DIARY 2013年3月


3月1日 わかってる全部わかっているけど

正しい生活とは、社会のモラルに従うことではなく、
羨望、貪欲、権力の追求など
反感や憎悪を生む一切のものから自由になることである。
これらからの自由は、意思的活動ではなく
自己認識を通じてこれらに気づくことによって生まれる。
(インドの哲学者 : クリシュナムルティ)

気づいてるんだ。たぶん2008年頃に気づいてた。でも反感や憎悪の気持ちをコントロールするのはとっても難しい。そしてそれはおそらく「羨望、貪欲、権力の追求」への反感や憎悪になってしまっている。少しづつ、少しづつ、だよ。

3月3日 NOT two man BUT one man

渋谷に東京都児童会館っていう児童館があった。都内の子供はみんな通った。君ともあの階段ですれちがったかも知れない。すごく古くてでっかくて、潜水艦的なアレとかロボット的なアレとか工作室とかジオラマとかあった。寂れた感じが好きだった。レトロフューチャーを初めて感じたのはあそこだと思う。そしてなにより、宇宙のコーナーに冨田勲の「惑星」がかかってて、たぶんあれが音楽への目覚め。震災後は閉館してたんだけど、ついに取り壊しが決まったそうだ。残念だな。

きのうはFUTTONG×mueのライブを観てきた。普段は男性4人で活動するロックバンドFUTTONGと、女性SSW mueさんのジョイントライブ。全曲この日のための書きおろしだったんだって。捨て曲なしのポップワールド、普段はボサノヴァを歌ってるmueさんのテレキャスを背負ったロックスピリットと、FUTTONGのグルーヴがぴったり合って、至福の時間だった。またこの編成でやって欲しいし、音源出してたくさんの人に聴いてほしい。
 ご機嫌でついつい酔っ払った。お店に忘れ物。すいません。

武器輸出三原則が形骸化してる。数年前に、日本の防衛のためと謳ってアメリカと迎撃ミサイルを共同開発した。こんどは戦闘機を作る。この戦闘機は日本の防衛と関係なくても、ほかの国に日本製の武器が流れることになる。原発を40年で廃炉するルールも「例外」が決まった。核融合発電の基礎研究も始まろうとしてる。一方で情に訴える震災の象徴「奇跡の一本松」、もう枯れて奇跡でもなんでもない木を1億5000万かけて保存するらしい。「残った松を見ても悲しみしかわかない」という陸前高田の市民。復興が特に遅れてる地域だ。まだ津波で流されたでっかい船が放置されてる。
 なんでも「お上」に任せっきりのこの国の人々は騙しやすい。「お上」を選ぶのは自分たちだっていう責任感がまるでない。AKB48のメンバーが丸刈りで謝罪したことに対して、こんな意見が出てる。体育会精神の共有こそ日本の集団心理の象徴だって。流されないで自分で考えよう。

ライブに来た人にQRカードを配って、いま観たライブの映像をダウンロードできるサービスが始まった。これ、野口五郎さんが考えて特許も取ったんだって。ライブだけじゃなくて、いろんなイベントに応用が効きそうだね。

3月4日 ah 君の知らないメロディ、そして毎日は続いてく

渋谷guest2周年記念の中田真由美さんワンマンライブ観てきた。第一部は客席に子供がいっぱいいて、子供たちの声が音楽に交じる楽しいステージ。第二部は子供たちが帰って、胸かきむしる迫真のステージ。独特のこぶしとウィットに溢れた音楽が、心地良い音像を結ぶ。
 歌われるのは純粋であること、誠実であることの強さと難しさ。辛いことや悲しいことや理不尽なことをいっぱい知って、それでも陳ねたり狡したりしないで真っ直ぐに生きるにはとても力がいる。1日の日記にもつながることだけど、僕は人に対して、自分と同じくらい純粋で誠実であること、を求めてしまうところがある。それがいままで経験してきたたくさんのトラブルにつながってる。きのうの中田さんは、そんな次元を遥かに突き抜けてるように見えた。可愛らしい歌声とフレンドリーなメロディに、確固たる裏付けと体力があって、うまく言えないけど...尊くて気高かった。

