DIARY 2002年4月


4月2日 待ってるぜ

花粉症なのに鼻の横にニキビができて泣きっ面に蜂の山下スキルさんに応援のメッセージを書こう。

4月4日 Keep Listening, Keep Seraching

久しぶりに外資系レコードショップを覗いてきました。ここんとこなかなか出かける機会がなくって、ミュージックフリークとしては恥ずかしい限り。行ったはいいけど何を買っていいのかわかりません。レコードから「俺を買え」って声が聴こえてこない。レコードを買うのも修行で、しばらく行ってないと確実に勘が鈍る。
 「最近は何を買っていいのかわからない」なんて再発ものばっかり漁ってるおじさんはそういう状態なんだと思います。気をつけよう。とりあえず前から買うつもりだったものだけチェックして店を出た。

元ちとせ / ワダツミの木 ずっと「元プリンス」みたいなもんだと思ってました。奄美大島のコブシの素晴らしさもさることながら、それを最大限に生かしたプロダクションの勝利。ex.レピッシュ上田現のお仕事。 畠山美由紀 / Diving into your mind 初ソロ。嫌みのないおおらかな歌唱力はもちろん、同世代のツボをついたノスタルジーとリアリティーに感涙。くるり / THE WORLD IS MINE 例によってシングルよりいい曲がなかった。もっとポップに徹すればいいような気がするんだけど、いろいろやってみたくなるのは若さ故か。初回限定「触ると気持ちいいジャケット」は気持ち良かった。 World Standard / Junp For Joy ジャグバンドから音響派まで、アメリカのポピュラーミュージック史を独自のユーモアセンスでコンパイル。でも彼の興味はもう次の地平に移っているはず。
 洋棚は見る時間がなかったのでいずれまた。

4月6日 覗かれ

ぼんやりとパソコンに向かっていたら背中に視線を感じた。こういう時は得てしてネコがタンスの上から見下ろしていたりするものですが、今日は2匹ともベッドでぐっすり眠ってる。で、ふと郵便受けの方に目をやると小学生くらいの女の子が覗いてた。目が会ってフタがパタンと閉じた。こわー。しばらくしたらまた覗いてたんで間仕切りを閉めてやった。別に覗かれて困ることもないんだけど (たまに半裸で歩いてたりするけど) 、なんでしょうねえこの怖さは。

例えばすぐに怒る人って怖いじゃないですか。それは具体的に怒られることが怖いんじゃなくて、すぐに怒る人の神経が理解できない、次にどう出てくるか読めないから怖いんです。覗かれる怖さっていうのもそれに近いものがあります。隠遁生活も心安らかではなくなってきた。
 小学生よ、早く春休みが終わってくれ。

4月8日 クラムチャウダー

この暑さの中、セーターを着てクラムチャウダーを注文する生き物を僕たちは理解しなくちゃいけない。

4月11日 完璧な仕掛け

ある日ドアを開けたら、目の前に斜めにかかる階段が火花を飛ばしていた。びっくりした。築29年、せめてもの補修工事か。

さて、いくらペシミスティックな僕と言えども日常生活ではだれかれ構わず弱音をはいたりしないものですが、日記に書いてるんじゃ同じことだね。見知らぬ方々からご心配のメールを頂く度に申し訳なく思う。でも今は自分の病状を観察して記録しておきたいのです。裏日記をつけるほどマメじゃないんでしばらくこのままいきます。不愉快に感じる方はそれ相応の対処をひとつ。
 最近はもうね、寝てる。ザッツオール。深夜になると少し生きる希望がわいてくるので、このまま徹夜でもしたら何かが取り戻せるような気がするんだけど、結局は体内時計が麻痺するだけでなんの解決にもならない。

ここ数日は起床時間を少しでも伸ばすために、フリーで拾ってきたバッタもんの「ぷよぷよ」をやっています。テトリスに代表されるいわゆる「落ちゲー」は、ある種の強迫観念がプレイの原動力になっている。だから異様に掃除好きな人 (例えば僕) なんかがはまりやすいのです。ブロックを隙き間なく規則的に並べていくことに無上の快感を覚えるわけだ。でも完璧な仕掛けを組もうとすると相手に先手を打たれて負けちゃうので、どこかで見切りをつけなきゃいけない。つまり勝っても負けても強迫観念から解放されることはない。わかった。もうやめよう。
 やりたいこと、やらなきゃいけないことが出口に殺到して目詰まりを起こしています。これもある種の強迫症状と言えよう。「完璧な仕掛け」を組んでいてはいつまでたっても解決できない。限られたリソースを駆使して、中途半端でもアウトプットを出していこうと思う。

4月15日 Soul and Inspiration.

