DIARY 2015年1月


1月1日 うちは毎年猫年なのでにゃにゃーん

生きねば (デデン)

地球が太陽の周りをひとまわりしただけの朝です。
 去年の僕は人の間で大きく揺れて、持病の鬱を悪化させました。自身の心の醜さを恨み、布団に伏せて死を願う日々でした。それでも信じられるもの、信じなければならないものは、人でした。世界に見放されたように思えても、見捨てないでいてくれた人たちがいました。行政の援助も受けて、ときどきは小さな外出ができるようになりました。ただ感謝して生きるのみです。

ある本にこんなことが書いてありました。「生きることに意味を探してはいけない。欲や野望を持って生きると不幸への連鎖が始まる。心を軽くしてあるがままを受け入れよ」と。楽しい、とは人間の根源的な欲求が満たされる状態だと思います。多くを望まないでニコニコ生きられたらいい。うちの猫はいつでも楽しそうで、でも猫と人間の間に決定的な断絶はありません。
 今年は猫のように、対人関係の中に入っていく勇気を持ちたい。皆さんにもおめにかかりたいと思っています。

1月2日 Side-A 今を生きているんだね、君

いいともいいともいいともろう。来年は本気だす。

大晦日はN氏が遊びに来た。おじさん2人で蕎麦を食って年を越した。会話に飢えて精神的に参ってたんで、非常に助かったよ。レコードをたくさんかけた。「風街ろまん」の写真撮ろうとしたらめっちゃ顔認識して笑った。地震からの明けましておめでとう。そのあと酒飲んでいろいろ記憶ない。N氏いつ帰ったの?
 起きたら昼だ。ちょっ雪!? 凍えながら年賀状とってきた。たくさんだ、ありがとうございます。Facebookの皆さん年賀状に「Facebook見てます」って書いてるけど、僕Facebookに大事なことなにひとつ書いてないよ。僕からの年賀状は1日の日記のやつ、今年は全員に同じ文面で申し訳ない。届いてない人は住所を把握してないので至急教えなさい。届くのはアレなんだけど。

そして...ヒマだ (´-`) .。oO タイムラインを巡回する。「あけおめ」も死語になりそうでならないな。挨拶くらいちゃんとしたらどうかな。仮谷せいらさんの正月動画を100万回見て幸せに眠った。で、寒くて起きたら-4℃とかね...。でで、二度寝して現在に至る。外はまさに「正月みたいな空」。今年も箱根まで足で走るっていう、小田急のプライドを打ち砕くイベントをやってるらしい。
 ところで初夢問題だ。1日の夜から2日の朝に見るのが初夢って言われてるけどこれなー、大昔みんな0時まで起きてなかった頃の定義じゃないかな。おめでとうしてから寝たらそれが初夢でいいじゃんか。1日の朝に見たのは、ウクレレのライブに出て、弦が切れてアカペラで歌う夢。そのあとお昼寝とか挟んで、2日の朝に見たのはなんだか猟奇的で重苦しい夢だった。えーこれが初夢? たぶん人生でなすびの夢を見たことない。

風邪の様子をみて、明日は初詣に行く気概がある。

1月2日 Side-B 新年所感の所感

天皇陛下のお言葉。この方がリベラルで一番まっとうだという。「東日本大震災からは四度目の冬になり、放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます」。「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」。放射能汚染や満州事変って言葉を意識的にセレクトしてる。かなりの覚悟だ。
 そんで内田樹さんの年頭所感。「私たちの国はいま『滅びる』方向に向かっている。国民資源を個人資産に付け替えることに夢中な人たちが国政の決定機構に蟠踞している以上、彼らがこのまま国を支配し続ける以上、この先わが国が『栄える』可能性はない」。それでもできることの話。「せめて『ゲームオーバー』の後にも、『リプレイ』できるだけのものを残しておきたい」。

残念なニュースが続く。「武器購入国に資金援助 途上国向け制度検討」。武器輸出三原則を形骸化させて、企業に資金援助までして、今度は買う国にまで手を差し伸べる。金を貸すから日本の武器を買えと。もう戦争で稼ぐ国になるぞと。「『残業代ゼロ』制度導入へ 国が法改正方針」。残業ゼロじゃなくて、残業代ゼロだ。無意味な残業はなくならない、長時間労働の歯止めが効かなくなるだけっぽい気がする。
 「わかりあえたら : 不寛容時代に / 住宅街の障害者ホーム建設、過熱した反対運動」。精神障害者のグループホームを、我が街に作ってくれるなと。「社会的地位の高い住民が多い地域に来ないで」ってすごいな...。精神障害者への差別は、僕自身も切実に感じてる。特に「社会的地位の高い」人々の周りには、心を病んでる人がいなくて理解できないんだろうなって、いくつかの顔を思い浮かべる。

フライパン、スプーン、掃除機、ビール瓶、シューズ...家にあるものだけで2014年のヒット曲を演奏する動画。細野晴臣さん「80年代は表面的な時代、だから嫌いなんだ」。細野さんのそういうところ好き。僕にとってはいわゆる思春期だったんだけど、音楽的にも人生的にもまったくもってつまんなかった。DJデビューイベントのテーマが「80年代」で、同世代にとっては思い入れがあるってことにびっくりした。バブルが弾けてやっと何かが動き始めたんだ。
 奇祭・埼玉政財界人チャリティ歌謡祭。隣の県でこんなことが起きてたのか。政財界のお偉いさんが虚ろな眼の子分を引き連れて歌う様子を、元旦のゴールデンタイムに3時間も放送するらしい。

「わがままボディー」のわがままとは。ボディーよ素直になれ。

1月3日 幸せな結末

へいへいへい。
 夏に太り、冬に太る。普段と変わらない食生活なのに正月太りってするもんだな。カリっとした揚げ物的なものをたらふく食べて痩せたい。初詣には行かなかった。かれこれ2週間風邪ひいてる。基礎体力のなさと老化を痛感してる。明日いくよ、明日。

年末に放送した、2本のはっぴいえんど絡みの番組をやっと聴いた。レコーディングバンドとして、欲しい音をどうやって作るか探求してきた話。若いミュージシャンが洋楽を聴かなくなったのは、この国の精神的な鎖国状態ってのがひとつある。もうひとつ、はっぴいえんどに限らずいろんな先達が、海外の文化をどう日本に馴染ませるかっていう逡巡を、もうやり尽くしちゃったってことかも知れないな。
 もちろんいまでも世界中で新しい音楽が生まれてるんだけど、先達がトンカツやラーメン的なものを発明してしまったがために、それだけ食べてれば充分に食生活が成り立っちゃう。わざわざフランスや中国 (や日本) を研究する必要がないんだ。よくない傾向だとは思うよ。クリエイターもリスナーも、いろんな文化に触れた方が楽しい。でも幸か不幸かトンカツは旨いのだよ。

渋谷区がホームレスの排除に乗り出した。法的な根拠はない。年末年始は飯場もなくなり、空き缶の買取り業者も休む。へたすると凍死する。東京新聞「『命に関わる』渋谷炊き出し決行 公園使えず歩道脇で」。地方行政レベルでも、何かが狂い始めてる。
 生活保護バッシングを進める片山さつき議員は、「ホームレスが糖尿病になる国ですよ」という。飽食で糖尿病になってる訳じゃない、充分な栄養が取れなくてなってるのだ。

アナログレコードのスリープジャケットがDJコントローラーに。待ってなにこれ欲しい。細野晴臣×U-zhaan「悲しみのラッキースター」「恋は桃色」。細野晴臣さん「自分が癒されるのは音楽と猫だけなの。本当にそう思ったよ」。

1月4日 絶望的にヒマだ

鬱病を患って15年、仕事始めの声を聞くとうーん、自分がふがいない気持ちになるよ。年末に落ち込んだのも、同世代の人々が忙しくしてる気配を感じて、世界に取り残された気がしたんだ。

「スキルさんは『闘病中』であって『無職』ではない」って言ってくれる人もいる。でもおおよそ差別と無理解の中にいる。トラブルにも繋がる。で、「立派な」親戚や「立派な」知人に罵倒されて疎外される。悲しい病気だ。もしも親戚の集まりに呼んで貰える人望があったら、こんなわくわくするお年玉をあげて初笑いを提供してみたい。
 美容室ではフリーライターって設定にしてる。「お仕事なにされてるんですか?」っていうのは会話の緒で、「無職です」だと「あっ...」て空気になるじゃんか。文章でお金貰ったことあるから限りなく嘘に近いほんと。DJでお金貰ったこともある。昔は本職でウェブ制作してた。僕、DJでクリエイターでライターです!!