感動を抑えるためについついお酒が進んで終電逃した。渋谷のライブハウスを繋ぐ人脈やシーンの存在を、僕はつい最近まで知らなかった。みんなの心の中身を打ち明けられてきただろうマスターのコバカツさんは、何人もの人生を体験したかのように頼もしくて、大きな愛情に溢れた方。常連さんたちの輪っかをちょっと外側から、でも穏やかな気持ちで眺めてた。音楽の話、恋愛の話、人生の話。苦しみもがき、でも自分の視座と価値観で楽しく生きてる人を僕は大好きだ。そしてそれは、ものすごくロックンロールだと思う。隣にいた知らない女の子の唇を眺めながら、僕もこんなふうに生きたいと思った。
 まだ暗い始発の渋谷駅、遊び疲れた下り列車に揺られて寝過ごして、ネクタイを締めた上り列車に乗り換えた。まっとうに働くのは素晴らしいこと。でもまっとうでない人生を選んじゃったからこそ見える景色もあると思うのだよ。シェアしよう、みんなの景色を。

よくできたコメディみたいな全裸動画。notエロbut閲覧注意。
 人間は犬に飼い慣らされたっていう進化生物学の新説。

須藤薫さん逝去。大滝詠一さんの名曲「あなただけI LOVE YOU」や、杉真理さんとのユニットで歌ってた方。

3月5日 今日のわたしは機嫌がいい ヽ(・ω・)ゝ☆

春きてる。いやそういう意味じゃなく。
 ラジオ体操のお兄さんに「息を吸ったり吐いたりしながら」って言われたけど、言われなくてもそうするよ、死んじゃうからね (´-`) .。oO 「息をしてるの悟られないように」とかね。「激しい息遣いで」「声がでちゃうの我慢しながら」とかね。

ほんとか嘘か知らないけど、アメリカの音大生100人が分析した日本のポピュラー音楽のチャートが面白い。圧倒的に天才とされたのはさだまさし。天才だと僕も思う。まじで。残念なのは、詞が強すぎて作曲家としての才能がマスクされてること。って意味では、詩人だけど作詞家じゃないかもよ。
 もし本当に、日本語のわからないアメリカの音大生が作曲の才能を見抜いたんなら嬉しいね。

今日発見した素敵な映像たち。ナイジェリアの人々を描いたショートフィルム。瑞々しくて「生きてる」って感じする。Museのステージ設営早回し。これぞプロの仕事。レコ掘りまでかっこいいPaul Weller

Armando Trovajoli逝去。懐かしいな。彼がスコアを手がけたイタリアンコメディ映画や彼の音楽は、渋谷系の元ネタとして右から左へ消費されてった。20年ちょっと前の話。

3月6日 死ぬほどどうでもいい日記

マッサージ屋さんで骨盤矯正してもらってる時。膝をゴリゴリするたびにカッカッカッって音がするんだ。そのマッサージ師さんはいつも関節が鳴る。「Sさんすごい鳴ってますね」「えっ山下さんが鳴ってるんですよ」カッカッカッ「自覚ないなあ」「ないですねえ」カッカッカッブッ「あっごめんなさい」。間合いに腹筋締まっておならでちゃった。Sさん爆笑。こんどはカーテンの向こうからスーハースーハー音がした。隣のブースのマッサージ師さんが必死で笑いこらえてる。それ聞いてまた爆笑。またスーハースーハー。また爆笑。の無限ループに陥った楽しいSさん、来月から新店舗に異動だって (´-`) .。oO

花粉でめまいしながら帰宅。サクラ情報とか死ぬほどどうでもいいから花粉情報充実させて。スギ花粉は戦後の林業政策を見直さなかったつけによる、ある意味で化学兵器だ。例えるならいま原発を選んで、未来に放射性物質を残すってこういうことなんだ、花粉症同志諸君よ。そしてFacebookの反原発層の暴走が怖い (僕自身は27年前から一貫して反原発だよ。でもこれはイデオロギーじゃなくて科学の話だよ) 。

もうすぐ肉眼で彗星が見える。7日以降の日没後、太陽が沈んだ方向だ。いったん太陽のむこうに隠れて、12日には三日月と並ぶ。
 Bob Dorough初来日。チケット取れないだろうな。

3月8日 普通であること

暑い、むしろ暑い (´Д` ) 。日没後、パンスターズ彗星が見えるはずなんだけど、かすみが出てて難しいな。透明な冬の空ともさよならだ。

きのうは夕暮れ団地で知り合ったガールズとカラオケ。ふたりともすごく上手くて参った、楽しかったー!!
 で、きょうになって反芻して自己嫌悪。ひとりの娘が僕に合わせてくれようとして、80年代90年代のヒット曲を歌うんだけど、僕まったく知らないんだ。僕はアイデアの焦点を絞った音楽が好きで、バブルに向かうあの時代のギラギラした文化や風潮は肌に合わなかった。「ごめん知らない...」「これも知らない...」「こういうの聴かないから、合わせようとしてくれなくていいよ、君が好きなの歌ってよ」。普通のカラオケは、みんなが知ってるヒット曲を歌うのだろう。彼女にしてみれば、世代を超えて頑張って選んだ曲に、ことごとくダメ出しくらった格好。申し訳ないことをした。

