DIARY 2023年


1月1日 2023年 猫年 謹賀新年

明けました、おめでとうございました。たいへんだ、来年だ。

世界は綺麗事では動きません。実存主義でいう不条理そのものです。私の昨年は50年の人生で最も厳しい年でした。持病の鬱がどんどん悪化して、布団にうずくまって深い絶望と孤独と希死念慮と闘っていました。息を吸って吐く、それさえも辛い。いまは長期入院中です。退院の目処はたっていません。

鬱病は「脳という臓器」の疾病です。それと同時に甘えや気の持ちようといった誤解や侮蔑との闘いでもあります。思えばこの人生、誤解されて侮蔑されることの繰り返しでした。ちまたの闘病記には必ず「家族や仲間の支えがあって克服した」とあります。私にはそれがない、この宇宙で猫のチャイしか私を愛する生命体がいないのです。醜い世の中で居場所がない。

自信の欠片も持てず、生きる気力も湧いてこない。でも心の奥から助かりたいと、聴こえない声で叫んでいます。

皆さんにもそれぞれの人生と苦悩がおありだと思います。皆さんのこれからの日々が愛と音楽と共にありますように。

1月25日 閉鎖病棟から...その後

12月27日に更新した日記に、精神病院に長期入院するに至った経緯を書いた。実はあの頃は「年内に退院しますか?年明けを待つ?」という話が出るくらいには回復していた。だけどいまもまだ病院にいて、退院の目処がまったく立たない。まず去年の12月27日の日記を読んでください。

年末に退院の話が出て断ったのは、その時の状態で退院したら元の木阿弥になると思ったから。管理下での院内散歩が認められていて、それができる体力と気力が戻らないと、また壮絶な孤独の中で布団にうずくまって、不安感と絶望感と希死念慮と闘う日々に戻ってしまう。荒んだ部屋で孤独死する未来から脱するために入院したのだ。せめて部屋を出られるようにならなければ。

27日の日記に、ネットで知り合った稀さんという女性にとても支えられたこと、そしてネットでできた人脈をもとにリアルな人間関係を構築したいと書いた。今月の28日に稀さんのファンの集まりがあって、ネットで親しく話したファンの方々と会うのを楽しみに闘病に励んでいた。ところが年末に、なにか決定的なトラブルがあったわけでもないのに稀さんのネット配信から追い出される形になった。50年の人生で何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も体験してきたことだ。

僕は非常に若く両親を亡くし、また戸籍上の弟を始め親戚一同から絶縁され、かつての知人友人からも絶縁されてきた。その傾向は、病気への誤解と侮蔑でますます加速した。いま、この宇宙で猫のチャイしか僕を愛する生命体がいない。人当たりは穏やかなので、最初はいろんなコミュニティに暖かく迎え入れて貰える。でもだんだん日本的な「あいつ変じゃない?」が始まり、おおよそ誤解から日本的な「村八分」に終わって気がついたら独りに戻る。ほんの小さなすれ違いから、僕はこれまでにあまりにも多くのを失ってきた。

マザー・テレサは言った。「最も悲惨な貧困とは孤独であり、愛されていないと感じることです」。

そして、年明けに病棟内でコロナの集団感染が発生した。ただでさえ圧倒的な人員不足だったのにコロナ患者にまわり、ほかの病棟でもっと大規模な集団感染があってヘルプにまわった。精神科の治療は投薬の継続のみで、医療崩壊と言っていい。イレギュラーな状況でのルールが職員の間で共有されていなくて、理不尽な叱責を受けることも多々あった。ナースコールがまったく機能せず、ナースセンターも無人であることが増えた。院内散歩ももちろん禁止。数日で収束すると説明を受けてから24日、感染拡大は続いている。

なんで入院しているのかも集団感染の状況も理解できないおばあさんが、パニックになって「おうちに帰りたい」と泣き叫ぶ声が病棟中に響き渡ってる。看護師さんたちにもなすすべはない。食事の度に「お迎えは来るの?」「食べたら来ます!」という激しい応酬がある。食べてもお迎えは来ないのだ。長い人生を歩んだおばあさんの晩年が、果てしない不安と焦りと無力感に溢れていることに胸が痛む。

