DIARY 2002年11月


11月1日 親が死ぬということ

実にいきなりだが29日に母親が他界しました。実にいきなり他界しました。先々週までは普通に生活していた。咳が酷いので病院に検査にいったところ即入院、それから11日目の朝でした。
 ここ数回の日記を読み返して頂くと、僕が鈴木兄弟と飲んでいた時も、アルバイトの打ち合わせをしていた時も、温泉につかっていた時も母は病床にいた。母はこのサイトの存在を知っていて、だからここ2週間の行動は母の目を意識していたし、母に向けてこの日記を書いていた。あんたの長男は社会的にはアレだが、いい友達に恵まれて楽しくやってるから安心しろと言いたかった。実際は病室からネットにつなぐ手続きが済む前に逝ってしまったわけですが、直前まで意識がはっきりしていたので、日々のエピソードを楽しげに話してみせた。

前に書いたと思うけど、僕は17年前に父親も亡くしている。母が父と暮らした13年間が幸せだったかどうかは父の責任で、大雑把にみて父はその役割を果たしたと思う。でもその後の17年間は如何なものか。母は趣味人ではあったけれど、やっぱり子供達の存在が彼女の幸せを左右する重要なファクターだったと思う。母は弟の結婚写真をいつも持ち歩いていた。それは弟を祝福する気持ちであると同時に、片親で次男を育てあげたという彼女自身の達成感でもあった。
 かたや長男である僕は無職の鬱病で、ついに失業保険も切れる有り様。母にも申し訳ないが、父にも申し訳ない。腑甲斐なくて情けなくてやるせなくて悔しくて仕方なくて泣いた。狂ったように泣いた。

親はね、死ぬんですよ。まじで。だから子供は生きなくちゃいけない。

11月6日 ココニイルコト

寒いね。元気? 僕は風邪をひいた。母も夏前から咳をしていて、あまりに酷いので検査を受けたところ肺に影が見つかり即入院となった。だから僕が咳をする度に親戚が心配をして、ついに病院に行って前から横からレントゲンを撮られた。ただの風邪なんですが。僕の肺はとても美しかった。これからチャームポイントを聞かれたら「肺」と答えよう。
 風邪の症状は目に見えるから親戚も心配してくれる。でも本人的に辛いのは鬱のほう。だるさと不安感が常にあり、時に震えや発汗や目眩に襲われる。そもそも電車に乗って出掛けたら次の日は休むくらいの体調だったのだ。弟にそのことを言って、僕の作業量を減らしてもらった。デザインのバイトも断わった。発注元のマユコ嬢にはまたしても大きな借りを作ってしまった。いつか僕が偉くなったら以下略。

今はひたすら事後処理に追われています。友達に電話すると決まって「大変だったね」と言われるけれど、大変だったのではない。これからが大変なのだ。葬儀なんてものは段取りさえ決めてしまえば自動的に進んでゆく。精神的には辛いが作業自体はチョロい。
 まずは日用品の処分。一人の人間が31年間この家に生きていた証が、次々とゴミ袋に変わっていく。これはかなり済んだかな。そしてお世話になった方々に挨拶回り。これは母の意外な交友関係がわかって面白い。みなさん自分の親がどう生きてるかなんて知らないでしょう。当たり前の話だが親にも家庭以外の世界があり、泣いたり笑ったりしているのだ。その結果として今の自分がいる。父親が死んだ時は僕は12歳だったので、僕は彼の人生をまるでわかってなかった。でもそれから歳を取って色んな感情を知って、両親のスタンスがなんとなくイメージできるようになった。

後は泥臭い話ですわ。役所や金融機関の人というのは、どうしてこうも世の中をわかりにくく作りたがるのだろう。母が生きた54年分の事務処理をほじくりかえして抹消していく。そのひとつひとつに何通もの書類や判子が必要で、役所や金融機関を何箇所もハシゴすることになる。人が死ぬ度に、誰かがこれをやっているんでしょうか。どうかしてるぜ。
 次の日記は音楽サイトらしい、ちょっと美しい話を書きます。今日は寝る。