普通ってなんだろう。世界の人口比率でいえば、中国人やインド人が圧倒的にマジョリティだ。でも僕らは彼らの日常を知らない。それと同じように、この国の中では日本語のヒット曲を聴いてる人が圧倒的にマジョリティだ。でも自分の音楽を探してる僕やいつもの仲間たちにとって、そういう世界は知らないし関心がない。カラオケに行ってもお互いの歌う歌を知らない前提で、「その曲いいね」って好き勝手言いあう。音楽の海はとてつもなく広くて深くて、みんなの好みが違うのは当たり前だからだ。
 それよりも、マジョリティからマイノリティを想像するのが困難であることを痛感した。彼女と僕のカルチャーショックが、悪い方へ転ばないことを願う。

CDショップは大変ですって記事を読んだ。給料が安くて「音楽好きでなければやっていられない」。それって音楽好きだったらやっていけるってことじゃないの。CDバブルの時に音楽好きじゃない人たちが音楽業界入ってきたからはじけちゃったんじゃないの。メディアとして機能してるお店には行くよね、やっぱり。

タイタニック号の沈没は天文現象と関係があるかも知れない。スーパームーンで潮位が変わって、普段 氷山が流れてくることのない海域に氷山があったんだって。この記事が特に響いたのは、きょう視点の転回について考えてたから。

盛岡のさんさ踊り。こんなの知らなかった。拍の取り方から動きのルーツから謎だらけだけど引き込まれる。

3月11日 新しい価値観、新しい楽団

大地震から2年。夕暮れ団地の駅ビルに黙祷を促すアナウンスが流れる。「震災」はまだ続いてる。生かされた意味。

毎日思い出すこと、無力を思い知ることで、僕はペシミズムのスパイラルから抜けだした。今年の目標は2つ、加計呂麻島に行くこと、それからもう一度福島を見ること。です。
 きのうは東京大空襲から68年でもある。この国はいまレイシズムに進み、原発は新たな利権の種になり、復興を後回しにして奇跡でもなんでもない松の木を切り貼りしてる。それでもパリでは反原発の「人間の鎖」が、台湾では20万人のデモが、東京でも大きなデモがあった。変革の時が来てる。

きのうは3ヶ月ぶりにバンドでスタジオ入り。きな粉舞う黄色い空の下、楽器を抱えて新宿へ。26度とかどうかしてる。冬の空が好き。寒いねーって言いながらおこたでみかん食べるのが好き。
 いままで何度もメンバーチェンジを繰り返して、パズルがようやく噛みあってきた。理想の音には程遠いけど、新しいスタートの記録として音源を公開します。これからどんどん良くなるよ。曲も書く。バンドで演奏する曲を。新しい価値観の歌を。

3月13日 POP SCAPE

手持ちのCD、邦楽を中心にどかっと売り払うことにした。スペースの問題と、自分の余命を考えて「もう一度これ聴く機会はこなさそうだな」って思ったの。興味ある人はうちにくればあげるよ。リストアップするのめんどくさいくらい大量に売る。
 別に寿命が近いわけじゃないよ、一日3枚聴いたとしても聴ききれないくらいたくさんあるのはバカバカしいじゃんか。それより誰かが知らない音楽と出会ってハッピーになったらいいじゃんか。

その整理をしながら積ん聴CDを消化した。My Bloody Valentine 22年ぶりの新作「mbv」がやばい。ネットでは賛否両論だけど、僕は圧倒的に賛です。「loveless」の頃とぜんぜん変わってないのにこの現役感はなんだ。特にラストの「Wonder 2」のカオス、それまで抑え気味だったテンションと音量が一気に爆発する。ここに至る組曲だね、このアルバムは。
 Raymond Scottのボックスもやっと聴いた。緩くて最高すぎる。それから去年出たPeter Gabriel「So」のボックスもやっと聴いた。世界で一番好きな歌のひとつ、「In Your Eyes」をYoussou N'Dourと共演したライブがいい。でもリアルタイムで聴きたかったな。さすがに音色の古さは隠せない。これ聴きたくてブート屋を巡った懐かしい日々を思う。Paul Simon「Graceland」のボックス、当時「ベースがいい」って知ったようなこと言ったら友達のお姉さんに嘲笑われたけど、いま聴いてもベースが好き。

