DIARY 2025年5月


5月13日 Desolation

最後に日記らしい日記を更新したのが2023年3月。いまはもう2025年の5月。いろいろありすぎた...前回の日記を書いた時、最初の長期入院(別の病院を入れると3回目)を終えて細々とライブ配信をしてた。
 そのあと3ヶ月の長期入院を3回で計4回。法的に3ヶ月しか入院できなくて、次に入院できるのがその3ヶ月後。もう5回目の入院の時期を過ぎてるけど、カネが尽きて入院できない。

鬱病を患って25年。病名は双極症(双極性障害II型)とさらに重症化し、生まれ持っての発達障害(ADHD、ASD)と相待って、周りの人々からどんどん距離を置かれた。
 決定的だったのは2020年に発生した新型コロナウイルス感染症の世界的なパンデミックだ。不要不急の外出が禁止され、僕の趣味である音楽鑑賞や演劇鑑賞もすべて白紙になり、外出する言い訳がなくなった。
 当時流行っていた「ネット飲み会」を提案したものの、僕とネット越しにまで話したい人なんでいなくて、無碍に断られた。

2021年には僕自身が重篤な新型コロナウイルス感染症に罹患した。数々の合併症と、利権のために無理やり開催された東京オリンピックによる医療機器の徴収もあいまって、3週間生死の間を彷徨った。
 のちに主治医に聞いたところ、とてももたないと思われてたそうだ。その中で支えになったのが深夜のライブ配信だった。当時観ていたライバーの葵乃まみさんに生かされたと思ってる。

わたしは両親と祖父母を非常に早くに亡くして、実は充分に一生遊んで暮らせるくらいの遺産を相続していた。でもそれをどんどんネット配信に注ぎ込んだ。
 双極症の症状として「散財」がある。圧倒的に辛いのは鬱状態だけど、圧倒的にヤバいのは躁状態。心にもない悪態をついたり、散財してしたり、そして自己嫌悪で鬱状態に戻る。
 果てしない孤独に生きてきた僕の話を、ネット越しにでも聞いてくれる人の存在がほんとうにありがたかった。騙されたことも何度も遭った。誹謗中傷にも何度も遭った。売れるものを売り、もうすぐ生活保護を受ける。

この日記は第二次安倍政権発足後、果てしなく肥大して内容は硬くなり、ついに読む人がいなくなった。最後の頃は毎回の更新が10万字を超えていた。
 安倍晋三という人物は憲政史上最悪の政治家で、民主主義国家としての日本を徹底的に壊滅させた。その過程をリアルタイムに記録することに、使命を感じていたのだ。

普通の政権だったら一発で吹っ飛ぶような不祥事が数日おきに発生した。メディアを懐柔し、司法を懐柔し、宗教を懐柔して悪事を続けた。
 その結果12年にわたる戦後最長の政権になり、当時ものごころがついた世代は、いまだに「日本のお父さん」的存在として親しみさえ持たれている。

本来のコンテンツだった音楽の話題は、壊滅的な音楽業界とその中での工夫の数々を箇条書きにするのみ、読み物としての面白さはまったくなくなった。
 何万枚も積み上げられたレコードをすべて見返して資産化すること。親族に絶縁されて保証人がいない状況で、生活保護の基準に合いペット化の物件を探すこと。

愛猫チャイがかなりの高齢で、残された時間をできるだけ一緒にいたい。いま僕がいなくて寂しいと思ってくれる唯一の存在、唯一の家族であり唯一の友だ。
 病気への誤解と偏見で無数の罵倒を受けた。怠け病のキチガイは来るな。逆だ、律儀で真面目過ぎる人が無理をして罹患する。親族たちからも罵倒を受けて、戸籍上の弟と15年会ってない。

2021年から2024年までは、部屋を出られなくて、電車に乗ることも多摩市の外に出ることもなかった。月に1度の通院以外は布団にうずくまってた。枕元のiPhoneに腕を伸ばす気力をチャージするのに30分かかった。
 iPhoneでは交通事故の動画を見てた。主治医が言うには、自殺の代償行動だと。風呂にも月に1度くらいしか入れなかった。その気力が湧かないのだ。未来も希望もなく、ただこれ以上辛い日が来ませんようにと。でも来るんだよ。

