DIARY 2014年4月


4月1日 四月の魚

「彼女ができました」がトレンド入りしてるのを見ると、ネットのエイプリルフールは20年間なんも進歩してないなって思うよ。そしてネットやってる我々がモテない事実も。

斎藤環さんと與那覇潤さんの対談シリーズが面白い。日本人の本質はヤンキーって切り口から、この国の矛盾を解き明かす。
 「日本のヤンキー化は小泉政権から?」「なぜヤンキーはディズニー好きなのか」「ヤンキー主義の限界が露呈した"橋下発言"」「"ヤンキー管理職" の下は死屍累々」ぜひ原文に当たって欲しいんだけど、文脈から切り離して気になった部分を抜き出してみた。

「ヤンキー的な人々というのは感性を肯定するために知性を批判するんです。『考えるな、感じろ』とばかりに。反知性主義を単に『お前ら知性ないじゃん』と攻撃してもダメで、『彼らはなぜ、地頭がいいにもかかわらずインテリ的なものを嫌悪するのか』という部分を問わなければならない。
 理屈を言うヤツ、考えるヤツはスクールカーストの『中』以下になってしまう。そういうところで求められるコミュニケーションスキルはロジカルな能力ではないし、ディベート能力でもない。空気が読めるかどうか、笑いが取れるかどうかだけなんです。
 新入社員に求めるのはそのレベルのスキルだけで、あとは言語化以前の『暗黙知』が長期雇用を通じて組織に蓄積されているから、グループワークを通じて身体で覚えさせるというのが日本的経営だった。周囲に合わせる協調性さえ持っていれば、他の要素は入社後にいくらでも仕込めると。つまり、人間というものをきわめて均質的に見ている。
 それは自分の頭で考えたいインテリにとっては、いちばん生きづらい...。そして、日本の大衆にとっては、いちばん心やすらぐということですね。」

こんな風に、日本の右傾化と改憲論から、理性を失った反原発運動、なんだか気持ちわるいFacebookまでを語る。せっかくならマーケティング至上主義で死んでいった表現文化のことも語って欲しかった。
 これを読んで、僕がこの国で非常に生き辛い理由が少しわかった気がした。2013年8月1日の日記とも繋がること。学生時代、サラリーマン時代、その後の日々、家族のこと。オフネットやオンネットで数々のトラブルを抱えてきた。発達障害なのかなって自責してたけど、自分だけがおかしいと決めつけることもない。思えば彼らは精神的にヤンキーだったし、どうしようもなく「日本の大衆」だった。

僕は少なくともヤンキーの素養はないんでさ、自分で調べて考えて決めたいし、ヒトって生き物の優しい群れのあり方を想うんだ。

4月3日 距離

林雄司さんやっぱり面白い。ときどき大ヒットを飛ばす。「通販番組のフォーマットで自己紹介をする」。キャプチャーの電話番号にかけると本当に林さんが出るらしい。

今日の日記はちょっと長いけど大切な話なんで、1日のと併せて読んで貰えると嬉しいなあ。
 1日に書いた斎藤環さんと與那覇潤さんの対談シリーズの話、反響が大きかった。ぜひ原文を読んでください (1, 2, 3, 4) 。ピンとこない人にはピンとこないだろう。自分がマイルドヤンキーだって自覚してるマイルドヤンキーはいないから。

「ヤンキーが重視するのは、個人ではなく、家族や地元をはじめとする中間集団なんです。そこにおけるあうんの呼吸は言葉がいらない世界だということです。そういう中では個人という発想も欠落してくる。
 自民党の改憲案を見ても、『公共』という言葉が乱発されていますけど、結局この公共って中間集団のことだろうとしか思えない。パブリックという概念がないんじゃないか。民主主義というものの理解が『多数決の民主主義』、もっと言えば中間集団民主主義になっていて、もうひとつの重要なベースであるところの『個人主義』的なところが完全に欠落したままの状況が続いている。」

この対談について、なんでいまさら敢えて「ヤンキー」ってネーミングして論じてるのかわからないってツイートを見た。

「ヤンキーは『厳しい母性』なんです。保護的なんですけど、スパルタ的でもある。母性的だからこそ、気合いとか身体性に依拠する。彼らにとって真実を担保してくれるものは常に行動であり、行動を可能にしてくれる『夢見る身体』なんです。厳しくするくらいなら『ほっといてよ』と思うのに、『私に合わせるなら、受け入れてあげる』と追いかけてくる。体罰教師の生徒指導みたいに。
 日本人はアメリカさえも『すべてを包んでくれる無垢なるフロンティア』のように母性化して受け入れていて、だからヤンキーはつっぱってるのにディズニーが大好き。」