音楽談義を続けるね。もしあの名盤が「本」だったら。タイトルから広がるイマジネーション。「Ob-La-Di Ob-La-Da」をマイナーキーに変換した音源。ほかにもいろんな曲をネガポジ反転させてる。Kraftwerkが去年のNo Nukesで演奏した「Radioactivity」。音楽を政治の道具にすることを嫌って、音響の快楽に徹していた彼らの美意識からすると、かなり突っ込んだパフォーマンスだ。理系ミュージシャンとしての表現欲求。ところでちょっと前まで重量盤LPって180gだったけど、最近200gが増えてきた。そのうち駆動系の弱いプレイヤーじゃ聴けなくなるぞ。電気グルーヴきのうのZepp Tokyoのライブは観客3人で、そのうち一人は瀧の奥さんだったんだって。何百人も証言してるから本当だ。きょうは2曲目で瀧が死んだらしいよ。
 最近の音楽の話をするならば、ノルウェーのガールズバンドRazikaの瑞々しさ、清々しさ、弾けすぎて歪んだユーモアは、新しいポップスの地平を切り開いた。

小川美潮さんとのコラボレーションで知られるベーシストの大川俊司さんが亡くなった。こっちは本当の本当。つい数日前までライブしてたそうです。残念です。

3月15日 感情

今朝、祖母が亡くなった。94歳。きのう見舞いに行って、「週末には桜が咲くらしいから持ってくるよ」って話したんだけどな。「元気出せ」っつったら眼に涙ためて「元気でない」って。豪傑だった祖母にはみんな悩まされてきた。それが蚊の鳴くような声で「元気でない」って。ばあちゃん、桜にはちょっと間に合わなかったな。
 祖母の思い出話は関東大震災から始まった。祖父は戦争で亡くなった。その2日前に生まれたのが父で、誕生を知らせる電報を祖父が読んだかどうかもわからない。その父も早くに亡くなって、もうすぐ僕は父の歳を超える。そして母も早くに亡くなった。なにを思って94年も生きたんだろうか。とても想像がつかない。

老人ホームで息を引き取って、家族は誰も最期を看取れなかった。訃報を聞いてまずやったのは、金色だった髪を黒く染めること。さすがにこれはまずいだろ。そんでネクタイの締め方がわからない。慣れない革靴で靴擦れおこした。
 ホームで祖母の顔を見て、絶縁されてた弟と久しぶりの再会。老けててびっくりした。で、2人っきりの沈黙に耐えられずにtwitter。タイムラインに弔いのお言葉をたくさん頂いた。ありがとうございました。大往生だしきのうゆっくりお喋りできたんで、僕的には悔いはない。教会に向かう霊柩車の中、頭にドラクエの音楽が流れたけど、「死んでしまうとはなにごとだ」って復活させてくれるわけじゃないんだよな。

納棺式を済ませて、牧師先生と葬儀屋さんと親戚とで今後の打ち合わせ。建前上僕が喪主なんだけど、牧師先生も葬儀屋さんも僕の社会性のなさを見抜いたか、問題をみんな弟に投げかける。兄弟の役割分担として、僕もそのほうがありがたい。
 これをきっかけに、弟と復縁できたらいいなと思う。っていうか数年前から、CD送りつけてみたり年賀状送りつけてみたりのアプローチはしてたんだけどさ。家族を亡くしたら激しく動揺するのが僕で、事務的にぱっぱと決断できるのが弟で、どっちがいいとも言えないけれど、資質がだいぶ違う。感情が動くから、芸術なんて人の役にたたないものに心奪われてんだ。その足りない部分を、弟にかなり助けられてる。

いまはひとりで酒飲んでる。土日は教会いそがしいんで、葬儀はまだ先になる。コンパクトでリーズナブルな式にするんでみんな来ないように。来られると超過金がかかる。
 教会って結婚式だけじゃなくて葬式もやるって知ってる? 教会の葬式は賛美歌を歌って、この世での人生を全うしてあの世に旅立つ者を祝福する。泣きながら生まれて笑いながら死ぬ、って意味では仏教の (本来の) 死生観とかわらない。僕は思うところあって洗礼を受けてないんで教会で葬式あげられないけど、泣かれるよりは祝福されたいな。自分の葬式用のセットリストも作る。難しいコーラスアレンジをする。歌いきれよ。で、レコードやCDはブックオフには売らないでー。ちゃんとしたレコ屋に売って。