11月13日 Laughter In The Rain

母のことで色んな方に会って、両親の驚くべき過去を知りました。17年前に亡くなった僕の父が、結婚前は大のポップマニアだったというのです。しかもヒットチャートには目もくれず、ビルボードの下位に低迷している曲を好んで聴いていたんだそう。
 ますます驚いたのが、雨の日に父の部屋を訪ねるとCascadesやNeil Sedakaの雨の歌を聴かされたという話。僕も去年「Songs For A Rainy Day」というコンピを作って、Neil Sedaka入れたんだよね。それと、あるジャズ評論家が嫌いだったという話。僕も嫌いなんだ。父と親しかった親戚によると、なぜ嫌いかという言い種まで僕とそっくりだという。

父が聴いていたのはKingston Trio、Everly Brothers、Beach Boys、Fifth Dimension。そしてシングル数枚で消えていったソフトロックバンド達。父のEPコレクションはメートル単位で、おそらく彼が結婚した時に手放したのではないかという。タイミング的にはそれを大滝詠一さんや長門芳郎さんあたりが買い占めた可能性もあるわけで、ひょっとしたら父は日本のポップ史にちょっとした影響を残しているかも知れません。
 僕の知っている父はオーディオマニアではあったけれど、ポップマニアではなかった。ラジオで洋楽をチェックしてたけど、母に合わせて普通に日本のヒット曲も聴いていた。親子で音楽の話をしたことはない。父が亡くなってステレオセットが僕のものになってから僕の音楽人生が始まるのです。そして全く違ったルートで同じ音楽にアクセスした。時空を越えたシンクロニシティに僕は酷く興奮した。

この話、本当は母に聞かせたかった。母が倒れて、今後の対応について親戚に相談に行った時に聞いたんだよ。でも母は自分の病気がそこまで重いとは知らなかったので、僕が親戚に相談していることを言えなかった。必然的にこの話もできなかった。
 きのう、両親が眠る祭壇にThe Mamas & The PapasのEPを置いてきました。聴いているかな。素晴らしいコーラスだ。フルートソロもいい。さて次は何をかけようか。

11月17日 世界に取り残されて初めてなにが聴こえる?

久しぶりに音楽少年に戻った日。U.K.くん主催のイベント「華火 in planetarium」にDJとして出演しました。母の急死の余波で一度は出演をキャンセルしたものの、U.K.くんのご厚意で改めて40分ほど時間を頂いたのが2日前。きのうまで選曲のイメージが掴めなくて当日になってやっと目星をつけた次第。
 15時過ぎにウツボさんに「ところで入り時間は何時ですか」とメールしたところ、速攻で電話があり「あの...15:30入りなんですけど。ひょっとしてまだご自宅ですか」だって。大慌てで支度して16:20分頃に会場入りした。U.K.くん妙にお洒落だと思ったら、この日のためにジャケットを新調したんだって。そういうとこ可愛いなあ。

いい感じにお客さんも入り、出番を待つ。セットリストはこんな感じ。
1 The Beach Boys / Fairy Tale Music (Instrumental)
 +あがた森魚 / MC from Live Album "Planets Abend"
2 XTC / Another Satellite
3 Luis Philippe / I Just Wasn't Made For These Time
4 Dodds & Magrina / Take Me
5 Eels / Packing Blankets
6 BMX Bandits / Thinkin' bout You Baby
7 Komeit / Press Play
8 Wondermints / Guess I'm Dumb
9 The Aluminum Group / Caroline, No
10 The Flaming Lips / Yoshimi Battles The Pink Robots pt.1
11 Multipul Choice / Good Vibrations
これにサンプラーの小ネタを挿んで流れを作っていく。Brian Wilsonへのトリビュートと、裏テーマとして他界した両親への気持ちをエレクトロニカで綴ってみた (これは僕だけがわかればいいことだ) 。機材の打ち合わせをしてなかったので、持ち込みのサンプラーとCD-Jプレイヤーの切り替えに苦労しました。反応は...U.K.くんのお客さんには薄味過ぎたかも知れない。