DPZがSPAMメールを実写映画化。もうね、こういうの大好き。カンヌ映画祭に出すらしい。通じないだろうなあ。
 Computer Magicが日本限定盤をリリース。日本人好みのルックスとサウンドだよね。ダブステップ系の女性シンガーLapsleyがメジャーデビュー。売れそう。フィジカルで出さないかしら。John Cale, Nick Cave, Chrissie Hyndeのスタジオライブ。最後は3人で「I'm Waiting For The Man」を演る。アナログ盤を1枚から作ってくれる「HI LIBERATE record delivery service」ものすごい安いな!! アデュー。

1月5日 船を降りる時

風邪ひいて16日、引きこもって12日。
 訪問看護師さん (おじさん) がやってきた。「では年末年始はまったく家を出ず?」「はい」「風邪で」「いえもともと予定なくて」「正月らしいことは」「何もないです」「...寂しいですね」「はぁ」。

日本時間5日の未明、惑星直列で地球の重力が5分間なくなるってデマが流れた。元ネタは39年前のエイプリルフールのジョークだ。タイムラインに、わざわざその時間に起きて確かめた人々が散見された。STAP細胞騒動はロスチャイルドの陰謀だってポストも大量にシェアされた。ほかにも夢みたいな技術がたくさん握りつぶされてるって。僕が思ってたより平均的なメディアリテラシーは低いのかも知れない。そしてこの国の現状を想う。
 でもおそらく彼らには仕事があり家族があり、僕には未来永劫ない。せめて弱さの裏返しの優しさがあれば? そんなの偽物だ。

1月6日 それでも僕は世界に向かって弱音を吐く!!

今年初めてパジャマ以外の服を着た。おでかけだ。おそと寒いし怖い...。傘にあたる雨の音が新鮮で、あー外だ!!
 でかけたのは整骨院。年末年始、風邪で引きこもってお布団でパソコン向かってたら腰痛になった。咳するたびにアァッて。あと何回か通わなきゃだな。そのあと行ったリフレクソロジーは自分へのご褒美である。リラクゼーション、そして女子との会話。

で、氏神様に初詣。お賽銭は「五円だと御縁がある」「十円は遠縁に通じる」なんていう。タイムラインによると「日本の貨幣制度が円になるずっと前から神様はいるから関係ない」。泡沫コラムサイトは「お賽銭は千円札以上が基本。硬貨を投げるケチ臭い男は将来性皆無なので別れましょう」、これにも「お賽銭は音が大事、神様にお願いごとを伝える合図だから紙幣じゃ届かない」って人がいるかと思えば、愛宕神社では「Edyもご利用いただけます」と。
 自然現象に八百万の神を見出してきた民族信仰が、政治に利用されて形を変えていくにつれていろんな解釈ができた。どんな宗教にもそういう側面はあるけど、神道には創始者も聖典もないからね。明日大きな神社に厄祓いに行く。形からでも気持ち切り替えないと、今年は出だしから非常にまずい。

エラ通信とShiggy Jr.新聞 (仮) をゲットした。どっちも面白かった。エラー君の完璧なキャラクター作りは言わずもがな、Shiggy Jr.の池田智子さんいい人ぶりが滲みでてるな。
 変わり果てた姿で無言の帰宅。猫が「スキルよ落ち込んでるな、仕方ない俺が相手してやろう」って猫じゃらしくわえてきた。しばらく遊んでぎゅってしてくれた。猫と23年暮らしてるけど、なんで冷たいって言われるのかわからない。犬のほうが打算的だ。猫は気まぐれなだけで、利害損得は考えてない。その距離感が心地いい。

書き損じのハガキや切手やテレカで命を守る運動がある。自殺危機にある人の支援活動だ。自分自身が自殺危機にないでもないが、無駄なテレカが大量にあるんで寄付しよう。

1月7日 人の胸毛は醜いのに猫の胸毛はなんでこんなに愛おしいのか

この腰痛がすごい2015。整骨院でだめなら整形外科に行かなきゃならない。ストレスもたぶんにあるみたいだね。
 ネットスーパーで買った七草セット的なものをああしたりこうしたり。初めての正月っぽい行事。旨からず不味からず。ナズナってペンペン草なのか。ぶーしゃからかぶー I Say ぶーしゃからかぶー。
 そんで眠くなり、ものすごい深いお昼寝。気づいたら夜だ...。ひょっとしてきのうの外出、バスで数個ぶんの移動に疲れ果てたということか。僕はいつ初詣に行けるのかな。

スミソニアン博物館が所蔵品4万点のデジタル画像を公開した。非商用ならただで使っていいって。ちょっと前に大英博物館も3Dプリント用データを公開したね。

1月8日 差別と憎悪の連鎖について思うこと

動けないほどのYOU2 (腰痛) 、19日めになる風邪、持病の鬱。のためにむりやり起きだして、整形外科→内科→精神科ツアーを敢行した。誉められて伸びる子なんで誉めて欲しい。精神科の待合室で待ってたら、診察室から可愛い娘が出てきた。ご近所のメンヘラ同士、手を取り合って笑いと薬の絶えない家庭を築きたい。でもそのタイミングで自分が湿布臭いという屈辱。
 今日僕頑張った。今日僕頑張ったんだよ。

フランスで新聞社への痛ましい銃撃事件が起きた。宗教を揶揄して嫌悪する日本でも、自分で信仰を選べずに刷り込まれる国々でも、ほかの宗教を理解するのは難しいってことは、ちゃんと自覚しなくちゃいけないと思ってる。
 「パリで襲撃された新聞はどんなことを報じていたのか」。記事を読む限り、信仰に対して敬意が足りないな、と僕は感じた。とうぜん銃撃事件については全否定する。でも、カリカチュアはフランスの文化で、俺たちローマ法王だって風刺してるんだからムハンマドも風刺していいだろって言い分は、宗教と文化の違いに対して無自覚じゃなかったろうか。日本人が冗談でファックサインを出して、「表現の自由」と言い張るような軽率さを感じる。「イスラムへの憎悪を煽るパリ週刊誌銃撃事件」。「フランスの極右政党・国民戦線が事件をきっかけに一気に勢力を拡大し、政権獲得に駒を進める可能性もある」と。

もちろん殆どのイスラム教徒は穏健だ。The Huffington Post「我々イスラム教徒は「シャルリー・エブド」を支持する」。
 「イスラム教徒が『シャルリー・エブド』を支持するのは、報道の自由を大切にし、そして何よりも、根本的で大きな敬意を生命に抱いてるからだ」。「かつてイスラム教の開祖が『一人の殺人は全人類を殺すに相当する』と説いたのを知らなかったのだろうか? 彼らは『宗教に暴力はない』と記したコーランの神聖な節を隠蔽したのだろう? 教えの名の下、殉教者によって神から人類に与えられた最も美しく尊い生命の光が奪われたあとで、誰が帰還できようか?」。彼らの声は、キリスト教世界には届かないだろう。穏健派も差別と憎悪の対象になる。
 病院ツアーでテレビを見る機会があった。眉をひそめて「報道の自由は民主主義の根幹ですからねえ」と語る君の局で、報道の自由は守られてるだろうか。もじゃもじゃ考える。

テレビがそれよりも遥かに時間を割いてたのは、マクドナルドの異物混入事件だ。どーうでもいい。潔癖症すぎるんじゃないの。ある程度は仕方ないんじゃないの。家庭料理よりはよっぽど気を使ってるはず。そもそもマックで健康を語るなよ。マックに問題があるとしたら、謝り方だった。世の中にはお寿司に骨が入って激怒する人もいる。「そろそろグレープフルーツサワーにグレープフルーツの種が混入しているのに激怒する人が出てくるだろう (佐々木あらら) 」。近所のマックにモスバーガー混入しないかしら。
 そういえばきのうFacebookで「日本の韓国侵略は正しかった」って記事が大量にシェアされてた。例えば韓国の方々が震災の時にどれだけ日本を想ってたかって話は「なかったこと」にされるんだろう。テレビとFacebookはまじめに見ると心が死ぬ。

友人の作曲家、田廻弘志のツイートで、バカ族の歌を知った。偶然性の音楽。非常に洗練されてる。「音楽ってのは、演奏を聴くものではなくて、みんなでテキトーにアドリブで歌ったり演奏して楽しむものなのかもしれないね。作曲家とかもういらないじゃん」と田廻氏。
 作曲家って概念は長い音楽史の中で最近出てきたものだ。なくてもいい。なんて言うとクラシック界の方々は「やれやれ、下品な大衆音楽を聴いてるやつは困る」って顔をする。演奏者と鑑賞者ってわけ方だって歴史は浅い。古来は楽器を持ってない人も、声をあげたり手を叩いたり体を動かして一緒にトランス状態に入った。いまでもおおくの民謡や商業化されてない大衆音楽は参加型だし、クラブミュージックだってそうだ。大衆音楽の歴史は、少なくとも5万年前から断絶がない。中世以降の教会音楽や、その延長にあるいわゆるクラシック音楽が異端なんじゃないか (適当) 。

リンク集。琉球新報の社説「安倍政権は知事と向き合え」。切実な事情で知事選、衆院選ともリベラル派が完勝した沖縄に向けて、安倍政権はあからさまな冷遇をしてる。
 DPZ「模式図で自分をだましたい」。バナナでスキップしたくなる。編集長の林雄司さん自身はあんまり記事を書かないけど、書いたら100%面白い。抱っこしてもらえるとわかるとバンザイする猫。Chilly Gonzales「Shut Up And Play The Piano」ピアノとラップだけの素晴らしい演奏。

とっぴんぱらりのぷう。

1月9日 おんなのこって、いい匂いする。

って言うと、「するんじゃないよさせてんだよ!!」って娘がいるけど、そういうフレグランス的な話じゃないんだよ!!

