DIARY 2004年3月


3月2日 もう結構

狂牛病騒動に続いて鳥インフルエンザの対応に追われる坂口厚労大臣が、記者団を前にうなだれて一言。
 「牛だの...ニワトリだの....モーケッコー」
親父ギャグである。不謹慎である。問題発言である。しかし突っ込む野党としても突っ込みようがないというか、「なに言うてんねん、もうええわ」と返すしかなさそうだ。このおじさんが、ほんのちょっとだけ好きになった。ほんのちょっとな。

3月5日 僕の中の少年

お出かけが続く日々。3日は姪の初節句にお呼ばれしました。僕は男兄弟なんで雛祭りってよくわかんなくて、とりあえず子ネコ連れてったら受けるかなーと思ったら大失敗。姪を泣かせたり雛人形をひっくり返したり、はしなかったけど、弟の愛犬ラビを追っかけ回して大変だった。ラビ、震えてた。ごめんな。
 姪はねー、弟の小っちゃい頃に似ていて実に面白い。話しかけたり変な顔をするとにんまり笑うのが実に面白い。しかし不愉快なことがあるとすぐに泣いてしまう。泣けるうちに思いっきり泣くがいい。いつか君も恋をしたり眠れない夜を過ごしたり足の小指を柱にぶつけたり鼻の奥にご飯粒が入ったりチキンナゲットを食べたり電球を取りかえたり消しゴムの角を使ってほくそ笑んだりするのだろう。

4日はマユコさん主催の飲み会。orkutで再会した懐かしい顔もあって、お互いの太りっぷりに大笑い。微妙な顔合わせで探り探りのお喋り。人脈相関図にしたら相当スリリングな過去を持つ我々であるが、危険地帯に踏み込んで笑いあえるようになりました。
 常識人の皆様は終電で帰って、三宿で二次会。小洒落たお店でフェチの話題とかをしみじみ語る。僕、フェチってあんまりないんですよねー。例えば女子高生DJ A.Z.a.T.o.i.の制服姿にはドキドキしたが、それは男子校出身で思春期に女の子と喋る機会がなかった「僕の中の少年」がドキドキしたのだ。A.Z.a.T.o.i.という人物そのものの面白さとは関係ない。

今日は秋山羊子さんのライブ@赤坂グラフィティ。ステージ直前の秋山さんに、「思ったより元気そうで安心した」って言われちゃいました。心配して貰えるなんてファン名利に尽きるが、どうなのよ、こっちからエールを送るのがファンのあるべき姿じゃないの?
 いつもより緊張気味の秋山さんは、いつもより饒舌で、いつもよりエモーショナルでした。彼女の音楽の本質は、ミニマルなフレーズに潜むグルーヴ、抑制された歌声に潜むソウルだと思う。それは僕の大好きなThe Sea And CakeのSam Prekopに通じる、繊細で真直ぐで愛のある魂 (ソウル) だ。秋山さんは、自分の存在が見えなくなって音楽だけが届いたらいい、と言う。そういう意味で、今日のエモーションは目に見えるエモーションでした。たぶん君は真摯すぎるのだ。またお喋りしよう。

3月9日 泣きながら泳げ、スイマー!

orkutにかまけていた。orkutの現状は、自己開示→誰かが見る→リンク→それだけで嬉しい、というウェブ黎明期の状況と似ている。
 orkutにそれ以上の楽しみを見つけるとすれば、友達を作ってレベルアップする。自分の発言が新しい仲間を連れて来る。行き詰まったら天からサジェスチョンが聞こえて新しい世界が開けていく。ネット型ロールプレイングゲーム的な、バーチュアルな僕を育てる喜びに浸ってます。もちろんgoogle社の偉い人は、そんなネット庶民達の活動を空から眺めて壮大なビジネスプランを立てているに違いないんだけど。