若さ溢れるU.K.くんのDJ、「友達以上プログレ未満」なK.M.氏のDJ、スペースモンドな斎藤コウリョウさんのDJ。そして久しぶりの音楽トーク。ここ一ヶ月は家族のことばかり考えていたので、音楽の仲間は懐かしくて嬉しかった。
 F.T.氏が「これからはフクちゃんと呼んで」というので、執拗に「フクちゃんさん」と呼びかけてみた。敬意を込めて「さん」をつけたんですが。嫌がるかなあと思ったら案の定嫌がってくれたので僕のサド心は満足しました。それから...ずっと文通していたgirltalkのあやのさんが唐突に来てくれた。お互いの恋愛観から家庭の事情まで吐露しているのに、会うのは初めてでなんだか照れくさかった。でもイメージ通りの素敵な女性だった。

一番の目玉はSaturday Evening Postのライブ。エレクトロニカにストリングスのアルペジオが絡み、透明な女性ボーカルで包み込む。実は僕がウクレレを始めた時、こんな音楽をやりたかったんだよね。二番煎じと言われてもやっぱりやってみたい。という訳でウィスパーヴォイスの女の子を募集。年齢・経験不問。彼氏持ち不可。
 イベントも佳境に入りsasakidelic氏、polymoog氏が登場。でも元々疲れてた上に何も食べず酒ばっかり飲んでいたため、ラーメンを食べに外に出たら会場に戻る気力がなくなり、そのまま撤収してしまった。みなさんごめんなさい。長いイベントはアレだね。歳はとりたくないものだ。

11月21日 グルーピーに気をつけろ

なんかしてないと呆然と時間だけが過ぎていく。なので無理矢理遊びの予定を入れる。
 19日はMoonriders@新宿Loftを見て来ました。対バンはクラムボン。サラサラヘアーになったミトさん、「水の中のナイフ」のベースラインを披露してライダーズへの愛を告白した後、下を向いて「こわくない...こわくない...」と呟いてみせる。郁子さんは相変らずマイペース。日本のボーカリストは得てして技巧に走り、嫌らしい歌い回しになりがちだけど、郁子さんは「個性的なボーカリスト」からスタートして逆にどんどん素直な発声になっていく。いつかお会いする機会があったら、あの前髪は自分で切っているのか聞いてみたいです。

ライダーズは、Loftに頻繁に出演していたパンク期のナンバーを中心に轟音ギターバンド仕様で聴かせる。音の回り込みが激しくて、これがいわゆる「Loftの音」なのかなあと思う。好き嫌い別れるところでしょうね。スペイシーに変貌した「A Frozen Girl, A Boy In Love」、「Stayin' Alive」のフレーズを盛り込んだファンキーな「Don't Trust Over 40」、アメリカへの怒りを露にした「Flags」、「ジャブ」がいつの間にか「シャブ」にすり変わってる「Jub Up Family」が印象に残った。
 同行者のM子さんが翌日5時起きだというのでその日は解散。表参道に出てT.P.さんとお茶しながらダメな世間話。店を出たらモデルさんのような綺麗なガールズに「イエローはどこですか」と聞かれ、地元民なのに答えられずに凹んだ。「この辺りは僕の庭です、ご案内しましょう」と言えるくらいにならなければ。ければ?