3月17日 fool on the hill

だけど丘の上の馬鹿者は太陽の循環を眺め
頭のなかの瞳には世界の空回りが映ってる

祖母が亡くなって決めること。例えば祭壇に花をいくつ出すかについて。見本の写真を見て、どういう構図が綺麗かな、なんて考えていた。弔いは故人のためにあり、花は美しいからだ。美しい祭壇で送るのが遺された者の務めだからだ。
 でも「日本の常識」的な正解は、花を出す名義をどう割り振ればみんなのメンツが立つか、そのためにはいくつ出すのかって数え方。そんな視点をくだらないとは思うけど、受け入れる心の余裕が出てきたんだ最近。打ち合わせで皆さんの冷たい視線を浴びても、馬鹿のふりしてニコニコしてられるようになった。人類20万年の知性と感性を俯瞰すれば、ほんとにくだらないなって内心思ってる ヽ(・ω・)ゝ☆
 弟に、「そろそろ雪解けの時期じゃないか、死んだ祖母や両親のためにも、少しづつ話す機会を持とう」ってメールを打った。見事にスルーされた。やっぱり「Fool On The Hill」でいたほうがいいし、いまの僕にはそれができると思う。死ぬまで理解されなくても一向に構わない。馬鹿として繋がって感謝したい。ほんとだよ。

音楽にかまけてて美術分不足してる。落ち着いたらフランシス・ベーコン展観に行く約束してる。すごい楽しみ。表現者が新しい美の意識やアイデアにたどりついて、スゲー!!って興奮してるのが好き。で、僕もおんなじように「なんかわかんないけどスゲー!!」って興奮したい。何が凄いのか、その背景を解析することにはあんまり興味がない。いまだに音楽評論しろって言われることがあるけど、とんだ見当違いだ。僕の師匠、坂根厳夫氏が「僕は評論家じゃなくてジャーナリストだから」って言ってたことと関係あるかも。凄い!! 美しい!! かっこいい!! びっくりした!! なんだこりゃ!! そのWonderをWonderのまま伝えたい気持ちはある。
 評論の存在を否定してる訳じゃないよ。画家が「僕にとって黒とは」なんて言い出したらがっかりだし、得てしてピント外れだ。それは誰か別の人が紐解いて、また誰か別の人のヒントになればいい。音楽の美しさは、物理学や数学で説明できてしまう。それを使って音楽してるのが例えば坂本龍一で、彼が日本で唯一評価してたポピュラーミュージシャンが細野晴臣で、細野さんが楽理を知らないことに衝撃を受けた。そこで一度改心したはず。でもいま、種明かしの番組をやってるのは無粋だなって思う。表現・批評・報道が独立してバランスよくあったらいい。

TPPやばい。どうせ参加させられるなら、ものごとが決まる前に席に着くべきだった。震災の後に進駐軍の経済統治があって、その後に高度経済成長が...くるわけないだろ。っていま言ってももう遅い。中日新聞の社説「検証できないニッポン」。アメリカではイラク戦争が間違いだったっていう検証が進んでいる。日本の自衛隊派遣についての検証はまだない。
 遅くない話。原爆資料館の、皮膚が焼けただれた再現人形について「旅行代理店のアンケートに『怖い』って意見があったから」撤去を検討してるらしい。旅行気分に水をさして悪夢を見るから撤去、なんだろうか。人形が怖いのは起きた事実が怖いからだ。もっと怖いのは、その事実を知らされなかった世代が好戦的な発言をしていることだ。いま悪夢をみておかないと、未来に悪夢みたいな現実みちゃうよ。
 中国人や韓国人の反日的なコメントに対して、フランス人が日本を擁護してる。誰かが一方的に正しいとは言えないけど、冷静に説明できる知性は日本人にも欲しいね。我々を含めてアジアの人たちは、憎悪だけを加速させる傾向にある。盧溝橋抗日戦争記念館は、そういう意味で政治的にフェアな展示だったと思う。

音楽の話。即興アコースティックセッション集「Take Away Shows」。「野菜とフルーツで演奏する電子音楽」面白いけどなんで「野菜と果物」って言わないのか。あるいはベジタブルでも。
 Facebookにもごくたまにいい記事がある。赤塚不二夫とタモリの友情について。こんな日々の積み重ねがあの弔辞につながるわけだ。二人の粋なエピソードに対して、「感動したらシェアしましょう」で締める無粋さがFacebookだな。デイリーポータルZの「ひとり上手手帖」笑ったあとでふと自分の背中が見えた。

3月19日 君のその忙しさは誰かを幸せにしてるかい?