鬱の波は数時間スパンから数年スパンまで色んなスケールがあって、長い目で見れば緊急入院騒動以降やや上り調子にあります。非常に久しぶりに区民プールに行ってきた。前によく見かけたピクチャーマン (背中に絵が描いてある人) はいなくなってた。プールから帰ってきたら、メイが青いシーツの海原でこんなんなってた。最近のメイは棒のようにまっすぐに寝ます。ボーボーです。
 日曜日はDJイベントWide Screen@下北沢REVOLVERへ。辻睦詞さんがゲストって聞いたんで。DJブースに向かう辻さんに、「どうよ体調の方は」とか言われちゃいました。心配して貰えるなんてファン名利に尽きるが以下同文。

辻さんのキュートなプレイを聴きながら、レギュラーDJのTくんたちとお喋り。60年代・70年代は掘り尽くした、次は50年代・80年代が来るとか、菊地成孔初のソロアルバムはかなり興味をそそられる内容だとか。曲名がいちいち料理っぽくて、「複数のブレイク・ビーツと電子オルガンによるヒップ・ホップ風。ソプラノ・サックス添え」なんて、タイトルを見ただけでもう名曲に決まってるだろう。
 ところで帰りの電車でガングロギャルを見た。地方にはまだ生息してると聞いていたが、都心でも見られるのだなあ。ヘッドフォンからはユーロビートが漏れ聴こえてた。なんとも懐かしい風情だ。

3月12日 日本ぐうたら計画

鬱の波は数時間スパンから数年スパンまで色んなスケールがあって以下同文。中期的に見ればここ数日は調子が悪い。外出するのが億劫で、クノールスープ春雨など食っております。安売りしてた時に買いだめしておいたのだ。あおいちゃん! スープでおはよう!
 というわけでダラダラとorkutなど開いてます。Mac OSでは正しく作動しなくって、買ったきりホコリをかぶっていたWindows XPのノートパソコンを引っ張り出してきた。しかしそろそろやることが尽きたというか、友達100人できないことがなんとなくわかってきた。招待状が欲しい方はメールくださいね。知らない人をご招待することはできないけれど。

ダラダラと言えばきのうテレビで見たんだけど、ギリシャの人って13時には退社して家に帰って昼寝して、22時頃からレストランに行って飲んで踊って暮らしてるんだって。そんなんでも社会は成立するのだ。ギリシャ人に生まれればよかった。
 日本は人員削減→残された社員の負担増→忙しすぎ→消費の低迷という悪循環を招いているような気がする。ものすごーく忙しい人とものすごーく暇な人がいて、どっちも消費活動をしていないのだ。このままじゃ破綻するぞ。あのさあ、日本中がせーので来週からダラダラすることに決めたらいいんじゃないかなー。そのほうが経済がミニマルなサイクルで効率良く回転するような気がするんだけど。日本人が勤勉だっていうのは明治維新以降の幻想で、民族としては本来ダラダラしたほうだと思うよ。

ウクレレに触って久しぶりに作った新曲は「カラオケたくて」。1ヶ月くらいカラオケてないので血中カラオケ濃度が下がって極めて危険な状態です。あと少しでジャパネットタカタのカラオケマイクを買いそうだったけど、顧客情報流出問題で通販番組を自粛してしまったため、幸か不幸か買うことができない。友人各位は数時間でも余裕ができたら山下をカラオケに誘ってください。
 夜になって唐突にY.A.さんとY.Yさん来たる。チューハイを飲みながらDictionaryを読み、90年代初頭っぽい音楽をかけてノスタルジーに浸った。あの名盤、この傑作からもう10年ですよ、皆さん。それにしても久しぶりにDictionaryを見ると、あの頃はまだ芽が出てなかった人、あの頃がピークで今どこにいっちゃったかわかんない人、相変わらず最前線で頑張ってる人、諸行無常の感慨もひとしおであった。