って部分に答えがあるように思う。ただこの緩い中間集団はきのうきょう出てきたもんじゃない。農耕民族の資質なのかな。家庭と地域の間に縁側や井戸端みたいな共有スペースを設ける一方で、お地蔵さんより先、ムラの外は魑魅魍魎の世界だった。っていう地理感覚がシャッフルされた結果、壁一枚向こうが魑魅魍魎の世界になっちゃった。ずっと前から言われてる、日本人は次の人のためにドアを押さえないって喩え話。それは親切か親切じゃないかって問題じゃなくて、意識が中間集団にしか向かってないってことだ。知人への点数稼ぎしかできないってことだ。で、ドアを押さえる国の人々は親切心というより、押さえたほうがお互い生きやすいから押さえてる。
 そんな中間集団意識に戦後、アメリカを父性から母性に置き換えるなにかがあった。この辺は斎藤環さんの本を読んで考えたいと思う。

でさ、僕がこの話にのめりこむ理由は2つあって、1つはマイルドヤンキー的なリーダー気質「空気が読める、笑いが取れる」って意味での人気者が、「自分で考える人」に対する理不尽な攻撃に、僕自身が何度も打ちのめされてきたっていうこと。本当に本当に酷い目に何度もあったよ。みんなが大好きなあの人やこの人にだよ。
 もうひとつは日本人のパブリックへの関心のなさが、ここ最近 度を過ぎているように感じるんだ。これは歴史学者や精神学者じゃなくて、表現文化に関心のある人が考える部分かも知れない。つまりこの国の外側に文化的なフロンティアを感じる感性が、マーケティング至上主義のマスメディアによって去勢されちゃったってこと。3月2日の日記にも書いたけど、若い人の関心がガラパゴス化したチャートにしかない。Beatlesがいまのバンドだとしたら、彼らはBeatlesを知らないんじゃないか。

こないだ耳にした会話の中で、「最近世の中で大変なことがいろいろ起きてるね」「ロシアとか台湾とか?」「外国のことは知らないけども」ってやり取りがあった。びっくりしたんだわ。知らないのか。もっとわかりやすい話題、マレーシアの飛行機が行方不明になってることもたぶん知らないだろう。世の中で大変なニュースは、佐村河内守や小保方晴子のことだった。「世の中」には70億人の人がいる。一生を森の中で暮らす人もいる。海の上で暮らす人もいる。
 いまおおくの日本人にとって、世界の95%は日本で出来てて、残りの5%が韓国でできてる。だから韓国を好きすぎる人と嫌いすぎる人が出てくる。好きすぎる人が聴いてるK-POPは、日本向けに日本のソングライターが書いてる。もうそれくらい閉塞してる。でで、この鎖国状態をおおくの人々を自覚してないのがもっと怖い。

そんでこの国の人たちはつまらなそうだ。去年 加計呂麻島滞在から東京に戻ってきた時に、電車に乗る人々の死んだ眼を見て衝撃を受けて、この人たちの生きる意味ってなんだろうって考えこんでしまった。マレーシア滞在の親友も同じようなことを言う。
 「ブータンがGross National Happinessを主張しているように、だんだん経済成長市場主義から、Quality of Lifeに国々の目標もシフトしつつある。こっち見ていても貧困はほぼなくなって、現地物価ならかなりの生活。で、人々はみんな笑っている。これでゴールでもいいんじゃないかと。これ以上GDP伸ばすには、やっぱり無理して働く必要がある。無理して働いてストレス抱えて、対価としてお金もらってでも使う時間なくて、それでハッピーかどうか」。
 経済学者から出てくる言葉だ。日本の国民の平均年齢が高いこともあるだろう。でもそれ以上に、楽しそうにしてちゃいけないってマイルドヤンキーの同調圧力が働いてるように感じる。

楽しそうでいいじゃんか。みんなニコニコしてる国がいい。っていうのは綺麗事じゃなくて、人間の根源的な欲求が満たされること≒楽しいっていう生理的な話だ。
 政治も経済も科学も芸術も宗教も、目的を失ってプロセスが目的になってる。ネオヒルズ族と呼ばれる人々、おおよそヤンキーで楽しそうじゃない。笑ったら負けみたいな顔してる。果てしなくくだらないなと思う。うちの猫はいつも楽しそうで、でも猫と人間の間に決定的な断絶はない。生きる意味というものがあるとしたら、それはきっと楽しくニコニコすることだ。

