DIARY 2014年2月


2月1日 Februaryの発音ができない僕にも2月がきた

SPAMの誘惑がギャンブルや女やヒルズ族に偏ってるのは、業者の性質を伺うようで興味深い。もっとこう、花粉症が治るとかそういうほうが効率よく騙せると思う。

2月2日 Music Stop or Non Stop

またかよの大瀧詠一さん話。1月の日記に、最初に就職した職場の誰一人 大瀧さんを知らなかったって書いた。「A LONG VACATION」の頃に思春期を送っただろう世代も多かった。あの場所の民度を鑑みるに、そういう奇跡が起きるかも知れない。くらいに思ってたら、音楽を聴いてない人々の間では大瀧さんあんまり知られてないみたい。で、またかよのとり・みきさん話。「ナイアガラの瀧に打たれて」って記事は、日経ビジネスの読者層が大瀧さんを知ってる前提で書かれてる。ナイアガラってレーベル名を、なんの説明もなしにタイトルからオチにまで使ってる。著しくバランスに欠いた僕ならまだしも、Mr.バランス感覚のとりさんが、読者の知識をこのレベルに見積もってた訳だ。我々は、パラレルワールドに住んでるのかも知れない。あの記事、誰にも届かなかったかも知れない。
 せめて聴いて欲しい「はいからはくち (はっぴいえんど) 」「びんぼう」「ナイアガラ音頭」「夢で逢えたら (吉田美奈子) 」「君は天然色」「恋するカレン」「風立ちぬ (松田聖子) 」

客観的に見て大瀧さんの一番弟子の山下達郎さん、自身のラジオ番組でリスナーの声にこう応えた。ファンの保守性とクリエイターの姿勢についての話だ。新しい世代への寛容さの話だ。僕がポップミュージックに一番のめり込んでた頃、不寛容の象徴として達郎さんがいた。いまでもソフトロックマニアにとって、保守の鑑みたいな扱いだ。その達郎さん自身が「寛容であれ」「勝手にやらせてくれ」って宣言してることに感激した。

その不寛容の標的にされてたうちのひとり、小沢健二さんの「我ら、時」が廉価盤として再発される。で、楽曲の人気投票をしてる。「ある光」「ぼくらが旅に出る理由」「夜と日時計」を選んだ。3曲じゃ収まんない。次点として、「天気読み」「さよならなんて云えないよ」「球体の奏でる音楽」「麝香」「The River」「天使たちのシーン (我ら、時 ver.) 」「いちごが染まる」も挙げたい。「東京の街が奏でる」音源化されないかな。

グラミー賞の発表があった。スーツを新調したJames Blakeは新人賞を取れなかった。大雑把に言ってDaft Punkの一人勝ち。で、このパフォーマンス最高!! ポピュラーミュージックが根付いてる国を羨ましく思うよ。
 Peter Gabrielの大好きな曲「Come Talk To Me」の初期セッション。こんな感じもいいね。地下鉄の改札口が歌うBlurの「Song 2」くだらない。ベースイントロ曲集。むしろ練習する気を削ぐ。ピアノ弾けなくても弾けるっぽく見せる。要するにペンタトニックなんだけど、これならいける。

ブログで末期がんを告白した佐久間正英さん、亡くなった。goodbye world.

2月3日 寝てる間に雨が降ったらしいことはなんとなく察知した

布団干しっぱなしだったので。

僕はtwitterが大好きで、でも昔はmixi中毒だったし、Facebookでの出会い直しもあった。すべてのコミュニティは変化し続けて、コンポジションも変わっていく。最近twitterでのトラブルが続いたこともあって、使い方を模索してる。で、フォロー増やしてみた。よしなに。

小田嶋隆さんフォローしたんだけど数日で外しちゃった。期待通りの毒の効いた考察もあるけど、オヤジギャグについてけなかった。なんてのかな、年配者の提供する笑いには「気さくに振る舞ってやってるんだからおまえら笑え」っていう圧力を感じる。自然に笑えるか笑えないかの分岐点は、話し手が文脈の変化に敏感かどうかだ。
 日本の笑いの鍵は、受け手に共通の知識があることを前提にして、そこからどれだけ飛躍できるかにかかってる。1960年くらいだったら、もしかしたら「内容が無いよう」ってフレーズで笑いが取れたかも知れない。1980年くらいだったら、「内容が無いようとは言わせないよう」で笑いが取れたかも知れない。「内容が無いよう」っていうダジャレを共有してる前提で、もう一段階飛躍した訳だ。でも語尾を伸ばす方向に飛躍を続けるには限界がある。こんどは飛躍の仕方そのものの飛躍が求められる。みたいな文脈のアップデートができてないと、「笑え」圧力だけが残る。そういうの、もういいですってなる。

