DIARY 2003年12月


12月1日 10年前の僕らは胸を痛めて「天使達の風景」なんて聴いてた

日記が途切れると、ごく稀に心配してくださる方がいる。すいません。
 姪が産まれた翌日にまた会いに行ってしまった。可愛くてなあ、デレデレ。彼女はまだ、飛び込んでくる光や音の意味も、自分自身の存在さえも認識していない。それでも、光の曼陀羅と反響音の洪水の中で、「母の胸に抱かれるとほっとする」という最初の感情を身につけていた。泣くことで自分の意志を伝える技術も。たった一日でずいぶん違う表情になっていた。新しい命の「生きようとする力」には本当に圧倒されるね。

養老孟司さんの「人間とは何だ」というドキュメントを見た。知性を掌る大脳新皮質じゃなくて、感情をコントロールする扁桃体や大脳辺縁系がテーマ。
 特にアマゾンに暮らすヤノマミという民族のレポート。彼らは老若男女問わずひたすら遊びまくり、喜びを全身で交感し、時には悲しみを交感し、そして必要なものだけを森から頂戴する。そんな暮らしをしてるんです。それぞれが心の壁をなくして、自分の感情を解放することで社会が成り立っている。その気高さに強く感動した。人間という生き物には、もっと色んな可能性があったはずなんだよな。

僕が引き取ることになった捨て猫は、まだ祖母の家にいます。猫から猫に移る病気を持っているので、我が家の老猫と会わせないようにして、祖母宅から病院に連れていっている。「猫ちゃんのお名前は?」「は?」「カルテに書く猫ちゃんのお名前です」。うーん、姪が産まれた日に貰ったから「メイ」くん。安直だろうか。
 道ばたでうずくまってた時は、痩せこけてまぶたはただれ、酷いくしゃみをしていた彼も、むさぼるように飯を食べ、治療によく耐えて「生きよう」としている。あの日、祖母に拾われなかったらもう消えていただろう命を、とても愛おしく思う。皆様にお披露目できるのは2-3週間後かと。

しかしみんなが無理をおしてまで生きようとする本能を、今の僕の理性は理解できない。なんならこの命をあげても全然かまわない。どうせ無駄に消費しているだけなので。もしもこの命を社会に役立てるとするならば、屈辱er大河原上に出てくる「雑誌のグラビア写真にひたすらヒゲを描くバイト」をやってみたい。

12月2日 芋焼酎の夜に東京を見た

渋谷にQ-FRONTが建って大形ビジョンだらけになった頃、ハチ公口で信号待ちをしていると、「なんかブレードランナーみたいだねー。21世紀って感じだねー」なんて会話がサラウンドで聴こえてきたけど、フルーツパーラー西村だってなかなか21世紀っぽい。

12月3日 いつもと同じ、致命傷の夜

鬱。11月はいろいろありすぎたから、その反動の空白に闇が襲ってくるのです。アップ↑ダウン↓アップ↑ダウン↓アップ↑ダウン↓ジャンピンジャンピン↑↑そして凹寝。
 音楽を聴く気力がなくて、なんにも用事のない日はごろごろと本を読んだりテレビを見たり猫とじゃれたり。

というわけで「FNS歌謡祭」をだらだらと見てしまった。再結成Speed、新曲は今の声域に合わせてあるようだけど、往年のヒット曲を歌わされる姿は痛々しかったです。今井絵理子さんのあごがこれ以上成長しないといい。安室奈美恵さんは全盛期より遥かに訴求力があって驚いた。持田香織さんは歌が下手すぎて驚いた。
 こうして顔ぶれを見ると、今年の歌謡界はこれといった新人がいなかったんだなー。強いてあげるなら賛否両論 一青窈さんか。「ええいああ」とか「・」の使い方とか嫌いじゃないんだけど。あとハルカリ、売れないかなあ。

中川家の「寝そべってテレビを見てる親父のコント」みたいな日記ですいません。もっとこう、ユーモアやアイデアやそういったサムシングが溢れかえるようなテキストを書きたいけど今日は無理なので寝る。