4月5日 俺はめんどくさいぜ

「オーボエ」のジャイアン感。

きのうは落ちてた。ありていに死にたいくらいには死にたかった。3日の日記に書いた、「楽しくニコニコがいいよ」って話があらぬ方向に展開して、「笑えっていう同調圧力」に受け取られちゃったんだ。ほんとにどこで責められるかわかったもんじゃない。「僕は (私は) スキルさんの味方だから」って言葉については、世界で誰のことも信じてない。そんな言葉を信じられる人生になかったから。
 自分自身が鬱病で、ペシミストを脱したいペシミストなんで、笑ってない人を責める権利はない。でもゴールを設定するなら笑ってたいし、そこに辿り着くまでの距離に憂いている。笑えたらいいなって想いは残しておきたい。それくらいのニュアンスなので。

っていう前置きをして、この国の緩やかな鎖国状態の話を続ける。「自虐史観」って発想がどうしても理解できない。日本が自虐的だと思うかどうかはあなたじゃなくて、世界の人々だ。あなたが思いを変えれば自動的に世界の人たちの思いも変わる訳がない。従軍慰安婦や南京大虐殺はなかったとか、靖国神社に参拝する誇りを持とうとか、ほじくり返さなくていいことをほじくり返すことで、「いまの」日本がどんどん不利になってる。ドイツが戦後どれだけ謝ってきたと思ってんの。いまさらハーケンクロイツ持ちだして、ナチスは悪くなかったって言い出したら、世界がどんな反応すると思ってんの。
 いまの日本の評価は、戦後 日本人ひとりひとりが世界の人々と仲良くしてきた実績の上にある。いまさら自分だけが「誇り」を持ったって、その実績を覆すことにしかならない。

動物は自分と考えも暮らしも違う相手とつきあう術を知っている。体重が10倍も違う生き物と抱きしめ合うことで心を通じ合わせてる。僕はちょっと前まで、英語で話しかけられるとびっくりして、すみません喋れませんって恐れ慄いてた。喋れないの当たり前じゃんか、普段使ってないんだから。単語の羅列だけでも意志の疎通はできる。議論はできないけど、敵意がないことくらいは伝わる。いまとなっては英語の何に恐れ慄いてたのか思い出せない。
 今日、国際宇宙ステーションを観た。すごいスピードで空を駆けてふっと消えた (地球の影に入った) 。感動した。地上400km上空を秒速7.7kmで飛行する中、15カ国の人々が入れ替わり滞在してる。いまの船長は日本人、若田光一さんだ。それは日本人が、若田光一さんという個人が築いてきた信頼の結果なんだと思うよ。

自分トフタリッキリデ暮ラスノダ
自分ノパンツハ自分デ洗ウノダ
自分ハ自分ヲ尊敬シテイルカラ
ソレクライナンデモナイノダ
自分ガニコニコスレバ
自分モ嬉シクナッテニコニコスルノダ
自分ガ怒ルト自分ハコワクナルノデ
スグニ自分ト仲直リスルノダ
自分ハトッテモ傷ツキヤスイカラ
自分ハ自分ニ優シクスルノダ
自分ノ言ウコトサエキイテイレバ
自分ハ自分ヲ失ウコトハナイ
自分ハ自分ガ好キデ好キデタマラナイ
自分ノタメナラ生命モ惜シクナイ
ソレホド自分ハスバラシイノダ (赤塚不二夫)

4月7日 2014年を諦める

今年はどうも流れが悪い。むりに覆そうとするよりおとなしくお布団にいた方がいいんじゃないかしら。レレレレィディオレィディオレィディオレレレィディオエキササーイーズ (ラジオ体操ですよ) と、深く息をする練習は続けてるんだけど。

Eno - Hyde「Daddy's Car」、椎名琴音さん「The Moon Song」。音楽を信じたい。一方では0.5秒でビビッドに響く即効性の音があって、それだけでいいリスニングスタイルが定着してる。ぐっすり眠るより5分のうたた寝を繰り返すような、出落ちを消費して繋いでいくような。

親友の住むマレーシアに行きたい。ググってる。ビザってなに? 出入国カードってなに? パスポートも本当の意味は知らない。言葉の壁、意識の壁を飛び越えていきたいけど、GYM手続きはついてまわる。

東京新聞の社説「民主主義のルールとは」。地震の大きな被害にあった三陸鉄道が全線で復興した。月の上に明るい木星、下に赤いベテルギウス。オリオンの三ツ星から左に眼を移すと青白いシリウス。