僕は日本的な同調圧力が嫌いだって言いながら、文脈の変化には敏感でいたい。違う視点を提示するために。飛躍しすぎても伝わらないから。
 twitterは文脈を拾うツールとしても大事にしてる。死語の予感、文体の風化、表現の風化。いま (爆) はない、みたいなことだ。歌詞を書くときもいま「無邪気にon my mind」とかありえない。作曲にも文脈の変化と、それをどこまで覆すかっていうラインがある。これ自然にジャッジできるのいつまでかな。笑いではとり・みきさん55歳でできてるし、音楽では鈴木慶一さん62歳でできてる。でで、ジャッジの基準はマスに届くかじゃなくて、ガールに届くかなんだ。きもいな!!

2月5日 Don’t think…feelってかっこよさそうだけどやっぱり考えるのだいじだいじ

藤岡みなみさんが素晴らしいツイートをした。「一人の力は小さくても皆が集まれば大きな力...みたいな、ちりつも的な考え方って正直ピンとこない。自分一人の行動は、自分にとってはとても大きい。というかすべて。国際協力もエコも選挙も、自分本位でいいのかも。私が感じ、考えるため。でも誰かを巻き込むときバトンとなるのはその個人的な感受性」。
 一人ひとりが考える事。僕もちゃんと自分で考えられてるか自問する日々だ。君はそう考えた、僕はこう考えた。だからバトンを渡す。でで、選挙について、誰に投票するかは自分本位で決めたらいいけど、行くかどうかは「行ったら」って申しあげたい。我々第二次ベビーブーマーが子供を作れる状況になかったんで、もうその辺から人口激減のスパイラルは始まってる。滅亡に向かうこの国に産まれちゃった以上は、自分の生きやすい社会を君が考えてチョイスするしかない。

きのうは節分で春の気配だったけど、今日はこれくらい寒い。
 建前上 豆まきをするような家庭に育った。まいた豆は犬が食べる前に掃除機で吸った。子供ながらにしっくりこない行事だった。「わたなべさん」は豆まきをしないらしい。源頼光の家来の渡辺綱って人が鬼退治をしたんで、その子孫のわたなべ姓には鬼が近寄ってこない。民俗学に興味はあっても疎いんで、なになに姓は誰の子孫っていうのピンとこない。だってわたなべさんってクラスに1人はいたよね。アダ名はナベだよね。それみんなおんなじ一人の子孫なの?
 恵方巻きっていうコンビニと海苔業者が結託して作りあげた風習が、いよいよもって定着しつつある。セブンイレブンが広島で始めたのが1989年、全国展開するにあたって恵方巻きって名前をつけたのが1998年。つい最近のことだ。起源は諸説あるけど、廃れる前の大正期には花街で食べられてたそうで、つまりは男根、のメタファだ。関西人はなんで「子供の頃から咥えてた」って顔ができるんだろう。

早起きして畳を替えた。替えたのは畳屋さんだけど。井草のいいにおい。素晴らしい。
 いつのまにか40000ツイート越えてた。ツイッター始めた頃は5ケタ行ってるやつおかしいだろって思ってた。たしかにおかしい。

2月6日 原爆の音と呼ばれしもの

果てしなくやるせなくどうでもいいニュース goes on.
 クラシックの人気作曲家 佐村河内守氏が18年間ゴーストライターを使っていた。18年とは彼の作曲家としてのキャリアすべてで、つまり彼は曲を書いてなかったんである。ゴーストライターっていうのは必要悪だと思う。文筆の世界では忙しすぎて原稿化する時間のない人が、言いたいことをゴーストに伝えて原稿にしてもらう。音楽の世界では名前そのものが売り物になったりもする。交響曲のスコアを隅々までひとりで書いてらんない、分業が必要ってこともある。彼の面白さは、名前を貸すほどのキャリアがまるでない、そもそもなんで作曲の依頼が来たのかわからないとこにある。
 ちょっと前に、ネルソン・マンデラ氏の葬儀で、オバマ大統領や世界の要人の手話通訳をした人が、手話をまるでしらない、オバマ氏の横で踊ってただけって話があった。彼に対するのと同じ興味を持って、佐村河内氏を眺めている。なんでなんのキャリアもない人が、表舞台に立てたのかと。

