FUJI ROCK FESTIVAL '14 7.26

夕方に宿を出発、St.Vincentから観るつもりが早くついちゃった。岩盤ショップのCDコーナーの店員さんが可愛かった。旨いのにガラガラの屋台のお姉さんも。握手会商法すればいいのに。
 本当に観たかったのは片想い、Narasirato、Travis、Jonathan Wilson、Preservation Hall Jazz Band。

結局観たのはRed MarqueeでASIAN KUNG-FU GENERATIONのGotch。アジカンとしてはルーキーから何度も出演してるけどソロでは初めて。「98年豊洲でFUJI ROCKを初体験して、FUJI ROCKに呼ばれるバンドになりたかった。バンドでもソロでも呼んで頂けてうれしいです」ってMCの通り、音楽性はもちろん政治的なスタンスでもFUJI ROCKの色がする。彼が編集長を勤めるTHE FUTURE TIMESは、震災後のこの国を考える上で興味深いメディアだ。
 ライブは、ギターを中心にしたアジカンの共同作業とはぜんぜん違う音像だった。Gotchの声を活かしたカラフルなサウンドは、初期のBeckや往年のポストロックみたいだった。特にコーラスのYeYeの存在感、声の相性もばっちりだった。Wilcoのカバーもあって、うーんこの人パブリックイメージより相当オルタナだ。

続いておなじRed MarqueeでSt.Vincent。ルーツと近未来を行き来する彼女は、今年リリースされたニューアルバムもますますエッジが効いて、初めてのライブ楽しみにしてた。本人はギターを抱えてすっくとマイクの前へ。サポートにドラマーとキーボードのシンプルな編成。打ち込みに合わせて歌い踊る姿は、隅から隅まで丁寧にコントロールされて、コンテンポラリーダンスを観てるみたいだった。手足の長さはスーパーモデルみたいだった。
 声の表情の豊かさとギターの音色の鮮やかさ、ポップの鏡みたいなステージだった。ライブが進むに従って、優雅さの裏側の暴力性が顔を出した。生ドラムのグルーヴがどんどん膨らんで、それに応えて弾けるような不思議なギターソロにドキドキした。

Green Stageに移動してDamon Albarn。前日と同じ場所に椅子を置いて遠くから眺める。BlurのTシャツを着て気合いが入ってる風だけど、この日の体力ではこれが精一杯の気合いだ。
 今年のはじめに観たBlurのライブは、Damonが言うにはBlurのラストライブとなった。大学時代に熱心に追いかけたバンド。そのイギリス的なシニカルさに溢れたスタイルはブリットポップとも呼ばれたけれど、Blurはそこに留まることを拒否して抽象的に変化していった。Damonの華やかさはGorillazとして表現されることになった。この日のセットリストも、今年リリースされた初めてのソロアルバムと、Gorillazの曲が大半だった。彼のワールドミュージック的な指向もあってか、リズム隊もコーラス隊も黒人が奏でるバンドは、荘厳ささえ感じさせた。もう過去を否定しない、キャリアを集大成して次に進んでいく力を感じた。

Biffy ClyroとFanfare Ciocarliaをパスして、同じGreen StageにてArcade Fire。レコードの素晴らしさは充分わかってる、でもArcade Fireはライブバンドだって声を聞いて楽しみにしてた。
 ステージには性別も肌の色もばらばらな12人。曲によってスティール・パンがいたり鉄琴がいたりフィドルが2人いたりドラムが2人いたりコンガが3人いたり全員が声をあげたり、フレキシブルにメンバーが入れ替わって、力強いアンサンブルを繰り広げる。映像や衣装の演出だけじゃなく、鏡や死神のかぶりものが出てきて、ホーンテッドマンションみたいな祝祭感に呆然とした。本編が終わって興奮のなか、聴こえてきたのはなんとYMOの「Rydeen」。メンバーとかぶりものが手に手を取って戻ってくる。シリアスなアルバムのイメージとは打って変わって、ライブではパーティーバンドと言っていいサービス精神だった。紙吹雪、紙吹雪。3日間でベストアクト。

Manic Street Preachersをパスして帰宿。

3日目に続く。