1月10日 限りなき正義、そんなものはない

何年かぶりにイチゴmogmog。子供の頃、一番好きな食べ物はイチゴって答えてた。それは「無人島に持ってく1枚はなに?」って聞かれた時のために答えを用意しておくようなこと。

8日の日記の続き (むしろ8日のを読んで欲しい) 。
 フランスの銃撃事件について、いろいろ読んだけどしっくりこない。9.11の後の言論にしっくりこなかった感覚。あの時感じたもじゃもじゃはイラク戦争の大きな引き金になった訳で、「限りなき正義」って言い切るのはあまりにも独善的じゃなかったか。
 風刺の笑いは強者から弱者を解放することもあれば、強者の支配をさらに強めることもある。「フランスの風刺文化は18世紀に云々、フランスの象徴的な云々」、その論理をまったく出処の違う文化に押しつけるのはどうだろう。日本人が冗談でファックサインを出して、「表現の自由」と言い張るような軽率さを感じる (refrain) 。

僕自身は特定の信仰を持ってないけど、宗教に関心があって、キリスト教の本も仏教の本もイスラム教の本も読む。で、「いつだって負ける側だったんだ。いつだって置いて行かれる側だったんだ。いつだってあぶれる側で、いつだってないがしろにされる側だったんだ。そういう情けない僕たちだ。優しくなれないはずないだろう。誰よりも痛みを知ったんだ。誰よりも苦しみを知ったんだ。誰よりも優しくなってやろうぜ (スイミー) 」って視点で生きてる。国際政治もマスメディアも、キリスト教国家が圧倒的に力を持っている。世界への影響力を比べるに、いまの言論はちょっと不公平じゃなかろうか。
 「表現の自由」の大切さと「信仰の自由」の大切さは、同じ土俵で比べられない。フランスではイスラム教徒への報復が始まってる。報復は正義だろうか?

めんどくさい話おしまい。

3つの病院に通っていろんな薬のんで眠みが酷い。そんな中でちょっとしたお出かけ。鳥チュン。電車はハードル高いけど、空いた昼間のバスには乗れるようになってきた。
 猫と暮らして23年になるけど、いまでも「うわ可愛い!!」ってびっくりする。生きてるだけでノーベル平和賞あげたい。ついでにグッドデザイン賞もあげたい。

しょうぶ学園って障害者福祉施設があって、そこの方々が作る工芸品や演奏する音楽が素晴らしいんだ。なんであんなものが生まれてくるのか、ドキュメンタリー映画を作ってる。制作費のクラウドファンディングやってるよ。演奏は例えばここで聴いて
 同じ音楽を繰り返し聴きたくなるメカニズムって記事。サンプル音源もあってわかりやすい。光る猫耳ヘッドフォン&スピーカーそのPV。共有もできるみたいだね。おじさんも痩せたら着けてみたい。Aphex Twinが13年ぶりのアルバムの4ヶ月後にEPを出してきた。「Acoustic Instruments」ってどういうこと!?

1月11日 あの丘の上でもう一度 (備忘録として気になった記事を引用しただけの日記)

Facebookがどーうしても肌に合わない。一度退会して孤立の寂しさから再登録したんだけど、心が伝わる世界じゃないなら寂しさは拭えない。もどかしさばかりだ。Facebookのアルゴリズムはこうなってるらしい。高品質なコンテンツを上位に表示する、と。僕の下手くそな写真は高品質で、本当に伝えたいことは低品質ってことか。写真は練習したいし、下手くそながら需要があるんでシェアしてる。
 SNS文化そのものの曲がり角を感じつつ、mixiが人知れず操作性の改善をはかってる。新しくいくつかのコミュに入って自己紹介してみた。あの丘の上でもう一度あつまらないか (ないか...) 。

フランスの銃撃事件と (欧米) 社会の反応に、もじゃもじゃを感じてる人はほかにもいるみたいだ。
 web DICE編集長浅井隆さんのブログ「わたしはシャルリーではない」。「『シャルリー・エプド』誌は、イスラム教徒の指導者であるムハンマドをテロと結びつけて漫画にしてきた。仏で、イスラムが恐ろしいと漫画によりイメージを植え付ける役割を担ってきたことは否定できないだろう」。「『私はシャルリーではない』ということはテロを支持するということと同意になっているのが今のフランスだ。僕は『私はシャルリーではない、でも表現の自由を支持し、それを圧殺するテロ行為には反対する』という立場である」。
 Blogos「本当に『私はシャルリ』でいいの?」。「例えば、黒人がバナナをくわえて木から落ちる風刺画は許されない。ユダヤ人がカネを数える風刺画は許されない。偏見が黒人差別やユダヤ人迫害を助長した歴史があるからだ。風刺画による『表現の自由』にも自ずと限度がある」。「今大切なのは、国内向けに対テロ戦争やテロ対策の強化を華々しくぶち上げるよりも、西洋がイスラムへの理解を深め、西洋とイスラムが違いを乗り越えて寄り添えるメッセージを政治指導者が積極的に発信することだと思う」。

異物混入騒動にもじゃもじゃを感じてる人もいた。Blogos「マクドナルドを叩けば、視聴率やページビューが増えるんでしょ?
 「本当に食の専門家であれば、異物混入が日常茶飯事であることを前提として、除去対策の不十分さを指摘する一方で、異物混入を100%防ぐことは不可能だということくらい、メーカーに代わって言ってあげて欲しいと思う」。「今回の問題の本質は、異物混入ではなく、異物混入問題発生時における望ましいプロセスが踏まれていないという点であろう。本来であれば、異物混入を発見した消費者がメーカーに連絡し、メーカーは混入経路を調査して消費者に返答、メーカーは以後の混入防止策を設けるというプロセスをたどる。これにより、消費者は謝罪を受け、メーカーの製品の安全性は高まる。ところが、まず異物混入を発見した消費者が、ネット上に写真をアップしたり、マスメディアに連絡をしたりしてしまうことがある。こうなると、メーカーが混入を知った時にはすでに騒動になっており、構図として消費者とメーカーが対立するしかなくなってしまう」。

池上彰さん「産経さんだって人のこと言えないでしょ?」。メディアのあり方について、すごく大切なことをわかりやすく話してる。全文読んで欲しいけど特に気になったところを抜粋するね。
 「『朝日の病根』を明らかにして紙面に出して説明したことは、これまでにない前向きなことではないか。他の新聞社の記者から言われたんですが、『朝日のような対応はうちじゃできない』と。産経さんが朝日の件で江川紹子さんのコメントを無断で使ったことが問題になりました。あの後、産経新聞が記者を処分した経緯の記事がとっても分かりにくい。こんなことになれば、当然産経さんだって批判される側に立つ。ましてや、朝日のことを散々叩いてきたわけでしょ」。
 「インターネットができて誰もが記者になれる。みんなが情報発信できる。それはその通りなんですけど、結果的に取材をし、事実関係を確認し、報道することの恐ろしさって、我々は知ってますよね。でもネットしかやらない人はそういう怖さを知らないわけでしょ。ネットのルールというか、作法というのか、これからきっと成熟していくのだと思う。ただ、ネットユーザーの中には、ネットにこそすべての正しい情報がある。マスゴミは信用できない。ネットには真実があるみたいに、本気で思い込んでいる連中がいる。すべて同列にみえてしまうっていうところが怖いですよね」。

奈良美智さんのツイート「漆工用に、漆の木から漆を取るために、木に傷をつける道具を作る鍛冶屋さんが日本でたった一人しかいないことを今日知った。田子町の中畑さんという72才の方。僕はクールジャパン戦略といわれる予算は、そのような技術を確保し継承するために使われなければ、と思う。国は伝統工芸や芸能の最終形を国外に向けてアピールしようとするけれども、それらの文化を支える縁の下の力持ちをこそサポートしなければいけない」。
 犬の視点を知りたくて愛犬にカメラを装着してみた。15年間「会話」を知らなかった少年が、手話を知った瞬間。Ed Motta & David T. Walker「Windy Lady」のカバー。無料で使える音源ファイルが山のようにダウンロードできる「Freesound」。ちょっと意外なアルパカの鳴き声。「ねじ式」に登場するイシャはどこだ! のおじさんにはモデルがいた。アイヌ人の知里高央という方らしい。
 仮谷せいらさんのツイート「自分でどうにもできない事に落ち込んでたって仕方ない! と思うけど、そう簡単に前向きになれないのが人間なんだなぁ」。キラキラ輝く彼女にも前向きになれない時がある。素敵すぎる正月の挨拶を100万回見た。

もじゃもじゃ考えすぎるのはよくない癖だ。

1月12日 なるほどふりそでーしょん

明日こそ明日こそ言ってた初詣にやっと出かけた。風邪や腰痛や、なにより鬱って病気があんまり外出向きじゃないんである。今日の僕は偉かったのではないか。頑張ったのではないか。
 今年初めて駅に出て電車に乗った。振り袖を着たガールが闊歩して華やかだった。成人の日か。さすがに写真は撮ってない。なぜなら僕はキモいおじさんだからな。泥酔したヤンキー笑った。あれは撮っとけばよかった。

去年、厄除けと病気快癒と良縁祈願のご祈祷受けた大國魂神社、だけど人生最悪の年になった。相性悪いんだろうか。でも今年もそこへ。運勢はあがったりさがったり、病気と良縁は5年目にして改善の気配がない。おみくじは...小吉。大吉が出るまでが初詣なので!! 2回目で引き当てた。それくらいのずるは許して欲しい。ご祈祷受けて、たこ焼き食って帰ってきた。
 寒さによる風邪の悪化とご利益、どっちが勝つかな?