3月16日 Friends of FriendsはみなFriendsだ

お嬢さん、僕の失敗談を聞いてくれ。久しぶりにでっかいのをやっちゃった。orkutで遊ぶようになって数週間、そろそろ新しいことを試してみたいじゃないですか。で、自分でコミュニティを立ち上げてみた。テーマはなんでもよかったんだけど、ありそうでなかったGutevolkのコミュニティを作った。満足! でも1日たっても誰も入ってくれなくて、宣伝うったれと思ってメッセージを流した。流す範囲はいくつか選べるんだけど、音楽好きの人達にほどほどに行き渡るように「friends and friends of friends」に送ったった。その時は気づかなかったのだ。友達の友達はみな友達であり、世界に果てしなく広がっていることを。深く考えずにえいっと送信して、呑気にカラオケに出かけた。これが14日の午後の話。

カラオケのメンバーはいつもと一緒。誕生日を15日に控えたM.Y.さんのために「Birthday Boy」を歌って、その勢いで懐かしの渋谷系ナンバーを次々と制覇。K.M.氏が加わってからはジャンルを問わず、シートに昇って暴走。彼は選曲の妙で勝ちにいくからなー。大笑いしてノドがかれるまで歌って家に帰ったらメールボックスが大変なことになっていた。
 世界中のfriends of friendsから「お前は誰だ」「Gutevolkなんて知らない」みたいなメールが英語でどっさり。みんなに50人の友達がいるとして、友達の友達は2500人。お知らせというより、ちょっとしたSPAMだ。

しかも宣伝メッセージを作る時に翻訳ソフトからorkutへのコピぺに失敗してたらしくて、自分で読み返しても何が言いたいのかよくわからない。泣きそうになりながら全部のメールに英語で平謝りした。僕の英語力はNOVAの9段階評価で8番目。『定型的な用語で自己紹介ができます。単語でなら何とか返事できますが、フレーズにはできません』。丸2日、翻訳ソフトと格闘して終わった。しかも成り行き上、イタリアのフィリッポさんというおじさんと文通することに。
 というわけで現在Gutevolkのコミュニティでは、Gutevolkの音楽を聴いたことすらない人達がピント外れな会話を繰り広げている。それはそれで面白いのだが、普通にGutevolkファンのみなさん、是非参加して健全な運営に協力してください。

3月19日 マイケルとかいう鬱陶しい芸人を誰か摘み出せ

調子悪いです先輩。昨日の雨で花粉症がね、ついに来た。鬱と目眩と花粉症と副作用でひたすら寝てます。このまま寝てたら死ぬ!ってたまーに起き上がる。100回目の腹筋運動みたいに気力だけで起き上がる。この時、なかやまきんにくんじゃなくて、エスパー伊東の100回目の腹筋運動を想像して頂きたい。でだ、それくらい頑張って起き上がって、サイバーデリス便で取り寄せた弁当をモソモソ食って風呂に入ってメールチェックしてorkutチェックしてまた寝る。
 orkutでは自分の写真を差し換えるのが今週のトレンドのようです。僕も差し換えてみた。orkut上だけの友達は、いきなり誰が誰だかわからなくなった。写真に惑わされて可愛い子からの誘いに乗ってる場合じゃないことに気がついた。

ところで今日から2泊3日の予定で、M.T.さんが名古屋から遊びにきます。M.T.さんとはかつて語学研修に行った時に1ヶ月だけルームメイトになり、部屋の使い方を巡って軽く険悪なムードになった仲である。僕はたぶん普通以上に細かくて、彼はたぶん普通以上に無頓着なのだ。親友と言えども一緒に暮らすのは大変だと実感した。2人で同じ部屋に泊まるのはあの時以来なので緊張。

3月21日 オイッス!

