DIARY 1999年秋


9月1日 お知らせ

お薬でつかまったミュージシャンがみんな全商品を回収したらレコード屋さんは商売あがったりです。

9月7日 Movies is magic, real life is tragic.

久しぶりに劇映画を観ました。春先に何かの間違いで「ユー・ガット・メール」っていうくっだらねえ映画を見てしまったせいで、自然とドラマを避けてドキュメントものに足が向いてたんです。「ユー・ガット・メール」はネット恋愛の相手が仕事上のライバルだったって判明して抱擁しておしまい、というそれだけの映画。ネット恋愛ものなら森田芳光さんの「ハル」の方がずっとよく出来てます。

で、まず見たのは今さらながらの「ライフ・イズ・ビューティフル」。極限状況にあってもユーモアを失わず、家族に希望を与え続ける男の話。って書くとお涙頂戴映画みたいだけど、そうならないのは描写の巧みさ。背景描写の小ネタが次の笑いの伏線になり、笑いが人物を浮き彫りにする。連鎖反応と予定調和。ベタなんだけどよく練られた映画でした。監督・脚本・主演を一人でこなすロベルト・ベニーニ、最初からキャラが見えてたんだろうなあ。面白かった。

次に見たのが今さらながらの「ラン・ローラ・ラン」。情けない恋人を守るためにベルリンの街を走り回る女の子の映画。詳しくは触れませんが、劇映画の文法からそうとう逸脱した作品でした。テンポのいい編集とテクノの融合。僕も昔はこんな疾走感に憧れたけど、今やスリル溢れる日常生活を送ってるんで、映画にはゆったりしたテンポを求めてしまう。緊迫した逃走シーンで使われた長閑なオールディーズ、あのミスマッチ感が心地よかった。

見終わった後で監督のインタビュー記事を読んでびっくりした。彼が撮りたかったのは街を走る女の子の横顔、そして愛の力で運命を変える映画なんだって。意外とロマンチック。でも「愛の力」っていうにはストーリーに説得力がないんです。僕はまるっきり逆に捕らえてた。映画の登場人物なんてただのコマに過ぎないってこと。劇映画のありかたを問う実験映画かと思ってた。長くなっちゃった。猪突更新。

9月16日 電車で郷

思いのほか仕事が長びいて終電ペースで丸ノ内線に飛び乗る。タクシーは勘弁だ、なんとか帰れますよう。新宿駅をダッシュして山手線ホームに駆け上がると、銀色の車体が僕を待っててくれました。間に合った! と思ったら「西日暮里でお客様が電柱に登っててただいま救出してます」だって。

終電間際に山手線が止まれば、山手線に接続する全てのJRが止まる。帰れる・帰れないの瀬戸際にいる数千人は明らかに「帰れない」の側に傾き、余裕で帰れるはずの数万人はなぜか帰れなくなる。休日前の新宿は酔客だらけで、ホームはかなりのハイテンションでした。傘で電車を破壊する人、地べたに大の字に眠る人。ボコボコ殴り合ってる人もいる。知的な風貌のハニーを従え、有名企業のバッチをつけた高そうなスーツの青年が、駅員さんに詰め寄って困らせてる (悪いのは駅員じゃないだろう) 。

そんなわけでルート変更、中央線で東京駅へ。いま東京駅のホームにいて、運転再開を待つ間にこの日記を書いてます。ここは平和。みんなホームに腰かけて、線路に向かって足をぶらぶらさせてる。
 ところでこの中に、書を捨てて街に飛び出し幾星霜、ハハキトクの知らせに30年ぶりの故郷へ急ぐ元劇団員はいないのか。突然仕様変更を言い渡され、これから会社に戻って明日までに直さなければ首を括るしかないクリエイターはいないのか。いるだろうとも。そう考えると、今回の事件がひき起こした数万人分の悲劇は、とても1人で償いきれるものではありません。電柱男はこれからどうやって生きるのか。交通の遮断とはかように重大な罪なのです。

交通妨害といえば郷ひろみの渋谷ゲリラライブですが。世間は彼にちょっと甘過ぎませんか。郷の愚行は明らかにプロモーション活動。犯罪と商品が密接に結びついています。逮捕されようが売れればいいと考えてるのです、奴らは。こういう作品こそ回収するべきだと思う。

