DIARY 2004年6月


6月2日 スナオになりたい

とてつもなく恥ずかしい頼みごとをしてきたマユコさんにその成果物を渡す。何がどう恥ずかしいのかを書くのはやぶさかではないが、マユコさんのイメージ維持のため黙っておきます。
 そんでお礼にってことで夕食を奢って頂きましたた。そんなたいしたことをした訳でもないけどな、口止め料も含まれてるのだろうか。場所は葱や平吉というお店。葱やを名乗るだけあって葱料理が抜群にうまかった。カリカリに焦げた葱の表面をむくと甘い香りがほろほろほろー。ただ、余りにも頼みすぎてしまったので最後はしんどかった。それと例によってヒザが痛んで、お喋りに集中できなかったのが残念。

言われてびっくりしたこと。日記にこうして女の子と会っていることを書くのはよくないって。僕やマユコさんの友人なら、2人が会っても何かが起きる訳ではないことをわかってくれるけど、もし僕に好意を持つ女性が読んだら気になるし、僕に好きな女の子が出来たとしてもその真剣さが伝わらないんじゃないかって。僕に好意をよせる女の子の存在なんて考えたこともなかった。もしいるのなら名乗り出なさい。僕が好きになる女の子はごく稀に現れる。いろいろ言うけど僕、一途で純真ですよ。
 帰りにゲーセンで太鼓のゲームをやって反射神経の鈍さを披露した後、深夜バスでバイバイ。深夜バス、せめて24:00まで走って欲しい。

6月7日 出張マル秘撮影会

我が家で小物の撮影大会。T.P.さんやオクノちゃんの会社のお仕事で、スタジオじゃなくて家っぽいところで撮りたいねーって話になったんだそうです。家っぽいというよりここは僕の家なのだが。我が家は去年の春に劇的リフォームをしたのでその部屋を使うのかと思いきや、掃除をしてない洗面所やリフォームしてない台所まで被写体になってしまってどうしましょう。
 明日もまた続きを撮るそうです。あがりがこわいです。

6月10日 老婆のように

もう何度書いたかわからないけど、日記の更新頻度が落ちている時は体調が悪いのです。ここ最近は睡眠のリズムが狂いまくっている。薬を飲んでも全然眠れない日があれば、昼間でも眠たくてしょうがない時もある。沖縄に、1日48時間サイクルで生活している長寿のおばあちゃんがいたよね。
 8日は撮影の続き。様子を見にきた社長さんが、することがないのか僕にやたらと音楽談義を仕掛けてくる。フォークからパンクまで、クラシックからアヴァンギャルドまで聴き倒した彼の耳が今一番注目してるのがアユだという。いわく、お金が動く所には才能が集まる、そしてアユにはそれを選び取る能力があるって。僕は聴いたことがないので「違う」とも言えない。

9日は久しぶりにトキメキウクレレ教室に行ってきました。半年ぶり? そんなんで上手くなるわけない。なべて楽器を師事するということは、家で練習してきた成果を聴かせて直して貰うことで、教室で突然上手くなることなどないのです。それでも「じっくり&お久しぶりコース」なるものが新設されたので行ってみた。課題曲は初見でも弾ける簡単なもの。それを使って音のタイミングや強弱、いわゆるノリというやつを体で覚えるのです。楽しい! ウクレレはまたちゃんと取り組んでみよう。

6月12日 壮絶マラソンライブ@渋谷パセラ

H.Y.主催のカラオケ大会。の企画段階で彼女は気づいてしまったのです。オールナイトコース (飲み放題つき) の存在を。もうネタないわ声は裏返るわ、でも始発電車は動かないわの壮絶なマラソンカラオケ大会になってしまった。だれかセットリスト書いたら面白いんじゃないの。

大粒の雨の中、まずは待ち合わせ場所の台湾料理屋、青龍門へ。サイトに載ってた地図がアバウト過ぎて迷って笑われた。店に入ると雑然としたアジアンな店内。それが心地いい僕らもアジア人なんだろう。紹興酒を飲みながら、女子2人で台湾に行った話など聞く。全く別の経路で知り合った2人が、昔からの仲良しだったことに驚いた。
 T.N.たちと合流してパセラへ。最初のうちは様子見、だんだんブレークして昭和歌謡からパンクまでやりたい放題。ときどきM氏がMoonridersを入れてくるのが一服の清涼剤でした。

僕が唐突にカラオケデビューした頃は何を歌っても珍しがって頂けたけど、今ではキャッチーな持ちネタがグループ魂の「竹内力」しかない。でだ、オールナイトコースだからってオールナイトで歌う必要はないんじゃないの、という話になってお店を出たら、おそとはすっかり明るい。僕はカラオケ屋の前でタクシー拾ってそのままベッドへ直行。ただただ疲れた。