佐村河内氏の公式の経歴を読んだ。厨二病の人が考えるかっこいい人生みたいだった。ピアノ教師だった母親の英才教育を受けて、10歳でもう教えることがないって言われた。現代音楽の教育を嫌って作曲を独学した。ホームレスを経験した。ロックバンドのボーカルとしてデビューした直後に、実弟が急逝して歌えなくなった。耳鳴りが酷くなり、やがて全聾になった。「両親が聴いた、原爆の音なのかも知れません」。絶対音感を頼りに作曲活動を続け、現代のベートーベンとして広島や福島の被災者に曲を捧げた。気になるのは、彼に作曲の仕事が舞い込んできた経緯と、売りだしたレコード会社やテレビ局がどこまで知ってたのかってことだ。
 ゴーストライターの新垣隆氏は、佐村河内氏と普通に会話ができた。自分が用意したデモを聴いてもらって佐村河内氏が選んだテーマを膨らませて作曲した。つまり全聾って設定すら怪しい。佐村河内氏は楽器も弾けないし譜面も書けなかった。彼が新垣氏に渡した指示書がこれ。図形譜と捉えて即興演奏したら面白そう。図形譜とは

曲を聴いてみたけど、クラシックの良し悪しがわかんないんでなんとも言えない。同世代の作曲家が過去の表現形態を捨てて自分だけの美学に走る中で、佐村河内氏のレイドバックな趣味と新垣氏の器用さが合致して、チームとして面白いものができたのかもしれない。
 ファンは試されるだろうね、音楽が好きだったのか「生き様」が好きだったのか。ポピュラーミュージックの世界でも、Mumford & Sonsは上流階級出身だからロックじゃない、みたいなのある。頑張って這いあがったワーキング・クラス・ヒーローが好きなの。Stevie Wonderが日本人だったらどんな聴かれ方をしてたのか。なんにしろ障害を詐病して売り出すのがえげつない。ゴーストについてはそういうわけで、必要悪の部分がかなりある。これをきっかけにゴースト探しが始まると、仕組みが壊れちゃう。ドキドキしてる作曲家いっぱいいそう。

もうひとつ興味深いのは、新垣氏が学年的に僕の一個上、永作博美さんと同い年ってことだ。たまにやむを得ず同世代の人と再会すると、おじさんすぎてびっくりしちゃう。新垣氏、58歳でも通用すると思う。

2月7日 走れよメロス

中学生が「メロスの全力を検証」って研究をした。たった10里の道を往復するにあたって、イタリア南端の夏至の日の出、小説の中に出てくるエピソードにかかった時間を概算したら、ほとんど歩いてたらしい。メロスが走ってたら「走ったメロス」になるはずで、確信的詐称というほかにない。つよい憤りを感じる。

21歳幼妻とセックスできて、食べても食べても痩せて、パチンコで勝てるSPAMきた。お話の要点を絞りなさいって教わんなかったのかしら。
 おおよそのSPAMアカウントは削除しておおめにみるが、能年玲奈さんのアイコンでエロをつぶやくのは断じて許さん。

猫の自分撮りセレクション。Amazonのポエムレビュー

結婚も恋愛もめんどくさい。妄想したい。

2月9日 ぜんぶ雪のせいだ

Negiccoが、具体的にはかえぽがどんどん好きになっていく自分を否定出来ない。

東京では78年ぶりの大雪が降った。78年前ってあれだからね、二二六事件の時だからね。寒いしだるいし写真撮りに行く気も雪だるまつくる気もしない。気圧の急変が辛い。女子の見舞いを待つ。
 そんな日に都知事選だ。消去法でこいつには入れないっていう候補者に対するヘイトツイート、この人かなと思ってた候補への熱すぎるシンパツイートで、悪い意味で心が揺れた。結果は舛添要一氏圧勝。この選挙速報の早さ、俺が入れても入れなくても決まってる仕組みが、投票率の低さに影響を及ぼしてると思う。舛添氏は自民党のバックアップがある。金さえあれば幸せになれるし金をつくるのは自民党だし、先代から自民党に投票してたから政策とか知らないけど自民党候補に入れとく、的なじいさんばあさんが投票したのは容易に想像がつく。そいつらはもうすぐ死ぬからどうでもいい。ただ舛添氏においては早くも資金疑惑がわいており、バッグ屋さんが大きいバッグを用意しないとまた都知事選だよ。

20代が田母神俊雄に投票してるのが気になった。「どうしようもないガチガチだと思っている人もいるようですが、実像は全く違います。私は柔軟性もあり、本当にいい人です」、それが真実かどうか以前に日本語としておかしいだろ。ネトウヨという現象についてはいままで何度も書いてきた。その実数が意外と多いことにびっくりした。戦争行くのもおまえらだし犬死にするのもおまえらだけどさ、この星はひとつなんだから仲良くする方法も考えてみたらどうかな。
 もんじゅ君が面白いことをいってた。「選挙速報みたいな番組が告示日とかにもあれば、みんなで投票日までいろいろ考えられるのにね。投票日までさんざんもやもやしたり、ぼんやりすごしたりして、選挙速報でようやく政策のあれこれがわかる! とか候補者に興味が出る! みたいになるのは、順番がちょっともったいないね」。自分で調べて考える力のない人には、これくらいのサポートがあっていい。