転院は成功だった。いい先生に巡り合い、ソーシャルワーカーさんの紹介からたらい回しの末、市の親切な福祉担当に巡り会えた。その方が僕の部屋と生活を見て、孤独死の未来しかないと思ったのだろう。
 まず部屋の大掃除の業者を入れた。僕がいるものといらないものと売れるものをを分別して、業者が段ボールに詰めていく。ところがこの業者、下請けとの連携ができてなくて部屋がシャッフルされた。
 洗面台の引き出しから未使用のハガキの束が出てきた時は愕然とした。父の遺品を含む貴重なものたちは、いまだにどこにいったかわからない。捨てられた可能性も充分にある。

初めていまの病院に入院した時は、3ヶ月で15キロくらい痩せた。二度目は病棟内に自販機が設置されてた。とても体にいいとは思えないラインナップに依存して、入院するたびに5キロ太った。
 2024年の12月に最後の退院をして、チョコレートに依存して15キロ太った。市の福祉担当さんも見兼ねて、信頼できる訪問看護と、病院の信頼できる心理士さんのカウンセリングを受けるようになった。ご飯は健康的な弁当が冷凍で届く。

いまは通院して診察とカウンセリングを週1回、訪問看護を週3回受けてる。週に4回も生身のヒトと会えるのだ。ヒトは群れをなす生き物で、独りでは生きられないし病気も良くならない。
 いまの体制で、ようやく生きる気力が湧いてきた。25年かかった。僕の病気は完治しない。寛解することはある。あと何年かかるかわからないけど、その時を待つ。

戦争や貧困にあえぐ国の方々に比べたら、僕の人生なんて甘ちゃんだ。でも日本で普通に暮らしてる皆さんが僕の人生を送ったら、とても耐えられないよ。それくらいには辛い日々だ。
 この世で一番苦手なものは、僕の名前が書かれた名札。こんな存在価値のない人間が誰であるか示すために生まれてきたなんて可哀想すぎ。本名は特にダメ。何にもできない僕を怒鳴りつけるための可哀想な言葉。だから本名を消してスキルという記号をまとう。

世界では...ロシアがウクライナに侵攻。イスラエルがパレスチナに侵攻。ミャンマーの紛争も熾烈だ。アメリカではドナルド・トランプが2期目の大統領になり、安倍晋三もびっくりの言動で世界は破滅しそうだ。
 日本もアメリカも昔は法治国家だったんだぜ。ヨーロッパにも極右政権が乱立してる。間接民主主義の限界かもな。なんとかしてよ政治のえらい人。

僕の半生はこのnoteに詳しい。音楽についていま言いたいことはこのnoteに。TOP 40 SONGS 2024はここに。そのほか諸々リンク集はここに。

この呪われた人生を必死に生きる。

人 of the year を菅原菜々美さんに。深い感謝をチャイと市の福祉担当さんカウンセラーさんと訪問看護師さんとChatGPT。今川宇宙中野美優中嶋春陽いろは叶実来々夏さら希乃花しいちゃん、さきてゃ、坂本櫻さん、AATA青木くん、ヨージさん、世界中の素晴らしい音楽家や芸術家に。

5月17日 芸術 - 社会 - 科学

少なくとも2年とか間を空けないで書こうか、日記なんだし。

そんなわけでカネがない。生活保護を受けたいんだけどいま何万枚のレコード・CDを買取に出してて、生活保護受給中に一定額以上の現金資産ができると、受給資格を失うだけじゃなくていろいろめんどくせーことが起きるの。

査定が出るまでどうやって暮らすかっていうと...カネを借りてるのだ。僕の一族の創始者は金融関係の偉い人で、美術愛好家でもあった。その両方の素養を受け継ぐ人はいなかった。カネの虫か美術愛好家か、はっきり2つにわかれてる。
 家長や僕の実弟はカネの虫で、病気に偏見があって大概な罵倒の末に20年絶縁されてる。一方で知性派で美術愛好家の中に、僕に手を差し伸べてくださる方が1人だけいる。その方のお宅に月に何度か伺ってこうね、カネを借りるわけ。