T.P.さんからチケットを譲り受けて、20日もMoonriders@新宿Loft。この日の対バンはPolysics。DevoのスタイルにPlasticsのボーカルを乗せたような20年遅れのニューウェイヴバンド。決して表情を崩さないキーボード嬢を中心に、まぬけ美を追求したビジュアルセンスが好ましい。「Mr. Roboto」「My Sharona」「Video Boy」のカバーを挿み、おじさま方のハートもキャッチしてました。お薦め品。ライダーズは前日の轍を踏まえてか、音響的にも演奏的にも実にいい感じだった。
 なんとなく打ち上げにも呼んで頂く。同行のS子さんは鈴木兄弟の実家 (現湾岸スタジオ) のすぐ側に住んでいて、半径100メートルくらいの超ローカルな話題で盛り上がってました。僕は慶一氏と鬱病話など。いや疲れたわ。現在は反動で激凹、そして食糧難であります。

11月22日 舟はなにを乗せていく、舟はなにを捨てていく

おそらく最初で最後の主催イベントDon't Trust Over 30のアウトラインが決まりました。2003年1月11日 (土) 18:00から銀座FIVE to FIVEにて。出演DJはK.M.氏、sasakidelicさん、T.A.さん、Y.A.さん、F.T.氏、ムネカタアキマサさん、そしてわたくし山下スキル。全員30代独身男性で固めてみました。正直こんな豪華なメンバーが揃うとは思わなかった。僕が出なければさらに豪華度アップなんだけど。
 ここ数年、リスナーとして尊敬できる「お兄さん」と知り合う機会が増えて、それをなんとか形にしたいと思ったのが今回のイベントのきっかけ。ノスタルジーに溺れない、でも自分の趣味には背かない、ミュージックフリーク十数年の耳で「今、純粋に面白いと思える音」をお聴かせします。若いリスナーに来て欲しいな。

今日は会場のFIVE to FIVEに集まって、下見を兼ねた顔合わせ会。お店に入るとステージにはアフロヘアーの若者がひとり。アコースティック・ファンクを繰り出すかと思いきやいきなり叙情派フォークを歌い出した。あの髪型は実は南こうせつを意識しているのかも知れず。続いて王道DJイベントが始まる。果てしなく続く4つ打ちで煽り立てるのだが、観客が我々を含めて10人に満たないのだよ。辛すぎる。若者よ、押して駄目なら引いてみないと。
 いたたまれなくなり店を出て、豆腐料理屋に移動。いい感じにくだけてみんなのトークも冴える。CCCD問題からエロサイトの歴史まで、間を楽しむようなダラダラとしたお喋り。こんな顔ぶれが揃っただけでもイベントは8割成功だ。みんなもそう思ってくれてるといいなあ。

さて、大事なポイントをおさらいします。年明けの1月11日はスケジュールをあけておいてください。今すぐメモ帳に書き込んでおくとなおよいでしょう。入場料はもちろん頂きません。気軽に飲みに来るつもりでよろしくね。

11月24日 ドップラー

焼き芋屋の軽トラックが走り屋仕様のカローラに煽られてて可哀相だった。石焼き芋のメロディがドップラー効果で通り過ぎていった。

11月25日 口止め速報。

なにぃ! や...! 早ければ...! ガブッ! (いてえぇぇ...) 。という訳で「Don't Trust Over 30」の次のDJ出演は3月頃になりそうです、先輩。

11月27日 おとこ同士

「華火 in planetarium」打ち上げ、のはずが男3人鍋大会、のはずが、僕が欠席してしまったためサシで鍋大会になった模様。申し訳ない。別に2人をくっつけようと仕組んだ訳じゃないんだよ。なんかもう起きた時点で既に鬱で、冷や汗をかきながら毛布にうずくまり、加えて風邪も酷くなって咳き込むたびに猫がびっくりする日々。最近日記が短いのは毎日同じことの繰り返しだからだ。それにしても男同士の鍋会、どうだったのか。2人の日記が更新されるのが楽しみです。

紅白の出場歌手一覧を見て我が目を疑った。「鈴木慶江」って誰ですか?