12月5日 Tea For Two

昨今の僕に一番メールをくれるのはe+、その次がネットマイルというこのリアリティ。寂しがり屋のスキルさんにお便りを書こう。もれなく僕が喜びます。飯や遊びのお誘いならなお良し。でも誹謗中傷っぽいメールはやめようね。ネットリソースの無駄だし。怖いし。
 母方の祖母宅に仮住まいしている病める拾い猫、メイの様子を見に行く。祖母自身あまり病気に縁がないため、お手入れや薬のやりかたなどを指導。本当は早くうちで引き取って看病したいんだけど、先住の老猫にうつされちゃうと困るんだよね。もどかしい。先月の鍋会で誰かが置いていった猫のおもちゃを与えたら、たいそう喜んでくれた。ところでこれ誰のですか? お返しした方がよい?

母方の祖母宅に行くもうひとつの理由は、新潟に縁があるので、常にうまい米や魚があることだ。飯をたかりに行っているとも言えます。食事をしながらいろいろとお喋り。父方の祖母は「女王であり法」なので非常につきあい難いけど、母方の祖母は好奇心旺盛で話も面白い。古典文化から現代美術にまで造詣があってびっくりします。
 今日頂いたお抹茶は、本能寺の変の時に京都にいた家康を逃がしてやった上林というお店のもの。そののち家康が天下を取って、当然だが将軍家にひいきにされた。「茶壷に追われてトッピンシャン抜けたーらドンドコショ」って歌があるでしょ、あれは上林家から江戸にお茶を運ぶ様子を歌ってるんだって。庶民はお茶行列を見ちゃいけなかったので、「お茶行列が来たぜベイビィ、扉をビシっと閉めるんだ。通り過ぎたならピースオブマインド」と、まあ清志郎っぽく歌うならそんな感じ。

ところで今日の午前2時半にカラオケに誘ってくれた君 (行かなかったけど) 、夕方に長い長いメールをくれた君 (e+でもネットマイルでもない) 、本当にどうもありがとう。「人間ってただ生きてるだけで価値がある」。そうだといいと思う。とりあえず猫達の親として今日を生きる。

12月8日 & LOVE FOR ALL

昨今の更新はすっかり猫日記の様相であり、自分でも多少の危機感を感じている。しかし「猫の写真に吹き出しをつけない」という信念だけは守っていく所存なので、どうか暖かい目で見守ってください。もうすぐ音楽サイトに戻ります。本当です。
 数日前に拾い猫、メイを引き取った。まだウィルス性鼻気管炎が治ってないので、物置部屋にケージを設置して隔離。暖房機具と電灯はあるけど、やっぱり遊び盛りの彼には狭くて可哀想だな。扉を開けると飛び出してきてゴロゴロ甘えてくる。薬が4種類、飯は1日3回。ちょっとした子育て気分だ。早くよくなれ!

しかしよくなったらよくなったで、先住猫達と共存してくれるか、という問題が待ち受けている。人間たるもの、恋人に対しては一途に愛するべきだが、動物に対しては全てに平等に愛を注がなくてはいけないのだよ君。いずれにしろ、愛情を表現するのは難しいことだ。
 具体的には、先住猫達は1日2食カリカリタイプなんだけど、育ち盛りの子猫は缶詰め3食で、なんでこいつばっかり食ってんだって話だ。ほかにも問題は山積み。理想を言えば、子猫にインスパイアされて先住猫も元気になり、猫のなんたるかを教育して欲しい。辛いパターンとしては、先住猫が小猫に圧倒されて引きこもるか、逆に先住権と体重を利用して優位性を示すか。

