DIARY 2004年1月


1月1日 あけました

あけますか? あけます! あけます! あける! あける! あけたー!
 というわけで。あけました。おめでとうございました。あけたからといって別に何の感慨もないんですが。フジテレビの運勢占い番組では、ことごとく「今年もダメ」の烙印を押されました。

格闘技番組が3つも重なった大晦日、殴り合いには興味がないので紅白歌合戦を鑑賞しました。今回はこれといって面白くもなくつまらなくもなく、小林幸子さんと美川憲一さんの衣装 (舞台装置) 対決では、間奏で衣装の色が変わるというネタが被り、しかも小林幸子側は装置が作動せずに悔し涙との後日談。見ごたえがあったのは、何かと妄想を掻き立てるaikoさん、そして大人の色気を振りまいていた布施明さんでしょうか。
 和田アキ子さん「古い日記Remix」はバックトラックがおざなりで、和田本人の歌唱力もずいぶん落ちた。ソウルの女王を自負する彼女に、誰か言ってあげなくてはいけません。「あなたの歌は声量ばかりでグルーヴも歌心もありませんよ」と。

元旦は15時過ぎまで爆睡。起きて慌てて掲示板巡り。なにしろ僕の本職は「寂しがり屋」なので、年末年始は書き入れ時なのです。一通り巡回したら、メイを連れて両親の墓参り。新入りですのでヨロシクと。元旦にやってる花屋が見つからなくて、安っちい花束しか買えなかった。申し訳ない。そして母方の祖母を訪ねてお雑煮をいただく。祖母は祖母というだけあってお婆さんなのだが、今年は西国三十三ケ所巡礼を目指すという。元気!
 概ねそんな感じです。今年も僕とこのサイトをよろしくお願いいたします。

1月4日 白と黒

3、4日に一度くらい更新があればいいかなと。そんな時期もあるだろう。
 2日はY.A.さんとY.Y.さんの、新居お披露目を兼ねた新年会へ。すっかり出張鍋奉行が板についてきたK.M.氏はギャグのフィルターを撤去した直管マフラー仕様で暴走。sasakidelicさんは真っ赤な顔をして撃沈したかと思いきや、むくっと起き上がって、僕に「愛について」問いかけてくる。いや、ほかにもっと経験豊かな方がたくさんいらっしゃるじゃないですか! S.K.氏は例によってズブロッカを持参。やっと気づいたんだけど、僕はズブロッカを飲むと潰れるんだよ。もう飲まない。

という訳で、めでたく新居初の宿泊者の座を射止めました。お邪魔いたしました。記憶はしっかりあるし、リバースとかしなかったので、ご迷惑は最小限に抑えたつもりなんだけど。
 迎えた3日はメイを連れて、母方の祖母宅にて新年会。恒例の天ぷらをたらふく食った。祖母の天ぷらはゴマ油を使ってサクサクに揚がっており、これを食べると新年が来たなあと思います。それからクワイの煮物。昔から「芽が出る縁起物」とされているそうで、いつまでたっても芽の出ない僕は、毎年のようにたらふく食べさせされる。それでもいっこうに芽が出る気配がありません。メイは、女の子が大好きであることが判明した。やはり動物というものは、愛情を注いで接していれば飼い主に似てくるものだ。

4日は家でぼんやり。「金スマスペシャル」の森山良子特集に、感動してしまいました。本当はジャズシンガーになりたかったという森山さん、「'S Wonderful」で軽やかに登場。長女 (つまり直太郎の姉) がPetty BookaのPettyだとは知らなかった。「さとうきび畑」が彼女のオリジナルでないことも、歌うのをためらっていたことも。
 反戦フォークの時代にジャズに憧れた彼女が、メッセージ性の強い歌詞に抵抗を感じていたのは想像に難くない。例えば我が師匠の鈴木惣一朗さんは、本当は歌ものポップスが大好きなくせに、歌詞の意味性がサウンドの楽しさを隠してしまうことを嫌って、敢えてインストをやっている。逆に言えば、言葉ってそれだけキャッチーなんですよね。スキャットより、やっぱり言葉らしきものがあったほうが聴きやすい。電気Grooveの「ノイノイノイ」なんかはその辺の妥協策を探ってたんじゃないかと思う。架空の言語で、響きの面白さだけで作詞するという。