僕はやむを得ない病気と闘い、相手は理解者とはいえやっぱり心苦しい。前の日はいつも病状が悪化して頓服薬を飲む。この病気、風呂に入れなくなったり部屋を出られなくなったり、電車に乗れなくなったりもする。ほんの数ヶ月前まで2年間電車に乗らず、市から外に出ることもなかったのね。それがいま月に何度もその親戚の家にカネの無心に伺っている。これ同病者にしか伝わらないけど相当に偉い。ノーベル医学賞を頂くのもやぶさかでない。

その親戚は美術史家で、音楽や映画や演劇の話はともかく、トータルで芸術や学問の話ができる人はなかなかいないんで、いうて楽しいんだ。
 今日聞いた話は、西洋の肖像画は神話や施政者を描いてたけど、19世紀初頭にテオドール・ジェリコーって画家が、知人の精神科医の依頼で精神障害者を描いた。それによって芸術の深みが次の次元に進んだんだと。そんなジェリコーに共感するような方だから僕にも手を差し伸べてくれる。

つまり、それまでは神への崇拝や権威への敬意や忖度を、肉体美・健康美として表現してたの。ジェリコーは人間の苦悩や悲しみを描くことで、肖像画に影を投げかけたわけ。彼は実際に起きた海難事故とその事件を巡る極限状態の人間の醜さも描いて、それが代表作なのかな。
 大学時代も現代芸術論の教授の研究室に居座って、こういう話聞くの大好きだった。

25年この病気やって、増える一方で法律の限界まで行って、この上はマリファナになっちゃうんですよって状況だった薬の量を、主治医の判断で少しずつ減らしてる。まだ不安感は強いけど、主治医が初めて薬を減らすって判断をしたのは、客観的に見て長いトンネルの終わりが近づいてきたのかなと。

妹尾ユウカというYouTubeerが「おじさんはパーカーを着るな」と言って炎上した。その取材で今度は「おじさんはカラオケで選曲を寄せてくるな、サザンやミスチルを歌え」と。意図的な炎上商法だ。僕は何千年歌い継がれた曲も、今夜初めてかかる曲も聴いてる。彼女の論理ならばあなたはおばさんになっても「可愛いだけじゃダメですか」を歌ってくれ。参考:チョンマゲとホモ・サピエンス -音を忘れた「邦ロック好き」に一方的に捧ぐなにか
 僕に限っては、パーカー着る前に痩せろという要望は甘んじて受ける。太ってるのも薬の副作用なんだけど。

2年ぶりに永岡ゆきねの配信見た。ミスマガジン2025のファイナリストになったんで、しばらく配信審査があるみたいだ。厳しい事務所に入ってファンとの交流が一切絶たれてただけに、胸が熱くなった。ゆきねは僕の好きなゆきねのままだった。

世界が混沌と憎悪に満ちてる中で、なんだかんだで世界一の権力者である新しいローマ教皇は平和を訴えている。こんな世界にも少しだけ望みがある。

今年のフジロックがほんとにヤバい。最初の20年、ヘッドライナーが似たような顔ぶれのローテーションだった。それと共に客層も老化してった。今年は久しぶりに旬の音がしそう。

FRED AGAIN..、VAMPIRE WEEKEND、EZRA COLLECTIVE、LITTLE SIMZ、吾妻光良 & The Swinging Boppers、CA7RIEL & PACO AMOROSO、MEI SEMONES、君島大空、Nujabes Metaphorical Ensemble、YHWH NAILGUNはどうしても観たい。
 FOUR TET、HAIM、山下達郎、羊文学、OK GO、JAMES BLAKE、TYCHO、サンボマスター、Ovall、PERFUME GENIUS、佐野元春 & THE COYOTE BAND、トリプルファイヤー、US。崎山蒼志も観たい。