話は変わるけど、ダイエットが思いのほか順調に進んでます。プール%バイセコーで、アーバンかつヘルシーな生活。とは言えプールはスポーツジムじゃなくて区民プール、バイセコーはママチャリ3段変速なんですが。
 今日はプールのウォーキングコースで、初老のご婦人3人が飯島直子について語っていた。ご婦人方がどうして飯島直子に関心を持ったのか、また飯島直子に対してどういう印象を持っているのかは確認できなかった。それと、背中から腕にかけて絵が描いてある人、いわゆるピクチャーマンと隣のコースになってしまった。こわい。彼が仲間 (ピクチャーメン) を引き連れて来るなら、ほかのプールを開拓しなくちゃだ。

12月10日 ピクチャーマンその後

おとついのピクチャーマンが今日もまた区民プールに現れた。どうやら気に入った模様だ。今後も注意深く観察する。

oakistのボーカル・ギター、杉浦太亮さんに頂いた、彼らのファーストアルバムを聴きました。アメリカンルーツものが好きなミュージシャンは概してその世界に深くのめり込みがちで、リスナーとしてはかしこまって聴かなくちゃいけないものだけど、oakistの音楽は僕の部屋に馴染んでリラックスして楽しめました。ほどよく日本のまろみを吸い込んだサウンドと、人柄を偲ばせる大らかなボーカル。ソウルフルな「七度五分」とポップな「悪くは無い気分だ」を、とりあえず試聴して欲しい。
 でもライブの方がいいんだろうな。音の粒が立ちすぎて、彼らの目指す空気感とは違うような気がした。杉浦さんすいません。

「アメリカが真の意味で独立国になれますように」。青山CAYの壁面に、喜納昌吉さんが残したささやかなメッセージ。ジャパンも、ね。

12月12日 大村崑

今年の夏に作ったメガネがどうもずれるんで調整。そしてタワレコ渋谷店でお買い物。本当は薄田育宏さんのお店、Maximum Joyにもお邪魔したかったんだけど、時間がなくて断念。
 今日は1年数カ月ぶりのMoonridersのライブでした。ここ最近はバンドとしての活動が鈍っている彼らですが、ライブにおいてはパワーアップを繰り返していると思う。この勢いをアルバムに反映させて、うまいこと売り込めば、四人囃子や外道の復活なんかより遥かに鋭く今のポップシーンに切り込めると思うんだけど。

会場で金髪女子大生Y.K.さんとその後輩のテクノガールに会う。テクノガールは50男の生きざまをどう見たのだろうか。2人はそのまま打ち上げに合流した模様。僕は疲れていたのでマユコさんとS子さんと焼酎でまったり。
 S子さんは最近、ボーカリストとしてジャズや古いポップスをやるバンドに加入したんだって。マユコさんは「銭形金太郎」の公開録画を見に行ったんだけど、収録前にADに呼ばれて前の方に座らされて恥ずかしかったという。そりゃ「美人枠」だよ、宿命だ。嫌なら行くな。

ところでメガネがずれる、という芸だけで芸能界を渡り歩いてきた大村崑氏、なんとメガネ博物館なるものを運営している。なんともそそらない施設だ。

12月13日 こじんまりと、暴君

またしても我が家で鍋会。テーマは「こじんまり」。11月の鍋会は大勢過ぎて壮絶だった、鍋とは本来ひとつのテーブルを囲んで肩を寄せあい、こじんまりとした時間を楽しむものではなかったか、との声が寄せられ、開催と相成ったのでした。草食動物のような顔ぶれが揃って、しかしがっつり肉を食った。
 まずはK.M.氏が大量の食材と共に登場。豚の角煮をコトコトと煮込み始める。Crazy Ken Bandを聴きつつ、「マンハッタン・ラブストーリー」における小泉今日子さんの好かんたらしさについてお喋り。元ヤンから小洒落た文科系アイドルへ、そして30代も半ばを過ぎた今、生活感あふれるタクシーの制服を着こなして純愛を演じる彼女。その人生が既にキュートです。

