とにかく転院の意志を伝え、紹介状を書かせた。

転院先の初診は極めて快適だった。話そうと準備していたことだけでなく、胸のうちをたくさん引き出してくれた。前の主治医が「国保の審査になんでか通らないんだよ」と言って出してくれなかった発達障害の薬についても、「それは不当審査ですよ、出しちゃえばいいんです」といって出してくれた。この薬をまた飲めることになって、僕の厄介な性格がだいぶ抑えられたんじゃないかと思う。

精神科の診察と治療は主治医との相性や信頼関係がすべてで、最初に電話した時には初診の担当と実際の主治医は別との説明だったけど、ぜひ先生に診て頂きたいとお願いしたら「いいですよ」とのこと。ホッとしてる。

この13年間僕が飲んできた抗鬱剤は内容も容量も日本で出せる限界で、これ以上だと覚醒剤になるそうだ。それでも不安感を抑えきれず、ひたすら布団にうずくまってた。さらに昔、多摩村に引っ越す前に通っていた信頼できる主治医は僕を双極性障害と診断してて、信頼できない前の主治医は「いや違うよ」と、今度の先生は「お話を聞く限りやはり双極性障害だと思います」。となると投薬や治療の方針も変わってくる。

転院するには、国の自立支援法という法律に基づいた治療を受けてるためにさまざまな事務処理が必要になってくる。これができないで13年間も無駄に生きた。障害者支援センターの新しい担当者に事務処理の手伝いをお願いしたら「僕もよくわかってません、とりあえず市役所で必要な書類を持ってきてください」って。いやそれができないんですよ。

この人物は初めて会った時に「自分で動かないと未来は変わらないですよ」と言った。「動きたいのに動けない」のが鬱病だ。それは本人が一番わかってる。追い討ちをかけられると罪悪感で悪循環に陥る。つまりこの人物は鬱病に対する基礎的な知識がない。そして事務処理についても知識がない。ほんとうに困ってる。前の担当さんは親切だったし理解しようとしてくれた。

炎上について、アイドルと関わらないことで傷が癒えつつある。Twitterで僕をフォローしてないとある音楽プロデューサーに半年ぶりに会って、開口一番「大変だったね心配したよ」って肩を抱かれた。炎上の規模と飛距離を再確認した。7年前に「ずっと興味がなかったけどアイドルって実は面白い」って目覚めて、週に何度も通うようになった。それを辞めて本来の趣味嗜好に時間が割けるようになった。

でも出掛けられるかどうかはその日その時になってみないとわからない。中でもとても楽しみにしてた「ケラリーノ・サンドロヴィッチ・ミューヂック・アワー」と、小沢健二さんのライブに行けなかったのはほんとうに残念。どっちも魔法みたいなライブだったみたい。

感染者数は減ってないのにコロナ禍が去りつつあるかのような風潮で、海外のミュージシャンの来日公演がどんどん決まってる。Wet LegとSigur RosとAlfie Templemanのチケットを取った。Big Thiefは二次先行まで落選して、一般販売に賭けるか。1ヶ月を切った今年のフジロックも海外のミュージシャンが中心に戻って、とても楽しみなラインナップ。でも体調と体力的に、まだ行ける気がしない。

7月1日 SIDE-B 松の内という概念に勝てない精神状態において

ようやく初詣に行った。それさえ出来ないくらい精神的に病弊してた。3月に高幡不動に行って、護摩修行を受けたかったんだけど閉門数分前で叶わず。6月13日にもう一度行ったら護摩修行の受付に「ほんとは15時までなんですけどもう始めちゃってるんですみませんね」。14時55分だった。おみくじは凶だった。今年が凶なのは充分に知ってるよ。

25日に改めて、東京のお伊勢様で恋愛の神様、東京大神宮に行ってご祈祷を受けた。良縁祈願と病気平癒と心願成就。厄除祈願も受けるべきだったかな。御神楽で巫女さんが歌詞を間違えたのが気になった。あとで神道関係者に聞いたら、神様はそんな細かいことは気にしないって笑った。おみくじはいろんな種類があって、一般的なおみくじは吉、恋みくじが大吉だった。「あなたにはできすぎた相手と結ばれるでしょう」キタ。誰だろう。あの娘ではない気がする。炎上事件を巡って、あの娘への気持ちももうないしね。

7月1日 SIDE-C I HATE SPORTS!!