ところでソチオリンピックというのは今年なのだな。19世紀に虐殺されたチェルケス人が招待されなかったことは把握した。英語で言うならコーカサス人だ。やがて来る東京オリンピック、森喜朗氏の英語力について疑問の声があがった。「敵国語だったから知らない」って応えたらしい。森氏は東京オリンピックじゃなくて、東京プリンの活動に専念したほうがいい。

2月11日 I'm Not In Love

秋頃から体重が増え始めて、年末からめきめき体調が悪化したのはなんでかと。今年に入ってblurのライブと初詣以外に出かけてない。おおよそお布団にこもって猫をなでてる。猫の体温と布団の手触りだけが不安を忘れさせてくれる。トラブルが重なってメンタルにきてるっていうのはひとつある。もっと大きいのは、6月に大失恋したことだ。失恋からしばらくは、まだ脳内ホルモン的にいい状況にあった。だんだんその魔力が薄れてきて、もともと持ってた鬱病の疾患が顕になってきた。
 もうすぐ42でさ、これからあんな大恋愛ができるとは思ってない。投薬治療で抜け出せるのか、この状況が一生続くのかは自分にも主治医にもわからない。孤独死が視野に入ってくるよ。

オリンピックを開催してること、漠然と把握してる。明治天皇の玄孫でJOCの役員の竹田恒泰という人が、お国が出してるのに負けて「楽しかった」はあり得ないって言ってるらしい。困っちゃったね。
 国単位で競技するのはやめにしないか。象さんチームとかキリンさんチームとか、電話番号下一桁で1組2組とかいうわけにはいかないか。渡部陽一氏によると、ロシア南部のダゲスタン共和国では、反政府武装勢力掃討作戦が行われている。オリンピックしてる裏で制圧してる。

陽気な笠岡駅をみて元気出す

2月12日 おふとん

猫のこととかご飯のこととかおっぱいのこと考えてたい。

病理学的に心の病が遺伝するかどうかは明らかにされてない。明らかにしたら差別が発生するからだ。でも社会学的にはサイコパスな家庭に育った経験は次の世代に受け継がれる。僕はいま、猫に育て直しされてるんだと思う。

こんなツイートを見た。「ヤンチャしてたとか訳のわからないこと言わないで何の罪もない人の自転車を盗んだり金銭を脅し取ったりしたと言ってほしい (@d_d_osorezan) 」
 ほんとそう思う。ほんとそう思う。でもその一方で、僕の不手際や単純な誤解で、僕の全人格が否定されるようなことがあると、落ち込むし考えこむ。すべてが善であることも、すべてが悪であることもない。

2月14日 ここに猫がいる、ということ

美しき粉雪、2月の光景じゃない。気温と気圧が確実に精神を蝕んでいる。朝起きるたびにここがどこかわかんなくて、いまはもうない実家だったり、アレキサンドリアの港だったらいいな、なんて思ってる。
 人を信じたり、軽口を叩き合ったりしたい。人の社会の片隅に、気配だけでも残したい。いまは猫と、言葉のいらないコミュニケーションだけで生きてる。

NMEが選ぶ史上最高のアルバム500枚。そして史上最高の曲500曲。順位はともかく、セレクションは共感できるな。

2月14日は、International Book Giving Day。本をあげたり図書館や病院の待合室に寄付する日なんだって。しらなかった。

2月17日 いまあの娘の耳当てになってあげたいのは世界中で僕一人なのにどうして叶わないんだろう

uuum. 年末からだるさと眠さに参ってたんだけど、ここ数週間は不安との戦いだ。リラックスと体調維持のために行く鍼灸院もキャンセルして、空気の底でじっと汗をかく。猫がいてくれてほんとうによかった。だっこー。そんで抱きまくら。ハグすると脳内ホルモンが分泌されるらしい。抱きまくらでもしばらくは不安が薄れる。
 あの頃の未来に僕らは立っているのかな。「夜空ノムコウ」と「今夜はブギーバック」は、おじさんがカラオケで歌う鬱陶しい歌の両極らしい。あの頃の未来を通り越して、子供の頃に漠然と不安を抱えていた「将来」の世界にいる。41になっても人との距離を読み間違えるし、地雷がどこにあるかわからない。「出会いとは、いわば芝生から四葉のクローバをさがす行為である (寺山修司) 」。ほんとうにわかりあえる人なんてそんなにはいないよ。毎日バズってる「仲良くしてください」の意味を思う。twitter。期待しちゃいけないんだきっと。