4月9日 煩悩

やりたいことが多すぎる。やらなきゃじゃなくてやりたいこと。でもそれリマインダー管理的に消化してくのは人生楽しくないな。特に僕の一番の関心が音楽っていう時間軸に関わる表現だから、急ぎようがないし、気持ちに響くことだから今日はこれで音楽聴くのやめようってタイミングが来る。いま聴いてるのはRaihanっていうマレーシアのバンド。古典的なパーカッションとコーラスが気持ちいい。
 春は自律神経のバランスが崩れて交感神経が優位になるから、精神的に興奮と緊張が増えるらしい。言われてみるとその通り。その一方で花粉がもたらす過度の弛緩があり、ほんとうに春っていうのは誉めるところがひとつもない季節だな。早く秋が来るといい。

「2001年宇宙の旅」の撮影舞台裏写真が大量に公開された。スタンリー・キューブリックが10代の時に撮影した写真もすごい。視点も斬新だけどドラマを発見する眼力持ってる。写真集ほし...3万4600円...。

4月11日 文脈の美学

「はてブ」って日本一センスない言葉のひとつだな。

忙しい、遊びが。去年から体調悪くて先延ばしにしてたことがたくさんある。一番はバンド活動なんだけどさ。実は手詰まり感がでてきた。趣味なんだから、みんなが弾いて楽しい曲をやんなきゃ意味ないじゃん。書きたいアイデアはいっぱいあるけどみんながどんな音楽を演りたいのか、バンド用にどんな曲を出せばいいのかわかんなくなっちゃった。僕自身は様式美に沿ったポップスより、楽理的に逸脱してたりリフだけで成立してるような、アマチュアリズムを前面に出した曲を演りたいんだ。
 もっと大きいのは、精神的にも音楽的にもお父さん的な役割だったドラマー氏が忙しくなっちゃった。もし来年度になってドラマー氏に余裕ができて、ボーカリストが東京に来たら活発に動けるかな。それまでは難しいってのが正直な手応えだ。宅録に励むか。

9日の日記に書いた、マレーシアのRaihanってバンドが素晴らしくて打ち震えてる。代表曲は「Puji-Pujian」だろうか。ラップが入った「Do You Know Him?」みたいな曲もある。音が乾いてるのがいいね。東南アジアやフランスで人気があるみたい。ワールドミュージックブームの時代だったら世界的にブレイクしてたと思う。僕が音楽に本格的にのめり込んでいった頃の、原初の興奮を新しい形で思い出させてくれた。
 奴隷売買の悲しい歴史がアメリカでアフリカとヨーロッパの音楽を融合させたみたいに、植民地時代の悲しい歴史が結実したこの国の豊かな音楽が、もっと世界に知られたらいい。で、そんなMIX-CDを作ってるよ。こういうの、文脈で聴いてほしいからmp3じゃなくていまだにCDで配ってる。シャッフルで消費してくだけじゃ拾いきれない美学があると思うんだ。

憲法9条をノーベル平和賞に推薦した人がいて、委員会に正式に受理されたそう。まだまだハードルはいっぱいあるけどさ、もし受賞したら鎖国してるこの国の思想も、客観的な視点を意識せざるを得なくなるんじゃないか。平和ボケして小保方晴子騒動やってる裏で、自民党が集団的自衛権の容認に向けて動いてる。毎日新聞の社説を読んで。

忌野清志郎さんの未発表のテキストが見つかった。清志郎の出生や、「Day Dream Believer」に込められた想い、知らなかった。ずいぶん前に柴山一幸さんがツイートした、「清志郎の一番すごいところは、オタク気質なのにヤンキーに受け入れられたところ」って意味が、いまごろじわじわきてる。

4月12日 After all, can not think the world, but I can sing for you and me.

マジメか。

アンチ反戦運動をまとめたTogetterを見た。最初に「艦これ観たけどキモかった」ってツイートを晒しあげて、反なんとかこそキモい、嫌なら観なきゃいいのにって。安彦良和さんは、ガンダムがある世代の好戦性に影響を与えたことを悔やんでる。安彦さんのマンガ作品にも戦争を扱ったものがたくさんあって、でもその恐ろしさや心の機微を丁寧に描いている。
 で、アンチ反戦運動の主旨は、「反戦を声高に叫ぶ人は、もらい事故で戦争が降りかかってきた時の身の安全について考えてない」ってこと。もらい事故がないように、政治的にどう立ち振る舞うかが大事なんだよ。ってタイミングで新藤義孝総務相が靖国神社を参拝した。