僕はメッセージ肯定派か否定派かっていうと、そういう軸では判断できない派。例えば忌野清志郎さんのTimersは、馬鹿馬鹿しくて面白かったから肯定。でも「君が代」のカバーは曲として魅力がなかったから否定。ジョンとヨーコがベッドインのパフォーマンスをするのは肯定だけど、ポールとリンダがベッドインしてもなんだかな。若い頃って主義やスタンスに「全否定」か「全肯定」しかなくて、若いミュージシャンのインタビューを読んでるといまだにそんな感じだけど、30も過ぎるとだんだんいい加減に感覚的になってくる。今日は嫌いだけど明日は好きかも知れない。白でも黒でもなく、マーブルな感じ。
 要するに最近、自分なりの30代の楽しみ方が掴めてきた感じです。このサイトを始めた頃は、森山良子さんを話題に挙げることすらなかったと思うんだ。

1月8日 竹たてかけた

最近あんまり日記を書いてないのは書きたかったけど書けなかったから書かなかったのです。竹たてかけたかったのです。新人シャンソン歌手による新春シャンソンショウなのです。
 要するに、ほぼ寝込んでたので書くことがない。低空飛行な年明けです。明るいニュースと言えば、メイの治療が終わった。衰弱しきっていた1ヶ月前が嘘のようだ。拾われてなかったらその日のうちに消えていた命、逞しくなり過ぎだよ。とりあえず「幸福の木」の植木鉢にウンコをするのはやめて欲しい。ただでさえ育ち過ぎてる「幸福の木」、有機農法で大変なことになりそうだ。「幸福」に「運」をつけて、僕に恩返しをしているのかよ。

僕自身の治療は全く進まない。今日はついに脳波をとった。塩水をクリーム状にしたもので、頭に電極をいっぱいつけられた。おそらく「地元で有名な発明おじさん」みたいになっていたと思う。その姿を写真に撮ってみたすぎたのだが、動くと取れそうだったので諦めた。そんで目を閉じてフラッシュを浴びたりメトロノームに合わせて深呼吸したりした。カチコチカチコチ吸ってーはいてーカチコチカチコチ吸ってーはいてー (2/4拍子) 。結果異常なし、ということで、脳波の紙はくれなかった。日記に載せたかったのになー。でも目眩は治らないので寝ます。また数日後に。アデュー。

1月13日 それが、君の、歌

誰に気づかれることなくひっそりと生き続ける日々。日曜の午後は見たいテレビもなくて、「笑点」をぼんやり眺めながら木久蔵の落ちを予想するのが数少ない楽しみです。そんな時、K.M.氏から突然のお誘い。OZディスク絡みでものすごいイベントがあると。
 メインアクトは岸野雄一さんの新バンド、フォルティ・タワーズ。菊地成孔氏ら超豪華メンバーが揃って何をやろうというのか。そして二階堂和美+PLACE CALLED SPACE、さらにECD+イリシット・ツボイという布陣。あまりにもスタイルの違うこの顔ぶれにとまどったけれど、全て見終わって納得した。そして次にこんな素敵な機会があったら、みんなにも体験して欲しい。音楽にはまだまだ色んな可能性がある。

二階堂和美+PLACE CALLED SPACEは、図書委員ガールズの奏でるVelvet Undergroundだ。普段は地味でおとなしくて、でも知的でストレンジなことに興味のある2人が、今日はお友達と一緒なのでちょっとハメを外しちゃいました的なグルーヴ。
 ECD+イリシット・ツボイは、無知な僕にもヒップホップのなんたるかを叩きつける迫真のプレイ。不器用に言葉を吐き出すECD。曲芸師のようにターンテーブルを操ってそれに答えるツボイ。針を上下逆につけて、上からレコードを放り投げるパフォーマンスまで。2人の間には笑いがあり、自由があり、それゆえの緊張感があった。最小限の機材だけで音を楽しみ、それを観客と共有する。スタイルでなく、スタンスとしてのヒップホップだ。