今日の日記はただの泣き言なので。ほんとに言いたいことは前回と前々回なので。
 喪主だけど通夜に行きたくない。祖母を亡くした事実より、弟に会うのが恐怖すぎる。僕のこれまでのトラブルの数を鑑みるに、たぶん「日本の常識」的におかしいのは僕の方だ。こういう時に独りを強く感じる。
 冴えない朝なので、ハーゲンダッツのチョコレートブラウニーを服用していいこととするヽ(・ω・)ゝ☆

Facebookで小学校のクラスメートのグループに入れられんだたけど、3月生まれてトロくていじめられっこだったんで、30年ぶりにいじめっこ達に召喚された格好。そんでついでに共同購入品サークルグループというのに入れられたんで速攻削除した。
 福島第一原発で燃料プールの冷却停止、のニュースの扱いの小ささ。その一方で安倍内閣の支持率が7割を超えた。

ああうた、またうた。

3月20日 家族の肖像

きのう、きょうと祖母の通夜、本葬。ニューギニアの正装、コテカにて。暑かった、コテカで正解だった。

祖母が亡くなる前日、こんどは桜を持ってくよって約束したの、祭壇に持ってった。約束果たした。なんの因果か喪主慣れしてしまったけど、今回は特に疲れた。順番的に、人生でもう一回喪主をやると思う。喪主といっても事務的なこと全然できないんで、実際に取りまとめたのは弟や、親戚でリーダーシップをとってる人たち。彼らはきっちりしてるんで、浮世離れした僕がもどかしかったと思う。でも喪主挨拶で、ちょっとずつ兄弟の関係を修復したいって話をしたら、いろんな方に応援してもらえた。もともと個性派揃いの親戚だから、僕みたいなのを受け入れてくれるゆとりに驚いたし、感謝の気持ちでいます。家族っていうシステムが何万年も続いたのは、必要だからなんだやっぱ。弟は渋い顔してた。ま。ほんとにちょっとずつだな。
 僕は冠婚葬祭の挨拶得意なんだ。一番得意なのはホチキスをきれいにとめることだけど、その次に得意。父の十周忌の挨拶に感動した父の元上司が、うちの娘をもらってくれって見合いに持ち込まれたこともある (ほんとう) 。

きのうソフィ・カルと会田誠さんと杉本博司さんが一緒にカラオケに行ったらしい。なにそれ面白すぎる。こっそり混ざりたい。
 麻布中学の入試問題「ドラえもんが生物として認められることがないのはなんでか」。記憶力よりその場での思考力を問う。麻布出身の友達の面白さの根源はこういうとこかもね。
 脱北した女子大生が見た日本。政治家の悪口を言ったりコスプレしてる人を見てびっくりしたって。日本は言うほど自由な民主国家でもないけどな。彼女は結局コスプレしたんだろうか。

福島第一原発の停電が全面復旧したらしい。よかった...。でもこういう状態があと何十年、ひょっとしたら何万年続くんで。

3月24日 じゃいつやるの? 来世でしょう!

祖母の葬儀が一段落してGYM作業、行く先々で旧友に会って飲み歌う日々。
 おとといは本籍地の麻布へ。生家から徒歩圏で味わう場違い感。一瞬で飲み干したジュースが820円とかね。六本木で歯科医をしている高校のクラスメートと、23年ぶりの再会を果たした。高そうなスーツやいかついサングラスにびっくりしたけど、話してみればあの頃と変わんないな。僕は旧友と昔話をしない。その人がそれからどんな経験をして、いま何を見てるかに関心がある。音楽を捨てずに楽しそうに生きててよかった。でもあのサングラスはない。カラオケに流れて六本木で「カルアミルク」歌った。いますぐおいでよBaby。
 帰りの電車の向かいにアナゴさんいた。アナゴさんは結婚指輪をして、つまり嫁がいる。なぜなら定職についてるからだ。アナゴさん酷く疲れてた。アナゴさんガラケーが似合ってた。

きのうも高校の旧友、といっても交流が途絶えないいつもの3人組で家飲み。昔ドンキで買ったたこ焼き器でたこ焼きパーティ。旨かった!! 気のおけない2人と会って、飲み過ぎちゃったし自分のことばっかり喋っちゃった。それが許されるから交流が続いてるわけだけども。ちゃんとしたい、自分に。
 今日は疲れ果てて一日寝てた。猫がご飯うまいうまい、ルンバが電気うまいうまい言ってる。猛烈に卵ご飯が食べたいし、猛烈に味噌汁ご飯もたべたい...混ぜてみようか。

Ian White「私達はレコードの不完全さを受け入れている。私達も同じように不完全だからだ。レコードは人間に似ている。こわれやすく、汚れていて、素晴らしいこともあれば、ひどくがっかりさせることもある。レコードは骨が折れるものである。人生の全てがそうであるように」。

Beatlesの「Yesterday」はテクノポップになるかもだった。書き出し小説大賞第14回のテーマは猫。流水をスピーカーの振動とビデオカメラでなんやかんやしてすごいことになってる動画台湾の反原発CMが本質を突いてる。