もう何度も書いてるけど、戦没者を慰霊することが悪い訳じゃない。問題は靖国神社の経緯と立ち位置だ。海外の人にとって、靖国参拝って外交カードには特別な意味があるってことだ。公人は千鳥ヶ淵戦没者墓苑で慰霊したらいい。無自覚にカードを切った結果が戦争なら、それはもらい事故なんかじゃない。
 「反なんとか」については、僕も陰謀論に成さがった反原発運動に失望してる。きのう決まった政府のエネルギー基本計画で、「原発依存度を可能な限り下げる」って抽象的な言葉が使われた。可能な限りなら0%でしょう、いま0%で成り立ってるんだから。ただ、停止してる原発を安全に廃炉するためには、膨大な人材と時間と資金がいる。それをまかなうのは残念ながら原発なんだ。山本太郎みたいにヒステリックに叫ぶんじゃなくて、廃炉への過程を理知的に考えなきゃいけない。

僕をラーメン嫌いにした男が死んだ。料理は戦争なのか。食事は根性なのか。昔住んでた街に、テレビの企画で彼が「叩き直した」ラーメン屋があった。テレビカメラが消えて数ヶ月で、そのお店も消えた。これをきっかけに楽しく穏やかに食事できるお店が増えるといい。

Damon Albarnが「This Is A Low」と「For Tomorrow」をアコースティック編成で演奏した。素晴らしい。僕にとって大切な曲たち。

ここ数日の寒暖差があれだ。半ズボンは失敗だった。真冬でも生脚を出してくれる女子高生は天使だと思う。天使だと、思う。

4月14日 花火のように散った

 (:3[_]

_(:3」∠)_

変な時間に起きちゃった。
 夕暮れ団地は今日選挙だったんであるが、「最後のお願いです」も「苦しい戦いです」もあなたの事情であって、僕にはまったく関心がない。どうせしゃべるならあなたの政策を聞きたい。で、市長候補3人とも公約が「花火大会を再開する」だいじょぶか。
 結局花火大会を再開する人が当選した。どうせなら花火大会を再開する人が当選すればいいのに。まて、これを言い訳にあの娘を誘いだしてみるか。でもおじさん、俺おじさん。

4月15日 S/N

ヽ(゚〇゚*)/ パジェロ、パジェロ

題名のない音楽会に大友良英さんが出て、ノイズミュージックをかけまくった。動画を観たけど最高だ。クラシックの偉い人達が困ってる側で、嬉々としてノイズに耽る大友さん。「今日はノイズミュージックですけど、例えばサンバを語れって言われても何時間でもいけます」。スノッブな世界に引きこもって、音楽ってどういうことか考えることもないおおくのクラシック人には辿りつけない感覚だ。
 そんなクラシックにもおっぱいやちんちんの歌があって、NHKが電波に乗せるのに苦心してる

ひろゆき氏の痛快な対談「パチンコやる人ってバカなんですか?」。パチンコ業界の知らない話がいっぱい出てきて、ばっさばっさ切るひろゆき氏はやっぱり賢いな。結論としてパチンコやる人ってバカ。長いけど読みやすいんでぜひ読んでみて。
 レンブラントが越前和紙を使ってたかも知れない。「病人たちを癒すキリスト」の素材を調べたらアジアの低木が使われてて、どうもそうなんじゃないかって。その頃日本は鎖国してたけど、オランダとは取引があったから。越前和紙はピカソも使ったことがある。

4月17日 noteについてのnote

半袖半ズボンにサンダル。手にはソルティライチ。

noteっていうサービスが始まって、ここ数日のめり込んでた。またビジョンなしで始めちゃったな。twitterならtwitterでのキャラクターを明確にして言葉遊びをしてる人を見ると、ちょっとうらやましくもある。僕はなにかが始まる雰囲気が好きなんで、後先考えずにすぐに飛び込んじゃう。で、入ってみるといらっしゃる顔ぶれがいつもおんなじ。これが日本のネットの「新しいもの好き」の層だ。

noteはSNSに分類されるんだろうけど、面白いのはコンテンツを売買できること。テキストや画像や音源、もちろんただで公開してる人もいるし、ここから先は課金しますよって人もいる。
 いまはみんなが遊び方を模索してる段階。80年代末から90年代はじめ、インターネットを民間に開放するかって議論してた頃に、まさかネットが世界のありかたをこんなに変えるとは誰も想像してなかった。その一方で、衰退していったネットサービスも数知れず。noteが面白くもあり難しくもあるのは、交わされるコンテンツに原価って概念が (あんまり) ないとこかもな。