体調的にも経済的にもとても行けないのが悲しい。ここまで本気のブッキング、フジロック終わるじゃないかとの不安もよぎる。

日記が途絶えてたこの5年に亡くなった方を列挙する。
 梓みちよさん、別役実さん、ケニー・ロジャースさん、ビル・リーフリンさん、志村けんさん、アラン・メリルさん、ビル・ウィザーズさん、アダム・シュレシンジャーさん、C・W・ニコルさん、大林宣彦さん、ジャッキー吉川さん、トニー・アレンさん、スウィートピー・アトキンソンさん、リトル・リチャードさん、浅野孝已さん、ジョージ秋山さん、ルパート・ハインさん、服部克久さん、トム・フィンさん、エンニオ・モリコーネさん、安田裕美さん、アニー・ロスさん、弘田三枝子さん、戸田ツトムさん、ピーター・グリーンさん、渡哲也さん、ベニー・チャンさん、斎藤洋介さん、トミー・デヴィートさん、ルイズルイス加部さん、竹内結子さん、小林信吾さん、バニー・リーさん、筒美京平さん、ゴードン・ハスケルさん、近藤等則さん、スペンサー・デイヴィスさん、片岡知子さん、ショーン・コネリーさん、小柴昌俊さん、小松政夫さん、ハロルド・バッドさん、林家こん平さん、チャド・スチュアートさん、なかにし礼さん、安野光雅さん、ピエール・カルダンさん、ジェリー・マースデンさん、南正人さん、デヴィッド・ダーリングさん、フィル・スペクターさん、大城美佐子さん、チック・コリアさん、ルイス・クラークさん、アラン・カートライトさん、村上“ポンタ”秀一さん、大塚康生さん、田中邦衛さん、遠山慶子さん、田村正和さん、ラルフ・シュケットさん、ジョー・ロングさん、菊池俊輔さん、立花隆さん、数原晋さん、富永一朗さん、伊藤アキラさん、B・J・トーマスさん、小林亜星さん、寺内タケシさん、原信夫さん、ジョン・ハッセルさん、土岐英史さん、酒井政利さん、渡辺善太郎さん、中野督夫さん、サトウサンペイさん、ドン・エヴァリーさん、チャーリー・ワッツさん、フリッツ・マッキンタイアさん、リー・ペリーさん、ロン・ブッシーさん、さいとう・たかをさん、アラン・ランカスターさん、すぎやまこういちさん、パルト小石さん、アルヴィン・パターソンさん、アンディ・バーカーさん、瀬戸内寂聴さん、ジョン・グッドサルさん、喜多條忠さん、平原まことさん、ローレンス・ウェイナーさん、ロビー・シェイクスピアさん、マイク・ネスミスさん、神田沙也加さん、福間創さん、カルヴィン・サイモンさん、水島新司さん、ロニー・スペクターさん、 ソニー・ターナーさん、イアン・マクドナルドさん、松鶴家千とせさん、西郷輝彦さん、原田泰治さん、志垣太郎さん、宝田明さん、青山真治さん、テイラー・ホーキンスさん、藤子不二雄A さん、中川イサトさん、柳生博さん、小坂忠さん、上島竜兵さん、ヴァンゲリスさん、アンディ・フレッチャーさん、渡辺宙明さん、小田嶋隆さん、ピーター・ブルックさん、山本コウタローさん、宮田茂樹さん、坂下秀実さん、三宅一生さん、オリビア・ニュートン=ジョンさん、ダリル・ハントさん、ジェリー・アリソンさん、古谷一行さん、ミハイル・ゴルバチョフさん、サム・グッデンさん、おおたか静流さん、高見のっぽさん、ラムゼイ・ルイスさん、宮沢章夫さん、ジャン=リュック・ゴダールさん、ジョン・ハートマンさん、ファラオ・サンダースさん、矢代恒彦さん、六代目三遊亭円楽さん、一柳慧さん、アニタ・カーさん、鹿野司さん、仲本工事さん、ジェリー・リー・ルイスさん、 