歳と共に誰もが子供に帰ってゆくと
人は云う けれどそれはたぶん嘘だ
思い通りにとべない心と動かぬ手足
抱きしめて燃え残る夢達

ふた月もの長い間に
彼女を訪れる人が誰もなかった それは事実
けれど人を憐れみや同情で
語れば それは嘘になる(さだまさし)

そしてこれはもちろんまったく他人事ではない。僕も24日間でどんどん衰弱して、退院の見込みがまったく立たない。

もうひとつ、27日の日記にも書いたネット課金のこと。とある8歳の女の子のお母さんが大きな病気を抱えていて、将来ウェディングドレス姿を見せてあげられない。ネット配信のオーデションに勝ってウェディングドレスのモデルとしてランウェイを歩いて、いまお母さんに見せてあげたいという子。ネット配信のオーデイションはファンの課金額がポイントになる。ミスコン常連の大人たちを相手にした非常に厳しい闘いだったけれど、入賞してランウェイを歩くことができた。

ここ数年で、多くの配信者さんに尋常でない額の課金をした。課金で喜んで貰えるのは、生まれてこなければよかった自分の、なけなしの存在価値を見い出す唯一の快感だった。浪費は双極性障害の症状のひとつでもある。僕は両親・祖父母を亡くして、普通に考えれば一生困らない額の遺産を相続した。しかし頑張れない病気を持つものとして、頑張ってる人たちに未来を託し、あちこちの慈善事業に寄付し、気づいたら預金額が非常に逼迫していた。いまは日々嵩んでいく自分の入院費、そして動物病院に預けている猫の入院費も危うい。

真面目な人が損をして、優しい人が心を病み、傷ついた側が責められるのが社会だ。もはや病気と戦っているのか、自分と闘っているのか、現実と闘っているのか、社会と闘っているのか、生きづらさと闘っているのかわからない。いまはまた病院のベッドにうずくまって、不安感と絶望感と希死念慮と闘っている。食事も食べられないことが増えた。僕に処方されている向精神薬は日本の法律の限界で、これ以上は覚醒剤しかない。苦痛の顔が染み付いてiPhoneの顔認証が機能しなくなった。

そして僕を愛してくれる宇宙で唯一の生命体、猫のチャイと2ヶ月も離れ離れであることが耐え難く辛い。ときどき「家族や友だちがいるとめんどうもあって、独りの君が羨ましいよ」なんてしたり顔で言われることがある。極めて控えめに「死ねバカ」と思う。ヒトは群れをなす生き物だ。まったくの独りでは生きられない。でもその社会の大縄跳びに入れない病気はやっぱり致命的だし、生きることを諦めてしまいそうになる。

大昔のヒット曲に「10000回だめでへとへとになっても10001回目は何か変わるかも知れない」ってフレーズがあった。これは売れたバンドだから言える勝者バイアスだ。10000回だめだったら10001回目もだめなんです。50年だめだった人生が突然バラ色に変わるとは思ってない。この呪われた人生、僕の居場所がない世界。生きる意味なんていいから、せめて生きる言い訳くらいは欲しい。年賀状にも書いた、「心の奥から助かりたいと、聴こえない声で叫んでいます」。

驚きと感謝を込めて。入院中にネットでできたとても若い友だち、こゆめとゆきねに。多くの人が精神の病気を誤解して根性論を突きつけてくる中で、「脳という臓器の疾病」であることを正しく理解して寄り添った言葉をくれる。僕が彼女たちくらいの年頃には果てしなく馬鹿だった。病気や多様性に対する教育の進化もあるだろう。でもそもそも2人が極めて聡明で自分の考えを持って、周りをよく見る優しい心の持ち主なんだと思う。

ある、ひらがなのことり。なによりいまは離れ離れのチャイに。ありがとう。I miss youです!