先週数十年ぶりの大雪が降った関東地方は、わずか6日間でその記録を塗り替えた。山合では街ごとの停電や、外部と遮断されて飲食物が枯渇してる。そんな時くらいはtwitterを信じていい。ヤマザキパンのトラックは、社内規程で非常時には運転手さんの判断でパンを配っていいんだって。運送会社に委託している会社はそうはいかない。
 雪はやっぱり美しい。雪国に行きたいな。スキーはしてもしなくても。温泉入ってゆっくりお酒を飲みたい。木に登ってるおばさんいた。大丈夫かしら。

宇宙は138億年前に生まれて、遠くにある星、つまり光の速さで138億年かかる場所を観察すれば、原初の宇宙の姿がわかるとされてきた。でも僕らと同じ銀河系の中に、136億年前に誕生した星が見つかった。ハッブル宇宙望遠鏡の後継機、ウェッブ宇宙望遠鏡に期待してる。

Ellie GouldingがJames Blakeの「Life Round Here」をカバーした。いいなこれ。Andy PartridgeがP-Modelの「Kameari Pop」を絶賛した。P-Modelのその後の変貌も好きだけど、この曲は魔法かかってる。

特定秘密保護法の成立や原発報道の不透明性で、日本の報道の自由度が「顕著な問題のある国」にカテゴライズされた。59位。

飛行機から落ちたカメラの落下地点がこんなだった。

茶風林の磯野波平、プレッシャーの中で素晴らしい演技と思う。

2月18日 アイドル最後の砦

だってなんだか、だってだってなんだもの みつを

数ヶ月前まで頻繁にライブ観に行ったりしてたはずなんだけど...いまは家を出るってハードルを越えられない。その日が終わるのを待ち、やがて同じ次の日がやってくる。寝込むほどの体調じゃない日でも、寝込む以外の時間の使い方を忘れてる。毎日やること、ちょっとずつ進めたいことをリストアップした。最初の項目は : 牛乳を飲む。
 不安や恐怖の原因を考えてみた。トラブル続きだったことはものすごく大きい。でもそれだけじゃない。僕にはもう春がこない、この世になにも残さないことへの絶望なのかも知れない。「セックスしたことない男を童貞って言いますけど、今後セックスする可能性のない男をなんて言いますかねえ」って聞いたら「無縁仏」って返ってきた時のやるせなさ。俺無縁仏だし、今後女子のおっぱいを揉む機会があったら泣くわ。

そんな日々を送ってるんで、体が硬直して悪循環に陥ってる。背中を中心にしたマッサージと鍼灸治療、手足のリフレクソロジーを別々の医院で受けてたんだけど、鍼灸院のチェーン居酒屋みたいな体育会ノリがそろそろ辛い。リフレクソロジーのお店に、マッサージについて聞いてみた。なんと ( ゚∀゚)o彡゚がコースに含まれている。胸筋とリンパのオイルマッサージだ。
 揉む方は叶いそうにないけど、揉まれる方はいとも簡単に叶ってしまった。それお願いします。乳毛を剃らねば。女子に揉まれるなんて何年ぶりかしら。乳輪はアイドルの最後の砦だからな。で、施術を受けた。これからはこのマッサージ屋さんに一本化する。いやそういう意味じゃなくて。健康的な生活のために。ほんとほんと。

精神科医にも新しい処方をしてもらった。カダラ中の毛穴からカシスオレンジと音楽が溢れでて恍惚に陥る夢をみた。だいじょぶかこれ。落ち着いて馴染むのを待つ。
 とりあえず牛乳を飲み、頑張って洗濯をした。よくやった。「日本の皆さんに元気をお届けしたい、その一心でした」。

一行の詩 残せたら。
ま。ちょっとずつだな。

2月20日 79-99-14

作りたい曲がたくさんあって、歌詞のイメージ集めてる。歌詞が先行の歌ものを作りたい気持ちがありつつ、もう一方でリフのアイデアを発展させたような、サウンド指向の曲も作ってみたい。

ちょっと前に、Andy PartridgeがP-Modelの「Kameari Pop」を絶賛したって書いた。久しぶりに聴き返したらかっこいいんだよね。DEVOのBob Casaleが亡くなった。あの「Satisfaction」の痛快なカバーは、Bob 2のリフのアイデアから始まった。で、やっぱりかっこいいんだ。パンクからニューウェーヴに移行していった頃 → ポストロックが流れた1999年頃 → そしていま。リンクするものを感じてる。アマチュアリズム。苦悩の果ての歓びの放出。で、先鋭の裏側には叙情性がある。Talking Heads、Yo La Tengo、Velvet Underground。ぼくたちがカバーしてきたバンドは、偶然にもそういうカラーだったなって。
 Talking Heads的なFranz Ferdinandがいて、Animal Collectiveやその周辺がいて、Vampire Weekendが大傑作「Modern Vampires of the City」で叙情性を打ち出してきた。その流れを気持ちよく感じる。