やがて呼び鈴が鳴りだした。Tさんが、妙にクリスマしい音楽をかけたがるのは意外でした。絶好調だったのはA.A.さん。小津映画の現代性について、身ぶり手ぶりで早回しで喋りまくる。M美さんは子猫のメイにノックダウン。秋山さんはオザケンビデオにうっとり。
 そしてついにK.M.氏の豚の角煮が出来上がる。ウママママーッ! 料理ができる人は無条件にかっこいい。嫉妬した。最近、片付けができない人を精神面から語ったりもするが、料理ができないのも精神の疾患でないかと思う。何と何をどうしたらどんな味になるのか、全くイメージが湧かないのです。インスタント食品でも不味く作る。

トータルで振り返るに、和やかで楽しい鍋会でした。がしかし、誰かが買ってきた「暴君ハバネロ」というスナック菓子には閉口。辛すぎ。人道上の理由で置いてくれない店があるとか、青少年への影響を考えてCMの放送を中止したとかいう都市伝説も信じてしまいそう。買ってきた人は責任を持って食べなさい。捨てるのも忍びないので、みんなが帰ったあと一人で泣きながら食べた。
 余談だが、プールに出没するピクチャーマンはパンチパーマなのか聞かれた。答えは「わからない」だ。なぜなら水泳帽を被っているから。ピクチャーマンと言えども、区民プールのルールに従って生きている。そう思うとちょっと可愛い。

Special Thanks : Miss Dandelion & Tado

12月18日 Living / Loving

今年も師は走っているだろうか。弟子はどうだろうか。小旗を振って応援を。国道15号からよく見えます。
 12月はライブ三昧の月でもあって、行きたいライブが重なってしまう。まずは15日、レムスイムの大久保由希さんや関利佳さんが参加するブラスバンド、ブラ蔵のライブ。場所を勘違いして遅刻してしまった。大久保さんも関さんも、あっスキルさん遅れて来たってわかったらしい。意外と見てるもんなんですね。ステージは中尾勘二さんをゲストに迎えて、スカやらニューオリンズやら、ブラスバンドで出来ることなら何でもやっちゃう。お茶目なシンガーのイメージが強かった大久保由希さん、この日は「男らしい」ドラマーだった。ドラムやってるほうが楽しい! っていいのかそれで!

続いて登場したのは福岡史朗&BOXCOX。締まったリズム隊と、幽玄の福岡ワールドとのコントラストが素晴らしい。1曲目、ふくだげんさんのドラムが鳴り始めたとたんにキター!って感じ。アルバムでは、鼻にかかった癖のあるボーカルが個性を引き立たせているけれど、こうしてライブで見ると、直球なロックシンガーだとわかります。
 最後は全く知らないインストバンド、SAKEROCK。エキゾチックでユーモアに溢れたスウィングを奏でる。なにより目を引いたのはトロンボーン氏。いきなりスキャットを始めたり踊り出したり。後で聞いたんだけど、ラーメンズが彼らのステージングに注目して名を挙げたんだって。笑顔のキレに自信が満ち溢れていて、たぶん彼はモテる。

17日は秋山羊子さんのライブ。ついこないだお鍋を囲んだ穏やかな秋山さんと、ステージで自らを曝け出す真摯な秋山さんのギャップにドキドキ。この人はピアノの前に座ると、とたんにミュージシャンのオーラを醸し出す。音楽家としての自分に、いい意味で誇りを持ってるんです。だからリスナーの胸に音が届いて、柔らかい余韻を残す。前に見た時は、乾いたエレピで音響派にも似た世界を繰り広げていたけど、今回はよりウェットで女性的な感じ。CDはまた違った感触で、ほんと色んな持ち札があるなー。
 ひたすら捨て猫のメイの看病に勤しむ毎日。可愛いすぎてZokkonラヴ。しかしケージから出すと元気に飛び回るので、なかなか写真が撮れない。とはいえ療養中の身、まだ小さくて週に1本しか注射が打てないので、年末までは物置部屋に隔離になりそうです。