僕は運動が極端に苦手だ。3月30日生まれってこともあって、子供の頃には体育に非常に苦労した。いまはどうか知らないけど、昭和の体育教育は軍隊教育そのもので、体育教師にも担任にも体育が得意なクラスメートにも殴る蹴るや言葉の暴力をさんざん浴びた。体育の授業で新しい種目が導入されるたびに両親が呼び出されて、「山下はこんなこともできない」と説教された。亡父はそのために有給取ってたんだよな。

酷い虐めをする体育が得意なクラスメートが、一方ではモテたりして。それが自我形成期の原風景だ。いまでも運動のことを思うとフラッシュバックに襲われるし、スポーツ中継の音が怖くて逃げ出したくなる。立派な中年になったいま、鬱病で布団にうずくまって、それでもストレスのために食べて食べて見事に太り腐った。特に去年、新型コロナ感染症で入院してから14kg太った。

太れば成人病がついてくる。精神の病気とは別に、肉体の病気が両手で数え切れないくらいある。障害者支援センターにもフィットネスプログラムがあって、殴る蹴るなく体を動かせるんだけど、コロナ禍で予約制になって当日の体調次第で気軽に行けなくなっちゃった。ここでジムに入会したい気持ちが40%くらい目覚めてきた。

Mick Jaggerは50歳の時、酒・タバコ・ドラッグを一切やめて、毎日8マイル走り水泳とキックボクシングをして、23時に寝るようにして78歳の今がある。僕はロックスターじゃないんで、そこまでストイックじゃなくても細く長く続けられることを。殴られないやつを。

7月1日 SIDE-D I HATE SUMMER!!

猛烈に暑い。6月25日から体温と同じくらいの気温が続いてる。夏は苦手だ。

暑い:寒さは服をたくさん着たりカイロを貼ることで解消できる。暑くても脱ぐには限界があるし普通に死亡する
汗をかく:下着までびっしょりになるほど汗をかく。マスクが濡れて息ができない。そして汗すごいよって指摘される屈辱。わかってるよ。内科→精神科→皮膚科→多汗症外来をたらい回しにされて結局原因はわからないし治療のしようもない。テレビ・映画・演劇・歌詞、いろんな表現の中で最も共感できたセリフは「顔が濡れて力が出ない」
地球温暖化:6月でこの暑さは異常。僕が子供の頃には真夏でも32℃を超えることは珍しかった。酷暑だったとされる終戦の日は29℃だったそうだ。明治時代の冬の東京は雪景色がデフォだったらしい。茹でガエル現象である
食べ物の足が早い:腐ったりカビが生えたり。徒歩圏内にスーパーやコンビニがなくて、ネットスーパーでまとめ買いして小さい冷蔵庫に詰め込んでるんで死活問題。あと漠然と不潔感がある。
虫が出る:夕暮れ団地に引っ越して13年、幸いGには遭遇していないものの、世には虫が出る。虫も含めて地球の生態系が成り立ってるのは充分に承知してるけど、それと怖さは別だ
冷房は寒いと言わなきゃいけない同調圧力:体感気温は人によって違うんで、弱冷房車があってもいいけど弱暖房車と爆冷房車も作ってほしい
それでも夏は「素敵」で「大好きな季節」と言わなきゃいけない同調圧力:結局これが一番辛い。オリオン輝く空の下をいそいそ帰って猫とおこたであったまって蜜柑を食べる冬を愛してはいけない

夏のいいところは夏休み、夏フェス、花火、お祭り、浴衣の女の子、海、水着の女の子、スイカ、カキ氷、ビール、ヒマワリ、風鈴、名曲がいっぱいある、とかだろうか。大雑把に若さと陽キャのイメージで、独り身の中年向きじゃないな