で、もう一方ではさ、流行りの文法は使いたくない気持ちもある。っていうのは2014年のガールだけじゃなくて、2030年のガールにもいいって言われたいからだ。何年の音にもしたくない。バンドでは時代性を、個人的にはエヴァーグリーンを目指したい。と思っている。その前に動け、動けよ。

ロシア軍の合唱団が歌う「Get Lucky」オリンピックの開会式でも歌ったらしい。「James Blake以降のベースミュージックを担う女子達」って記事。Pefumeのポスターが秀逸。Negiccoのかえぽが大学卒業。アイドル活動と移動と実験 (有機化学) に奔走するツイートは、敬意と同時に痛々しさも感じてた。そんな音楽界の昨今。

2月22日 猫ってかわいい以外に仕事ないけどかわいいって仕事ある

布団にだらしなく寝そべってたら猫がそっと手を載せてきた。ぎゅっと握り返して離した。彼女かよ。猫には3歳児くらいの知能があって、握手が愛情と信頼の印なのは共有できてる。猫たちにはね、いたずらもするし粗相もするけど「うちに来てくれてありがとう」って、それしか言えることはない。
 動物と一緒に暮らす歓びのひとつは共に成長すること。猫をターゲットにしたダイレクトメール。キャットニップの香りを印刷するんだって。ゾウには仲間を慰める行動があるってわかった。猫にもあるよ。仲間は僕だよゴロゴロ。

体調まずまずなんで、読んでなかったマンガや30年ぶりに開いたマンガを読んだ。おもしろい。打ち震えた。
 日本のマンガってすげえな。ジャンプや線が太いマンガは通過してないんで、特殊な読書体験なんだけど。いま読み返してその深遠さに気づく。はじめに手塚がいたから、目指す高みが違う。って言えるほど、海外のマンガの読書体験は深くない。世の中には面白いもんがありすぎて途方に暮れる。

最近オタサーの姫ってタームをよく見かけて、サークラとの違い含めてニュアンスわかるんだけど、元ネタを知らないんで積極的には使ってない。確信犯的に姫としての自分を楽しんで10年後にはアラサーの姫となり、やがて培った技術で自分の幸せを掴んで去ってゆく。
 取り残されたオタのこと。姫のいないオタサーのこと。

我々はブラックホールの中にいるらしい。ちょっとなに言ってるかわかんないですね。

2月24日 この国の崩壊した腹筋たち

G.D.Greenberg「日本国憲法は、全体が非常に長いので、その本質がうやむやになりがちだ。一文だけ抜き出すのなら前文の中のこの文章。崇高さを超えて、ロックンロールの域に達している『われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する』」。

あいかわらずこの国の世論がおかしい。自由民主党の河野太郎氏が、保守主義と排外主義は違うってブログを書いている。「外国人を批判して自らのうっ憤を晴らしている排外主義者の中には保守主義者を名乗っている者もいるが、そもそも保守主義とは国際協調を旨とする。排外主義は保守主義とは相いれない」。
 嫌韓・嫌中の人々は保守主義を学んで考えた訳じゃない。ネットを通じてバカ同士が繋がる歓びに興奮してるだけに見える。2ちゃんで刷り込まれた話をガチョウみたいにずっと追いかけてる。彼らの保守性が論理的ならばぜひとも展開して欲しい。つくづく教育の必要性を感じる。高等教育じゃなくて初等教育だ。ものごとを論理的に考えて判断する力を養うことだ。

日本を貶めるのは歴史観じゃない。戦前の日本の評価をあげるために、いまの日本の評価を落とすのは馬鹿げてる。まず外国人と飯を食ってからものを言え。いまの日本の評価は、戦後一人ひとりが築きあげてきた信頼の上にある。

僕はリベラル左派だけど、左の人が論理的かっていったら全然そんなことない。すごい話でた。都知事選の投票日に大雪が降ったのは当局の陰謀なんだって。人口雪を降らせて投票率を下げさせたと。で、その人口雪には劣化ウランが含まれてるから逃げなさいと。
 人工降雨っていうのは確かにある。渇水対策の技術として、飛行機雲を作るみたいに大気中にヨウ化銀の微粒子を撒いて、水蒸気を雨雲にする。でもそれ奥多摩湖の上に雲ができたようなできないようなレベルの話で、関東全域に大雪を降らせるなんてとても無理。彼らが主張する「ポリマー雪」は、生物と無生物を融合させて、新たな化学物質をつくる某かであるらしい。例え大雪が陰謀だとして、翌週の大雪はなに? もっと効率のいい陰謀なくない? ネットはバカ発見器じゃなくて、ネットを覗いてみると、この国の知性がもともと低かっただけなんじゃないかって思う。

