FUJI ROCK FESTIVAL '12 7.29

3日目。快晴。暴力的なまでの陽射し。前の夜に馬鹿話して、寝坊してCeroを見逃した。
 最初に観たのは山奥のField Of Heavenで奇妙礼太郎トラベルスイング楽団。YouTubeでずっと気になってたバンド。アメリカンルーツ・ロックを吸収して消化してるんだけど、決して教条主義に陥ってない。本来のルーツ・ロックがそうであるように、明快なエンターテイメントとして胸を打つ。「ずっとずっと君が好き、誰かの彼女になりくさっても」「振られた方にだけ起こるぜ恋のマジックは」ロマンティストだ。大阪らしくてガツンとしてキュンとくる。バンド名次第では、ボ・ガンボスやウルフルズ的なスタンスを築ける人たち。華やかなホーンセクションは歌謡曲のマナーでもあると思った。

Field Of Heavenに来たらさくらぐみのピザを食べなきゃ嘘だ。去年は出店してなかったそうだけど。相変わらずのモッチモチの生地に最高の食材。石窯のピザは東京でも食べられるけど、さくらぐみは本当にプロフェッショナルだと思う。くっだらないピザ売ってるチェーン店はこれ食って懺悔しな。

Green Stageに降りてきてtoe観る。日本のポストロックバンド。クリアトーンのギターと変拍子の嵐は、Green Stageに似合わない、フェス映えしないなと思った。ライブハウスで大音量で聴きたい。何曲かに参加していた女性ボーカリストは誰だったのか。お客さんがいっぱいで、みんな夜のRadiohead待ちかと思ったらそうでもない、toeの演奏が終わったら山奥に消えていく人も結構いた。

井上陽水観る。2002年の井上陽水FUJI ROCK初出演は伝説的な事故だった。人もまばらなGreen Stageに立った彼は、ギター一本抱え華やかな夏の祭典でこう歌った。「都会では自殺する若者が増えている」。みんなぎょっとした。サビ前でブレーク、一転してヘビーなバンドサウンドが響き渡った瞬間、遠目に見ていた若者たちが両手を掲げてステージに駆け寄った。鼻ピアスもモヒカンもみんなで歌った。
 この日の陽水は「東へ西へ」から。いまこそ時代が呼んでる「最後のニュース」、FUJI ROCKを愛した忌野清志郎との共作「帰れない二人」、夏の夕暮れに「少年時代」、Pink Floydのように変貌した「氷の世界」。開演前「井上陽水なにやんの?」「マイク一本で漫談すんじゃね?」なんて哂ってたRadiohead待ちの若者たちは、その音圧と説得力に呆然としていた。いかに洋楽を愛そうと、日本に生まれ育った事実は覆せない。夏が過ぎ風あざみ、誰のあこがれにさまよう、八月は夢花火、私の心は夏模様。そんな夏だったじゃないか。

Red MarqueeでM.Word観る。Zooey DeschanelとのソフトロックデュオShe & Himや、Norah Jonesの共作で知られるM.Word、美女に縁があるイメージしかなかった。そんな彼のソロステージは、60年代への深い愛情が感じられた。Chuck Berryのフレーズを引用したりのギターも軽妙で、でも10年代のまっとうなポップロックに消化していた。でで、次はぜひともShe & Himで来てください。
 そのままJames Iha観る。1曲目は名曲「Be Strong Now」であった。その後の記憶がない。椅子に座って靴を脱いで、寝落ちたっぽい。それだけ気持ちいい演奏だったんだろう。Green StageでElvis Costelloを遠くに眺める。稲光が走って、ついに雨が降るのかと恐怖したが持ちこたえた。

またRed Marqueeに戻って、The Shins観る。USインディの大物バンド。映画の中でナタリー・ポートマンが、彼らのデビュー曲「New Slang」を、「これ聴いたら人生変わるよ」って主人公に渡したらしい。今年出た新作もすごく気に入ってる。アメリカでは5000人規模の会場じゃまず観れない。日本でももっと人気があると思ったら、果たしてRed Marqueeはガラガラであった。もったいないな。
 とにかく声が美しい。地声もファルセットも美しい。ギターのエフェクトの華やかさ、キーボードのバラエティに富んだ音作り、ものすごく好みのバンド。自分のバンドで目指してるところはこの辺かも知れないな。演奏はもちろんだけど、選曲も緩急使い分けてバラエティに富んでる。トータルで正しいポップロックバンドだった。

Radioheadは観ないで (興味がない) 渋さ知らズオーケストラも観ないで (山奥だった) 、苗場食堂の裏の10畳くらいのステージで片想い観る。これもYouTubeで気になってたバンド。
 野暮ったい男の子と野暮ったい女の子が集まって、小さな舞台で歌い踊る。それだけで神がかってる。高校の文化祭みたいなバンドだった。私の高校生活は暗黒時代なので、文化祭がどんなイベントか知らないけれど。簡単な振りがあったり、ポエトリー・リーディングがあったり、演劇的な要素があったり、時にはエキセントリック過ぎるところもあった。でも若さって素晴らしい、若気の至りって素晴らしい。「踊る理由」は今年の邦楽を代表するアンセムだ。僕が泣いてる理由なんてわからないだろう。いろんな意味で甘酸っぱい気持ちになって、4年ぶりのFUJI ROCKを終えた。

11年ぶりに雨が降らなかった今年のFUJI ROCK、月曜日のバス待ちの時にすべてをはきだすように降った。急がないのでおみやげ屋の軒下に入って、音楽から下ネタまでくだらないお喋りをした。越後湯沢で美味しい蕎麦を食べて、だんだんみんな無口になっていった。東京に帰るのだ。
 11年前からずっと、FUJI ROCKの数日間とそれ以外の日常を「ハレ」と「ケ」に喩えてきた。果たしてそうだったろうか。東京に戻って1ヶ月、あの数日間の興奮はもうないし、思い出してこのレポートを書き上げた。でもあの時に感じた音楽の魔法は、いまも心の中で静かに鳴り響いてる。レポートをあとで書ける自信があったから先延ばしにしてた。2001年、初めてのFUJI ROCKのレポートに、僕はひとつだけいいことを書いた。「人類の末裔として、いつもハートに音楽を」。来年もまた来るよ。

スタッフやボランティアの皆さん、出演者の皆さん、苗場の皆さん、森で生まれた歌を共有した皆さん、動物病院に預けられて待っていた猫のメイ、FUJI ROCK後の偶然が引きあわせてくれた新猫のチャイ、そしてこのレポートを最後まで読んでくださった皆さんに心から感謝します。