3月27日 さくらの日

また久しく更新を放置してた。もう1ヶ月以上前、2月21日に精神病院を退院した。いまとなってはそれまで2ヶ月半も入院していた日々が遠い昔の出来事みたいだ。

12月7日に入院して、去年末には退院が視野に入るくらいまで回復してた。でもようやく認められた院内散歩と入浴がなかなかできなかった。病室を出る気力と体力をつけなくちゃ元の木阿弥なんで、自分の意思で年をまたいだ。ところが1月2日に病棟内で新型コロナウイルス感染症の集団感染が発生した。ただでさえ人員不足の病棟が感染症の治療にかかりっきりになって、病室に隔離されて本来の治療ができない医療崩壊状態が1ヶ月続いた。
 2月から治療に戻ったものの、院内散歩と入浴ができるのは週に1回程度、あとは変わらずベッドにうずくまってた。主治医と、オンラインでカウンセラーさんと話して、このまま入院を続けても改善はみられないだろうという後ろ向きな理由で退院した。

イレギュラーだったのは、家族・親族・知人がいなくて保証人が立てられない中で、市の福祉担当者が大きなことを言ってお墨付きをくださったにも関わらず、入院中に多額の課金をしたのと入院期間が長引いて、オカネタリナイ事態に陥ったこと。
 緊急連絡先はどうしても必要なんで、曾祖母の兄の孫という他人のような遠戚の名前を書いた。退院報告のメールの返事にがっくりした。「お前は自暴自棄になってる」「働けるようになるまで退院するな」的な。つまり「お前に幸せになる権利はない」と。何年も会ってないのに決めつけんといて。これが一族の総意なんだろう。

2ヶ月半はあまりにも長かった。なにより辛かったのは、唯一の家族であり友達である猫のチャイをずっと動物病院に預けて、ケージの中で独りぼっちにさせてしまったこと。退院したその足で動物病院の診察時間内にギリギリで到着。帰ってきて甘えて甘えられて。あれから1ヶ月、ますますデレデレ愛し合ってる。
 悔やまれるのは、チケットを取ったのに行けなかったJacob Collier、CHVRCHES、SUPERORGANISM、Wet Legのライブ、数々の演劇や映画や展覧会やトークショーの類。人に縁がない人生で僕を支えてくれたのは芸術と動物だった。

ずっと留守にしてた部屋はキンキンに冷え切っていた。クリスマスカードと年賀状と督促状の山に目を通し、生きてる口座からお金を動かした。

入院してよかったのか悪かったのか。入院しなかったら去年のうちに孤独死してたので、死期をすこし伸ばしただけかもしれない。死ぬまでに、生きててよかった、生まれてきてよかったと思ってみたい。
 精神障害者は健常者より平均寿命が20歳以上短いそうだ。生涯独身者は既婚者より14歳短いそうだ。早生まれも短い。トラウマによる運動恐怖症で成人病をたくさん抱えてる。どう考えても先は長くはないし、むしろ今日までよく生きた。

退院後は、入院中に食生活の改善で13キロ落とした体重をキープしてる。自炊するとどうしても好きな味付けで好きな量だけ食べちゃうんで、ローカロリーの宅食サービスを頼んで食べてる。味は薄いし量も少ないけど、白いご飯があれば満足できちゃうもんだ。
 カネは生命保険を解約して作る。一般企業への障害者枠での再就職はもちろん、いわゆる福祉作業所で働けるほど体調がよくなるとも思えないんで、このカネで残りの人生を生きなくちゃいけない。後見弁護士に管理をお願いする。いままでみたいにライブ三昧飲み三昧とはいかない。

それでも松島さやさんの出演する演劇を観に行って、ななみちゃんとハルちゃんが1日店長を務めるポップアップカフェに行った。2人の素敵な女性と食事した。ずっと依存してたネット配信、受信するだけじゃなくて自分から発信してみたら驚くほどたくさんの方が来てくれた。嬉しかった。もの珍しさからのご祝儀的訪問としても。
 明後日3月30日に誕生日を迎える。29日の22時から2回目の配信をする、需要がなさそうなおじさんの誕生日カウントダウンだ。リンクはこちら。今度こそ過疎る。

Burt Bacharach、David Crosby、Jeff Beck、Wayne Shorter、David Jolicoeur、岡田徹さん、高橋幸宏さん、大江健三郎さん、信藤三雄さん、鮎川誠さんが亡くなった。岡田徹さんとも高橋幸宏さんとも長い間バンドメイトでソングライターチームだった鈴木慶一さんの心中を想う。The Beatniksのラストアルバムは最高傑作で、Moonridersのおそらくラストアルバムは圧倒的な前衛作だった。

驚きと感謝を込めて。ゆきね、こゆめ、はむちゃん、ななみん、稀、さやちゃん、ハルちゃん、ある、宇宙、なによりやっと再会したチャイに。ありがとう。I miss youです!