1月13日 猫は揉み物です

なんでもレゴにすればいいと思ってる人、なんでも8bitにすればいいと思ってる人くらいいるな。

今日はちょっと嬉しい外出。団地の人に「おはようございます」って言っちゃったけど、あの時間に起きたばっかなの僕だけだな。我が団地からはフジヤマが見える。毎日撮ってしまう。
 猫は甘え。猫は甘えだ。寒いからか最近頓に甘えがすごい。注いだ愛情が甘えになって帰ってくるのは、愛し愛されてる実感があって心に良い。胸の奥からぶわーって愛情交換してる。僕の存在証明だ。ごきげんである。ただ最近朝礼が長い (猫がもぞもぞずっと喋ってる) 。

午前3時、天頂に木星、冬の夜のしゃんとした空気は好き。問題は明日も用事があることだ。起きれるかな (´-`) .。oO

若くてセンスのいい女子の音楽レビュー読みたい。ブログなんて書かないんだろうね。
 Snoop Doggがお爺ちゃんになった。おないどしじゃん!! 僕も能年ちゃんいい、とか言ってる場合じゃない。

1月14日 静まり返った午前3時

カウンセリングに行ってきた。年末年始の休みをはさんで1ヶ月ぶり。カウンセラーさんは女子大生 (たぶん修士) というなんだか心に良さ気な相手ではあるんだけど、大学の施設なんで休みが長い。

振り返るのは寝込んでた年末年始の話。緊張をほぐすためにアルコールを入れて臨んだら、数週間前の鬱がフラッシュバックしてきた。あまりにも孤独な病床の日々。今日は床に落ちたペットボトルひとつ拾えた、そんな自分を誉めてやらなくちゃ心が持たなかった日々。カウンセラーさんは、「最初に比べていろんな話、ご自分を客観視できるようになってきたと思います、それを具体的な解決策に繋げなくちゃいけませんね」と仰る。そうですよね。
 結局緊張したままこの日のセッションを終えて、変わり果てた姿で無言の帰宅。救いは猫だけだ。布団に突っ伏した僕を枕元で見守る。君たちがいてくれて本当に良かった。

フランスの銃撃事件への反応にまだ違和感がある。「フランスで200万人行進、反テロへ結束」。デモの先頭で各国首脳が腕を組む映像はフェイクだ。警備上の理由で混じれないけど、混じったふりをして士気を高める。反テロには結束する。反戦には結束できない。それどころか、反テロという名目なら戦争も許される。戦争が起き続けるからテロも起き続ける。10日の日記に書いた、9.11の後の結束にもじゃもじゃ違和感持ってる間にイラク戦争が始まった記憶が蘇る。
 11日の日記で紹介した浅井隆さんの記事に、フランスのテレビの評論番組に登場するのは白人の男性ばかり、との指摘があった。キリスト教国家でもイスラム教国家でもない日本は、和平に向けて間を取り持つべきじゃないだろうか。

宗教差別と表現の自由、についても疑問が残る。これも前に書いた通り、フランスでも黒人差別やユダヤ人差別の風刺は許されない。偏見が迫害に繋がった歴史があるからだ。シャルリー誌は確かに、「フランスの風刺文化」に則って、自分たちの宗教も風刺したけれど、その「正義」をそのままイスラムに当てはめられるだろうか。シャルリーの風刺画家たちは、過激なイスラム原理主義と本来のイスラム教の区別がついてただろうか。
 もちろんイスラム=テロ集団ではない。おおくのイスラム教徒は穏健派だ。でもシャルリーが侮辱したイスラムのイメージは、穏健派をも迫害の対象にしている。イスラムへの迫害が始まってる

ジャーナリストの国際団体がシャルリーを批判している。「緊張緩和が求められる時に配慮を欠き、火に油を注ぐ。表現の自由は相互尊重の中で制限される、プロの記者は中傷や侮辱を避けなければならない」という。その通りだと思う。

明日は嵐。でも役所に行かないと受けてるサービスが途切れちゃう。こういうことができないから行政に支援を頼んでるんだけど、その手続きが尋常でなく難しい。夜中に独りで恐怖に怯えてた。twitterに理解してくれる人がいてくれてよかった。

1月15日 「言論の自由」原理主義者に捧ぐ

「自由がなくなって不利益が見えないと、自由の大切さは理解されない」って声を聞く。自由を巡る議論はそんなにシンプルじゃない。僕はマンガの表現規制に反対の立場だ。それは僕自身がマンガ好きであることも、ほんのちょっとは関係ある。眼を背けたくなるような表現の自由を守れるかって糾弾されたら心が揺れる。
 ただ、強者の視線と弱者の視線っていうダブルスタンダードの存在は、法の下の平等に反すると思ってる。

『言論の自由』原理主義者の偽善にはもう、うんざりだ」。イスラム教徒からのダブルスタンダードへの指摘だ。「1月11日のパリでの『団結の行進』に、『私はシェリフ』と書いたバッジをつけた一人の男が参加したとしよう。シェリフはシャルリー・エブド襲撃犯の一人のファーストネームだ。彼はさらに、殺されたジャーナリストを嘲る風刺画を描いたプラカードを掲げていたとしよう。群集はどんな反応をするだろう? この孤独な男を、言論の自由のために立ち上がったヒーローとみるだろうか? あるいは心から怒りを覚えるのだろうか?」。
 一方で「テロの礼賛につながりかねない言論」の自由はないらしい。「パリ銃撃犯に共感示した芸人デュドネさんを拘束」。コメディアンとして、「正義」を振りかざす反テロ運動の異様な盛りあがりに皮肉を言った結果だ。風刺画を掲載しない自由もない。「『シャルリー・エブド』の風刺画を掲載しなかったイギリスの新聞が炎上」。読者からの汚い言葉の数々は、ここには載せたくないよ。

きのうはフラッシュバックと気圧の急低下とプレッシャーで、深い鬱に沈んだ。twitterの友達に、DMで救われた。twitter > LINE > Instagram >> 超えられない壁 >> note > mixi >> 超えられない壁 >> Facebook (辞めたい) 。辞めたい気持ちと屈するのが悔しい気持ちが拮抗してる。

プレッシャーは役所のGYM作業で、今日中に手続きをしないとヘルパーさんの派遣が終わっちゃう。でも必要な書類がどれでどこにあるのか全然わかんなかった。役所から貰った資料がおおすぎて、それぞれにいろんな番号が振ってあり、なにかの申請をするたびにどこかに書いてあるだろう番号を端から探さなくてはいけない。それ、精神障害者には無理だ。
 結局訪問看護師さんが全部書いて、必要な書類を揃えて、一緒に役所に行ってくれた。新しい制度に変わるって聞いたんだけど全然わかんない、それも訪問看護師さんの事業所でやって貰えることになった。市役所の担当さん「役所の書類なんて誰もわかんないですよ」って笑ってたけど、それでいいのかな。あーパジャマで行ってしまった (´-`) .。oO でもほんとありがたい、だいぶ心労が抜けた。

近年すこしずつ楽観主義になってきて生きやすくなったんだけど、ネガティブだったときのほうが良くも悪くも物事を深く考えられていた気がするから、今年は、悲観しすぎず思慮深く、というちょうどいいバランスを身につけられたらいいのになぁ (藤岡みなみ)
 あの聡明な藤岡みなみさんも、そんな悩みを抱えてるんだな。

辺野古基地のことも気になってる。沖縄の人たちが悲願で基地に反対する知事を選び、国会議員を選んだのに、本土の人の無関心が沖縄への圧力の原因になってる。きのうの夜中に建設資材が運び込まれて、反対運動家が負傷しても救急車を呼ぶ手筈がない。
 アメリカの傘の下でのうのうと暮らしてる僕らが、対岸の火事と思ってるうちに事態はどんどん悪化する。

SEBASTIAN Xがメジャーデビューから3ヶ月で活動休止。永原真夏さんからの報告がある。最近の日本で、特に好きなバンドだった。まなっちゃんの未来に幸あれ。
 最後くらいは楽しい話をしよう。「なぜ猫は起きている時間よりも寝ている時間のほうが長いのか」。なるほど。「立体を描ける3Dペン「3Doodler」に新モデル」。これはよいものだ。欲しい。僕の誕生日は3月30日です。よしなに。

1月16日 恫喝に無様に屈する / インターネットの匿名性が守ったものと壊したもの

Facebook信者から、メールフォーム経由で匿名のメッセージがきた。「Facebookで『いいね!』をつけてやってるのにFacebook嫌いって言いすぎ、私 (俺) がどう思うか考えてさっさと辞めろ」と。
 文章だけでは恫喝とは言い難い。ただ、僕は顔も名前も晒してる状態で、相手は匿名というのはとてつもない恐怖だ。これからは身近な人たちを、すべて疑って生きなくちゃいけない。「幸せ」は人を信じる気持ちが連れてくる、なんて言うけども、これまでもこれからも人を信じることが困難な人生だった。

大切なことは。
 僕は強い言葉も使う。きつい意見も書く。でも意見するときに絶対に匿名は使わない。本名より通りがいいんで山下スキルってペンネームを使ってるけど、すぐに戸籍上の本名を参照できるようにしてる。いま書くならば、僕の本名は山下元裕だ。「淀川長治さんは気に入らないことは批判しなかった、ただ黙するのみ」っていう伝説がある。テレビではそうだったかも知れない。でも文章の上では大変な毒筆家だった。もちろん記名記事だ。