岸野雄一さんは、セットチェンジ中にかかっていたBGMに合わせてステージを降り、僕の目の前というか真上まで来て踊ってみせる。写真は、世界の珍しい岸野雄一シリーズ「真下から見た岸野雄一」である。やがてステージに戻り、ラップのような、お喋りのような歌を歌い始めた。下ネタから哲学まで、この場所から世界情勢までをシームレスに繋ぎ、笑いに昇華する。かつて、知性と笑いと音楽がひとつになって、何かが変わりそうな時代があった。その視点から今を見つめたら、フォルティ・タワーズのショーになるだろう。
 「僕の言葉を君が『違う』と思ったっていい、でも君の『違うよ!』の声、さっきの声より2音高いよ、それが、君の、歌」。名うてのミュージシャン達も、岸野さんの「君の歌」をリスペクトして、最高の演奏で引き立てる。確かな知性で奔放な人生を送る、岸野雄一という存在に酔いしれた。

1月16日 何度目だナウシカ

というタイトルの日記が日本中で量産されているはずの今日です。何日かたったらgoogleで検索してみるとよいでしょう。

およそ10年ぶりに「リバーズ・エッジ」を読んだ。2度読んだ。絵の古さにまず驚き、言葉の古さに驚き、なんの引っかかりもなく読み終えてしまったことに驚いた。初めて読んだ時のあの衝撃はなんだったのか。変わったのは時代なのか自分なのか。手塚の晩年のサスペンスものとか読み返すと、いまだに衝撃を受けるのになー。時代を超えることが全てだとも、今この瞬間に衝撃を与えることが全てだとも思わないけど、正直ちょっとがっかりした。
 岡崎京子さんが帰ってきたとして、彼女に居場所はあるのかな。綿矢りささんはこれからどういう人生を歩むのかな。

若さゆえに無限に広がる可能性、若さゆえに作品よりも話題性が先行する苦悩。20代なかばをピークに衰えていくポップミュージシャン、老いてなお最新作が一番アヴァンギャルドなコンテンポラリーアーティスト。そんなことを考えながら寝込んでいた。猫たちと一緒に。一番老いているのは僕かも知れない。
 メイはよくなついて、僕が台所に立てば台所に、風呂に入れば風呂についてくる。ほかの猫たちもそうだけど、彼が唯一異常な点は浴槽のお湯を飲むことだ。浴槽は毎日洗っているので衛生面で問題はない。けどなんかやだ。生理的にやだ。君は自分の入ったお風呂のお湯を、誰かに飲まれたことあるかい?

1月18日 俺は鼻血ブーだ

今日は鬱日記です。女の子は鬱日記を書くとアクセスが上がるらしいけど、おじさんのはお呼びでない。僕だってそんなもの読みたくないし、みんなの前では楽しげに振舞っていたい。でも数年後の僕が読み返して「あの頃は楽しかった」と勘違いしないように、たまには鬱日記を書くのです。

この一週間、強烈な不安と目眩と咳と鼻血に襲われ、一歩も家を出ることが出来なかった。めざにゅーを見て眠り、スーパーニュースで目が覚めて、そのままベッドでゴロゴロ。
 17日はなんとか這い出して、渋谷タワレコに高田漣さんのインストアイベントを見に行きました。鈴木惣一朗さんや権藤知彦さんを含む5人編成のバンドの中を、高田漣さんのスティールギターがパイナップル畑の風のように流れていった。外は粉雪が舞い散る冬の夜、そこだけは暖炉に当たるような幸せに満ちていた。もちろんアルバムも素晴らしいのでチェックしてください。