大貫妙子・奥田民生・鈴木慶一・宮沢和史・矢野顕子 = Beautiful Songs。形骸化の一途を辿る音楽産業の中で、オリジナルなスタンスを確立する5人のミュージシャンの、邂逅のステージを見てきました。あまりにオリジナルすぎて芸風が噛み合わない部分もありましたが、それでも敢えて同じステージに立つことが彼らなりのマニフェストなんだろうな。
 こんな偏屈な企画が大量の観客を動員した影には、明らかにほぼ日というメディアの存在があります。新しいメディアとの共存に四苦八苦している音楽業界の現状を、彼らはひょひょいと飛び越して横目で笑ってるようにも見えた。

終演後、かずみちゃん、TPさん、及びその仲間たちと合流して飲み。TPさんは初対面だったにも関わらず、プロフィールの写真を頼りに僕を発見してくれた。実はあの写真を撮ってからかなり太ったんだけど。かずみちゃんは今回のチケットの手配に奔走してくれた。サンキュー。
 最近、初対面の人脈を強引に引き合わせて飲むのが楽しい。手探りのままテーブルを囲む緊張感、大げさに言うのならば僕らなりのBeautiful Songsです。この日も全くの偶然で、かつてのバイト仲間と7年ぶりの再会を果たした。そういうのって嬉しくない? あの、みんな迷惑だったら言ってね。

翌朝までぐうたら飲んで仮眠を取って、夕方から友人宅へ。家が遠いのでなかなか会う機会はないけれど、人生に行き詰まった時などに無性に会いたくなる顔。
 彼には美しくて賢くて少しおかしい奥さんと、可愛くて賢くて少しおかしい2歳の娘がいる。この娘は将来たいへんな美少女になることが予想されるので、僕は壮大な15年計画を立てている。今から僕のことを「おじさま」と呼ぶように教育しているのだ。いつか僕が40代の渋い中年になった頃、17歳の美少女から「おじさま」と呼ばれたらなんて素敵だろうと思う。しかしときどき「おじさん」と呼びたがる。注意。

さて、2歳の誕生日が過ぎたばかりだというのに、トラックパッドを駆使してブラウザを完璧に使いこなすこの美少女に、Flashコンテンツをいくつか見せてみました。
 僕らの世代は現実の世界に育ってからコンピュータに触れたわけだけど、産まれた時からパソコンに囲まれて、iMovieで編集した自分の姿を見て育った彼女は、何をもって面白いと感じるんだろうかと。基本的には「知ってるもの」が画面に出てくると大喜びするみたい。でも捻ったインタラクションを仕掛けてもあまり受けない。関係性の認識にちょっとした誤差を感じた。この問題は慎重に観察を進めて参りたい。

4月19日 あなたがもし望むならば兄妹でも友達でも

畠山美由紀さんのインストアライブに行ってきました。ホワホワホワ。なんでしょうねもう、素晴らしすぎる。キリっとした端正な顔立ちがスポットライトを浴びた瞬間にきらきら光って人なつっこいスマイルに変わる。笑顔のキレのよさに惚れました。
 実はですね、Port of Notesのイメージが先にあったんで、もうちょっとスノッブなミュージシャンだと思っていたの。でもステージで見せた素顔は本当にさっぱりして嫌みがなくて「普通」だった。年齢を重ねていろんな痛みももどかしいさも乗り越えた、それでもリアルに生きる女性だった。