メッセージの言い分は正しい。だから怯えながらも屈する。20日を持ってFacebookを退会して、二度と戻らない。
 ところで匿名氏は、僕の「思いを考えた」ことがあるだろうか。Facebookでは、まさにその「いいね!」、本当にいい生活を送っている (かのように振る舞う) 紳士同盟の皆さんが、実生活の延長上で綺麗事を書き並べ、同調の賛美を並べるところに疎外感を感じたんだ。Facebookがこれからも媚びを売りあい、こんな未来がきた時に、やはり「いいね!」を押すのだろうか。そして時にはこんな風に匿名で、鬱屈した「思い」を弱者に向けるのだろうか。

僕が最初にFacebookを退会したのは、統合失調症の旧友にでたらめな罵倒を受けたこと、そして親しいと思っていた後輩から「みんなに嫌われてることにいい加減気づいたらどうですか」って言われたこと。嫌われてることは充分に承知してる。僕は認知の仕方が病的にずれている。人を戸惑わせて苛立たせてしまう。でも、孤独の中で溺れてる病人には、あまりにもむごい一言だった。
 もう一度始めたのは、病状がさらに悪化して、それでも誰かと繋がりたかったから。また人前に出る一縷の望みをかけて、カウンセリングを受けたりSNSに入ったりしてみた。

匿名氏がほんとうのところ「どう思うか」は、匿名であるから考えられない。だからFacebookで「いいね!」をつけるのが楽しみな、充実した人生を送っている人、と想定する。そして、もう咲かない人生を収束する思いや、毎日恐怖に怯えて枕を抱いてうずくまる思いや、家族の幸せを知ることなく生命保険を解約する思いを、考えられないと想定する。そんな人生に、Facebookはあまりにも冷たかった、というのが僕の一連の日記で言いたかったことだ。
 匿名氏、みずからの身を危険に晒すことなく、思い通りにことが進んで僕が大きなダメージを受けて、溜飲が下がったことだろう。

ほんとうは楽しい日記を書きたいよ。

1月19日 こころないひと

16日の日記に書いた通り、Facebook信者から匿名の恫喝メールが来て、それはもちろん怖かった。誰だろうと思い悩んだりもした。身近な人を疑ったりもした。でも直接危害を受けるでもないのであれば、ダメージをコントロールする方法は捨て置くことだ。

もっと怖かったのは、前にFacebookを辞めるきっかけになった、「みんなに嫌われてることにいい加減気づいたらどうですか」と言い放った後輩が、まだこの日記を読んで冒涜のツイートを続けてると知ったことだ。彼の表の顔は穏やかなインテリだけど、もともと冷血で鬱屈した暴力性を持っていた。
 とっくに縁が切れた僕の日記を読み続け、自分の守られた世界で冒涜を続ける執着と陰湿さが怖い。そして面識もない彼のたくさんのフォロワーがそれをファボり、囃したてている。この日記を読んでさらに冒涜し、僕を知らない、彼のことも表の顔しか知らないフォロワーたちが嘲笑うことを承知でこれを書いている。

僕は、迷惑をかけるつもりがなくても多くの人を混乱させる。それは病気の特性でもあるし、彼のフォロワーが囃したてたように、人格障害と言ってしまえばそれまでだ。僕が最初に揉め事を起こしたのは、サークルクラッシャーが現れて、恨みを一手に押しつけられた時。それに絡んでいたのも彼だった。この事件は、実家の巨額の借金と共に、僕の鬱病の発症の大きな要因になった。
 その病気に対する理解がないまま冒涜を続ける彼の執着心と幼児性は、僕の心がけだけではどうにもならない。もう15年だよ。虫けらみたいな僕のことなんて早く忘れて欲しいし、忘れさせて欲しい。

そんな憎しみに満ちた世界で、自分にできること、自分のいる意味が見えてこない。

1月20日 願いごと

N氏が心配して様子を見に来てくれた。雑煮を食って酒を飲んで名盤を聴いた。家に人の気配があると気持ちがすごく楽になる。今は恐怖を思い出さないように意識してる。N氏とこんなに長い友達になるとは思わなかった。ありがたいことだ。はー強くならねば。

ネットでしか僕を知らない人にお話したいのは。直接会ったら意外と穏やかで人当たりがいいのだよ。ってこと。
 なんでネットでトラブルを起こすか考える。1. 精神の病気を持って認知がずれてる。2. 嘘をついたり裏表が嫌いで、本音しか言えない。オフネットでも本音を喋ってるけど敵意がないことは伝わってる (と思う) 。3. 天涯孤独の寂しさをこじらせてる。自分を知って欲しい気持ちで言葉が強くなっちゃう。4. 自分が生きてる理由が見つからない。この話は長くなる→

ほんとは誰かを喜ばせたり癒やしたりしたい。それが僕の願いごと。だけどぜんぜんできてない。リアルな社会生活を営めてないからネットに固執する。で、ネットで悪意を向けられると、ますます自己が揺らいじゃう。誰かに喜んで貰えると、自分を肯定された気持ちになるよね。それってエゴなのかなと思いつつ、体調がよくなったらおそとに出てボランティア活動したい。
 それまでは、ネット上でのセルフプロデュースをしないとだな。嘘は嫌いだけど、自分を演出する器用さがあればなあって思う。例えば、僕はエラーくんに会ったことがないけど、ネット上のキャラクターとしてのエラーくんは大好きだ。あんなにうまくなくてもいい、ちょっとだけ近づきたい。もじゃもじゃもじゃ。明日のカウンセリングでこの話をしてみよう。

宗教に相談するのはどうかっていうアドバイスも貰った。この国では宗教は疎まれてるけど、世界のおおくの国では心の苦しみを聖書や仏典やコーランに相談する。
 面白い宗教家がいる。お寺に生まれ育って、カトリック系の学校に進んだ方の話。ぜひ聴いてみて。つまり、信仰の本質は戒律を守ることじゃなくて、人間の普遍的な倫理と幸福を追求することにある。この方はいまはお坊さんで、神主さんと牧師さんと3人でラジオ番組を持って、リスナーからの相談を3人の宗教家が話し合って解決するってことをやってる。素敵だなと思う。具体的に自分が宗教に相談することはまだ考えてない。

僕が落ち込んでる間に世の中では大変なことがいっぱい起きた。その話は後日まとめて。

1月23日 SIDE-A ほんとは「楽しい」とか「嬉しい」とかツイートしたい

音楽や芸術について斜に構えて難しい言葉で語ったり (しないよ) 。自分のことと社会のことでいっぱいいっぱいになってる。音楽を聴けなくなってどれくらい経つだろう。タイムラインを流れるライブ情報に指をくわえながら、現実は電車に乗ってスタンディングのイベントに行くなんて想像もつかない。

21日はカウンセリングへ。最高気温1℃、みぞれの降る中コート出したけどぱつんぱつんでボタンがしまらなかった。前回のカウンセリングは、1ヶ月ぶりの緊張をほぐすためにアルコール入れていったら、返って混乱してフラッシュバックを招いた。今回は冷静に...。って心がけたのに空回りした。この1週間、いろんなことがありすぎた。
 ネットでトラブルが起きたこととそれに対する自分の思い。そしてN氏に救われたこと。動物的な本能で、群れを作って暮らしたい。友達が訪ねてきてくれるのは「イベント」だ。日常に人がいないっていうのが僕の苦しみのひとつの要因と思う。リアルに生きてる実感がない。シェアハウスを調べてみたら、たいてい入居条件に「健康な方」とある。不健康な方は...障害者支援ホームくらいしか同居の望みがない。となると猫との別離が待っている。
 20日の日記に書いたとおり、人と同居できなくても、誰かを喜ばせたり癒やしたり、いい影響を与えられたら「群れ」の一員として自己が満たされるだろう。ボランティアに参加したい。でもいまは、起きたら鬱にもだえて、なにしろ時間を守れない。あまりにも壁が高すぎて、階段をどう作っていったらいいのか、手がかりがまったく見つからない。 ...。そんな自分自身の言葉に影響されて、帰ってから不安で手が震えた。寝込んで汗かいた。

塞ぎこんだまま、22日は気の進まない用事がいっこ。雨と寒さに打ちのめされつつ駅について気づいた、予定1時間半間違えてた。ホームの待合室で時間を潰してたら、スポオツ系の学生に超睨まれて画面覗かれた。怖い、この世は怖い。自信かー。
 世界の誰も知らないことだけど、この日の僕はほんとうに頑張ったので生ビールで自分にご褒美。そして帰宅の電車、「結婚できない人をゼロに」って車内広告が眼に入った。つまり僕はこの団体に抹消されるのか。人いきれに変な汗が滝みたいに流れて、途中の駅で降りた。ホームのベンチで星を眺めて、空気吸って頭冷やして、タクシーで帰った。
 非定型鬱病って病名を知った。過食、過眠。他人の言葉に過剰に反応する。周囲に気遣いすぎる。気分にムラがある。心あたりがたくさんあるな。