9月20日 そいつは僕だ

Rock Crusadersは毎月20日更新です。今月のお題はRy Cooder。迂闊なこと書けない題材で迂闊なこと書きまくってます。すいませんねえ。
 Rock Crusadersはロックを紹介して啓蒙するページなんですが、実は一番啓蒙されているのはこの僕なんじゃないかと最近思います。自分からは積極的に手を伸ばさない類の音楽を聴き、稚拙な感想文にまとめて"サダナリデラックス"と"Music! Music! Music!"の素晴らしいレビューの間にしょんぼりと収まる。こんなことを1年近くも続けてると、音楽の聴き方が変わります。すごく。

最近の葬式にはなんで喜多郎が流れるのか。僕が死んだら音楽いらない。どうしてもかけるならBacharachの「April Fool」にして。

10月1日 バケツ DE ウラン

国家プロジェクトだからって調子に乗ってるとマダムキュリーに叱られちゃうよ。

ソニー名誉会長盛田昭夫氏死去。僕はソニー製品をわりと愛しているけど、ソニー製品は僕をあんまり愛していないように思う。壊れても壊れてもウォークマンを買い続けてる。それが愛ってもんでしょうか。合掌。

Beach Boysコーナーに5枚追加。近作から少しずつ遡って更新します。

10月4日 名前をつけて

ベトナムのダンスカンパニーCompagnie Ea Solaの「ヴォワラ・ヴォワラ」を観てきました。カテゴリー的にはコンテンポラリー・ダンスに入るんだろうか。自分が「ダンス」と呼ばれる表現活動に興味を持つとは夢にも思わなかったが、今年に入ってこの手の舞台を立て続けに観てるってことは気に入ってるんでしょう。
 マックス・クリンガーのスケートの絵みたいに優雅に重心を傾けた女性の柔らかさと、キョンシーみたいに鋭角で無駄のない動き。ミニマルに解体された民族音楽の無機と肉声の有機。ソリッドで繊細なアジアの美の集大成です。

僕が初めて観たコンテンポラリー・ダンス、Philippe Decoufle & Compagnie D.C.A.の「Shazam!」は、そもそもカンヌ映画祭50周年のセレモニーのために作られた作品だそう。舞台上にビデオカメラや鏡を設置して、映像表現と肉体表現を見事に融合した舞台は、観てるとだんだん目の前で起こっていることが現実なのか虚像なのかわからなくなってくる。といっても決して不可解な前衛作品じゃなくて、フランスらしいエスプリに包まれた笑えるエンターテイメントでした。

Ea SolaとPhilippe Decoufleの作品に共通することは、演劇や音楽といったフォーマットから外れた舞台芸術であること、ぐらいですか。表現手法も志向もまるで違うこれらの作品を、なべてコンテンポラリー・ダンスという名前で括ってしまっていいんだろうか。「ダンス」という言葉のパブリックイメージに惑わされて、僕は今年になるまでこんな世界があるなんて知りませんでした。

世の中には「ロック」はうるさくてくだらないもんだと思ってたり、「ジャズ」に大橋巨泉的いやらしさを感じてる人がいっぱいいる。芸術活動というものが、表現の志向ではなく発展の系譜を頼りに分類されるのはどうかと思う。

10月20日 びんぼう暇なし 頼むコーラス

このページの更新日時は極めて観念的なもので、物理的な現象としての時刻とは一切関係ありません。Rock Crusadersの最新号がこの日に公開されたはずだと、その程度の意味合いです。
 今回ご紹介するのはダメ人間に捧げるドリーミーロックバンド、The Flaming Lipsです。あのページでいつも取りあげてるいわゆる「良心的なロック」、決して嫌いじゃないんですが、ロックはそれだけじゃねえべさと反旗を翻してみました。同志サダナリさんと岩井さんは苦笑いして見逃してくれそうですが、"サダナリデラックス"と"Music! Music! Music!"の読者に叩かれないか心配です。

Beach Boysのページに、1976年から85年までのアルバム6枚を追加しました。このサイト、辛口って言われちゃうのはなんでか悩み考えるんですが、バンド単位で特集ページ作ってることにも一因があるような気がします。アルバム単位だったら好きな作品だけ取り上げていればいいけどさ、バンドには山も谷もある。それを含めてバンドを愛するが故に、ダメな作品にはダメと書いてしまうんです。偉大なる淀川長治さん、評価しない時は黙するのがポリシーとされてるけど、映画雑誌においてはかなりの辛口であった。

我が零細プロダクションは、細かい仕事を無数にこなしてなんとか食いつなぎ、無理な加速の繰り返しでなんとなく歳を重ねているわけですが。そんな日々に突如、取締役死去。
 御隠居様だったんで会ったことはないが、テレビ黎明期の売れっこ放送作家だそうで、芸能界・文筆界の大御所から問い合わせの電話がくるわくるわ。普段は叱責されるためにある受話器が、この日ばかりは非日常への入り口に。会社の意外な人脈を知る。おいしい仕事くれ。などと思いつつ、面識がないとはいえ人の死と向き合うのは辛いですね。