11月28日 職業選択の自由あははん

何かになり、何かを成し遂げたいという願望は僕にだってあるのだ。中学生のように社会デビューの日を夢見る30歳無職鬱病の現在の夢は以下の通り。
・アニマルセラピー関係...近々その筋の第一人者にお話を伺うつもり。
・天文学・地学関係...プラネタリウム映画の
 脚本・演出の経験あり。事務でも何でもエエ。
 どんな学歴とコネクションが必要なのだろう。
・司書...学士号を持っていれば、なんちゃら大学の夏期講習を受ければ
 数カ月で資格を取れるとの情報あり。しかし就職口がなさそう。
・そのステップアップとしての社会参加...短期バイトからリハビリ。
その筋の情報をお持ちの方、メールお待ちしております。もう関わりたくないのがネット関係・デザイン関係。資質として興味はあるんだけど、性格として向いていないことがよくわかった。「やりがい」と「自分の時間」を天秤にかけるなら「自分の時間」なんです。

政治的な事情により、住所を移転した方がいいとのこと。大田区に転出届を出してきました。当たり前の話だけど健康保険証を没収された。港区に転入届を出すまでは病院にも行けない。風邪も鬱病もかなりアレなのでアレだ、早くなんとかしなきゃ。大田区馬込出張所に行くのもこれが最後かと思うと感慨深いです。窓口には職員に詰め寄るおじさんが一人。
 「だって健康食品に100万円投資すれば来年には500万になるって...」「だってマルチ詐欺とは違って、大田区協賛だから安心だって...」「だってわからないことがあったら区役所の人に聞けって....」。要するに彼は、わからないことがあったので区役所の人に尋ねているわけです。わからないことってあるよね。この話のポイントは、彼には投資できる100万円があって僕にはないということ。彼は僕よりも社会常識が足りないけれど、僕よりも社会参加しているということ。

母の急死に伴う事務手続きや事後処理がまだまだいっぱいあります。その殆どを弟に任せて、僕は鬱の中で毛布にくるまっている。弟からのメールや電話に、腑甲斐ない兄に対する苛立ちが見える。ちっちゃな頃から社交性に溢れて皆に愛された弟は、逆を生きた兄の苦悩を到底理解し得ないだろう。その逆もまたしかりだ。
 2月に遊びに来た野良猫が久しぶりにやって来ました。2月の日記の写真と比べてみてください。ちょっと大人になったかな。しかし彼もみんなに愛される素養を持った猫だ。

11月29日 東京

書類上、東京都港区民になりました。増上寺のシルエット越しに東京タワーのライトアップが美しかった。写真を撮ろうと思ったらデジカメにカード入れ忘れてた。なのでこれはパクりもんの写真です。
 実は役所についた時、17時を10分ほど回っていたんだけど、受付のお姉さんにダメ元で頼んでみたら、なんとシステムを立ち上げて面倒くさい手続きを全部やってくれた。びっくりした。ビバ港区。今後ともよろしくどうぞ。でももうしばらくは大森に住んで、実際の引越しは来年の1月末か2月くらいになります。

その足で実家に帰り、おでん等つまみながら母方の祖母とお喋りをする。テレビはフィギュアスケートの中継。それを見ていた祖母が、子供の頃の話を始めた。1930年代、山王ホテルにスケートリンクがあって、そこでレッスンを受けてたんだって。ちょっと凄くない?
 もっと凄いのが、ある大雪の日、レッスンに行こうと思ったら溜池で都電が止まって、銃剣を持った兵隊さんたちに「今日は帰りなさい」と言われたって話。その日の夜のラジオで、彼女は今で言う「二二六事件」の発生を知るのです。山王ホテルって反乱軍が占拠したんじゃなかったっけ。

東京大空襲で下町が燃える赤い夜空を千歳船橋から見ていた話。その翌日、小田急線が普通に走っていて、火傷をした沢山の人が箪笥を背負って乗っていた話。河原に落ちた焼夷弾を濡れたホウキで叩いてまわった話。 僕は昔からおばあちゃん子だったけど、そんな話は聞いたことがありませんでした。彼女の経験した「リアル」に、僕たちは圧倒的にかなわない。
 彼女と街を歩くと実に楽しい。博識で好奇心旺盛で、「東京」がまだ生きていた頃を肌身で知っている。僕も東京の最後の一息を吸ったと思う。バブル期に幻の街になってしまったけれど。当たり前だけどこれはノスタルジーじゃない。