大気を掴むようなおおらかなボーカルは、もっと滔々と余裕綽々に流れ出るのかと思ってました。でも彼女は顔面筋を最大限に使って、ひとつの呼吸に細心の注意を込めて歌っていた。その表情の全てが美しくて力強くて、胸を打つ音響へと変わっていくのです。
 どんな生き方をすればあんな歌が歌えるんだろう。同世代の人間として、とてもかなわない地平に彼女は立っています。僕は喜んで降参の旗を振ろう。卑屈や自虐じゃなく、彼女の人生を素直にリスペクトしたい (つまり結婚してください) 。

帰りしなKさんとライトに飲み。911テロ直前のパキスタンで腸チフスと盲腸を併発し、手術を受けた話などを聞く。隣のベットに横たわる銃で打たれた兵隊さんに夜な夜なうめき声を聞かされたら、人生観も変わるというものだろう。冒険憚に憧れた。
 最近したことと言えば...ウクレレ続けてます。ちゃんとやる気になっている。それと体調いかんともしがたく、通院ペースが倍になった。そんなわけで。今日は枕の下に畠山美由紀さんのソロアルバムを敷いて寝ます。

4月20日 Tokyo Deep South

学生時代の友人Y君と、その友人のS子さん・Y子さんでディープに飲み。S子さんの実家は大鳥居商店街の酒屋さんで、鈴木慶一・博文一家の内情に詳しい。Y子さんは大森山王の事情にやたらと通じていて、大田区南部のローカルな話題で盛り上がった。町工場と運河の土地には焼酎がよく似合う。お二人とも大人しそうなルックスとは裏腹に、焼酎を心から愛し痛快に酔っ払う。焼酎飲みに悪人はいないので、今後とも末永く交流を深めて参りたい。どうかよろしく。
 僕も久しぶりに酒が回り、Y子さんの天然ボケに思わず吹き出してしまった。口に含んでいた焼酎の量が少なかったのと、きれいに霧状に吹き出したので実害は (さほど) なかったものと信じているが、客観的に見てそうでなかったら申し訳ない。

ところでY君と話していてすれ違いがひとつ。去年の夏に彼の車で出掛けた際、エンジンから煙を吹いて大変なことになったと言うのです。助手席に座っていた僕が第一発見者だったんだって。全然覚えてないんだけどどうなのよ。納得がいかないので関係者に電話をかけまくったのだが真相はいまだ闇の中。酔っ払い電話につきあわされた各位には深くお詫び申し上げたい。そしてこの件に関してなにか情報をお持ちの方はメールください。

噂の真相:エンジンから煙は吹かなかったものの、エアコンから白い蒸気が出てきたそう。言われてみればそんなことはあったかも知れない。失礼しました。

4月23日 夕焼けこやけで日が暮れて。

「こやけ」って、何?

大田区と品川区の区境付近にある我が家では、17:00になると防災無線から2種類の「夕焼けこやけ」が聴こえてきます。ちょっと前までどっちも単音だったんだけど、最近になって品川区がFM音源3和音くらいのゴージャスなアレンジに変わった。無線設備を拡張したんでしょうか。町工場が並ぶ大田区と再開発に沸く品川区の財政状態の差を突きつけられてるようで、大田区民としては複雑。

Yahoo! Japanに「ディスクレビューサイト」として登録されたからには、やっぱりディスクレビューとかしたほうがいいのかな。ウェブで音楽雑誌の真似事をしてもしょうがないんだ。ほんと。

4月24日 気球と通信

出がけにドタキャンの電話。ショック。でも久しぶりに外出気分だったので、そのままカバンの中身を詰め替えてプールでひと泳ぎしてきました。そういえば最近プールの主 (背中の毛がクロスしている人) を見かけなくなった。

最近、十数年来の友達とのすれ違いが極端に増えたような気がします。メールやウェブでつながっているつもりになっていても、いざ会おうとするとお互いに別の時空にいることを思い知らされる。これって大変なことだ。
 インターネットを使うと、自分の時間・自分の空間の中で対話したり主張することができる。でも本当に大切なのは言葉じゃない。同じ時空をシェアしているかどうかなんです。例えば週に一度でも同じ食卓を囲んで、脊髄反射でくだらない会話をする。きのうと同じ話をして、きのうと同じところで笑ったりする。そんなどうでもいい行為が時空のギャップを埋めていく。「私はあなたの敵じゃありません」という、目に見えないヴァイブレーションをあげたり貰ったリする。