びっくりしたのは写真家の青山裕企さんの「僕は、あなたの好きな子の写真を、全力で撮りたい!」って企画。購入者の好きな女の子の写真集を作ってくれる。ビジネスじゃなくて完全に実験だ。「好きな子へのコンタクトは、極力自分自身で行ってください。どうしても自分からは出来ない、恥ずかしいという場合は、連絡先が分かりましたら、私から打診いたします」ってことは、被写体は彼女じゃなくていい。これ、告白のお手伝いにもなっちゃうんじゃないの。女の子にとっても、青山裕企さんに撮ってもらうチャンスなんてなかなかない。
 こういう個人に向けてカスタマイズした創作、ネットを離れて心と人生を動かす企画が、noteの大きな可能性になってくると思う。そんでこれからのインターネットの可能性かも知れない。

今日は一日 神崎かなえさんのことを考えてた。5年くらい前に活動してた読者モデル。整った顔立ちを思い切りくしゃくしゃにした表情の豊かさとやわらかさ、そばかすや染めかけの髪に見え隠れする隙。神がかってる。僕は女の子が大好きで、たぶん君が思うより大好きで、でも数年前にテレビが壊れてコンビニのない郊外に越したんで、新しいタレントさんを知る機会が激減した。
 タレントさんにしろリアル知り合いにしろ、若い頃とは好みが変わってきたなって思う。なんとなく地雷がわかってきた。この娘は高飛車で自意識過剰な言いがかりをつけてきそうだとか。逆にこの娘は自信がなくて、誘われるままサークルクラッシャーになりそうだとか。

昔よく遊んでた女の子がお子さんを授かったという。感慨深い。

4月18日 子供が公園のベンチで濡れた雑誌を一心不乱に見てた

エロ本かな。

冬に戻ったみたいな雨の日。眠いしだるいしどうしようかな、いろいろどうしようかな。もしいま寝ちゃったら、仕方ないな寝ちゃったからってなるな (それが今日のすべて) 。だってもう42だしさ、肌が水を弾く歳でもないしさ。
 ときどき自分が42歳なの思い出して笑っちゃう。

明日はレコードストアデイ。街のレコード屋さんで素敵なレコードを買おうって、世界中でこの日に向けて特別な作品がたくさんリリースされる。理念は立派だけどいろいろもう遅いっていうか、近くに心あるレコード屋さんがない大多数の人にとっては無念の日でしかない。下北でお洒落さんたちが盛りあがってるイメージ。
 イギリスのTelegraph誌がファッションセンスのないバンドを特集してる。我がヘクショイもここに名を連ねたい。デイリーポータルZが、服屋の店員さんの呪文「いらっしゃいませーどうぞごらんくださいませー」を歌にした。こっちの文化には縁がない。

夕暮れ団地には音楽にまつわるなにかしらもない。と思ったら最近近所で楽器を持った若者をよく見かけるんだ。こんな果樹園の丘にスタジオができたりしないよな。はー次の練習は近所がいいな。
 細馬宏通さんがBurt Bacharachの「Alfie」について考えてる。歌って誰にでも作れるんだ。これほんと。でも素晴らしい歌にはとんでもない仕掛けが隠されてる。

4月20日 選ばれざる者の届かない想い

なにやってんだ俺。

きのうは若き知人Y.H.の実家で柴田聡子さんのトークとライブ。企画したY.H.の大胆さにびっくりした。柴田さんもびっくりしたろうし、終始困ってるように僕には見えた。打ち上げでは僕独りおじさんである事実に焦って、いつにも増して豪快にスベった。Y.H.に話したんだけど、彼はイラストレーターとしてパフォーマーとして、計算高さが空回りしてるように見える。僕には計算も打算もなにもない、できようのなさが空回りしてる。プライベートでは計算高い方が、女の子受けは圧倒的にいいみたいだね (´-`) .。oO
 人の思いつかないことを実行したバイタリティは素晴らしいと思ってる。でも一番の功労賞はお母さんであった。ってことに、あの中の何人が気づいてただろうか。

もじゃもじゃ考えごとしてる。解けない宿題、あの娘の恋人。18日の日記で細馬宏通さんのBacharach論を紹介した。「韻を逃れる問い」ってサブタイトルがついてる。音韻とそれが伝える意味の話だ。
 自分が曲を書くうえで、「意味」って必要なのかな。ひどく大雑把に、女の子の好きな歌は「歌詞がいい」、でいい歌詞って「意味」のこと。僕は16年間日記を書いてきて、伝えたいのは意味なんだよね。でも歌で伝えたいのは「響き」なんだ。響きを伝えるセンスが、日記を書いてきた経験に潰されちゃってる。「木綿のハンカチーフ」みたいな歌詞は書きたくないけど、方向性としては書いちゃいそう。井上陽水さんややくしまるえつこさんは天才、桑田佳祐さんはでたらめな英語で曲を書いて日本語に置き換えてるらしい。僕の口から出てくる英語のフレーズは「How are you?」「Fine thank you, and you?」ほかにない。