6月16日 確かな光

高野寛さんの弾き語りライブに行ってきました。余ったチケットをわけてくれた 1/2だめポロン サンキュー。場所は原宿Blue Jay Way。不思議な作りの明るくて奇麗なハコ。最初は前の方の席を取っていたんだけど、中二階のカウンター席がいいことに気づいて大慌てで移動。目線的に照明の加減によっては高野さんとばっちり目が会ってしまった。
 開演前にビッフェ方式でお食事を頂く。高野ファンは行動が遅いのか、並ぶのにやけに時間がかかった。でも並んだ甲斐ありの美味料理でありました。ステージが始まる前に同行者と生ビール2杯やっつけた。客入れのJames TaylorのBGMを楽しみながら高野さんの登場を待つ。

1曲目は「確かな光」。コード進行を変えた「バラの花」のカバー、梅雨時向けの「恋は桃色」のカバー、そして他のミュージシャンに提供したナンバーのセルフカバーが続く。この辺まったりした流れでウトウトしてしまった。気持ちいい演奏でした。
 アコギを巧みに使ったインストの「Proteus March」、往年のヒット曲「Besten Dank」あたりでグッと盛り上がったかと思いきやマイクが切れるハプニング。正にアンプラグドな生ギター生歌を聴けたのはラッキーでした。本人も「ドリフの停電事件みたい」だなんて状況を楽しんでいる様子。

終盤はまたシリアスに。ニューアルバムの売り上げが芳しくないことをほのめかした後、スタジオで歌うよりもインターネットにテキストを書くよりも、ライブという場は表現の成果をリアルに感じられるから好きだ、と。僕が10代の頃ゲレンデを彩っていた彼の音楽。今はもう、世間から忘れ去られてしまった彼の音楽。ロック黎明期を彩った大御所でもなく旬の若手とも呼び難い中堅どころは、いい音楽をやっててもなかなか報われない。
 今日のライブにかけていた彼は機材トラブルをほんとはどう受け止めていたのか。客電がついても10分近く続いたアンコールの拍手をどう受け止めていたのか。苦悩の末に自由な制作環境を手に入れた彼の音楽を今こそポピュラーにしたいもんだと、そんなことを思いながら3杯目の生ビールをやっつけた。

6月18日 What's a wonderful world!!

若く麗しい指圧師キャサリンの治療を続けています。東洋医学ってあんまり信じてなかったんだけど、最近は効果が実感できるようになった。病巣に治療を加える西洋医学と違って、体をシステムとして捕らえるのが面白い。関係なさそうなところを揉みほぐして治しちゃうんです。ただし指先の加減ひとつなので、先生の当たり外れは大きいみたい。
 治療を受けると全身に血が回っていくのがわかる。その翌日は揉み返しに身悶え異様な睡魔に襲われて、2日後には凄いテンションになる。「世界は素晴らしい!」「みんな愛してる!」みたいな。3日後以降は平静を取り戻して、微かな希望の光が見えてくる。社会復帰しちゃうかもよ。いいかい?

6月21日 Papa Doo Run Run

猫が入院で激凹。ネモ。3日くらい前から近寄って来なくなって、今朝おきたらいないんだ。探したらテレビの後ろにうずくまって血が出てた。あわてて動物病院に連れて行った。
 担当医によると、縄張りを示すためのにおい袋が破けちゃって、その周辺の皮膚が炎症を起こしてるんだって。ムー。毎日通院させますか、入院させますかって聞かれたんだけど、この台風の中を連れて帰るには重症だし、尿検査がまだ出来てないって言われたんで、尿の出待ちのためにも入院させることにしました。パパは辛い。最近すっかり猫サイトですいません。No Music No Lifeである以上にNo Cats No Lifeなんです。

今日もうひとつびっくりしたのが、母方の祖母 (円満にいってるほう) の強行旅行話。誰にも言わずにふとイギリスに出かけて、帰ってきた2日後には何ごともなかったように結婚披露宴に出席したんだって。普通の人は時差ボケとか疲労とかを考えてそんなスケジュール組みません。あの歳でディズニーランドに行くみたいに世界中を飛び回るバイタリティには感服する。鬱をこじらせて引きこもり気味の僕なんて、コンビニに行くだけでも一大決心だ。

6月22日 I Can't Live Without Cats

今話しても仕方がないし、でも言いたくて仕方がないし。かっこわるいけどまた猫のこと。入院中のネモ。動物病院に、パパは心配ですの電話を入れたら、予感通り容態が悪くなっていた。きのう破けかけてたにおい袋が完全に破けて、ぱっくり口が開いてその周りが感染症を起こしてるって。抗生物質で感染を治して縫える状態になるまで1週間はかかるって。聞いただけで痛そうで卒倒しそうになった。本人は本当に卒倒するほど痛いだろう。
 新参猫のメイが来てからずっとストレスをためていたんだろうか。もっと前から体調不良のサインを出していたんだろうか。ボクノセイダ。本当は一人で反省するべきなんだろうけど、抱えきれなくて一人でも多くの人に聞いて欲しくて日記に書いてしまった。弱虫なパパでごめんなさい。