それでも1日2個ペースで締切りを迎えてます。クライアントからプロデューサーからデザイナーからプログラマーからモスコウからダッカからギュッギュッギュ。電話してるまに次の電話。知らない言語でプログラミング、納期は3日後とか。会社の中でホカ弁立ち食い。当分更新ムリ。

11月1日 Salvador Dali's Garden Party

1日だけ休みを貰って、っていうか本来は全国的に休日なんですが、ドイツのダンスカンパニーSasha Waltz & Guestsの「宇宙飛行士通り」を観てきました。タイトルの宇宙飛行士通りは旧東ベルリンに実在する地名で、かつては輝ける社会主義の象徴、今は失業者のしょんぼりタウンだそう。この作品は、そんな通りに住む家族の日常をシュールに描きます。

棚板やソファーを使ったアクロバティックな演技と、メッタ切りに編集された音楽の爽快感、やたらパンツを見せる女の子にちょっとドキドキの楽しい舞台。新聞を開く、掃除機をかける。そんな他愛のない動作をデフォルメして、生活の中に潜む滑稽さを描き出します。
 冒頭、ソファーからむっくり起き上がった男の後ろ頭がクラフトワークカットで大笑い。全編を通じて、グルーヴ感というかユーモアのベクトルがいちいちクラフトワークを連想させる。モニターに映し出される映像も、モチーフがワーゲンだったりビールだったり。ドイツ人はつくづくドイツが好きです。

次に向かったのは「ダリ美術館展」。作家が最後まで手元に残した作品集だそうですが、言いかえれば最後まで売れ残った作品ではないか。有名な絵は少なかったものの、奇人の威を借る前のラフスケッチが意外とよかったりで、こんなもんかという展覧会。二重螺旋構造からカタストロフィー理論に至るまで、時代のトピックをわかったふりして作品にしてしまう無謀ぶりだけは伝わってきました。

新しくて変なもんが大好きなのに、創造力と理解力がついていかずに限界を見せつける、でも本人はそれに気づかず、奇をてらってる自分にうっとり、それがダリ。同様の例にドクター中松がいます。人として非常に共感できる。パーティ会場にカリフラワーを詰めた車で登場した、というエピソードだけでオッケーなんです、ダリは。

11月12日 素人不幸自慢

バブル期に一人暮らしのお年寄りを訪ねた爽やかな銀行の営業さん。母性本能を刺激して媚を売ったあげく、無理な投資を薦めて消えた。それから10年。祖母の抱える負債は、いつの間にか返済不能なまでに膨れ上がっていました。

我が家に祖父はなく父もなく伯父・伯母の類もなし。従って私めが銀行のお相手をすることに。あまりにも壮大なモノポリー、あれっテートーケンって烏龍茶が採れるとこでしたっけ?
 振り返れば納期が週に3個ペースでボンジョルノ。ちなみに祖母が騙されたのは変額保険、僕の今日のお仕事は、変額保険の勧誘用CD-ROMのオーサリングであります。はぁ。なんかいいことないでしょうか仔猫ちゃん。

などと不貞腐れてる間にもRock Crusadersの締切はやってくる。今月のは内容薄いと思います。まだ書いてないけど。と予防線をはりつつ仕事に戻る。

11月24日 Adult Only Rock'n'Roll

共同執筆ページRock Crusaders更新。今回のテーマはDonald Fagenです。多くのロックファンはいわゆるAORが嫌いだと思いますがっていうか僕は嫌いなんですが、Fagenはいっつもつまらなそうにしてるから好き。このアルバム、モッズ気取りは好きだけど「本物の」ジャズやソウルは苦手なんて人にはお薦めです。

音楽はアメリカ大陸に渡るとムッと濃口になるもので、それがある種の加齢臭に感じられるわけですが、その臭みを克服した頃にまた素晴らしい音楽の泥沼が見えてくる。僕もまだまだイギリスに重心を置きつつ、片足ソロソロ泥水に浸しているところ。Fagenの口当たりのいい、でも実はアルコール度数の高い音楽は、遥かなるおじさんロックワールドへのいい架け橋になるかもしれません。

単純作業に没頭したい衝動にかられ、おんぼろデジカメで家中のジャケを激写。ただでさえ重いといわれるポヨレコをさらに重くしてみました。やや、とたんに音楽ページっぽくなるもんですな。ところでこの中にカットアウト盤は何枚あるでしょうか。