「サイボーグ化した郷ひろみよりありのままのジュリーがかっこいい」みたいなツイートがあった。言いたいことはわかる。でも「素材がジュリーだから老けても太っても様になるんだよ」って様になってない鏡の中の男を見て思う。

ラオス語で頑張るは「ぱにゃにゃん」、頑張っては「ぱにゃにゃんだー」。女の子は僕に積極的に使うべき。

4月21日 メディアマリオネット、眠る

今日は雨でやる気がでなかったが、残念ながら明日も雨なんだ。

4月22日 終わり、始まる。

ふと顔が浮かんだ何人かの知人に、「かないくん」って絵本を贈った。話題になってるんで知ってる人もおおいと思う。谷川俊太郎さんが一晩で綴った言葉に、松本大洋さんが2年がかりで絵を描いた。僕はこの絵本を、Contrary Paradeのライブイベントで知った (もしそうじゃなければ、たなかまゆさんにも贈っていただろう) 。
 舞台は小学校。隣の席の特に仲良しでもないかないくんが学校を休むようになった。軽くネタバレするならば、最初の一文を読んだだけでかないくんが亡くなることは想像がつく。ああ、そういう絵本なんだって。実際かないくんは亡くなってしまう。それも思ったより早くに。そこから始まる物語なんだ。ぜひとも読んで欲しい。

僕も小学校の友達を亡くしたんだ。実際に亡くなったのは中学に入ってからだけど、6年生の時から入院してて、白血病でもう長くないことはみんな知ってた。そのすぐ後に自分の父親を亡くして。おとなになって母親も亡くして。で、僕自身が亡くした小学校の友達のことを忘れてたんだよ。そして僕は父親の歳をこえて、自分の死を意識するようになった。谷川俊太郎さんは「おじいちゃん」の歳になった。
 選ばれた表現者の、特別な作品だと思う。松本大洋さんの絵も言葉に寄り添った、特別なタッチだ。もう届いた人からの反応はそれぞれ。君はどんな反応をするだろう。その人その人の経験によって、感じ方はまったく違うと思う。誰にでも訪れる、死を描いてるのにね。

4月24日 突然のギフトに驚いて送り主を調べるも「無」から来たようで

Amazon経由で「かないくん」を送ってわかったこと。
 Amazonのメッセージカードは死ぬほどださいしカスタマイズできない (写真) 。かと言ってギフト設定しないと送り主が表記されない。受取人が問い合わせても「プライバシーの問題」で教えてくれない。つまりAmazonはプレゼントにまったく対応してないってことだ。

本の感想が続々届いてる。みなさん仰るのは、感じ方はそれぞれだけど「自分にも経験がある」ってこと。つまりある程度歳を重ねると、多かれ少なかれ誰かの死に立ち向かう経験をする。谷川俊太郎さんくらい歳を重ねた真摯な表現者は、蓄積された経験を普遍的な表現に昇華できる。若いながらも2年かけてその域に近づいた松本大洋さんの絵がまた素晴らしい。みんな読んだらいいと思う。

きのうは快晴。花粉明けを祝しまして久しぶりに換気と布団干し。銀行に呼び出されてマネーに関する話を聞かされた。死ぬほどどうでもいい。死ぬほどどうでもいい。水泳あった日の5限の日本史くらい眠かった。頂いた資料は封筒のまま、可燃ゴミとして運ばれていった。
 オバマ大統領来日。エアフォースワンでフィッシュorビーフって聞かれたかな。晋三と寿司の約束あるからビーフにしたかな。いまごろナイトキャップかぶってすやすや眠ってそうなイメージ (午前6時) 。

FUJI ROCKにThe Flaming Lipsがやってくる。年甲斐もなくモッシュピットに行っちゃうかも知れない。
 Brian Eno、Karl Hydeとの共作もDamon Albarnとの共作も素晴らしくて、かれこれ40年枯れそうで枯れないな。