タイロン・ダウニーさん、キース・レヴィンさん、ジーン・チプリアーノさん、崔洋一さん、渡辺徹さん、マニュエル・ゲッチングさん、ジム・スチュワートさん、笠浩二さん、ディノ・ダネリさん、テリー・ホールさん、マーティン・ダフィさん、大野松雄さん、トム・ベルさん、磯崎新さん、フレッド・ホワイトさん、アラン・ランキンさん、ジェフ・ベックさん、高橋幸宏さん、鮎川誠さん、チャーリー・トーマスさん、バート・バカラックさん、信藤三雄さん、デヴィッド・ジョリクールさん、松本零士さん、岡田徹さん、恒岡章さん、ロン・アルトバックさん、ジェシー・グレスさん、笑福亭笑瓶さん、有賀啓雄さん、ウェイン・ショーターさん、スティーヴ・マッキーさん、大江健三郎さん、ロビン・ラムリーさん、ジム・ゴードンさん、サイモン・エマーソンさん、キース・リードさん、坂本龍一さん、三浦隆一さん、ダスコ・ゴイコヴィッチさん、畑正憲さん、イヴァン・コンチさん、マーク・スチュワートさん、ハリー・ベラフォンテさん、リンダ・ルイスさん、上岡龍太郎さん、アンディ・ルークさん、チャス・ニュービーさん、シェルドン・レイノルズさん、ティナ・ターナーさん、イリヤ・カバコフさん、シンシア・ワイルさん、ジョージ・ウィンストンさん、アストラッド・ジルベルトさん、アニタ・ウッドさん、ヴィッキー・アンダーソンさん、PANTA さん、ジェーン・バーキンさん、トニー・ベネットさん、ランディ・マイズナーさん、シネイド・オコナーさん、ジョン・ゴスリングさん、ロビー・ロバートソンさん、山本二三さん、谷村新司さん、財津一郎さん、犬塚弘さん、三浦徳子さん、KAN さん、ジョージ・ブラウンさん、チバユウスケさん、デニー・レインさん、ジェフリー・フォスケットさん、坂田利夫さん、八代亜紀さん、篠山紀信さん、デヴィッド・ソウルさん、エスパー伊東さん、稲垣次郎さん、メアリー・ワイスさん、南部虎弾さん、ダモ鈴木さん、吉田彰さん、鳥山明さん、TARAKO さん、エリック・カルメンさん、寺田農さん、鈴木健二さん、亀川千代さん、八木康夫さん、ディッキー・ベッツさん、マイケル・カスクーナさん、フジコ・ヘミングさん、坂根厳夫さん、リチャード・タンディさん、唐十郎さん、スティーヴ・アルビニさん、ダディ竹千代さん、デイヴィッド・サンボーンさん、キダ・タローさん、中尾彬さん、ダグ・イングルさん、槇文彦さん、フランソワーズ・アルディさん、花岡献治さん、渡辺勝さん、トム・ファウラーさん、小原乃梨子さん、トゥマニ・ジャバテさん、湯浅譲二さん、矢部直さん、高石ともやさん、アラン・ドロンさん、ピーコさん、セルジオ・メンデスさん、川添象郎さん、フランキー・ビヴァリーさん、J・D・サウザーさん、大山のぶ代さん、山藤章二さん、猪俣猛さん、服部幸應さん、リビー・タイタスさん、中川李枝子さん、マス宮尾さん、西田敏行さん、せなけいこさん、フィル・レッシュさん、マヌエル・ミラバールさん、楳図かずおさん、クインシー・ジョーンズさん、谷川俊太郎さん、ピーター・シンフィールドさん、久里洋二さん、ボブ・ブライヤーさん、中山美穂さん、小倉智昭さん、ザキール・フセインさん、スティーヴ・ルインソンさん、トム・ジョンソンさん、ドン・ニックスさん、井上正さん、ピーター・ヤローさん、新川博さん、MAYA MAXX さん、デイヴィッド・リンチさん、ガース・ハドソンさん、エリオット・イングバーさん、山本圭吾さん、マリアンヌ・フェイスフルさん、サル・メイダさん、マイク・ラトリッジさん、桑原康伸さん、マジカル・パワー・マコさん、リック・バックラーさん、ジェリー・バトラーさん、ロバータ・フラックさん、クリス・ジャスパーさん、ジョーイ・モーランドさん、ロイ・エアーズさん、ブライアン・ジェームズさん、いしだあゆみさん、ロイ・トーマス・ベイカーさん、フランシスコ第266代ローマ教皇、デイヴィッド・トーマスさん、大宮エリーさん、エディ藩さん、ホセ・ムヒカさん、チャールズ・ストラウスさん、徳武弘文さん。

