DIARY
2025年1月
1月1日 2025 猫年 いつもとおなじ朝なのに
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生きねば(ででん)
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ある星に、知性を使いあぐねて傷つけ合い騙し合い殺し合う醜い生き物がいる。その生き物が星の公転のどこかに1月1日と名付けた。その地点を通過するの?通過するの?通過した!それだけの朝です。
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明けました、おめでとうございました。何がめでたいのか、ふと時計を見たらゾロ目だったくらいのめでたさでおはようございます。
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その中に、誰にも愛されず理解されず、罵倒され反知性で叩きのめされてきた1匹がいる。その1匹が危篤だったことも、経済的に困窮してることも抱える果てしない孤独の苦しみもあなたは知らない。その1匹は、公転の半分を病院で過ごして、もうすぐ生活保護を受けます。
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あなたは死ぬまでその1匹の気持ちがわからなくていい。その1匹は死ぬまであなたのカミサマを信じない。
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不器用に誠実に生きる者が音楽と猫の祝福を受けますように。とっぴんぱらりのぷぅ。
1月11日 正月みたいな空の正月に、半生の種明かしとおねだり
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精神の疾病を負って、限りない誤解と差別と侮蔑を受けてきました。中には死刑宣告とも言える残酷な言葉もありました。精神の疾病は「脳という臓器」の病で、「心臓という臓器」の病や「肝臓という臓器」の病と変わりはありません。
ただその症状がやっかいであり、特に躁状態の時に理屈に合わない言葉を吐いてしまうことがあります。それは脳が言葉や感情をも司る臓器だからです。
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面倒なのはごく軽い鬱状態を経験した方で、自分は克服したのにおまえは25年も甘えている、というものです。どんな病気や怪我にも程度があります。膝を擦りむいた人が脚を切断した人を断罪するようなものです。
鬱の人は大嫌い、何にも話が通じないという反知性主義者もいました。鬱なんて甘え、戦争時代に鬱なんてなかったと非科学的なことを言う人もいました。戦争時代にも鬱はあり、いまより酷い差別と侮蔑を受けていました。たとえなかったとしても、例えば戦後に現れたエイズやcovid-19に罹患した人は甘えでしょうか。
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こういった人々が、おそらくもう誰も私を覚えていない我が一族や、慶應義塾出身者、医療関係者、音楽関係者に多いのも噴飯ものです。遠山元一氏は、福沢諭吉氏は、フローレンス・ナイチンゲール氏は、音楽の神ムーサは、草葉の陰で泣いているでしょうか、嘲笑っているでしょうか。
Madonnaというシンガーがいますね。彼女は40年も世界のエンターテイメントの頂点に立ち、莫大な資産を慈善事業に寄付して賞賛されています。しかし彼女の兄はホームレスとして生き、死んでいきました。家族なんてそんなものだと思っています。
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私の発病の原因は、持って生まれた体質、家庭環境、生育環境などに加えて、大きく3つあります。
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私は曲がりなりにも当時の通産省推薦の、日本を代表するメディアアーティストの卵でした。当時メディアアート作品を作るには、大学の機材が必要でした。SFCの院試には合格したものの学部で留年してしまいました。これは100%わたしの不徳の致すところです。
翌年再受験したら、自分のゼミ生以外を全員不合格にする、ある意味圧迫面接的な面接官に当たってしまいました。
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その後、別の美大を受験したのですが、通産省の件で私はすでに有名だったため、教授陣の派閥争いに巻き込まれで二度不合格、特に二度目は「完成されすぎていて育てがいがない」という意見も多かったそうです。
その頃通産省のご縁で、富士通に拾って頂きました。しかし富士通のコンテンツ部門は素人の集まりで、制作技術も文化的教養もまったくなく、会社の知名度と営業力で貰ってきた仕事を下請けに出して中抜きをするだけでした。
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富士通は3年で辞め、小さなソフトハウスに転職しました。そのタイミングで、尊敬していたそのソフトハウスの社長とデザイナーが辞めてしまいました。
次の社長が頂いてくる仕事が辛かった。細々とエロ本の付属DVDを作ったり、保険会社がタブレットで持ち歩いて老人を騙す金融商品を売るコンテンツを作ったりしていました。プライド的にも体力的にもとてもきつかったです。
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一方でSFCの院に進んだかつての仲間たちの研究室には坂本龍一氏が訪れ、坂本氏のデジタルメディアへの取り組みに参加していました。当時交際していた女性も絵描きで、彼女は私の芸術と学歴にしか興味がありませんでした。
そのためエロDVDを作っている私にあきれ、かつての私の仲間たちに次々に手を出していました。当時の坂本氏も女癖の悪さで有名で、逆に手を出されてもいたとも思います。
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そんな状況で祖母の3億6千万の借金が発覚、会社の人脈を使って返済の策を練るも、祖母が依頼していた別の会社に次々と邪魔をされ、八方塞がりに陥りました。