沖縄の島唄うたい、登川誠仁さんが亡くなった。中川敬さんと作ったアルバムがヒットしたけど、ご本人の三線も非常にアグレッシブでかっこよかった。残念です。

3月25日 インディーズの人、もしくは低気圧に荒んだ私の心

蓄積された疲労と低気圧に飲み込まれて、いつにもましてぐうたらな日。とある民族音楽研究家さんの形見分けで頂いた音源を聴き返しながら猫を揉んだ。

SoftbankのBluetoothヘッドフォンの充電ができなくなった。これで3回目。接触部分に0.5mmくらい隙間があって、どうしてもぐらついて痛むんだ。でもリコールの話は聞かないし返品にも応じない。Softbankショップに持って行くと、僕からサポートセンターに電話をさせる。で、僕が店員さんに対応の仕方を教える。もう修理は頼まないけど、引かれた代金はまわりまわって孫正義の増毛剤に使われるのだ。
 最近twitterに自意識過剰なガールが多くてめんどくさい。気づくとブロックされてることがままある。その間の交流はファボだけ。ツチヤニボンドやキリンジや菊地成孔が好きなガールは得てして地雷と言っていい。くどいけど僕のファボに下心はないよ。笑いや感動の沸点が低いだけ。自意識過剰なガールは自分からくだらないちんぽこ男を引き寄せておいて、なべて男はちんぽこだと思い込む。ま、僕がキモいのは認める。

それでもグッとくる言葉はtwitterからやってくる。
 「被災地に住む人たちが不幸であることを願う人たちがいて、しかもそれが正義感とか義憤とかなんかそういうものから出ているのを見ると、正義感とはいかに恐ろしくて不寛容なものかと思います。自分の正義感に疑問を持たないのは危険ですよ (菊池誠さん) 」。
 根本敬さんが遅刻ギリギリの電車で、いつも見かける「運転席にはりついてアナウンスを完コピしてる全身黄色い服の人」に乗り換えを尋ねて事なきを得た。「ああいうインディーズの車掌さんをバカにしちゃいけませんよ」。

Damon Albarn, Graham Coxon, Noel Gallagher & Paul Wellerによる「Tender」。タイガーズメモリアルバンドかよ。

3月26日 マックシェイクで、胸筋を鍛える

ビッグビジネスの予感。

疲れが溜まってこの一週間、悪夢にうなされては猫に起こされてる。人生久しく疲れ慣れてなかったからな (´-`) .。oO 猫との暮らしは楽しい。メイが「大変大変!!」って鳴くんでなにかと思ったら、チャイが物置部屋に取り残されてた。ほんの10分くらいだよ。言うほど大変じゃないだろ。いま2匹で取っ組みあいしてる。でも今日は寒いから、1時間後にはきっと抱きあって寝てる。
 よく通ってるお店がテレビで紹介された。オンエア後問い合わせの電話がじゃんじゃんかかってきた。「うちのビルにテナントとして入りませんか」まであったらしい。インタビュー受けた当人は誘導尋問だったって不本意そうだけど、みんな今でも普通にテレビを見て、テレビのこと信じてるんだな。

Facebookで、元アムステルダム市長の「大東亜戦争は正しかった」ってスピーチが猛烈にシェアされてる。コメント読むに、晒しあげじゃなくってガチっぽい。
 アムステルダム市長が言うことは全部正しいんだろうか。テレビの世論も怖いけど、ネットの世論も自家中毒に陥りやすい。たとえば反原発を謳う層の中にも、似非科学や陰謀説が大好きな人が少なからずいる。
 根拠を外に求めないで!! 自分で考えることを諦めないで!!

下北沢の再開発が酷いって言われてる。でも都内はどこもそうだよ。きみが好きなあれやこれも、日々の暮らしを強奪された上に建っている。そのうち「シモキタは猥雑で楽しい街だった」って語り継ぐ人もいなくなる。シモキタには甘酸っぱい思い出がいっぱいあるよ。
 神奈川県立近代美術館鎌倉館の取り壊しも残念だ。土地の賃貸契約上のことらしい。大学が湘南台だったんでよく観に行った。「近代建築」のひとつの理想形と思う。それから阿佐ヶ谷住宅、緑と共有して暮らすスタイルを提示した美しい団地が取り壊される。最後の花見のために開放されてるみたい。カメラ持って見に行こうかな。カメラったってiPhoneだけどさ。

楽しい話をしよう。地下鉄でヒップホップ!! 物体の形をスキャンして音に変換する機械
 Jane Birkinが今年も東北の被災地で歌った。「音楽は包帯みたいなもの」包帯クラブかJoseph Beuysか。たとえ物見遊山でも、行って一緒に飯を食べるって大事だと思うんだ。