いかりや長介ガンに死す。日本初のチョッパーベーシストであり、ビートルズのフロントアクトを務めたザ・ドリフターズのリーダー、いかりや長介さんです。ザ・ドリフターズというバンドが日本のポップシーンに与えた影響ははかり知れない。小学生達に「早口言葉」でラップを浸透させ、「8時だヨ! 全員集合」のBGMにブラックミュージックを多用した。それを見て育った僕らやちょっと上の世代が日本の歌謡曲をブラコン化した訳で、自覚の有無はともかく子供の頃の刷り込みって馬鹿に出来ないと思う次第です。合掌。

個人的には初めてのライブ体験が「8時だヨ! 全員集合」で、ドリフ派かひょうきん族派かと言えば圧倒的にドリフ派でした。ドリフのコントは子供ながらにアナクロな感じがして、でもそのアナクロ感を30年以上もキープしてきたのは奇跡と言えよう。クレイジー・キャッツは過去の存在だけど、ドリフは常に「近過去」の存在だった。時代の先端であり続けることは難しいが、後端であり続けることはもっと難しい。
 ところで斯様に偉大なるいかりや長介の死を、今朝のワイドショーはもっと大々的に伝えるべきではなかったか。番組内容を変更して。放送時間を延長して。かぶりつきで見ていたら、芸能コーナーの最後の最後、とってつけたように「昨日、ドリフターズのいかりや長介さんが亡くなりました」と一言。写真すら出なかった。なんで! 長さんだよ! 国喪に服してもいい。

3月22日 もう一度オイッス!

いかりや長介さんが死んで、なんでこんなに悲しいのか一日考えた。手塚や藤子Fの時より悲しいんだ。っていうのはきっと、「全員集合」にあれだけ笑わせてもらっておきながら、自我の目覚めと共に彼らの笑いから遠ざかっていったからなんだよね。性格俳優としての長さんは認めていたけれど、30過ぎて「ドリフの大爆笑」を見てる場合じゃないだろ、と心のどこかで思っていたんだ。それが申し訳なくて。
 でも僕はどうしようもなくドリフターズエイジなのです。オイッスなのです。だめだこりゃなのです。さよならするのは辛いけどなのです。

日本のコミックバンドと言えば、ドリフよりもクレイジー・キャッツにミュージシャンシップを感じる人が多い。演奏力があったし、最後までネタに楽器を使っていたからね。でもザ・ドリフターズは僕らの世代のロックだった。パパやママが忌み嫌う、子供たちだけの楽しみだった。いかりや長介という人物は、日本中の子供達みんなにとってのユロ伯父さんだったと思う。「オイーッス! 元気がなーい! もう一度オイーッス!」。長さんのあのかけ声は、今の不甲斐ない僕たちへの憤りにも聞こえてくる。「オイーッス長さん、元気がなくて申し訳ない。なんとかやってみるよー!」「シーッ、静かにしろっ!」。長さんはそういう人だ。
 ところで今日のテレビは長さんの話題を大きく取り上げている。当たり前だ。特番も何本かあるそうです。演技派の長さんしか知らない若者達に是非。

3月25日 本当の嘘

水曜日。小雨がぱらつく中、いかりや長介さんのお葬式に行ってきました。そういえば5年前の同じ頃、佐藤伸治さんのお葬式に行ったんな。あの日も冷たい雨が降っていた。
 ファンは入り口で記帳と献花をするだけ、葬儀は奥の葬儀場でやっていて、時々聞こえてくるアナウンスで式の進行がなんとなくわかる。ドリフターズのメンバーとして最も長く長さんと過ごした加藤さんは、「嘘が嫌いなあんたが最後に嘘ついたな、40周年記念に『ドリフの大爆笑』と『全員集合』撮ろうっていったよな」と涙声を震わせ、喪主の長男氏も「親父には『嘘だけはつくな』と言われてきたけれど、余命の告知を受けた時は本当のことが言えませんでした」と後悔する。長さんは身近な人にとっても、正直一本の長さんだったようです。