今日は前に勤めていた会社にバイトに行った。その仕事の発注元が前の前に勤めていた会社という逃れられない因果。単発じゃなく継続的なバイトになりそうだ。バイト始めるならちっちゃい中古レコード屋さんにでも、なんて細々と夢を描いてたんだけど。学生時代の作品が縁で最初の会社に就職して、古くからの交流で次の会社に転職して、心の病気で退職してから4年。僕はまだ、自分で自分の居場所を探したことがない。
 「はちみつとクローバー」の6巻をやーっと読んだ。またしてもサンプリングしたいフレーズがいっぱい。竹本が自転車で旅に出た。「神さま、やりたい事があって泣くのとみつからなくて泣くのではどっちが苦しいですか?」。そう呟ける竹本の若さが羨ましい。

6月23日 heave a deep sigh of relief

毎日あちいね。病院に隔離されて空調が効いていても、外気の変化は体調に影響を及ぼすものだ。また入院中のネモのこと。今日お見舞いに行ってきた。傷口は大きかったけど化膿してた部分が落ちちゃったので、きのう電話で説明を聞いたときに想像したよりはグロくなかった。それに本人があんまり痛そうにしていなかったのが救い。ゴロゴロ擦り寄ってきてお気に入りのブラシに悦にいっていた。すげえ毛玉が取れた。
 先生の説明によると、原因はストレスも考えられなくもないけど、分泌物がいっぱいになって化膿したか、擦りつけたりしたんじゃないかという。肩にのしかかっていたパパとしての罪悪感がちょっと軽くなった。でもネモもクリマロも老猫の域なので。

午後は自分の通院。1月に入院した時の差額ベッド代を返して貰えないか交渉した。あれって本人の希望があって同意書にサインしないと請求できないんですって。すげえ額の話だからなあ、返して貰えるものなら是非とも。というわけで回答待ちです。

6月26日 a single flower vase

ずっと続いてる猫の容態日記。もうしばらく続けます。
 ここ数日の経過。傷口が閉じてきたので縫ってもらって今日やっと退院の許可がでた。入院前の数日間、僕の方に寄って来なかったのは、心配をかけないようにとの彼なりの気遣いだったのかも知れないけど、実際のところ心配も金もかかる。僕が緊急入院した時とどっこいどっこいだった。これから抜糸まで1週間のあいだ、2日に1日は通院することになりそう。写真はエリザベスカラーをつけてライオンのように勇ましく、とはいかず、一輪挿しのようになっている現在のネモ。昼寝してリラックスしている風なのが救いです。

きのうはmixiの「A.Z.a.T.o.i.初めての一人暮らし」コミュのオフ会。場所は浅草の、色んな意味でいい味出してる焼肉屋。メニューはA.Z.a.T.o.i.の希望どおり、タン塩タン塩、そしてタン塩でした。偏食はいかんよ。
 最近は女子大生DJとしての活躍も目覚ましく、Kevin Ayersにお姫さまだっこして貰うという快挙を成し遂げたA.Z.a.T.o.i.、オフ会にも某大物ミュージシャンが参加する予定だったんだけど止ん事無き事情で欠席に。それでも川村恭子さんをはじめ、音楽と言葉の達人たちが大集合。皆さんよくそんなポンポン面白いセリフが出てくるなあ。こんなショボ日記を書いている僕は圧倒されてしまった。そしてそんなショボ日記を読んでくれているあなた。を愛しています。サンキュー。

6月30日 来るべき祝祭の日々のために

お嬢さん聞いてくれ! 話したいことなんて何もないけど! 元気ない。老猫ネモの通院→義理で引き受けたバイト→凹寝 (へこね) 。その繰り返しで日々が進んでる。閉塞してる。1ヶ月後にせまったFUJI ROCKのことでも考えよう。某大手掲示板にタイムテーブルがリークして、祝祭の日々に向けての妄想と計画が立てやすくなりました。見たい人は自分で探してくれ。
 ネモの容態は今週に入って安定してます。食事もとるようになった。抗生物質の注射はおしまいで、土曜日から抜糸に入る。ただエリザベスカラーが視界を邪魔するらしくて、あっちにぶつかりこっちにぶつかりしている姿が痛々しい。ま、邪魔するための道具なんだけどさ。

mixiに「東京古地図探訪」というコミュニティを作りました。mixiに入ってる方は是非に。それじゃおやすみなさい。