楽しいことだけ知りたいね。猫に甘え、猫は甘え。最近チャイが朝礼をする。ちゅうしてきて独りでもごもご喋る。適当に相槌打ってお腹をなでるとゴロゴロ満足そうな顔をする。そんな時間がとても愛おしい。猫と暮らすと健康になるってコラムがあった。アニマルセラピーが血圧や心臓病や脳卒中、要するに血管系の疾患に効果があるって話は聞いたことがある。猫のゴロゴロ声は精神に効くらしい。
 ロシアで猫が赤ちゃんを守った話。これくらいの知性と優しさはある。「人をダメにするクッション」にダイブする猫。彼は自分がこうしたら場が和むことをわかってると思う。亡くなった犬の彫像をハグする猫保護施設から引き取られて安心する猫加湿器が気になる猫猫を回す猫とあくびして見てる猫。殺処分をなくすことを目指して、「さくら猫」って呼ばれる街猫の避妊手術の活動が、クラウドファンディングで支援を募ってる

1月23日 SIDE-B 「正義」のインデックス

日記に自分のことばっかり書いてる間に世間で起きた大事件は、イスラム国が日本人を人質に取って殺害警告したことだろう。事件は危機のまっただ中にあり、その一方で「クソコラグランプリ」を開催する平和ボケや、あいかわらずの「自己責任論」、人質のお母さんが電波だったりと、ほんと腐った国だ。
 「クソコラグランプリ」については、イスラム国がまじで怒ってる。8500km離れても、死は隣り合わせにある。アルジャジーラもあきれてる。自己責任論について、イスラム国は明らかに安倍晋三氏に敵対心を向けてる訳で、人質の責任として突き放すのはあまりにも無理がある。お母さんはさっき、イスラム国の話もせずに、反原発について訴える記者会見を開いた。反原発運動が理知的な言論からずれて、反原発ムラにこもってるのも危機であるよな。

事件の発端は、安倍晋三氏が「イスラム国と戦う国に対して」1億ドルの支援をするって表明したこと。あまりにも軽率すぎる。「積極的平和主義」とは、テロを起こすやつらはやっつけるよってことだ。欧米のメディアの安倍晋三氏の挑発に対する論調はこんな感じ。
 内田樹さんは「こういう事態が起きることは想定されていたはずなので、精密なマニュアルが官邸・外務省には整備されているはずだから、それに沿って粛々と進めて欲しい。どのチャンネルを使ってコンタクトを取り、どの外交カードを切って交渉に持ち込むか、日本政府には用意万端が整っているはずです」とツイートした。ところが朝日新聞「敵視された日本の中東支援」によると、情報収集がまるでできてないばかりか、首相官邸は「今回のような事態は全く想像していなかった」という。まじですか。常岡浩介さんは「警察の捜査が、湯川さん後藤さんの危機的状況を引き起こした」と指摘する。人質やイスラム国と接触するチャンネルになり得た常岡さんや中田考さんが、公安の家宅捜査でそのチャンネルを奪われてしまったと。日本にあるモスク、東京ジャーミイでは「イスラムの教えは、迫害や暴力を認めていない」としてイスラム教徒が人質の解放を祈った。
 事態は進行中なんで、取り敢えずここまで。

国内の大事件は辺野古基地だろうか。反対派と機動隊 (と下請けのアルソック) のもみあいで怪我人も出ている。怪我をした80代の女性は、戦争中に火炎放射器で背中を焼かれたという。民意に則った反対活動で、今度は同じ国の機動隊に襲われた。
 沖縄の人たちが悲願で基地に反対する知事を選び、国会議員を選んだのに、本土の人の無関心が沖縄への圧力の原因になってる。アメリカの傘の下でのうのうと暮らしてる僕らが、対岸の火事と思ってるうちに事態はどんどん悪化する (refrain) 。
 twitterで、現地を訪ねた高校生が同世代の若者と話し合ってる。「基地の中に友人ができると基地反対の声を出しにくくなるけど、基地と人間は別に考えるべき。基地は人殺しのためにあって、自分たちは人間を否定するわけじゃない。基地がある限り沖縄が戦争の加害者になってしまう (要約) 」。深い感銘を受けた。もちろんこんな考えの若者たちばかりじゃない。知事選の前に学校で模擬選挙をしたら、沖縄にUSJを招致するって言った下地候補が圧勝したそうだ。

こんな記事もあった。毎日新聞「宝田明さん 反戦の訴え、NHK生番組で遮られ…」。
 「『おや? 何か止められるような発言をしたかな』。あの瞬間に浮かんだのは、そんな疑問でした」。「無辜の民が無残に殺されるようなことがあってはいけませんね。国家の運命というのは、たかが一握りの人間の手によってもてあそばれている運命にあるんですよ。だから間違った選択をしないよう、国民は選挙を通じて、そうではない方向の人を選ぶのか、あるいはどうなのか...」。ここで制止が入った。碓井広義さんは、宝田さんの発言を「イデオロギーではなく体験に基づいた当たり前の主張」と擁護してる。病院のテレビで見た、フランスのテロ事件について眉をひそめて「報道の自由は民主主義の根幹ですからねえ」と語ったアナウンサーの顔を思い出す。この国に「民主主義の根幹」はあるんだろうか。

フランスの反イスラム問題について、内田樹さんのツイート (僕がよく内田さんのツイートをよく引用するのは、いま左派のまっとうな論客が圧倒的に少ないからだ) 。
 「フランスで起きているのは『自由・平等・博愛』の原理とイスラーム原理の『文明の衝突』ではない。フランスは75年前ヴィシー政府のとき、市民革命の原理を捨てて『労働・家族・祖国』原理を採用して、ユダヤ人虐殺に加担したことがあります」。「北アフリカからの移民たちをパリ郊外のゲットーに押し込み、そこで生まれた子どもたちが文化資本の獲得が構造的に不可能であるような仕組みを作ったのは、フランスに内在する『ファシズムの原理』と呼ばれる古層です」。「極右の進出を理解するためには、そのような補助線を引くことも必要です」。

17日は阪神淡路大震災から20年。地震は早朝だったけど僕は午後まで知らなくて、大学のテレビの前で愕然としたことを思い出す。友達のお姉さんが家具の下敷きになって、目の前を走る線路で脱線した電車から降りてきた方に助けて貰った。話の要素ひとつひとつの非日常性にびっくりした。
 この地震をきっかけに、首都高や東京の道路、港湾の耐震補強工事が始まった。3.11の時に倒壊が起きなかったのは、阪神淡路大震災の犠牲の上にある。

twitterにおける痛快な論客のひとりだった、子役のはるかぜちゃんこと春名風花さんがアカウントを削除した。きっかけは声優の名前を間違えて炎上したから。これまで理不尽な大人たちのdisに見事に対応してきたけども、今回は相手が子供だったと言わざるをえない。
 いままで何度も書いてきたけど、twitterのいいところはタイムラインを自分でカスタマイズできることだ。おおくのツイッター民が善良であるって意味じゃない。ボリュームゾーンはめんどくさいオタクであったり、はるかぜちゃんの支持者もめんどくさい善意の押し売りだったりするんだろう。

SIDE-Cでは楽しい話を。

1月23日 SIDE-C 音と街 (大雑把に引用だらけの娯楽論)

岸野雄一さんとtwitterで風街の話をした。いわく「風街とは残像を幻視するものですよ (東京戦争戦後秘話参照) 」。なるほど。僕が東京の写真につけたタイトルは奇しくも「風街の残像」であった。足立正生-大島渚-原正孝-早川義夫経由での風景論としてのはっぴいえんどに関心をお持ちのようだった。アルバムの謝辞にロブグリエとマンディアルグの名があって、当時アンチロマンの先に風景論があった。そのへんの関係、松本隆さんに確認したい。

岸野さんの、日本のライミングに関する一連のツイートも面白かった。明治の書生節、例えば「オッペケペー節」はかなりラップに近い。その背景には、当時民衆に広がっていた自由民権運動があった。当時の演説活動には警官の立ち会いが必要で、弾圧も強かったんで、「歌」って形でストリートで社会への訴えを歌った。「演歌」だ。いまの僕たちが想像する演歌とはだいぶ違う、洋楽の替え歌によるメッセージソングだった。「東京節」の原曲は「Marching Through Georgia」。
 ドリフターズの「東京節 (ドリフのバイのバイのバイ) 」は長さんの「ドゥザ・ハッスル」のシャウトで始まる。洋楽だ。

学生に「あなたがそのアーティストを好きな理由」のアンケートを取った人がいる。
 1. 歌詞に共感できるから
 2. メンバーの人柄がいいから
 3. ストーリーがあるから
音楽性はどうでもいいらしい。この国の音楽、廃れるわけだわ。

Michael Jacksonが持ち曲のうち何曲で「ポー」するか数えた人がいる。けっこうポーしてる。細野晴臣さんがRedbull Music Academy Tokyoでレクチャーした。92分の動画がある。聴き応えあるな。
 Aphex Twinの「Diskhat ALL Prepared1mixed [snr2mix] 」がSound Cloudでダウンロードできる。Arcaがファッションショーのために書き下ろした「Sheep (Hood By Air FW15) 」がSound Cloudでダウンロードできる。Bjorkが21日にニューアルバムを急遽配信した。こういうリリース形態増えてるね。Sam Prekopが2月にニューアルバムをリリースした。またインスト路線みたい。Wayne Coyneが自分の人生を変えた10枚を発表した。意外と普通。Mini Mansionsの「Any Emotions」にBrian Wilsonが参加してる。インドネシアのMondo Gascaroってミュージシャンが素晴らしい。フィジカルで出ないかな。
 ジェスチャーで演奏できる楽器「KAGURA」。KORGとノリタケがオーディオ用真空管を開発した。

