FUJI ROCK FESTIVAL '14 7.27

最終日も夕方まで宿で休む。パスしたのはOzomatli、bonobos、Owen Pallett、OK GO、The Pains Of Being Pure At Heart。
 Owen Pallettあたりから出ようと思ってたんだけど。ああ我が衰弱。

最初に観たのはGreen StageのThe Strypes。初日、2日目と同じ場所に椅子を置く。The Strypesはアイルランドの10代のロカビリーバンド。見た目は衣装を着せられた子供みたいだ。
 ファン層も若いのか、J-POPのライブでよく見かける人差し指を回す仕草で応える。ツイストでも踊ったらいいのにな。前のほうではモッシュも起きてるみたいだった。ひたすら8ビートでちょっと眠くなったけど、とにかく上手い、そして音がぶっとい。アイドル性とこの演奏力があったら、人気が出るのも当たり前だ。なんでかMCは全部ギタリストが担当する。ボーカリストはその間もじもじしてる。ライブを終えてサングラスをあげる仕草は、彼なりのせめてものサービスだろうか。

AsgeirとThe King All Starsをパスして、おなじGreen StageにてThe Roosters。大江慎也の精神障害によるかくも長き活動停止期間を終わらせて、正式に解散したのが2004年のFUJI ROCKだった。でも実際は、再始動の予鈴とも言えた。そして10年後のFUJI ROCK。バックには奈良美智の描き下ろした旗が堂々とはためいていた。
 The Strypesとよく似た8ビート中心のバンドだけど、ベテランの圧倒的なコシとキレがある。飽きさせる瞬間なんて1秒もない。太りきった大江慎也はもう何を言ってるのかわからない。その無様なシャウトに胸 撃ちぬかれた。ロックンロールってこういうことかも知れない。最後はもちろん「CMC」だ。

暑すぎるFUJI ROCKも豪雨で沼みたいなFUJI ROCKも辛いけど、この日は午前中の雨がたたってとにかく寒かった。いつだっていつだって夕陽はふっと沈んじゃう。ゴミ袋に穴をあけてかぶる。

日も暮れてThe Flaming Lips。銀色の風船を狂ったように掲げたステージが組み上がる過程から頭おかしいよ。メンバーが着ぐるみたちと登場。巨大なきのこ、いもむし、お星様、虹の扉、そんな人々に混じってもまったく違和感のないWayne Coyne。気持ち悪さとおかしさの隙間に、フリークの悲しみが見えた。
 去年の「The Terror」がそうだったように、スローで重たい曲が続く。Come On!! と煽られてもフリークショーに入りきれずにいた。最近のライブでお馴染みの「Lucy In The Sky With Diamonds」は演らなかった。色物バンドとしての期待とセンチメンタルな本質の間で、どっちにも振りきれずにいたのかも知れない。そんな戸惑いの中、Wayne Coyneが巨大なボールに入って客席の真ん中まで転がり込む。その歌はロック的な発声としては大間違い、でも危うさが美しくもあった。

終演後、隣では5-6人の若い男女がフルーツバスケットをやっていた。「楽しかった人!!」「ご飯いっぱい食べた人!!」「FUJI ROCKまだまだ続いて欲しい人!!」。疲れ果てたおじさんの隣できらっきら眩しい光を放ちやがる。

観るものもないのでそのままGreen StageでJack Johnson。Flaming Lipsの意図的な安さといかがわしさの後では、オーガニックな木のセットを背に器用にカッティングする彼は、あまりにも「いい子」に見えた。バンドはベースとドラムスとキーボードのシンプルな編成、で、彼らもとにかく器用。特にキーボーディストが軽妙なプレイを見せる。と思ったらアップライトピアノの上に飛び乗ってピアニカを吹き、静かに飛び降りて歌い出したら凄いいい声なの。
 後半はゲストを招き入れてセッション。John ButlerやOzomatliと組んでも卒なくこなしてしまう。後半やっとファンキーなノリを出してきたと思ったら、終演時間の1分前にぴったり終わらせる優等生っぷり。寒い夜のGreen Stageじゃなくて、まっ昼間のField Of Heavenでやったらよかったんじゃないの。

Outkast、Buffalo DaughterをパスしてそのままGreen Stageに残り、クロージングアクトのThe Poguesを観た。ケルティックパンクの雄としてヒットを飛ばしたのは30年も前のこと、でもこういうバンドを大切にするのもFUJI ROCKらしさだ。
 驚いたのは、ボーカルShane MacGowanの老い。「酔いどれ天使」の異名を持つ彼だが、酔いじゃなくて老いだった。よろよろと登場してマイクスタンドにつかまり立ち、咳き込み、歌もほとんど歌えない。舞台袖で休憩することもしばしば。それでもサングラスをかけてタバコくわえて粋なポーズを取ろうとする姿は、可愛くもあり痛々しくもあった。バンドにはキレがあった。モッシュピットでは入場規制もかかったそう。愛されてるバンドなんだろうな。何度もアンコールがかかったけど出られる訳がない。

今年のFUJI ROCKはこうして終わった。考えさせられたのはみずからの衰弱と老化だ。62歳の鈴木慶一氏は自分のステージを終えて、観客として山奥まで片道1時間の道のりを2往復した。一方で56歳のShane MacGowanは、マイクにつかまり立ちすることも危うかった。僕自身も山奥まで行く体力はまるでなくて、夕方に起きだして一番手前のGreen Stageに座ってる日々だった。
 毎年FUJI ROCKに行くたびに感じるような、音楽の原初に触れた感慨と興奮は、今年はなかった。精神の衰えより先に体の衰えが来ていることを、ただ静かに受け入れていた。いまの体調でもう一度行きたいかと問われれば、明らかにNOだ。また行ってもいいと思える体力を取り戻すか、去年までの記憶を置いて終わりにするか。

若さに固執するでもないが、想い出よりも現在に未来に興味がある。来年のFUJI ROCKでシーユー。