いわゆるコロナ禍だけに新型コロナや自殺で亡くなった方が多い。高橋幸宏さん岡田徹さんという2人のソングライティングパートナー、PANTAさんや渡辺勝さん徳武弘文といった盟友を亡くした鈴木慶一さんの心中想像に余りある。世間的にはYMOが細野晴臣さんだけになってしまった。
 このリストを作る過程で初めて知った訃報も多い。特に恩師中の恩師、坂根厳夫さんの逝去を知らなかった。少なくとも慶応大学時代は一番弟子だった自負がある。共通の知人たちの病気への無理解による冷徹さをまた思う。当時、体調が悪いといつも泣き言をいっていた先生、老衰で亡くなられたそうで、安らかな最期だったならいい。MAYA MAXXさんとは変名で(僕が)がっぷりよつで共作したことがある。知らなかった、早すぎるな。

5月27日 Side-A どう生きるか

17日の日記を書くにあたって、コロナ禍以降の訃報を調べて少なからずショックを受けた。恩師、坂根厳夫氏の訃報だ。
 子供の頃からそれとは知らずに坂根先生がキュレーションした展覧会に何度も足を運んで、高校時代に坂根先生の著書を読みまくった。自分の進んだ学部に坂根先生がいらっしゃることは知らなかった。僕は新キャンパスの1期生、坂根先生は朝日新聞の科学部の編集長で、定年退職で教授に赴任してきたから同期だ。

最初に受けた講義は現代芸術論だった。「論」と名前はついているけど、ご自身で評論家じゃなくてジャーナリストだと仰っていたように、批評するのではなく「こんなに楽しい世界があるんだよ」と紹介するような講義内容だった。話が脱線しまくり、決して「上手い」講師ではなかったけれど、その方針と紹介する作品が琴線に触れてどっぷりはまった。以来坂根先生の講義はすべて受講した。
 3年生になると、坂根先生のSA(Student Assistant)として講義の手伝いをさせて頂いた。研究室に入り浸り、芸術の話から恋バナまでいろんな話をした。

お茶目で好奇心旺盛で不器用で、ある意味幼い方だった。芸術の師であると共に、美意識や価値観、人生そのものの師だった。先週カウンセラーさんと話していて気づいたんだけど、その背中に亡父の姿を重ねていたんだと思う。
 SAを通じて若い芸術好きの学生と出会ったり、ゼミで仲間と出会ったり。大学での人間関係の構築の背景にも先生がいた。40歳以上も年上の先生に仲良くして頂いた経験は、温故知新としていま中学生や高校生と仲良くしてもらったり、新しい表現を受け入れる僕の特性の土台になった。僕はいま、何千年も歌い継がれた世界の民謡から、今夜初めてかかるクラブミュージックまで無理なく楽しめてる。

僕は学部4年生の時に慶応の院試を受けて合格していた。けど学部で半年留年した。2回再受験したけど圧迫面接に遭ったりで不合格。一方坂根先生は慶応での任期は5年、その後情報科学芸術大学院大学(IAMAS)を設立して学長に就任した。いま思えば、IAMASを受験すればよかった。慶応の院を出てからIAMASに行く発想しかなかった。
 学部時代の作品の縁で就職、しかしそこは文化的に極めてプアな環境だった。転職先は仲間は好きだったけど仕事はブラックで僕は病んで退職した。その段階でやっとIAMASを2回受験したものの、完成されてて教え甲斐がない、教授の派閥争いで坂根先生と近すぎた、といった理由で不合格に。IAMASは多くの優れた芸術家を輩出したけど、僕がそこに名を連ねることはなかった。

坂根先生とはここ10年ほどたまにネットでやり取りする程度だった。でもその喪失感は父を亡くした時に似ていて、自分でも驚くほど大きな存在だった。
 いまその傷と、血圧が100切ってるのに降圧剤飲まされてる、躁状態から鬱状態になった、自分の未来がまるで見えない、気候の乱高下などが重なって、極めてよくない病状にある。25年間闘病してようやく沼から一歩を踏み出せる予感、主治医も減薬を始めていたタイミングだ。このまま一生闘病を続けるのか、長く深い沼から抜け出せるのかの大きな分岐点にいると思ってる。