「徹子の部屋」の黒柳徹子 VS 平野レミ、親友同士の話のすっ飛び方がすごい。「雨の匂い」のメカニズム。食べられるチョコ製グラスネッシー型のおたま。南極でひっくりかえった氷山。気泡がないせいで、深く透き通った青が美しい。
 Wikipediaから七五調のフレーズを拾う偶然短歌botが面白い。「アルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナ、中央アジア、およびシベリア」。「省くため、壁に向かって棍棒を投げては拾い、拾っては投げ」。いつも読んでるデイリーポータルZ、さくらいみかさんの「髪の毛が生えたゆで卵をつくりたい」に衝撃を受けた。ゆで卵に春雨を刺して煮ると髪の毛みたいに見える。キモい、キモいけど絶対にキモいと書かないさくらいさんの進む道。

大好きなモデルの阿久津ゆりえさんが結婚した。「ご報告」か...。幸せな結婚はもちろん応援するよ。離婚芸人は幻滅だ。Shiggy.Jr. 音がポップすぎて聴いてて照れくさいけど、ボーカル池田智子さんの真摯さには頭がさがる。
 ところで能年ちゃんって実はおっぱいが大きいのではないか。なんだか素敵な話だと思わないか? 僕は叶姉妹みたいなのより楚々としたおっぱいが好きなんだけど、能年ちゃんがあのキャラクターでおっぱいがおおきい、というバランスはとてもいい、と思う。

僕はコレクターじゃなくてリスナーなんで、もう聴かなそうな音源を大量に持ってる気はない。整理を始めてる。ほんとは音楽が好きな若い人にプレゼントしたいんだ。誰かいないかな。

1月25日 日記 / I am not ABE.

音楽のことや猫のこと、女の子のことや冗談ばっかり書いてた、3.11以前のことが懐かしい。あれから4年、自分の病気と、世界で起きている悲しいできごとと、ネットで起きる悲しいできごとがリンクして、恐怖と不安に押し潰されそうだ。必然的に日記もそういう話題になる。そんで長い!! もじゃもじゃ考えごとばっかしてる。
 精神の病気は、病気との戦いでもあるし無理解との戦いでもある。どんな病気でも、自分がかかる可能性を想像できない人がいる。そんで諄いけど、天涯孤独って無理ゲーなので。蛭子能収さん、群れたがらない気質で知られてるけど「安心してひとりぼっちでいられる為の家族」って言葉を使う。独りでいるためにも、どこかに家族が生存していることが必要なんだ。

イスラム国の人質になっていた湯川遥菜さんが殺害された可能性が高い。速報が流れてタイムラインでトレンドになったのは「L字」、つまりテレビアニメの上にL字のニュース速報画面が出て、アニメが見難くて不服であると。びっくりした。中東でなにが起こっているのか、イスラムとはなんなのか考えることもなく、アニメ。人の死、に触れたことがないのかな。「クソコラグランプリ」も酷かった。海外のメディアでは「テロにユーモアで抗議する姿勢」って評価する声もあった。でも日本のネット民の意識ってこんなもんなので。「名誉毀損で訴えられたネトウヨ大学生の告白」。この被害者面はなんだろう。
 中東をテーマにしたマンガやアニメがあったら、オタクもネット民も少しは関心を持つだろうか。安彦良和さんのいくつかの作品しか思い浮かばないけど。

そして政府はますます強権な方向に進むだろう。古賀茂明さんは報道ステーションで、「安倍首相の今回の中東外交は、イスラム国に宣戦布告したも同然だ」と言い切った。BBCの特集での論点も、「日本の首相はなんでこのタイミングでイスラエルに行ってあんなこと言ったの?」だったそうだ。
 政府批判をするのは「 (蔑称としての) 左翼」って風潮も怖い。国民が政治を監視して批判できないのならば、政治家は自分の利益のために動く。安倍晋三氏は2014年5月15日に「紛争国で日本人が生命の危険に晒されるような事態においても、しっかりと日本人の命を守ることこそが総理大臣である私の責任であると確信します」と言った。その結末が宣戦布告であり、人質の死だ。

湯川さん殺害のニュースが流れる前の石井浩さんのツイート、「官邸は今頃、人質救出が失敗に終わった場合を想定して、『この人質事件の直接の原因が首相の軽率な発言であったことを忘れさせ、国民をテロ撲滅の熱狂へと導き、そのための安保法制整備と改憲へと一挙に突き進むシナリオ』を準備していることでしょう。人質救出よりこちらに全力なのかも知れません」。内田樹さんの中田考さんについてのツイート、「この貴重な外交的なチャンネルを封殺する人たちは人質を見殺しにしておいたあと、情緒的な『非道なテロリストを許すな』キャンペーンを展開して、海外派兵にはずみをつけたいのでしょう」。
 そのシナリオに、この国の人々はまんまと乗せられるだろう。

僕はもちろんイスラム国を支持しない。でも世界の変貌の象徴的な存在なのは認めざるを得ない。人質事件の前の池上彰さんの記事。世界に閉塞感を持つ人々が妄想するシャングリラの役割をいつもなにかが担っていて、社会主義に絶望してはパレスチナへ、「アラブの春」へ、アルカイダへ、そしていまイスラム国なのかも知れない。
 イスラム国を潰しても、その跡地にシャングリラが現れることはない。また次の脅威が現れるだけだ。「戦争はいけない、でも『テロとの戦い』という大義名分があれば許される」って理屈がわからない。
 ところで、後藤さんのお母さんの不可解な会見は、ISILとIAEAを勘違いしてたのではないかって指摘がある。なるほど。

細野晴臣さんのbot「脱原発のキャンペーンには真っ先に署名した。あとね、ぼくは菅さんが浜岡原発を止めたときに、官邸にメールしたよ。『よくやった!』『歴史に残るぞ』って」。管さんがいい意味で歴史に残ることはなかった。ルーピー扱いの鳩山さんも、基地問題については大きく一歩踏み出したんだけどね。
 林雄司さんがツイートしてた「頭良さそうにTED風プレゼンをする方法」くだらない。このくだらなさは林さんのパワポ芸や著書「ビジネス書」に通じる。これくらいの軽さがほしいね。
 スマホを通じて眼が見えない人の眼になれるアプリがある。「Be My Eyes」。さっそく登録した。この生きるに値しない僕でも、ひょっとして誰かの役に立てるかもしれないと思って。

1月26日 楽しい話を書きたけれど、思考停止はしたくない

のです。9.11以降世界は変わったし、3.11以降日本は変わった。じゃあ君は? 僕のスタンスは? って考え続けて動き続けて。

最近の日記は画面の右側がガラガラだ。ちょっと前までは拾ってきた写真を貼ってた。なんの話題か象徴するような、それは自分が読み返す時にあれはどこにあったかなって。もうひとつの理由は単純にデザイン的なバランスだ。写真の引用はよくないってずっと気にはしてた。ここに、イラストを入れようと思ってる。25年前にパソコンと出会ってから殆ど描いてない。描けるかな。上手い下手はあっても、描けないってことはないんだ。大人になって自分に枷をかけてるだけで。
 Sigur Rosの何枚かのアルバムがアナログになる。ほしいな。Emile HaynieのデビューアルバムにBrrian Wilson、Rufus Wainwright、Charlotte Gainsbourg、Randy Newman、Colin Blunstone、Lykke Liが参加する。そろそろ音楽を聴き始めるタイミングだろうか。イラストを描きながら、溜まってる音源を聴こう。

メモ。井上伸さん「安倍政権が集団的自衛権行使に執念を燃やす理由」。アメリカの野望と軍事大国を目指す日本のこと。「戦後70年談話:首相「侵略」文言なぞらず」。安倍氏は侵略と植民地支配を反省するこれまでの談話を覆すらしい。なかにし礼さん「安倍首相は岸信介教の熱狂的信徒」。芸術家の立場から歴史をよくみて物事の核心を突く。
 谷川賢作さん「『ぶれない』は褒め言葉じゃないと思う」。細野晴臣さんの言葉を引用してる。「ぶれないでいるっていうのは無理をしないとできないんだろうと思うよ。本来は、ぶれなきゃおかしいんだから。振り子みたいなもんだよ。人間の観念もそう」。

今日は素敵な女性と出会った。誰かの心をほんのすこしでも和らげたい、一瞬でも笑顔にさせたいよねって話し合った。小さなことから、手の届くとこから。そんでお香焚いたら空気清浄器がぶわーて。

1月27日 おれがんばれ

嘲笑と無関心の極北で、ついでみたいに生きるのは無理だよ。

1月28日 リアルに生きてるか

僕が初めてインターネットに触れて25年。いまだに難しいなって思う。いまこそ難しいなって思う。
 大きな地震のあと、この国の空気は悪い方に変わって、その違和感をよく言葉にしてきた。イデオロギーを主張するよりは、人道的なバランス感覚を保ちたい。世界では悲しい出来事がたくさん起きて、みんな殺気立ってる。この国は危険なリーダーのもとにあって、それでも国民はオカミを信じて思考停止に陥ってる。ある人が、オカミに逆らって中東に行った人質は死んであたりまえって言った。びっくりした。オカミの言う通りしてれば間違いない、で、何かしら取り返しのつかない事態を招いてから、「騙されてた」なんて被害者面をするんだろう。原発事故もそうだった (そしてもう忘れてる) 。そういう国民性だ。
 自己防衛のために、政治的な話はしばらく控えようと思う。ネットとも距離を置こう。SNSをほとんど辞めて、twitterにも鍵をかけた。そのぶんリアルに出て行きたい。しばらくは体調的に難しいけど。ここ数日はネットに向かう時間を減らして、くだらない動画みてる。