4月26日 アラバキ行きたいし行けないわけじゃなかった春の午後

オバマ大統領は例の寿司を半分しか喰わなかったらしい。ソースは寿司屋の店員→同じビルに入ってる焼き鳥屋の店員→TBS

バンドの閉塞感はてしなく、最後になるかもしれない次のスタジオのために、来れるメンバーでできそうな曲を書いた。20分くらいでちゃちゃっとまとめた。時間をかけた方がいいのかかけない方がいいのかわかんない。どんどん書けばコツがつかめるかもしんないし。
 「トッポを喰う女」って曲、自分であきれるほどの駄作でどうしたもんかと思ってる。レコードにもライブにも捨て曲って必要でさ、一度くらいは演ってみるか。目指したのはリフだけで成立する曲。モデルは神崎かなえさん。猫の写真をダウンロードする感覚で女の子の写真ダウンロードしてるし、街で猫を見かける感覚で女の子みてるよ。

海の日の対として「山の日」って休日ができそう。久しぶりにいいニュースだ。もう川とか空とか母なる大地とかどんどん祝福して休んだらいい。内藤忍って実業家が、休日が増えると遊ぶ物価が高くなって嫌だってコラムを書いた。アホか、国が休めって言わなくちゃ (言われても) 休めない人がいっぱいいるんじゃ。
 何度も書いたけど、社会が厳しいのは「社会は厳しくなくちゃいけない」って思い込んでる人がおおすぎるせいじゃないか。「せいの、今日から社会は甘いです」ってことにすれば、意外とそれで廻ってくんじゃないか。でで、これも何度も書いてるけど「日本人は勤勉」ってイメージも、明治政府が捏造した富国強兵策のひとつで、江戸の市民は仕事帰りに飲んで遊んで長屋の門限は日没だった。

猫にプレゼント、カゴのベッドを買った。気に入ったらしい。代わりばんこに入ってる。もう一個買ってもいいんだけど、せっかく猫と暮らしてるのに猫がひきこもっちゃう。どっちかは僕と遊んでくれ。

tUnE-yArDsのニューアルバムを試聴できる。ますます素晴らしい。Paul Wellerがレコードストアデイに怒ってる。転売の温床にしかなってないって。僕も近所にレコード屋がないんで、限定盤を泣く泣く諦めたり、あとから高値で買うことがおおい。
 大島輝之&大谷能生の企画アルバム「秋刀魚とツナ」に、こないだイベントに出てもらったMELODY KOGAさんが参加して、強烈なインパクトを残して話題になってる。ついにブレークしちゃうのか!? このアルバム、曲の作り方、歌詞の在り方のいい刺激になってる。

最近気に入った記事。「ガラスのテーブルの下から眺める猫は最高に美しい」「猫が顔を洗うと、雨が降る」「無人島にある教会を見に行って来た」「ウォーホルの未発表作品がフロッピーに」、ストリートビューのタイムマシン機能で東日本大震災の津波前後が見える。
 2ちゃんのまとめサイト「メガネ業界をかじった俺がメガネについて語るよ」。僕もずっと安いメガネをかけてたんだけど、去年個人店でいいメガネを買った。世界の見え方がぜんぜん違う。

4月27日 初めは痛かったけどだんだん気持ちよくなってきた

きのう「あきれるほど駄作」って書いた新曲「トッポを喰う女」、そんなに悪くない気がしてきた。パンクをやりたかったんだよ。で、言われたのが「Moonriders」。パンクの原体験がPistolsでもRamonesでも、ClashやJamでもなく「カメラ=万年筆」だった。即席で作ると中学生の時に聴いてたもんが出てきちゃう。
 その前に書いた「The Campaign For The Real Pop」に、棚谷祐一さんからLIKEを貰った!! この曲 歌いにくいともっぱらの評判。浮遊感を出したくておかしなコード使ってるんだ。で、サビが地声と裏声の変わるとこにある。僕は地声の音域がものすごく狭くてすぐ裏声になっちゃう。練習すればなんとでもなる。真面目に音楽やってる方々にいろいろ申し訳ない。いろいろ申し訳ない。趣味とは言ってもだね!?

遊んでる日々を正当化するべく日記を書いてるけど、「社会は厳しくなくちゃいけない幻想」に追い込まれてるのは僕なんだ。

4月28日 おこがましかった

いろいろおこがましかったわ。発達障害に人様をつきあわせてしまって申し訳なかった。
 両親を早くに亡くしても唯一の肉親の弟に絶縁されるような人生だ。酷い言葉を残して去っていったかつての友人たち、僕はまだあなたたちの怒りを理解できない。「みんなと同じ」に空気を読めなくてごめんなさい。やっぱり日本、向いてないみたい。
 君たちにそれ以上の罪を犯したことがないのは断言できる。でもみんなには憎いんだろうね。嘲笑っているかもしれないね。