僕は2000年の10月と2002年の2月に大切な友達のリンクを失いました。そして今、また別のラインが途絶えそうになっている。でもよくよく思い返すと、僕と彼や彼女の考え方の間に深い溝があったとは思えないのです。以前は確かに同じ時空をシェアしていた、でも今は違う。そのことを自覚していなかったばかりに、お互いの認識のギャップにびっくりしちゃっただけなんだ。
 今の僕は本当に沢山の問題を抱えているけど、一番の問題は「私はあなたの敵じゃない」というヴァイブレーションを交換する相手が誰もいないことかも知れません。もちろん飲み友達や遊び友達はそれなりにいる。でもそういう「イベント」として会うんじゃなくて、「日常」をシェアする相手は一人もいないんだよね。家族でも恋人でも友達でも同僚でも。

2000年の10月に僕を罵倒したあなたのことも、2002年の2月に電話の向こうで泣いていたあなたのことも、いま僕を根に持っているあなたのことも、僕は愛しています。例え考え方が違っていたとしても、あなたの人生を尊重します。そんな当たり前のことは、本当はウェブじゃなくてヴァイブレーションで伝えなくちゃいけない。

4月26日 元祖高木ブー

マユコさんと恒例の焼酎二人会。高木ブー氏が経営する麻布十番のバーへ。おとついドタキャンされたのを日記に書いてやったせいか、掲示板で周知の下でお誘いを受けた。へんなコミュニケーション。
 彼女はいつも、僕が凹んでる時を推し量ったように遊びに連れ出してくれる。天性の勘か観察力の賜物か。ありがたい。今日は彼女の側にもいろいろ思うところあったらしく、狭い人間関係の抱える問題などについて語った。あっと驚く新説にうーん。言われてみればそんな気がする。僕らの話題もちょっとは大人になったかしら。まあ例によって馬鹿馬鹿しい恋愛トークもしたんだけど。

お店はブーさん不在のためお客さんもまばら。ゆったりくつろげるソファーとまったり流れるハワイアンに揺られて、眠気を誘う心地よさでした。お料理は美味しかったけどちょっとオイリーで、毎日食べてたらブーさんになっちゃいそう。次はライブのある日に行きます。

業務連絡:ふと思ったんだけど例のドライフルーツを焼酎に漬け込んだらなんかできそうじゃない?

4月27日 ゴム男 (ごむお)

久しぶりに英会話に行ってきました。ここんとこ凹 (へこ) すぎてさぼってたら向こうから電話がかかってきたんでやむを得ず。うーん、ちゃんとしたい、自分に。
 こないだまで英会話教室の隣に「腰痛撃退ゴムバンド」を売る店がありました。輪ゴムの色をしたぶっといゴムの帯がだらしなく垂れ下がっていて、大森という街の駄目さ加減を象徴するスポットだったと思う。「テレビでおなじみの」って手書きの看板が出ていたんだけど、確かに昭和40年代に一度ワイドショーに取り上げられたことがあるそうです。そのお店がついに潰れてサンクスに変わっていた。そんな土曜日。

Mr. Beanの新シリーズが始まって嬉しいな。ハリウッド製の劇場版しか見てない人はいま一度、いま一度オリジナルバージョンをご覧ください。ハリウッドの人達は、なんでも善意とハッピーエンドに結びつけないと気がすまないのです。ビーンの魅力は「偶然」とちょっとした「悪意」によるハプニングなの。善意が出てくるとチャップリンになってしまう。予定調和のオチはいらない。結局どうやって問題を片付けたのかよくわからないまま、さっさと次のエピソードに行っちゃうところがたまらないのです。