僕は生きるのがほんとうに下手くそで、なにが最善の方法なのかぜんぜんわかってない。でもいまは、絵を描きたい。数日前に、日記にもそう書いた。こんな記事があった。「男性にもおすすめ、手芸がもたらす5つも心理的・精神的メリット」。もくもくと手を動かす作業が、精神的にどれだけ健全か、科学的に紹介した記事だ。絵を描くのもきっと同じことだと思う。その時に、長いこと聴けなかった音楽が心を通り過ぎるといい。

カウンセリングでそんな話をした。コミュニケーションが苦手な性質は、生まれ育った環境と関係がある。親族の間や肌の合わない学校で、怯えて育ったトラウマを、いまだに引きずってる。味噌っかすだけど自分はここにいる、存在価値を示したいって気持ちと、悪意を向けられたくない、地味に過ごしたいっていうアンビバレンツがあって、自分がどう見られてるかに過剰に反応してしまう。繊細なのは悪いことじゃない。もう少し上手に、リアルとつきあいたい。

ドイツのAloa Inputってバンドが面白い。Vamire Weekendをトイポップにした感じ。もうすぐアルバムが出る。大好きなフランスのエレポップバンド、The Doのニューアルバムが出た。もう20年以上聴いてるLilac Timeのニューアルバムがもうすぐでる。70歳から宅録を始めたアイスランドのおばあちゃんのミニドキュメンタリー。台湾で動物の殺処分や虐待を禁止する法案が可決された。

お金が好きすぎる業界の方に、いまどきファックス持ってないんですかって笑われた。いまどきファックス使ってる方がすごい。川上から大きな桃が流れてくるためだけに「どんぶらこ」って言葉があるように、芸能人が離婚の報告をするためだけにファックスはある。
 美容室で縮毛矯正した。ストレートパーマとぜんぜん違う。いま人生で一番髪さらっさらしてる。

1月29日 遺言

テスト前に掃除したくなる心理現象を「獲得的セルフ・ハンディキャッピング」って言うらしい。かっこいい。

毎日なにかしら外出の用事がある。と言ってもぜんぶ治療に関することなんだけど。それで疲れたら元も子もない。今日は精神科に行ってきた。頑張った。薬増えた。寒いな、明日は雪なのか。
 帰りに郵便局で、料金不足の年賀状の支払い (うまれて初めてだよ) 、それからmarumanのスケッチブックを買ってきた。絵、やる気である。画材を何にしようか迷ってる。マッキーとかかな。それってmarumanのスケッチブックを使う意味あるのかな。今日はまだなんも描いてない。病院で疲れてお昼寝してたから。明日からもやらないんだろうなって気がちょっとしてる。

「俺が死んだ時は開けずに捨ててください」って箱を売ってるらしい。いかがわしいものをしまっておくのだ。逆効果のような気もする。僕も自分が死んだ後のことを考える。なんどか自殺を決意して、そのたびにハードディスクの女の子フォルダを削除した。いまから思えばもったいないことをした。
 死んだら財産をすべて慈善団体に寄付したい。実家を売ったので、現金はわりと持ってる。わりとな。アグネスじゃない方、黒柳徹子さんのユニセフや、動物関係の団体だろうな。親族や国には一円も残したくない。遺言書を作ったところでその通りにことが運ぶのかどうか、祖母の遺言書に疑問を持ってるだけに不安だ。

本来の保守主義ってなんなのかって連載が始まった。安倍氏や田母神氏を保守だと思ってる人に読んでほしい。僕も勉強するよ。タイのマンガって初めて読んだかも知れない。「skysky」。素敵な作品。フロリダで、交通事故で亡くなったと思った猫が、墓から這い出て快方に向かってるってニュース。
 Computer Magicの新曲「Dreams Of Better Days (Don't Pass Me By) 」がサウンドクラウドでダウンロードできる。Robert Glasper Experimentが「Get Lucky」をカバーした。この曲は10年代を代表するスタンダードになったな。

なんで女の子はみんな彼氏がいるのに男はぼっちなの? 君たち岡田斗司夫とつきあってんの?

1月30日 しんしんしん

雪が降った。細野晴臣「しんしんしん」、Claude Thornhill「Snowfall」、Harpers Bizarre「Snow」。猫たちが窓の外をじっと見てた。ひとしきり見飽きたあと、デロンギの前に戻ってキンタマ出して伸びてた。顔なじみの近所の猫たち凍えてるだろうな。うちの猫になればいいのに。
 きのうの通院で薬がうんと強くなって、気分が少しあがった気がする。午後は億劫な用事で外出。また帰りの電車で人いきれと暖房に酔った。途中で降りてホームで休んでたら、スポオツ少年たちに囲まれた。群れる男子高生は怖い。なんだろうあの生き物は。人間と生活の場を共有するには凶暴過ぎる。夜には雲も抜けて、星が綺麗だった。月の隣にカペラ、反対側にペテルギウス、プロキオン、シリウス、天頂に木星。冷たい空気で頭すっきりした。

ネットは今日も憎悪に満ちている。田母神氏が、イスラム国の人質の後藤さんは在日朝鮮人だから云々言ったとか、デヴィ夫人が死ねばいいのにって言ったとか。そういうの見る気がなくても、ハム速をフォローしてる人がいると、僕のタイムラインにときどき紛れ込んでくる。これほんとにいらない機能だな。
 ネットから離れて絵を描きたい、音楽も作りたいって言いながら、おふとんから出て机に向かう気力がなかなか湧いてこない。いまはネットから離れた時間に映画を観てる。これはこれで精神衛生にいい。叩き売りしてたDVDをごっそり買って、ずっと観てなかったんだ。
 きのう観たのはチャン・ツイィーが純朴だった頃の映画、「初恋のきた道」。文化大革命の時代、まだ自由恋愛が珍しかった頃に小さな村で起きた恋の物語。40年が過ぎて母を見つめる息子との対比に深みを感じた。人を好きになるって単純で普遍で純粋な気持ちだよな。I guess I just wasn't made for these times. 恋愛コラム読んで駆け引きするいまの恋愛は無理ゲーすぎるよ!!

FUJI ROCK '15の出演者第一弾が発表された。Todd Rundgrean、Happy Mandays、Cero...。去年は体調最悪で、ずっとグリーンステージに張りついてた。今年はいろいろ観たいな。その前に、4月の藤岡みなみ&ザモローンズのワンマンのチケットを取った。スタンディングのライブなんて何年ぶりだろう。週に何本もライブに行ってた頃が嘘みたい。体力だいじょうぶかな。

後藤健二さんのコラムをいま読む。「戦争に行くという意味」。都内のモスク、東京ジャーミイでは今日も後藤さんの解放を祈った自己責任論のおかしさについて。「九条の会」の呼びかけ人の一人、奥平康弘さんが亡くなった。
 アングレーム国際漫画フェスティバルのグランプリに大友克洋さんが選ばれた。現生人類とネアンデルタール人の共生を裏付ける頭蓋骨が発見された。猫は家の中で一番あったかいところを知ってる。うちの猫もデロンギを切るとよじ登ってくる。

今日は亡母の誕生日。

1月31日 気になるだけさ 気になるだけよ

トマ・ピケティさんという経済学者が来て、「民主主義には誰もがかかわらなければならない」って講演をしたそうだ。他人ごとじゃ民主主義は成り立たない。

こんな記事を見かけた。美人コンパニオンに聞きました、あなたにアベノミクスはきてますか?「難しいわかんなーい」、支持政党はどこですか?「なんとなく字の感じがいいからここ」「自民党しかしらない」。美人は好きだけど、バカはやだなあ。
 25日の日記で紹介した名誉毀損で訴えられたネトウヨ大学生の、「揚げ足取って祭りにしてツイートを削除させ、酷ければアカウント削除まで追い込む。ま、ゲームですよ。著名人をアカウント削除まで追い込んだ後の達成感はハンパないっすね!」って言葉を思い出した。

つまり。この国には知性や道徳を放棄した人が普通に生息してるってこと。28日の日記にも書いた通り、統治者が「オカミを信じていれば大丈夫」と謳って思考停止に陥れてきた歴史がある。いまさら「民主主義には誰もがかかわらなければならない」って言われても無理だ。

縮毛矯正のおかげで人生で初めて髪が風になびいた。びっくりした。今日も星が綺麗だった。月の周りに冬の大六角形、リゲル、シリウス、プロキオン、ポルックス、カペラ、アルデバラン。
 自分に水分たりてない感。水10ガロン飲みたい。明日はおじさん3人で鍋パーティー。キモいほど楽しみにしてる。3人以上の人と会話するの、ひょっとしたらFUJI ROCKぶりだわ。

追記 : イスラム国のもう一人の人質、後藤健二さんが殺害された可能性が高い。後藤さんのコラムを改めて読む。「非道なテロリストを許すな」キャンペーンが加熱して改憲や海外派兵に繋がらないことを願う。今日を平和に過ごそう。