閑話休題。

デイリーポータルZ「読みまちがえ選手権」に投稿が載った!! 嬉しいなあ。DPZの最近の秀逸な記事「交響曲の指示書風に江戸幕府やペヤングを表現してみる」「履くと靴ヒモが自動でほどける靴」。

僕が初めてインターネットに触れた時は、これを商用化するかしないかっていう議論の中にいた。商用化されて20余年、成功も失敗もあまりにも大きすぎた。

2月26日 音楽の聴き方 -How To Listen To Music-

今日一番お伝えしたい話を完結にまとめる。迷子猫 / 保護猫の情報を共有できるネコサーチってサービスが始まった。これみんなブックマークして頻繁にチェックして。twitterやFacebook版もフォローして。

音楽誕生の謎について。踊る動物の研究だ。少なくともオウムとアシカにはリズムを取る能力がある。もしかするとゾウ、ボノボ、チンパンジーにもあるかも知れない。言葉も歌から生まれたんで、音楽がなければいまの人類はなかった。みんなもっと音楽に親しんだらいいのに。

きのうは手持ちの音源から調べ物してたんだけど、どう考えてもうち音源多すぎるよね。僕の買い過ぎ疾患は、コレクター心理っていうよりどこかに心の一曲があるはずっていうトレジャーハンター心理なんだ。自分の人生に残された時間と手持ちの音源の収録時間を比較するに、ぱっと見てこれなんだっけ? って音源が再びプレイヤーに載る可能性は低い。探索活動をやめて資料を分類調査するフェーズに入った。要するに、自分の好きな音楽の傾向はだいたいわかったからそれを何度も聴いて楽しみたい。
 聴かなそうなのはごっそり処分する。処分の山ができたらまたここに書くんで、うちに来たら欲しいのあげるよ。残りは売って、ほんとうに聴きたい人の手元にあったほうが健全だ。もちろん新しい音楽に対する関心は消えてないんで、新譜は (ひかえながらも) 買い続ける。

そんな作業の副産物として、大瀧詠一入門3枚組CDを作成した。はっぴぃえんど - 第一期ナイアガラ時代を編集した「EXPECTATION IS THE MOTHER OF DISAPPOINTMENT」、第二期ナイアガラ時代を編集した「DON'T THINK THE NIAGARA EXISTS FOREVER」、プロデュース作品やカバーを編集した「NIAGARA FALLS SONG BOOK」の3枚。
 収録曲はここ (下の方) 。欲しい人にあげる。ほかのCDも欲しかったらあげる。2013年のベストコンピレーションも近日中に作成する。

ここ数日偏頭痛がする。ぐぐったら、どうも眼の酷使が原因っぽい。春に向けて健康状態の改善計画を立ててる。具体的には循環器系の活性化と減量だ。毎日のレイディオエキササイズで息きれて死にそうになるのは情けない。1月中旬からあった不安感と不安定はだいぶ改善された。今月ももう終わりか。

ask.fmに「ナマポで暮らしてんの?」って質問が来た。生活保護のことだ。違うよー。五味太郎の「じょうぶな頭とかしこい体になるために」って名著がある。子供の質問に答える人生訓だ。その中に「働きたくない」って項目があった。五味先生の答えは「なんでかわからないけど働かなくても生きていける大人はいるから別に働かなくていいんじゃないの」だった。なにそれ超なりたい!!って思ったらなれちゃったんだよ。どういう仕組みで生きてんのか、僕にもわかんないよ。
 サラリーマンして失職して、悩んでた時期もあったけどユリイカが来た。どういう類のユリイカかは城戸沙織さんのこのブログに近い。

古代の日本では「は行」をP音で発音してたらしい。ってことを公にすると、神武天皇の祖父にあたる天津日高日子穂穂手見命が「あまつぴこぴこぽぽでみのみこと」になっちゃってなんだか不敬である、というどうでもいい天皇家タブーを入手した。