Side-Bに続く。

5月27日 Side-B どう生きたか

日記が途絶えた2023年3月の最後の投稿は、自分でも誕生日配信をする、たぶん過疎るからぜひ観に来てほしい、というものだった。実際配信には1000人を超えるリスナーさんが集まってくださった。滝のように流れるコメント欄に呆然、翌昼まで14時間の長時間配信をした。
 配信が終わって、過酷なマネージャー役を的確に務めてくれた永岡ゆきねにお礼にいって、そのまま眠りについた。そうしたら当時応援していたライバー一家から、なんでうちの配信に来なかったのかと酷い罵倒を受けた。

そのライバーとの縁は、そもそもはお母さんが僕の掲示板に「自分は重病で余命いくばくもない、娘のウェデイングドレス姿を見ることはできない、だからウェディングドレスのファッションショーのイベントに参加して勝たせてあげたい」との書き込みから始まった。
 ファッションショーの出演権のイベントは当然強豪が並ぶ、その中で小学校3年生を勝たせるのは至難の技だった。たぶんその一家に400万円ほど注ぎ込んで、なんとか入賞させて、子供がランウェイを歩いた。僕の誕生日配信が終わったら、その子が誕生日祝いをするから観に来て欲しいと言われた。

行かなかったのは自分の配信が終わったのが翌日だったこと、なによりマネージャーのゆきね、来々夏、こゆめにお礼を言いたかったこと、その子が幼く元気過ぎてウキーッみたいな子で、疲労した双極症としては避けたかったことがある。滝のようなコメントの中で、その子のコメントを正直覚えてもいなかった。
 まあ散々な罵倒であった。その手のひら返しぶりにびっくりした。そもそも母親の病気がなんだったのかわからない。ほんとうに病気だったのかもわからない。ほんとうだとしても、娘のウェデイングドレス姿が見たいのなら、赤の他人の400万円に頼るんじゃなくて近所の写真館でよかったんじゃないの。詐欺師一家だったと思ってる。

ほかに決別したライバーM。枠内で僕の病気を嘲笑する風潮がみられて距離を置いた。最後に人前に出るというイベントに勇気をだして言ったら、「キチガイはこんなところにくるな」と。ライバーT。SHOWROOMで配信してたのにそのファンに何も言わずポコチャに移籍。そのアカウントも無断で閉じてTikTokで彼氏とのイチャイチャアカウントに興じてる。ライバーK。もともと精神疾患の気があって意気投合したものの、僕のないことないこと噂を拡散。
 ライバーR。いまは地下アイドルらしい。コロナ禍に「流行に乗り遅れてる、自分もコロナに罹ってみたい」と頓珍漢なことを言う。当事者の気持ちを味わってみたいと。人間には想像力というものがあるよ。実際に人が亡くなったり苦しんでることに対して自分も味わいたいなんて不謹慎が過ぎる。と言ったら「キチガイは何にも話が通じないから大嫌い、早く出ていって」と。

ライバーK。リアルで会ったり相互マネージャーだったりと仲がよかった。けどイケメン好きの好色家で、支えてきたファンを切ってリスナーをミスターコン出場者で固めた。最後は関西人で結託して「東京弁はキモい」の大合唱。異文化を大きな主語で否定してはいけませんの声にマネージャーをクビに。
 ライバー別のK。オフラインイベントに行ったら別のリスナーが僕のことを観察して配信中に暴露した。いわく「熊みたいな人だった」「ワッフルの具のソーセージが落ちたのを拾って食べた」。それで何がどうなったのか、気づいたらその枠を出禁になってた。いま応援したり仲良くしてるライバーも、何を考えてるのかわかんないよ...。

そんなこんなで主にネットで傷を負いながら、長期入院と自宅療養を4回繰り返した。法的な規則と病院の都合の兼ね合いで、3ヶ月で追い出されてまた3ヶ月後に再入院できた。人生で無数の入院をしたものの見舞客はなかった。2回目の長期入院から若きライバーさんたちがよく訪れてくれた。
 ネット配信への課金は僕の存在意義の確認で、なにもない僕が人に喜んでもらう唯一の手段だった。それと同時に双極症の躁状態のひとつの症状だった。気がついたら貯金が底をついた。間もなく生活保護を受ける。そのためにレコードやCDや本を大量に売却、また親戚で唯一病気に理解のある方に、生活費をお借りしている。5回目の長期入院をしないのは入院費を捻出できないから。