モータウンのソングライターチームThe CorporationのDeke Richardsが亡くなった。みんな知ってるJackson 5のヒット曲をいっぱい書いた方。

3月27日 収監で、痩せる

ビッグビジネスの予感。

完璧に風邪ひいた。素敵女子はおかゆの支度してくればいいのに。ご飯はあるよ。ゴムもある。酒飲んで「アルコール消毒」っておやじギャグは死んでも言わない。
 一連の葬儀で何度も黒入れて痛めた髪、美容院で手入れしてもらった。ずーっと1000円床屋ユーザーだったけど、その向かいにカット1100円からの美容院ができる夕暮れ団地ミラクル。興味本位で覗いてからずっとそこに通ってる。今日のBGMはポルノグラフィティ→おはロック→ウルトラソウル→ガラガラヘビがやってくる→からまさかのWonderwall→モー娘。音楽性の違いで退出したくなった。それくらいの敷居の低さが僕にはお似合いだろうか。髪はほんのり桜色になった。それにしてもオートシャンプーのドラえもん百科感、片倉陽二感すごい。

Predawnの新譜聴いてる。髪まとめてた頃の方が好みだったけど、彼女の人生にとって僕の好みなど1ミクロンも関係ない。パキスタンのQawwali (カッワーリー) って音楽が超絶かっこいい。
 レコード産業の売上規模って漬物と同じくらいらしいよ。

3月28日 奇妙な共同生活がはじまり...。

はじまらない。

たこ焼きパーリーで余ったたこ焼き粉を消費するためにクックパッドをググったら「もっちもちのチヂミ」がヒットした。たこ焼きひっくり返すよりは簡単だと思ったんだよね。この物体がチヂミを目指して作られたという事実、意外性、そしてギャップ萌え。う・う・う (泣きながら食べた) 。
 FUJI ROCKのヘッドライナーが揃った。Nine Inch Nails、Bjork、The Cure。大御所揃いだけど大御所過ぎて、懐メロフェスになりつつある。Daniel Lanois、Daughter、DJ Shadow、Flying Lotus、Fun.、Kyte、Mulatu Astatke、Ron Sexsmith、Sparks、Tame Impala、Toro Y Moi、Yo La Tengoあたりを観たい。

あの娘僕がこのTシャツプレゼントしたらどんな顔するだろう。あるいは自分が着る、という選択肢。
 富士山とパンスターズ彗星を捉えた美しい動画。

3月30日 41歳の春だから

またひとつ年を食った。亡くなった父親より年上になった。という意味でいつもとは違う誕生日。あの頃の父が何を考えていたのか、上から目線で妄想を巡らす。ま、あいつもあれでよくやったんじゃないの。なんてな。
 僕の人格や価値観や趣味嗜好は完全に父親譲り。でもすべての面において3割足りなかった。父はあの時代に向いてなかったと思う。3割増しの才能で、短くも美しく生きた。

今日はよき友と美術館めぐり。まずは上野のエル・グレコ展。デッサンも構図も乱れまくって「これでいいの?」っていう画家だった。ほとんどが宗教画で、信仰の深さ故に細長いキャンバスにあおり気味で描き、宗教的なポイントをデフォルメするんだけど、うーん歪んでる、以上の感慨はなかった。でもたぶん、「これでいいのだ」。

次は近代美術館のフランシス・ベーコン展。彼も天啓で絵を描いてる。グレコみたいに聖書を読んだ感想文じゃなくて、無になった瞬間に降りてきたなにかを捉えてる。冷たくてドロドロした官能のヴァイヴレーションにぞわっとした。具象から抽象にはみ出すときに、不要なものを省いて省いて天啓を浮き彫りにしてる。で、削ぎとって残った色と形は果てしなく美しい。とんでもないものを観た。久しぶりに絵を描きたくなった。

同行のよき友は絵描き。彼女の絵が今日を境に変わっていったら面白い。「誕生日プレゼントとか準備してないから」って笑ってたの、サプライズのフラグかと思ったらほんとになんにもなくてサプライズした。彼女とはもう恋愛関係に戻ることはないけど、根っこでつながってる特別な友だ。

世界初のロック評論家、Paul Williamsが亡くなったそう (SSWのPaul Williamsとは別人) 。17歳でファンジンを作って、ロックの誕生と成長の興奮を間近で目撃した人。イマジネーション溢れる文章からは音が聞こえてくるようで、一番好きな音楽ライターだった。

明日は久しぶりにUstreamやるよ。最近のレコードをいっぱいかける。余計なお喋りは控えようと思う。よかったら見てね。