Googleの新プロジェクトTangoがすごすぎる。可能性も怖さも。

2月28日 顔が見えること、名前が見えること、匿名性と記名性と責任の所在とくだらない話

小森の大葉茶葉。

俺チェン」てスマホアプリを導入した。2時間で飽きるけど無料アプリとしては上等。TOYOTAのキャンペーンで、自分がイケメンに変貌した写真を元に、車のパンフが作れるっていうもの。車のパンフはどうでもいい、顔写真をイケメンにする機能が面白い。
 金正恩氏をイケメンにしてみた。彼は顔のパーツは整ってるんだ。ダイエットして髪をいじれば、イケメン過ぎる第一書記になれる。元がどんな顔か思い出せない人は、ググればこの写真の元画像がすぐに出てくるよ。異母兄の金正男氏は、顔のパーツが整っていないんでこれが限界だった。ほかにも20人くらいイケメンにしたけど諄いんで公開しない。その程度の出来だったってことです。

僕はイケメンじゃないけどネットで顔出ししてる。いくつか理由がある。まずは日本でインターネットが商用化されてなかった頃から使ってたってこと。当時は顔見知りが多かったんで、顔を伏せる必要がなかった。もうひとつはライブやイベント会場で、「スキルさんですよね!?」って声かけて頂いてお喋りするのが大好きだってこと。
 一番大きいのは、匿名で語りたくないってことだ。2ちゃんねる的な匿名での暴言を、とても卑しく感じる。何度かネタにされたこともあるけど、絶対にオフネットで親しい人が書いてる。要するにオフネットとオンネットで人格の使い分けをしたくない、言葉の責任の所在をはっきりさせたいんだ。発言が間違いだったら謝るし訂正する。

でも「スキル」はハンドルネームだよねって言われる。前は本名を使ってた。大昔、鈴木惣一朗さんのサイトに文章を書かせて頂いた時、惣一郎さんに「名義は山下スキルね」って言われた。覚えてもらいやすいんでそのまま使ってる。オフネットでも通用するし郵便物も届くって意味では本名に近いペンネームだ。イントネーションは英語のSkillじゃなくて、マサルやサトルの感じでお願いします。
 本名も両親に貰ったもんじゃない。親戚が占い師に頼んでつけられた。占い師がつけた名前が難読なんで、漢字も替えられた。ご利益ない。でで、そういう選考にも両親は関わってない。本名、山下元裕っていいます。どってことない情報でしょ。どってことないと思ってる。

顔や名前が見えないブログの中には酷いものがある。「ちきりん氏のお粗末な科学教育論」。「あたしに理科とか数学とか教えるの、ほんとーに時間の無駄!」。このブログに対して、紹介したリンクでは「 (若い頃に) 一通り何でもやってみてから向き不向きを判断すべき」って反論を挙げている。その通りだと思う。もっと大事なのは、次に挙がった「科学は知識の寄せ集めではなく考えることである」って話だ。
 理数系教育のひとつの意義は、「論理的思考力をつける」こと。論理的思考力は、◯◯は◯◯だから正しいのは◯◯だって判断したり、◯◯は◯◯だから僕はこう考えるって説明する時に有効だ。これができない人が、似非科学や陰謀論にはまる (そして、確実で現実的な脱原発の足を引っ張る脱現松村のミュージシャンたちよ...) 。

ちきりん氏は社会派売文屋だそうだ。彼女の文章はちゃんと読んだことないよ。でも得てして論理的思考ができない人の語る社会は、イデオロギーにかかわらず自家中毒の罠に溺れやすい。◯◯は◯◯の陰謀で、みんな操られてるっていう妄想に繋がりやすい。
 例え陰謀を企てるにしても、効率のいい陰謀を立てると思う。例えば都知事選の票を操作するために、「ポリマー雪」を降らせて投票率をさげるより、もっと安価で簡単な操作方法がいっぱいある、ってことに思い当たらない。そして彼らは「世界のみんなが操られている秘密」をなぜか自分たちだけが知っている、っていう傲慢から抜け出せない。ちきりん氏の文章は読んでないし、プライオリティ的に読むこともないよ。彼女の社会論がどうなのか知らないし興味もないよ。一般論として、そういう傾向にあると感じてる。

子供の背中に乗って遊ぶのが大好きな猫。愛されて育った動物は、抱きしめる意味をちゃんと知ってる。かつてはペット可マンションを探すのはものすごく大変だった。いま東京都内で「猫付きマンション」が増えてるそうだ。猫の保護団体と、その助けになりたいマンションオーナー、そして猫と暮らしたい人をマッチングする仕組み。難しいと思うけど素敵な考えだ。
 国立新美術館「イメージの力 -国立民族学博物館コレクションにさぐる」面白そう。イメージの源泉をたどる旅。Brian EnoとKarl Hydeがコラボレーションする。なんて俺得企画。LINEクリエーターズマーケット発表。これも難しいと思うけど、うまくいったらいいね。

次はちょっと重たい日記を書くよ。