4月28日 意外と毒舌選手権

高野寛さんのライブに行って来ました。デビュー当時は「歌うメンズノンノ」と言われ、それ相応の売り出し方をされていた彼も、今やプロデューサーとして若者達のリスペクトを受ける立場になって、自身の活動はますます趣味に走っている様子。ゲストの永積タカシさん (Super Butter Dog) が原田真二 meets 高田渡っぽいステージで面白かった。高野さんの新バンドNathalie Wiseは、高野さんのギターと斉藤哲也さんのキーボードが見事な音像を描き出して、さすがの風格でした (Bikkeさんの存在価値はどこにあるのか) 。
 客席には鈴木慶一さん、竹中直人さん、キリンジ兄、原田郁子さんなどの姿も。慶一氏は例によって普通に喫煙コーナーにいました。

終演後、同行者の1/2だめポロン、ライブ会場ではち合わせたOCM代表の相川さん、及びそれぞれの仲間達が集まってライトに飲み。チーズが好きでフランスに修行に行ってしまった人など、身の回りの珍しい人物についての話題を。
 ところで僕は若かりし頃、相川さんの活動を酷評したことがあるんだそうです。同じ音響屋さんとしてね。すっかり忘れてました。すみません。さらに行きがかり上、初対面のM子さんにも毒舌キャラだと思われてしまった。良くも悪くも素直なんで、普段は謙虚に暮らしてるつもりなんだけど、ときどき言わなくてもいいことを言ってしまうのです。そういう際に件のグッドヴァイブレーションを放っていたいものだ (24日の日記参照) 。

4月29日 それはリビドーなんだよ

いまいち精神状態がよくなかったんだけど、World Standardのインストアライブを見に新宿タワーレコードに行って来ました。エスカレーター側からエレベーターの辺りまですごい人だかりが出来ていた。ついにブレークするのかワルスタ! まずはアルバムにも収録されていた『Lotus Love』のカバーを演奏、そしてPhil Spectorが在籍していたTeddy Bearsのカバー、Van Dyke Parks低迷期のカバー。
 引き続き細野晴臣さんと鈴木惣一朗さんのトークショーへ。2人がお互いの話を全然聞いてないのは、長年の信頼関係の裏返しなんでしょうか。かいつまんで言うと、「僕たちポップスが大好きなんだけど、歌モノをやると歌詞の物語性に引っ張られてポップスの可能性が狭められちゃう気がするんだよね。だから愛情の落としどころとしてインストをやってるんだ」みたいな話だった。

終演後、U.M.さんからLarry AdlerのCDを購入。撤収作業中にお手間をとらせて申し訳なかった。やつれてるようにお見受けしましたが大丈夫ですか。会場を後にして新宿一丁目から高円寺へと渡り歩き、朝まで男子っぽく飲んだ。参加メンバーはS.Nさん、F.Tさん、I.H.さん、K.Mさん、C.Tさん、U.K.くんという顔ぶれ。
 普段なら「ミニマルミュージックとは」とかそういうストイックな話題に走りがちなコミュニティなんだけど、時間がたつに連れてくだけてきて、「創造のモチベーションとしての女の子の存在」とか、概ねそういう会話をダラダラと続ける。ようやく世代を超えていい友達になれそうな気がしてきました。みんなもそう思ってるといいなあ。

朝もや立ちこめる神田駅の乗り換えホーム、構内アナウンスの声が妙にけだるくてダンディだった。鏡で自分を見たら酷い顔をしていた。疲れた。これから寝ます。

4月30日 between the word & the heart

そんな訳で昨日と今日がくっついちゃった。
 家に帰ってから、みんなの話はどこまでネタだったのか想像してみました。本当はただの言葉遊びで、自分をさらけだしていたのは僕だけなのかも知れない。と、みんなが思ってるのかも知れない。リアルなはずの感情の軌跡も、かいつまんで説明しようとするととたんにリアリティを無くしてしまうのです。しかもその言葉を紡ぎ出しているのが泡盛漬けの脳味噌なんだからアレだ、きのうは喋りながら、自分の発する言葉にがっかりしてたんだ。

などと不毛な回想をしながら布団にくるまってたらもう夕方じゃないの。むりやり添い寝してくるデブネコが実に鬱陶しくて暑苦しかった。