Special Thanks : Crazy Tony

12月22日 愛し愛されて生きるのさ

日記が途絶えがちなのは僕が凹んでいる証拠であり、凹みオーラというのはオカルトなパワーで伝播するらしく、お誘いのメールも電話もピタリとこなくなる。誰か遊んでくれ。いや、遊んでください。年末で忙しいのはわかるけど! サザエさんとかドラえもんとかちびまるこちゃんとか見てると、みんな陽のあるうちにお父さんが帰ってくるよなー。高度経済成長期、モーレツと言われていた時代だって定時退社が普通だったんだ。みなさん、働き過ぎですよ!
 とはいいつつも20日はY邸で、鍋とラム肉とケーキが出てくる不思議な飲み会に参加。他所者のスタンスだったけど、がっつり飲んで翌昼まで爆睡。

21日は、あんまり親密でない方の祖母 (父方) のコーラスの発表会に行くことになってしまった。ババ孝行といいますか。ステージに出てきたのはよぼよぼのおばあさま方で、白粉が飛んで視界が悪くなりそうな勢いだったけど、意外や意外、難曲を小洒落たアレンジで聴かせる。なぜかゲストはメキシコ人のトリオで「Besa Me Mucho」や「La Cucaracha」、そして日本人のカルテットで「'S Wonderful」などを披露。客席にはかの森田健作先生がいらっしゃいました。途中で帰られました。
 うーん、父方の一族はみんな音楽の才能がある。母方の祖父は、商売人なのに三三七拍子が出来なかった。間に産まれた僕は、平凡ってとこですか。

拾い猫、メイの看病がものすごく楽しい。そしてメイは、僕が目薬とか粉薬とか爪きりとか耳掃除とか嫌なことをいっぱいするけれど、僕のことが大好きだ。誰かのことを能動的に愛すると、アドレナリンが出るよね。Wouldn't It Be Nice! 人と人だってそうだったらいい。
 治療がだいぶ進んで、猫から猫への感染の心配はなくなりました。従ってようやく先住猫とご対面。メイは好奇心旺盛で挨拶を繰り返すのだが、先住猫は僕との生活に慣れきっているため、新参者の登場にびびっている。ビクっとして、1メートルくらい飛びます。

12月25日 Merry Christmas!

思えば僕は、このサイトを開設してから毎年のように「クリスマスに独りきりで何が悪い」とくだをまき、自嘲して来ました。もう、いいじゃないですか。今年は敢えて虚空に叫ぼう。メリー・クリスマスと!

23日はいとうまさみさんのライブを見てきました。新曲が2曲もあって、どちらも素晴らしかった。新作のレコーディングは順調に進んでいる模様。会場でお会いした方々とお茶してバイバイ。みなさんがその後、どんなにクリスマしい休日を過ごしたか僕は知らない。
 そして24日。掲示板に「独りでカラオケ絶唱の予定」って書いたら、K.M.氏がナイスな反応をしてくれた。そして我々は本当に実行しました。クリスマスイヴ・男2人のカラオケ大会を。ある種の羞恥プレイ、あるいは勇敢な戦士だったかも知れない。急なお誘いだったにも関わらず、K.M.氏はシックなクリスマスカラーのコーディネートで、さすがに一枚上手でした。

ただの白熱灯が無駄に灯る、いつもより人通りの多い並木道を抜けて、いざカラオケボックスへ。いつもなら1時間待ちの人気店、ガラガラだった。1曲目はもちろん山下達郎のあの歌を。あとはつボイノリオとか。結局4-5時間は歌いましたか。
 その後2人で我が家へ流れ込み、毎年恒例の「明石家サンタ」鑑賞。寂しい夜に、互いの不幸を笑い会う清清しさよ。僕らは確かにつながっている。そんなことを感じさせてくれる素晴らしい番組です。どんなチャリティー番組よりも、強くそう思う。今年は「寒空の公園で、待ち合わせの女の子を5時間も待っている青年」が秀逸であった。八木亜希子が彼女になりすまし、彼の携帯に電話を入れるくだりも素晴らしい。寂しいのは君だけじゃない。