7月1日 SIDE-E 音楽とインプット・アウトプットのこと

聴いてます。Sessa, Drake, Aksmi, Dreamer’s Circus & DR BorneKoret, 蓮沼執太 & U-zhaan, G.Love, Perfume Genius, Big Thief, Dusty The Kid, FKA twigsとか。Big Thief, Dusty The Kid, FKA twigsはリリース時によく聴いて、数ヶ月経ってまた自分の中でリバイバルしてる。最近リリースされたGodley & Cremeが10ccに加入する前の音源集や、Lou Reed, Talking Headsの未発表ライブ音源もよく聴いてる。

Sessaはブラジルのミュージシャンで、ジャズやトロピカリズモ的な涼しげで繊細な音が気持ちいい。Aksmiはフランス人のプロジェクトで、Penguin Cafe Orchestraがガムランやってるみたいな音楽。Dreamer’s Circus & DR BorneKoretはデンマークのインストバンドと児童合唱団のコラボ。World StandardやRobert WyattをサンプリングしたWilma Vritraはアンビエントヒップホップとでも呼ぶべきか。

前からよくインプットとアウトプットの話を書いてきた。表現文化は伝承芸能だよって話。音楽でいうなら、古代西アフリカに誕生してから歌い継がれ語り継がれ、インスパイアされて進化してきた歴史には断絶がない。いま日本の若いミュージシャンが音楽を聴いてないのをもどかしく感じる。僕は50歳なんで、こういうことを書くと年寄りが若者に押し付ける構図になっちゃうんだよね。音楽をお薦めするにしてもそう。

一方で音楽を意識的に聴かない天才型がいる。楽器やレコードに興味がなくて、ルーツはあいみょんですみたいな若者があっと驚くいい曲を書いたりする。でもほんとにそれでいいんだろうか。というもじゃもじゃを、warnomoreさんって方がツイートにまとめてくれた。ちょっと長いけどまるごと引用する。

「日本でクラブミュージックが大衆化しなかったのは代わりにカラオケがあるからで、なぜHIPHOPがメジャーカルチャーの中心にこないかというと、その位置にお笑いがあるからだ。これは一種のガラパゴス現象でもある。どうして今の形に落ち着いたのかはわからない。しかしこれが可能になったのは、われわれが日本語空間の中で自足することが出来たからだろう。

クラブミュージックやHIPHOPのグローバルスタンダード化は、90年代以降の話で、その大きな原因のひとつにインターネットの爆発的普及がある。ご存じのとおり、日本のインターネッツは基本日本語の閉じられた空間で回っている。またバブルは崩壊していたとはいえ、90年代からの数10年はまだ日本経済にも余力があり、国内需要をメインにわれわれも生活することができた。

文化のガラパゴス化は、サブカル人種にとってはむず痒いものだが、一般的には幸福な時代であっただろう。外側を意識せず笑って過ごせるのだから。もちろんその影で、排外主義や差別、いわゆる『J』化といえる内向きな政治が進行し、にっちもさっちもいかなくなった現状もある。いまや日本経済が瀕死の状態なのは誰の目にも明らかで、少子化の将来的なヤバさは直視できないほどだ。

今後、日本語空間で自足していくことは不可能になるだろうし、カルチャーシーンもグローバルスタンダードの波に晒されることになるだろう。英語が出来ないと正しい情報さえ得られなくなるかもしれない。アニメのようにガラパゴス化の先にグローバルに花開く文化もあるだろうし、様々な形のキメラも生まれるだろうし、カルチャー好きとしては面白い時代になっていくんだろうなと思う。その前に生きていけるんだろうかってのはあるけど」。

そういうことが、言いたかったんです。

今年も半分が過ぎた。転院と初詣とジムで運勢がガラッと変わってウハウハになりますように。希死念慮と闘う辛い日々に寄り添ってくれたうちの猫、さいとうあるさん、稀ちゃん、葵乃まみさん、今川宇宙さん、なまはむこちゃん、杉原光玲さん、顔も知らないTwitterのミラちゃん、齋藤州一さんに心からの感謝を。