正直なところ、重い体を持ち上げて渋谷まで出かけたのは、会場で誰かに会えるような気がしたから。終演後、漣さんと惣一朗さんに素晴らしいライブだった旨を伝えて、外に出ると僕はまたひとりぼっちだった。思いつくままに電話をかけて、何人かの友達と会い、明け方までお喋りした。それでもベッドに入る時は、大きな孤独感と絶望に打ちひしがれていた。なんでそうなったのかはなんとなくわかるけど、それを日記に書くべきじゃないこともなんとなくわかる。
 翌18日は、母方の祖母の荷物運びのお手伝い。祖母に会う時は比較的元気な日を選んでいたんだけど、今日ばかりは仕方がない。初めて鬱の症状を見た祖母は動揺していた。彼女にとって、本当の僕を見ることと荷物を自分で運ぶこと、どっちがよかったのかな。

1月27日 21世紀の精神異常者

はてなアンテナ等でチェックしている御仁は、「フリップサイド停滞してんなあ」と思われてたかも知れないけど、実は掲示板で極めて活発に活動してました。日記の空白の間に何をしてたかと言うと、入院してました。
 普通にいつもの外来診察に行ったら、主治医があちこち内線電話をかけはじめ、車椅子に乗せられて気がついたらベッドの上に。車椅子って初めて乗ったんですが、振動が酷くていまひとつ病人向きの乗り物とは言い難い。これを読んでる医療用品関係者がいらしたら、サスペンションの改良をお願いしたい。そういや昔、救急車に乗ったことがあるのだが (つきそいで) 、高速走行仕様なのでやっぱりサスが固かった。

そんな訳で緊急入院ですよ。別に精神が違うところに行ってしまった訳ではなく、鬱状態が長く続いたのが体に来て、具体的には発熱と目眩と脱水症状が酷かったんです。とはいえ、入れられるところはやっぱり精神病棟な訳で、アルコール、タバコ、刃物、尖ったもの、紐の類い、持ち歩いてる薬のチェックと没収。
 部屋は廊下から死角ができないように設計されていて、二重の窓の外にはコンクリート製のフェンス。病室の扉は中から施錠できないようになっていて、でも病棟全体は職員が持ってるIDカードで隔離されていた。一番びっくりしたのは、館内案内図に精神病棟が載ってないこと。病棟名が数字になっていて、何号病棟に御用のある方はこちらにお越しください、と小さな文字で。

朦朧とした意識でベッドに倒れ込むと、あちこちから絶叫が聞こえたり、廊下を全速力で徘徊する人がいたり、隣室の人が壁を叩いたりと、面白い仲間たちに囲まれていることに気づきました。スゲーみんな21世紀の精神異常者だ。僕もか。Robert Frippよ、これが君の見た未来だ。
 生活は、6時起床21時就寝。絶対ムリ。消灯時間後にこっそりテレビを見ていたら、見つかって怒られてしまいました。修学旅行以来だ。修学旅行では、夜中にテレビを見てようがトランプしてようが、誰かが「先生が来た!」と察知して事なきを得たりもしたのだが、その才能が僕にはなかった。

消灯後は携帯から掲示板に猛烈に書き込み。とはいえ僕は携帯を打つのが死ぬほど遅いので、猛烈感が読者に伝わっていなかったかも知れません。書くことがなくなったらいちおう寝ようとするんだけど、根拠のない不安感に襲われ一晩に2回はナースコールして睡眠導入剤と抗鬱剤を貰った。でもほぼ効かないまま起床時間を迎え、結局は昼間に寝ることに。
 昼間はひたすら点滴で栄養摂取。つまり点滴を入れながら寝てました。三度の食事と問診と薬の時間には起こされたので、少しは昼よりの生活になったのではないか。そしてこれは極めて大事なポイントなんだけど、ナースがみんな可愛くて優しい。しかし彼女らは仕事として優しさを提供しているわけで、そこを履き違えると、キャバクラ嬢に入れ込むおじさんと同じになってしまう。充分に注意した。