私は両親をとても早くに亡くしたあと、祖父母をみな亡くしました。その遺産で借金を返済し、普通ならば一生困らない程度の相続をしました。この点については親族に感謝しなければいけないのかも知れません。しかし生前の祖母の遺言は、祖母の痴呆がかなり進んだ日付で大きく書き換えられていました。その時の私には、意義を唱える知識も気力もありませんでした。
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その次に交際した女性は、問題はあったものの、病気を理解してよく耐えてくれました。しかし私の実弟の陰湿な虐め癖と、対照的に太陽のような人徳と発言力に負け、みずからも精神を病んでしまいました。月、どころかぼやけた六等星の私には、彼女も自分自身も守ることができなかった。彼女の現状を鑑みるに、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
みなさん、ピザーラは食べないようにしましょうね。フォーシーズもスープストックもです。APAホテルもやめましょう。
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主治医に「恵まれない人へのヘルプばっかりしていると、自分が恵まれない人になっちゃうよ」と言われ続けてきました。その通りになりました。現在私は数十円、数百円レベルの綱渡りをする困窮状態にあります。月末に100万円ほど必要で、そこで詰みます。いままで通りの障害者年金に、生活保護、さらに障害等級的にアルバイトが認められています。
とはいえ働くとは時間を売ること、病状的に当日にならないと出掛けられるかわからず、時間のお約束ができないというディスアドバンテージがあります。ノルマ制のポスティングをしようと思っています。入院中はナースステーションまで歩くことも困難だったので、歩く練習にもなります。
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コロナ禍以前は週に数回都内に出て、音楽鑑賞・絵画鑑賞・舞台鑑賞・映画鑑賞などを行い、またそれに関する執筆活動を細々とやっていました。その時に頂いた名前が「山下スキル」です。
本名は実の親がつけたものではないことと、発達障害でさまざまなことが上手くできず、怒鳴られる時の名前だったので、聞くとフラッシュバックを起こしてしまうことがあります。「山下」は本名ですが、これも含めて法的に改名したいと思っています。早逝した両親には申し訳ありませんが、山下家や遠山家の関係者でありたくない、無縁仏としていままで暮らした犬・猫と共に処分されたい。
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世界的に新型のウィルスが蔓延して、ごく初期にクラスターが起きたクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号(覚えていますか)に乗り込んだ議員が、奇しくも大学時代に親しかった後輩でした。
やがて不要普及の外出が禁じられました。最後に残った数少ない友人の心無い言葉をきっかけに、果てしない孤独の底に突き落とされました。ヒトは群れをなす生き物です。独りで生きるようにはできていません。衰弱した私はcovid-19に感染し、オリンピックで医療機器が徴収されている中で、3週間生死の合間を彷徨いました。
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同じ病室の方が次々に亡くなり、自分も翌朝目覚めるかわからない恐怖の中で、ライブ配信に出会いました。ほんとうに孤立していた私と会話してくれる人がいる、これはとてつもない喜びでした。僕は彼女に生かされたと思っています。
退院後もライブ配信の鑑賞を続けました。多くのライブ配信アプリは、芸能オーディションと結びついていて、視聴者の課金で配信者がオーディションに勝つことができる、という下俗な商売でもありました。
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私は配信者たちに、過剰な応援をしました。自分が病気で人生を不意にしてしまったがゆえに、若い人に夢を掴んで欲しかった。そして双極症の躁状態の典型的な症状として散財があります。この件についても散々揶揄されました。
いま非常に困窮しているのは、最後の長期入院費が予想を遥かに超えたことによります。入院するとまず救急病棟に入れられます。救急病棟には法的に90日しか入院できないのです。長期療養用の病棟は極めて古く、病室にコンセントがないため必要な治療が受けられません。そのため一時退院して、機器をお借りして自宅療養しています。そして再入院できるのがまた90日後、というわけです。
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平均余命を過ぎた優しい愛猫との時間を大切にしたい想いもあります。結局動物たちと、あまりにも早く逝った父だけが、大切な家族であり友人でした。わたしの「変わってる」と言われるユーモアセンスは父のものです。
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メルカリやっています。レコード、楽器、書籍などを売っています。
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Amazon欲しいものリストあります。恐れ多くもリスト内の商品を私に贈ることができます。おかげさまでレトルト食品は少しストックができまして、いまは茶が怖い(多摩市の水道水が超絶まずいのです)、そしてちゅ〜るが怖い(猫に腎臓病の薬を飲ませた時のご褒美です)。
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リンクまとめ、ここにぜんぶあります。
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今年もよろしくお願いします。今年こそよろしくお願いします。
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