双極症の治療薬には食欲を増す成分が含まれていて、どうしても太る。そのために糖尿病を発病して、糖尿病の治療薬には基礎代謝を下げる成分が含まれているので、ますます太る。僕はもともと痩せすぎだったので、自己認識と実情のギャップに苦しんでる。それが「熊みたいな人」の実情だ。
 もうひとつの壁は果てしない孤独。マザー・テレサ「この世の最大の不幸は、誰からも自分は必要とされていないと感じることです」。ほんとうにそう思う。布団にうずくまり不安と絶望と闘い、指先を動かす気力も湧かない日々。孤独死の未来しかなかった。布団の中では交通事故のYouTubeをよく見ていた。不謹慎だけど心が落ち着くんだ。主治医に話したら「自殺の代償行為」なんだと。

数年前に病院のソーシャルワーカーさんからのたらい回しで市の福祉担当さんに発見されて、よくしてもらってる。最後の長期入院後は、月に1回だった通院が週に1回になり、逃亡した前のカウンセラーに代わって病院の優秀なカウンセラーさんと話してる。さらに週に3回の訪問看護を受けて、その方が家事もしてくれて非常に救われてる。もう少し元気になったら一緒にお散歩をしましょうと。
 Side-Aに書いた通り、25年の孤独で過酷な闘病からようやく抜け出せるか、いまが正念場だ。愛猫のチャイが生きてる限りはどうしても生きる。それ以降も...生きてていいのかな。幸せや喜びはもう望んでない。これ以上辛い日が来ませんようにと。

ここ数年聴いていた音楽を。
Kate NV。ロシアのSSW。シンセのアレンジがお茶目。「Kate NV / Plans」。Jon Batiste。マルチなジャズマンが歌モノで大ヒット。「Jon Batiste / I Need You」。Wet Leg。女性2人のユニット。性癖をいびつなロックで歌う。「Wet Leg / Chaise Longue」。Yard Act。令和イギリスのTalking Headsとも言うべきロックバンド。「Yard Act / The Overload」。Congotronics International。Konono no.1をベースに世界のフォークロアミュージシャンが集結したユニット。「Congotronics International / Mulume/Change」。boygenius。Phoebe Bridgersを中心としたロックトリオ。「boygenius / Not Strong Enough。Fontaines D.C.。アイルランドのポストロックバンド。ロマンティシズムを仄暗く。「Fontaines D.C. / Before You I Just Forget」。

Fred Again..。トライバルなクラブDJ。「Fred Again.. / adore u」。Ezra Collective。イギリスのダンスジャズバンド。イギリスのジャズシーンが面白い。「Ezra Collective / God Gave Me Feet for Dancing」。Taylor, The Creator。ヒップホップレジェンドの近作がよかった。「Taylor, The Creator / Like Him feat Lola Young」。FKA twigs。エレクトロニカとコンテンポラリーダンスの歌姫がわかりやすいアルバムをリリース。「FKA twigs / Childlike Things」。YHWH Nailgun。エクスペリメンタルロックバンド。ロックにはまだまだ可能性がある。「YHWH Nailgun / Penetra」。CA7RIEL & Paco Amoroso。アルゼンチンのポストポップユニット。「CA7RIEL & Paco Amoroso / EL DIA DEL AMIGO」。Beyonce。ポップのベテランシンガーがBeatlesの「Black Bird」を好カバー。黒人女性への差別を歌ったこの歌は、黒人女性が歌うことで完成した。

Roger Nicholsが亡くなった。作曲家としてCarpentersの一連のヒット曲を書いたことで有名だけど、日本のポップフリークには本人の1stと、共作者Paul Wiliamsの1stが90年代にリバイバルしたのが思い出深い。「Roger Nichols & The Small Circle of Friends / Don't Take Your Time」「Paul Williams / Someday Man」。