でもね、やっぱり人は独りでいちゃいけないと思った。朝起きて、挨拶して、食事して、夜寝る。それが大事。簡単なことなんだけど、独りでは難しいね。まず「挨拶する」というのが独りでは不可能だ。朝起きて最初に話すのが可愛い女の子だったら、それだけでその日はそうとう気分がいい。
 という訳で、皆さんにはさんざんご心配おかけしましたが、快適に入院生活を終えました。まだ続けてもよかったんだが、経済的な事情により退院することにした。この期間に、掲示板やメールでメッセージを頂いた皆様に、心からお礼を申しあげます。今日掲載した猫の写真は、うちの猫の世話をしてくれた弟が撮影したものです。寂しげなのはクリマロだけで、ネモとメイは自由に過ごしていた模様。

1月30日 It was 30 years ago today - 君はそこにいれば君

ビックリハウス誌の創刊30周年イベントに行ってきました。ビックリハウスは1974年から1985年まで発行されていたサブカル雑誌の元祖で、その関係者や投稿者の名前を挙げていけば、現在に至るポップカルチャーの要人がほとんど収まる。21世紀の日本に生きる僕たちも、間違いなくその享受の中にいる訳で、後追い世代としてはビックリハウスに対する憧れというか幻想みたいなものが強くありました。
 イベントは、ライブの合間に鈴木慶一さん・高橋章子さん・日比野克彦さん・榎本了壱さんのトークが挟まる構成。客席からも関係者を引きずり出して、何か喋らせたりする。

圧倒的に面白かったのはパルコ創業者の増田通二さん。ご老体から繰り出す、どちらに転ぶとも知れぬバカ話はついに戦争体験談に至り、そのあまりのリアリティに今の世界情勢を重ねて聞いていたら、唐突に話が終わった。痛かったのが高橋章子さん。かつて若くて可愛い敏腕編集者だったはずの彼女は、今や関西芸人のようなテンションで、「なんでもアリ」「オモシロ探し」といった、時間が止まったキーワードを投げこんで来る。
 ところで開演前、エガリテの野田美佐子さんの紹介で、高橋信之さんとお話してしまった。話題は秋山羊子さんのデビューについて。「君の名刺が欲しい」と仰るので、手作りのしょぼい名刺を差し上げた。このサイトをご覧になるかも知れず、緊張。

トークはともかく、ライブは楽しめました。まずはサエキけんぞう+窪田晴男のデュオになったパール兄弟。窪田さんのカッティングギターは健在であった。
 続いて秋山羊子さん。鈴木博文さんと武川雅寛さんをバックに従えてトリオ編成で登場。いつもの弾き語りのステージで感じる、全身から音楽が溢れ出るような至福感、それは彼女の類い稀なるグルーヴ感であったり、エモーショナルな表現衝動をピリっと引き締める繊細な緊張感であったり、といったものを、残念ながらこの日は感じることが出来ませんでした。それは編成によるものなのか、ほかに理由があるのか僕にはわからない。秋山さん、またゆっくり話がしたい。

続いてセロファン。勝手にネオアコのイメージを持っていたんだけど、骨のあるリズム隊に高らかなエレキギターが絡みつく、意外にもタフなロックバンドでした。内田春菊さんが銀ラメの衣装で登場し、歌い踊る一幕も。ある意味Tina Turnerのようで格好よかったけど、2曲で息が切れていた。続いて山口小夜子さん。ダンスとビデオとポエトリーリーディングのコラボレーションは、決して新しい手法とは言い難いが、やっぱり美しくてこの一瞬だけ「あの時代」の一面を見れたかな。
 オーラスはMoonriders。「Video Boy」に始まり、アップテンポな4つ打ちでたたみかけてくる。あがた森魚さんが登場して「赤色エレジー」「大道芸人」を披露したほかは、ひたすらビックリハウス当時のナンバーを演奏。いい意味で肩の力が抜けていた。

結論。他人の同窓会に間違って行っちゃったみたいなもどかしさと、新しくあり続けることの難しさを学びました。同行のK.M.氏は、ビックリハウスが本当に面白かった時代を知っているだけに、思いは複雑なようだ。

Special Thanks : Akiyama Yoko Sun