ようやく式が終わって、僕らの前に長さんを乗せた霊柩車がゆっくりやってきた。こんな時になんて声をかけたらいいのかな。「オイッス」でも「だめだこりゃ」でも「つぎ行ってみよう」でもない、なんて迷っているうちに長さんは通り過ぎてしまう。いつも長さんはみんなに呼び掛けてばかりで、僕らから長さんに呼び掛ける言葉がなかったのだ。
 僕は、偉大なるエンターテイナーへのわかりやすい敬意の表現として、場違いながらも盛大な拍手を送った。そうしたら拍手の輪がどんどん広がって、気がつけば大きな拍手の渦になっていた。このことは新聞各紙にも取り上げられて、ドリフのメンバーのコメントとして「自分の引き際には花道が欲しい」と言っていた長さん、嬉しかったんじゃないかな、と。ドリフにはあれだけ大笑いさせてもらったのに、その野暮ったさにしばらく距離を置いていた僕。最後に恩返しが出来ただろうか。

夜はA.A.ちゃんと焼酎デート。A.A.ちゃんは前の会社のデザイナーで、若い人の少ない職場だったんで、おじさん達が出かけている間は2人でバカ話をしていた。久しぶりの彼女は社会人として随分たくましくなっていて、しかも最初のうちは敬語とか使われてびっくりしました。彼女の行きつけのお店は料理もデザートもウマママ! 締めはやっぱりカラオケますか! いつもみたいにずるずる延長しないで、きっちり予定時間に終わらせた。大人だからな。というかA.A.ちゃんの言葉には、会社のおじさん達も僕も昔から逆らえなかったのでした。

3月30日 Suteneko battles Roku-Roku-Seijin

カメラマンのF.T.氏が、福岡史朗&BOXCOXの写真撮影に僕の部屋を使いたいという。シンプルがモットーの我が家は余計な装飾一切なし、特に一番広い壁は真っ白で撮影にはばっちりなのです。貸スタジオでも始めようか。
 BOXCOXの皆さんとは顔見知りで、微妙に挨拶に困る程度の間柄。初めてちゃんとお喋りに加えてもらったんですが、福岡さんはみんなに敬語を使っているのに、ほかのメンバーは福岡さんにタメ口をきいてるのが可笑しかったです。僕はお茶を入れたり音楽をかけたりしてせめてもの雰囲気づくり。猫たちもソワソワ。デブ猫のクリマロ、「おめでたですか?」と言われてしまった。いえ、脂肪です。雄猫です。

日曜日は恒例化しつつある僕のお誕生会。なんだかねえ。去年は新居お披露目とか主催イベントの打ち上げとかいろいろ言い訳もあったんだけど、今年はこれといった活動もないままお誕生会だけ開催されるという、まさにお誕生日芸人への道を邁進中であります。
 参加メンバーは19人。みなさんありがとうございます。幸せものでございます。特に、驚異的に忙しいはずのT.P.さんとA.A.さん、幹事ありがとうございました。かんじーざいぼーさつでありました。

食べ物は持ち寄りで。うまい棒ってさーうまいよね。「汐留スタイル!」とか見てると偉そうなお菓子がいっぱい出てくるけど、お前はうまい棒の何倍うまいのかと問いたい。そして今年はK.M.氏 (29日生まれ) と僕 (30日生まれ) の合同誕生会ということで、ケーキ入刀はお二人の初めての共同作業と相成った。
 夜も更けてお茶からお酒へシフト。orkut上に鈴木慶一氏がいるって話題になって、「鈴木慶一コミュニティを作ってみようか」なんて酔った勢いで本当に作ってしまいました。みんなが潮のように去った後、大量のたべっこどうぶつとヒガシマルソースと謎の柑橘類の山を前に途方に暮れた。

誕生日当日は、新しく入るつもりだった医療保険の審査に落ちて、返金の手続きとかやって過ごしました。こんな有り様の僕ですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。