12月27日 old friends

イギリスに社会人留学している森のクマさんから一時帰国のお知らせ。殆ど職場に拘束されているものの、ちょっとなら時間が作れるという。彼は僕の十数年来の親友であり、信頼に足る相談者であり、尊敬に足る師匠であり、かつては同じ女の子に思いを寄せるライバルでもありました。
 とりあえず東京駅で待ち合わせて丸ビルに登ってはみたが、あまりにもハイソサエティなムードに押され、庶民は5階でハンバーガーでも食ってろ、という無言の圧力に屈してそのように。しかし1年半のタイムラグをまるで感じることなく、楽しい時間を過ごすことができました。

唯一の変化は、僕がカラオケ大好き人間になったこと。牛乳プリンから女優の好みまで、おおよその価値観を共有する我々だが、ただひとつ相容れなかったのがカラオケだったのです。若き日の僕は、カラオケ文化はポップスへの冒涜だと思っていた。しかし彼は極度のカラオケ依存症であった。どれくらい極度かというと、スキー宿の乾燥室になぜかコイン式のカラオケが置いてあって、ここでどうしても歌いたいと頼み込む彼に根負けして、スキー靴を履いたまま1曲拝聴したことがあるくらい。
 あれから幾年月、僕らはついに2人でカラオケボックスへ。僕らの過去と未来のために、一緒に「夜空ノムコウ」を歌った。ベタ過ぎか。これでいいのだ。

森のクマさんと別れた後、もっと古い友達と夕食の待ち合わせ。しかしその日の彼は仕事納めでお酒が進み、ちょっと悪い酔い方をしているように見えた。知り合って十数年、いつもジェントルだった彼は自我を抑制していたのだろうか。
 次の日も鍋会のお誘いを頂いていたんだけど、人間関係について自信がなくなり、欠席してしまった (でも寂しくなって、鍋会の最中に携帯で参入。モバイル鍋。21世紀ばんざい) 。

12月31日 明日にたどり着けるか?

また日記の間が空いた。でも年末年始に読んでる人なんていないでしょう。
 28日は「カチャマイとテレク」というエレクトロニカ系のイベントに行ってきました。16:30スタートということで、放課後の教室のように斜めに差し込む陽射しが「ハチミツとクローバー」のようなモラトリアム感を呼び覚ます。なんとも雰囲気のいいイベントでした。しかしエレクトロニカはライブよりレコードで聴いた方がいいね。そんな中でmoosehillが光っていた。サンプリングされた汽笛の音と乾いたギターの響き。John Fahey以来、よく使われる手ではあるけれど、やっぱり強い郷愁を呼び起こす力があります。

Gutevolkは、名盤「suomi」のアコースティックな世界から遠く離れて、プロジェクターを使ったパフォーマンスをしてました。モニターの上にトレペか半紙みたいな紙を置いて、その上から絵の具を乗せていくの。演奏はほとんどシーケンサーとテープじゃないかな。
 29日はT.N.とT.A.と韓国料理屋で飲み。みんなによく「仲がいいのか悪いのかわからない」と言われるので、ここではっきりさせておこう。我々は仲が悪い。しかしそれでも同じプルコギの鍋を突つく粋人である。チヂミを注文したら、店員さんに「普通のチヂミは味がしない、海鮮チヂミの方が美味しい」と言われて大笑い。その後、T.N.の意外な一面を目撃。酒の力ってすごい。

そして今日は大晦日。全然感慨ないです。日記を読み返すと、今年もいろんなことがあったはずなんだけど。主催イベント。両親の遺品の整理と実家のリフォーム、そして引越し。いくつかの素敵なパーティ。たくさんの素晴らしい出会い。姪の誕生。
 今年最後の大事件は、やっぱり捨て猫メイがやってくれました。お風呂にお湯を張って洗面所を掃除してたら、ぽちゃんと水の音が。振り返ると、メイが湯舟に落っこちてるじゃないですか。でも平然とカワウソみたいに泳いでた。普通猫は水を嫌がるもんなんだけどな。大慌てで救出し、ドライヤーの刑だ。お前は風邪なんだからな。こんなに普通の毎日の中で、でも明日になれば年が変わる。よいお年を。君に。僕に。