DIARY 2025年10月


10月26日 小さい声に耳を傾けられる者でありたい

ウルフルズのトータス松本氏が、「声の小さい奴は言いたいことがないんやと思う」と言った。僕はこの言葉を強く軽蔑する。僕は、小さい声に耳を傾けられる者でありたい。

今、僕の話を聞いてくれる人はカウンセラーさんしかいない。両親を早くに亡くして、唯一の肉親である実弟からは病気への偏見と誤解、そして侮蔑を受けた。親戚の多くも同じ。偏見と誤解と侮蔑のなかで、みんな離れていった。友達もそうだ。かつての友達もみんな離れていった。人は孤独では生きられない生き物だ。言葉を交わし、心を通わせながら生きていく。けれど、僕の言葉を聞く人はいない。だから僕は、ネットに言葉を掻き散らしている。

かつてTwitterと呼ばれたSNS-今はイーロン・マスク氏によって「X」という味気ない名前に変えられてしまった場所で、僕は病気の苦しみをポストしている。かつてはフォロワーが1800人いた。今は200人もいない。どうしてそうなったのかもう覚えていない。たぶん躁状態か鬱状態のときに、自分でフォロワーを減らしたのだと思う。多くのフォロワーは僕をミュートしていて、名前だけのつながりだったからだ。実際には誰も、僕の言葉をに耳を傾けていなかった。

今も音楽関係のフォロワーは僕の投稿を読まない。楽しい音楽の話題の中に病気の話が混ざると興ざめするからだ。けれどミュージシャンには、その感受性の高さや繊細さゆえに、脳の病気を抱えている人が多い。つまり、僕のポストを読まないフォロワーたちの「尊敬するミュージシャン」も、同じ苦しみを抱えている可能性がある。だからこそ僕のポストは、彼らを理解するための一つの「サンプル」になり得ると思っている。それでも誰も読もうとしない。

同病者たちに理解してもらえるかと思えば、そうでもない。脳の病気にはさまざまな症状や重さがあって、それぞれに事情が違う。彼らも彼らで苦しんでいる。だから、ときには僕のポストを叩くこともある。「こいつ本物のキ◯ガイだ」とか、「本当に闘病している人に失礼」とか。同病者にそんな言葉を浴びせられて、僕は深く傷ついた。まさに「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く」状態だ。精神疾患の世界にも、発言力のある人とない人がいる。僕は圧倒的に「ない」。

僕はいわゆる陰キャで、ネットを始める前から僕の話を聞いてくれる人はほとんどいなかった。SNSでポストに反応がないことに何度も失望した。せめて理解してくれそうな人に届いてほしくて、大量のメンションを付けてポストしていた時期がある。けれど、それは逆効果だった。多くの人は、自分の言葉が「聞かれない苦しみ」を知らない。僕の人生は、声を聞かれない苦しみとの闘いだった。

信頼していた人の中にも、僕をブロックして罵声を浴びせた人がいた。「暗い話にいちいちメンションを付けないでくれ」「気が滅入る」「自分でよく考えましょう」。そんな言葉をかけられた。僕は最近、メンションを付けるのをやめた。僕にとっても、メリットよりもデメリットの方が圧倒的に大きいからだ。

僕の声は、聞かれない。

かつて、絶縁された後輩がいる。彼はいつも声が大きく、言葉に力があった。たまたまThreadsのおすすめで彼のポストが流れてきた。彼はかつて、僕の当時の恋人を寝取り、その後、僕の別の友人と結婚した。あるとき彼はこう言った。「山下さん、みんなに嫌われてることに気づいてないんですか?」。そう言って嘲笑い、縁を切られた。

その彼は今、大学教授になり、ミュージシャンとしても活動し、何万人ものフォロワーを持っている。彼のポストは音楽論や芸術論にとどまらず、「差別はいけない」と説いていた。けれど彼こそ、病気を持つ者を差別した側だ。その言葉は、僕には何も響かない。

民主主義とは、多数決のことだと思っている人がいる。けれど本当の民主主義は、マイノリティの声を無視しないことだ。だから僕は、自分の言葉にまったく価値がないとは思っていない。僕は今でも誰かに声を届けたいと思っている。そして僕と同じように、声の小さい人たちの言葉に耳を傾けられる者でありたい。

ところで、たぶん5年ぶりに人と一緒に食事した。中学からの幼馴染でフジロック仲間でもあったヌカタシだ。おっさんふたりだ。
 僕にはほんとうに友達も家族もいない。何度かの長期入院でも独りで食べてたから。人と食事するってこんなに楽しいのか。もうすっかり忘れてた。これが素敵な女子だったりしたら、とかもう想像の遥か彼方にある。