FUJI ROCK FESTIVAL '12 7.27

かつては「FUJI ROCKの3日間のために残り362日の生活とつきあってる」とまで豪語した私だが、体調不順やふとしたタイミングで4年ぶりのFUJI ROCKとなった。このレポートを書いている今日は8月26日、FUJI ROCKの喧騒から1ヶ月が過ぎている。私のFUJI ROCKへの情熱は醒めてしまったのか、そんなことはない。ただいろんなことが変わっていった。

この4年間に起こったことを時系列に思い返してみる。彼女を失った (彼女と出会ったのはまさにFUJI ROCKであった) 。弟と絶縁した。ライブイベントを主催した。生まれ育った実家を処分した。友達がすっかり入れ替わった。大きな入院をした。大地震があった。被災地を訪ねた。バンドを始めた。20年連れ添った兄弟猫を失った。そんな日々、バランスを取る音楽の祝祭を切望していた。
 そんな思いに押しつぶされて、準備がいつまでたっても進まなかった。カバンを開いて、この4年を精算する作業をしてたんだと思う。電車を乗り継いで越後湯沢駅へ。鉄路を叩く車輪の響きに気持ちが高ぶるでもなく、ただ準備の完了に安心していた。

今年は木曜日の前夜祭から参加した。駅から会場の苗場までのシャトルバス、窓に流れる田園風景は、何度かの福島行きでそう目新しくも映らなかった。ただ会場が見えた瞬間、この森に帰ってきたんだと、記憶の彼方の喜びの断片が心の水面に浮かび上がってきた。
 到着してわー涼しいってことはない。普通に暑い。宿は友人が懇意にしてる、会場から徒歩5分くらいの場所。毎年会場から徒歩圏内に宿をとっているけど、これは非常にラッキーなことだと知った。苗場からシャトルバスで越後湯沢へ、越後湯沢からさらにバスを乗り換えたところに泊まっている人もいるそうだ。
 仲間が集まって会場に向かう。前夜祭からものすごい盛況、日高大将のスピーチや抽選会、Sandiiのステージを遠くに眺めながらモチ豚で乾杯。twitter界のアンナ・カリーナと言われてるらしい知人と再会して、さらにお友達を紹介して頂いた。

そして初日。快晴。暴力的なまでの陽射し。クリーンエネルギーで動く山間の広場みたいなステージ、Gypsey Avalonにトンチを観に行く。リハ中に僕に気づいてくれたみたい。スティールパンを叩き歌うトンチは、赤い可愛いワンピースを来て、ギターとキーボードとドラムを従えた編成。ボーカルやスティールパンにかけた深いエフェクトが、夏の陽射しのうわの空みたいに頭の中を巡った。と思ったら「私モノマネできるんですよ」と衝撃の告白、なんの真似かさっぱりわかんないけど腹抱えて笑った。あとで聞いたら緊張しすぎておかしくなってたらしい。それでもカーンと抜けたスティールパンと柔らかい歌声が、Avalonの森の木霊みたいに美しく響きわたって、心地いい時間だった。
 終演後に写真。ピンで。なんでピンで撮ったんだろう。一緒に撮ってもらえばよかった。

4万人を収容する最大のステージ、Green Stageに降りて、Owl Cityを観るともなく観る。ミネソタの小さな町からやってきた、フレンドリーなエレポップのミュージシャンだ。前に単独ライブに行ったことがある。すごくいい人そうで楽しそうに演奏するんだけど、どれもおんなじ曲だなって思った。この日もいい人そうで楽しそうだった。実はリズムやコード進行や構成は凝ってるんだ。どれもおんなじ曲に聴こえるのは、コードの構成音だけでメロディーを作る、つまり3度や5度に飛ぶ癖があるのと、音色のセンス、いろんな音を使ってるんだけど質感の好みがはっきりして、柔らかにまとめてしまうからなのだ。
 単独ライブじゃなくてフェスの出演者の一人として、短いステージを観るぶんには心地いい。人気もあるみたいだった。もうちょっと長いと飽きるかな。

続いて5000人収容のライブハウスRed Marqueeに、チャットモンチーを観に行く。チャットはいわゆるJ-POPのファンが多いんで、FUJI ROCKの客層に受け入れられるか心配だと話してた。結果は超満員。可愛いルックスと声に惑わされちゃうけど、芯はロックなバンドだ。で、FUJI ROCKの観衆もそれをわかっていた。
 ドラムの高橋久美子がいた頃は、日本で最強のトリオだと思ってた。ドラムが脱退してもサポートを入れることをせず、楽器を持ち替え持ち替えBob Log IIIみたいなスタイルで活動してる。曲によってはリズムキープも危なっかしくて、でもその演奏でステージに立つ決心がやっぱりロックだなこの人達は。橋本絵莉子の歌声はキラキラしてる。ギターも大好き。福岡晃子の生ベースも聴きたい。ドラムレスっていう選択肢はないんだろうか。

邦楽が続く。Green Stageに戻ってBoom Boom Satellites観る。ギターとベースの2人に、横向きにセットされた女性ドラマー。4つ打ちのビックビートに乗せて生音も操る彼ら、普通にかっこいいしロック的なカタルシスもある。でもなんだかしっくりこない、なんでかなーと思ったら顔だ、顔が嫌い。ナルシスト。ギターもフライングV使って、音楽性の違いというより美意識の違いで悶々とした。

Red MarqueeでOcean Colour Scene観る。バーミンガム出身のブリットポップバンドで、名盤「Moseley Shoals」が大ヒットした。ムーブメントの終焉と共に忘れ去られた彼らは、Paul Wellerの信望で生き延びた。あの時はたまたまそういう流れがあったけど、エヴァーグリーンな曲をたくさん作ってた。
 Green StageではBeedy EyeがOasis時代の曲を解禁してた。その裏のOcean Colour Sceneは、お客さんが少なくて寂しいステージだった。でも内容は最高! 前に観た時は気持ちも演奏も走ってる感じがしたけど、この日は名曲をじっくり堪能した。日本人好みの泣きのコード進行は、ぜひともパクりたい。変わったことをしない、いい曲をいい曲として演奏するライブ。コーラスの美しさも特筆もの。コーラスできるバンドには、スピリットオブロックンロールを感じる。目をあわせて確かめながら歌うんじゃなくて、それぞれが一己の人間として前を見てる感じがするのだ。

そしてGreen Stageのトリ、今年のFUJI ROCKのひとつの目玉でもある、The Stone Roses観る。マッドチェスターと呼ばれた、80年代末のマンチェスターのダンスロックムーブメントの中心的な存在。リアルタイムでは興味なくて、実は後追い。
 これがOcean Colour Sceneとは対極の、グダグダの演奏であった。ベースのMani以外現役感がない。ボーカルのIan Brownは音を外し、ギターのJohn Squireは一人で走り、ドラムのReniはおかずのたびにもたもたする。でもみんながずれた状態でひとつのグルーヴが成立してる。よれよれの演奏が人の心をつかむことがあるのだ。この組み合わせでしか成り立たない魔法、ロックは上手ければいい訳じゃない。そんな喧騒の中で、Ian Brownはジャッキー・チェンのフィギュアをカメラに向けて遊んだり適当にしてる。John Squireは有名なギターリフを取り込んで笑わせる。まさにマッド、であった。

終演後、ビール屋の前で鉢合わせるNoel GallagherとLiam Gallagher。「おっおう」「おう」「よかったな」「よかったな、俺達がやりたかったのはこれだよな」「喧嘩してる場合じゃないな」「飲もうぜ兄弟」 → Oasis再結成、なんてドラマはなかったらしい。
 ところで私のちょっと前にベロベロに酔っ払った兄ちゃんがいた。エアギターで歌い踊って、周りの客はハイタッチしたりムービー撮ったり、大喜びしてみんなで笑った。あの夜4万人の観客の中で、一番Stone Rosesを楽しんだのはあの兄ちゃんだと思う。でも翌日には全部忘れてると思う。

2日目に続く。